作曲家別 A-C

姓のアルファベット順。



Peter Ablinger
Grisailles 1-100

Hildegard Kleeb,Piano
2000 Hat[now]Art  132

オーストリア出身、ラマティに師事経験のあるペーター・アプリンガー(1959-)の作品。
題の通り、宗教絵画などで良く用いられる灰色の濃淡・明暗のみで描く画法・グリザイユを意識してのもの。
オクターブの和音や、指が鍵盤などの上を素早く動かすことで生じるノイズを中核的に使用したことで
光と影が作るような曖昧で微かな違いを再現しています。
オクターブの和音を白、無音を黒とすれば、ノイズやぱらぱらと響くランダムな音はまさに灰色。
それらが絶えず不規則に積み重なることで、微妙に変化していく色彩を再現しています。
音響的に非常に楽しめる、面白い作品でした。
3台ピアノのための作品ですが、ここでは多重録音してます。



Peter Ablinger
Der Regen, das Glas, das Lachen(1994),Ohne Titel(1992),
Quadraturen IV("Selbstportait mit Berlin")(1995-98)

Klangforum Wien  Sylvan Cambreling,Cond.
2000 KAIROS  0012192KAI

この演奏者クラングフォーラム・ウィーンの客演指揮をやったりしたこともある
ラマティを師に持つペーター・アブリンガー(1959-)の作品集。
「Rain,glass,laughing(雨、ガラス、笑い)」は単音とノイズからなる動きが次第に
音のすべてをホワイトノイズへと収束させていくような手法で、
音層の積み重なりから聴衆が旋律(とよぶべきもの)を拾わせるようにしています。
終始25人の特殊奏法による音の嵐が吹き荒れ、その中からFを中核とした音のばらまきが激しく放たれていく。
そこから、気が付くと別の音が現れ、意識を音から音へとスライドさせていくことになる。
そして、それらはやがて全て雑音の流れの中に飲み込まれていってしまう。
そのある種モノクロ的な作り方がいかにも彼らしい。「グリザイユ」然り。
「Ohne Titel(無題)」、作者はこの名前になるまでしか解説で語ってないので
内容理論に関しては知りません。ただ、ビサンティンな描き方の目がどうこう言っているからか、
音楽は随分がっちりした重さのノイズをばらまきます。
こちらも先ほどと基本的な音響構造は変わりませんが、打って変わってむせ返るような停滞と閉塞感。
間を伴いながら幾度も激しく浮かび上がる音の反復は深く暗い説得力を持つ。
「Squarings IV "Self-portrait with Berlin"(求績法IV(ベルリンでの自画像))」は
マイクロフォンによるフィールド録音をスキャン分析し、
音符にむりやり置き換えたものをオリジナルと同時に再生するという手法。
結果として、無秩序なクラスターのまとまりが延々と続き、そこにフィールド音のノイズが
重くどろどろとなだれ込んでくる、この中で一番アヤシイ音響が出来上がっています。
でももちろん演奏パートはオリジナルの派生物であるからして、
双方の間には奇妙な連携というか、調和のようなものが見えてくるから面白い。
この人はそのノイズの使い方が実に爽快なので好きですね。ラッヘンマンよりは派手で快楽的。



Anton Garcia Abril
Three Sonatas for Orchestra, Hemeroscopium(Concerto for Orchestra), Piano Concerto

Guillermo Gonzalez,P.  Madrid Symphony Orchestra  Enrique Garcia Asencio,Con.
1995 Marco Polo  8.223849

TVや映画などのためにも多く音楽を書いているスペインの作曲家アントン・ガルシア・アブリル(1933-)作品集。
「管弦楽のための3つのソナタ」(1984)は父Soler-Garcia Abrilとボッケリーニの作品を下敷きにした
バレエ「Dance and Swagger」のための作品から抜粋されて制作されたもの。
はっきり言って、露骨なまでの古典音楽で全くもって自分の趣味ではない。ライヴ。
「ヘメロスコピウム(管弦楽のための協奏曲)」(1969-72)はアブリル最初の管弦楽作品だそう。
こちらはスペインらしいリズミカルさと民謡的な艶っぽい旋律がネオクラシカルな音楽と共に壮大に奏でられていてとても好み。
ドビュッシー、バルトーク、エルネスト・ハルフテルにペトラッシを解説では引き合いに出していますが
確かにそれらの要素をごった煮にしたような、矢継ぎ早に光景が変わる音楽。
それもあって、25分近い音楽も全く飽きずに聴けるし、近代好きかつエキゾチシズム好きの人間にはたまらない
様々な光景が楽しめる音楽になっています。これもライヴ。
「ピアノ協奏曲」(1994改訂版)は元々1966年に制作したものの途中で筆を止めてしまったものらしい。
グラナダ音楽祭で改訂版は初演されてますね。のっけからスペインらしい開放的なソロが響いてかっこいい。
第2楽章もピアノソロが和声を鳴らすなかなかに色彩感の強い緩徐楽章。
第3楽章はごつごつしたリズムの、スペイン全開楽章。終始テンション高くて和声も近代趣味全開、とても楽しめた。

演奏は、全般的にかなり健闘していてそれなりに楽しめるのですが、もうちょっと熱気があると楽しめたと思う。
フランスやドイツのような団体らしい洗練さには敵わないし、かといってスパニッシュなエネルギーにはちょっとだけ弱い。



John Adams
Harmonielehre, The Chairman Dances, Two Fanfares

City of Birmingham Symphony Orchestra  Sir Simon Rattle,Cond.
2007 EMI  50999 5 03403 2 3

バーミンガム市響&サイモン・ラトルがお届けするジョン・アダムス作品集。まあまあ有名な一枚。
まずは「和声学(ハルモニーレーレ)」から。冒頭のトロンボーンにがつんとやられました。クリスピーな音が心地よく出てます。
相変わらずの微妙に薄っぺらい響きではありますが、そのおかげかこの大曲がスマートに聞こえる。
40分かかるアダムスの力作であり代表作であるこの音楽が、すんなりと入ってくる所は大きな魅力です。
シルクのように柔らかく響く美しい旋律の数々。ポストミニマル、そしてアダムスの音楽性がぎっしり詰まってます。
「主席は踊る」、有名なNonesuchのワールト指揮を、もうちょっと繊細にした感じ。
テンポは落ち着いていて、派手さはないけれど安心出来る出来。
良いんだけれど、ただ、流石にこちらはラトルの悪い薄っぺらさの方が印象に残ってしまう。
というかどこかお固い。優雅さや気楽な舞踏のイメージがなく、どうも真面目なまとめ方。
「ショート・ライド〜」ばっかり有名ですが、ここでの収録は「トロンバ・ロンターナ」も含めた「2つのファンファーレ」。
「トロンバ・ロンターナ」、トランペット2本が遠く響き渡る、妖しく不思議な、けれど美しい穏やかなファンファーレ。
「ショート・ライド・イン・ア・ファーストマシーン」は対比的に激しく動き回る。
ロンターナは悪くなかったけれど、ショート・ライドは粗が・・・まあラトルにはちと不向きじゃないかと思ってたし。
彼がやろうとしていること自体はむしろ自分の好みなんだけれどなあ。



John Luther Adams
Earth and the Great Weather

John Luther Adams,Con.&Perc.  Michael Finckel,Vc.  Robin Lorentz,Vn. etc.
New World Records  80459-2

ジョン・アダムズといえば大抵は「シェイカー・ループス」「中国のニクソン」等を書いたアメリカの売れっ子ミニマル作曲家
ジョン・クーリッジ・アダムズを指しますが(アメリカの大統領じゃないの?等の突っ込みは無しで。)、
アラスカにもジョン・ルーサー・アダムス(1953-)という作曲家がいるのです。
ジェームズ・テニーらに師事し、フェアバンクス交響楽団などの主席打楽器奏者を勤めたこともある彼も、
どれかというとポスト・ミニマル的な立ち位置にいる作曲家。
これは北極・アラスカの厳しい自然の風景を描いた作品。
英語・イヌイット語などによるナレーションが入りながら、打楽器による描写的でプリミティヴな音楽が綴られる。
例えばトラック2なんかは太鼓による激しいアンサンブルが思い切り聴けて爽快です。
かと思えば次のトラックではヴァイオリンのか細いグリッサンドによる
冷たい風の吹きすさぶ風景だったりと表現はさまざま。
基本的にはシリアスで荒漠な音楽が続きます。
クーリッジのような、ロマン的な豊かな響きを想像してはいけません。
これはこれで完成された作品だと思えたから良かった。ただ、渋いな・・・



Dominick Aegento
Valentino Dances
Valentino Dances -Suite from the opera'The Dream of Valentino',
Reverie,Reflections on a Hymn Tune, Le Tombeau d'Edger Poe, Valse Triste, A Ring of Time

William Schimmel,Acc.  Chad Shelton,T.  Minnesota Orchestra  Eiji Oue,Cond.
2000 Reference Recordings  RR-91CD

ペンシルヴァニア出身、ホヴァネスらに師事経験がありますが、音楽的には
劇音楽を初めとした舞台作品が多く、音楽技法も比較的幅広い作風のドミニク・アージェント(1927-)作品集。
「ヴァレンティノ・ダンス」は歌劇「ヴァレンティノの夢」からの組曲。
華麗なダンサーを表現するようなアコーディオンの活躍するタンゴの1曲目、
運命の女性との出会いを示すサックス入りの艶やかな2曲目、巡業中のシーンからの3曲目。
見事なまでのアメリカンな壮大さとタンゴのリズムが織りなす豪華絢爛な音楽絵巻、爽快です。
「讃美歌に関する瞑想と熟考」はドイツの讃美歌をモチーフにして
変奏から主題へと劇的な構成も交えて流麗に音楽を作り上げています。
「エドガー・アラン・ポーの墓」はやっぱり歌劇「エドガー・アラン・ポーの旅」からの抜粋組曲。
テノールがアナベル・リーを歌い、ポーの暗い人生を、陰影をつけて描き出す。
小管弦楽の「悲しいワルツ」はジンマンのために書いた非常に短いながらもまとまった淡い曲。
「時の輪」はこの中で一番早く書かれた作品。鐘の音を中核に置いた、季節や一日の時間をテーマにしたもの。
非常に変化が激しく、1曲ずつでもとても聴きごたえがある。
ただ、やっぱり面白いけれど自分から手を出そうとは思えないあたりが惜しい。
自分としてはマイケル・トークあたりと似た感覚を感じる。
演奏するミネソタ管のお抱え作曲家なわけだし、不安要素はなし。大植英次の指揮も問題なし。



Stephen Albert
Symphony 'RiverRun', To Wake the Dead

National Symphony Orchestra of Washington D.C.  Mstislav Rostropovich,Cond.
Lucy Shelton,Sop.  The 20th Century Consort  Christopher Kendall,Cond.
1988 Delos  D/CD 1016

ステファン・アルバート(1941-92)はNY生まれの作曲家。
イーストマン音楽学校でバーナード・ロジャースに学んだりもしています。
「交響曲「リヴァラン」」は現代音楽方面でもお馴染みジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」から
その名前を由来とします(この作品の最初の単語がriverrun)。1985年のピューリッツァー賞を受賞。
第1楽章「レイン・ミュージック」、劇的な、けれど音の蓄積による進行の冒頭から美しい盛り上がり、
力強いリズムに乗せて展開する非旋律的ではあるけれども美しくドラマティックな音楽。
第2楽章は陰鬱な冒頭から暗さと美しさ、力強さが混然となったピアノの活躍する音楽へ。
スケルツォと行進曲の間の子のような第3楽章はさまざまな楽想が入り乱れながら
軽快なはずなのにどこか葬送行進曲のような重いリズムに消え入る。
第4楽章「リヴァー・エンド」、重々しい盛り上がりと大洋のようなうねりの見せる音楽は実にかっこいい。
「トゥ・ウェイク・ザ・デッド」は「リヴァラン」の6年前の作品ですが、こちらは歌詞までフィネガンズ・ウェイク。
副題に「Six Sentimental Songs and an Interlude after Finnegans Wake」とあるように
散文的で夜想的な性格が強いものの幻想的で美しい音楽。
時折見せるミスマッチなパートの合体が原文の印象を表しているようで面白い。
聴きやすさが典型的なポストモダンの作曲家。「リヴァラン」はもう一度聴きたいと思えた。
いや、後半の曲も楽しいですけれどね。終曲の美しさとか捨てがたい。
とりあえず、このCDで一番残念だったのは日本語解説。楽曲解説を英語のライナーノーツに丸投げしています。
ふざけんなよお前何のために日本語で書いてんだ!仕事放棄じゃないかよ!
それともあれですか、英語もさらっと理解出来ない様な痴れ者の輩に聴く価値なんぞないと言いたいんですかい。
投げて代わりに何か解説してるならいいんですが、解説は用紙の半分も埋めていない体たらく。



Charles-Valentin Alkan
Complete Works for Piano and Orchestra
Concerto for Piano and Orchestra Op.39(orch.by Karl Klindworth),Concerto da Camera Nos.1-3

Dmitry Feofanov,P.  Razumovsky Symphony Orchestra  Robert Stankovsky,Cond.
1995 Naxos  8.553702

アルカンのピアノ協奏曲編成のための作品を集めた一枚。
この「ピアノ協奏曲」は「短調による12の練習曲」第8番を協奏曲編成にわざわざクリントヴォルトが編曲したもの。
ちなみに彼(1830-1916)、ベルリンフィルなどの指揮者を務めながら
ピアニストとしてアルカン作品の演奏をサポートした人物。編曲に違和感はありません。
こうして聴くとなんだか普通に良い曲に聴こえてくるから不思議なものです。
逆に言えば、オーケストラでも違和感ない音楽の垂直構造を
ピアノ1台で表現させているオリジナルがおかしすぎるという意味にもなりますね。
まあ元々「協奏曲第1楽章」と題されていますし、このような世界をアルカン本人が描いていたのはかなり確信的でしょう。
「室内協奏曲第2番 嬰ハ短調」は1833年の作曲ですからかなり初期のもの。
弦楽伴奏のためもあり、溌剌としながらも影を持った憂いのある曲調がどこか全体を覆っているのが特徴。
「室内協奏曲第3番 嬰ハ長調」はその同年に作られながら、結局は「Andante Romantique」として
ピアノソロで発表されたもの。Hugh Macdonaldが再構成してこの録音で聴ける形となりました。
全体が緩徐楽章のような、5分ほどの作品です。
「室内協奏曲第1番 イ短調」は1831年作曲。17歳。トロンボーンを含む比較的大編成の管弦楽を使います。
さっぱりした響きはこの時代の若書きらしいけれど、すでにしっかり
アルカンな技巧を華々しく使っているあたり末恐ろしい。
演奏、そつなく纏まっていて綺麗に聴ける。半分は初期の作品ですし、これで十分です。



Charles-Valentin Alkan
Grande Sonate 'Les Quatre Ages'Op.33, Sonatine Op.61,
Barcarolle,Op.65-6,Le Festin D'esope Op.39-12

Marc-Andre Hamelin,Piano
hyperion  CDA66794

アムランがアルカンを弾いちゃった一枚。決定的すぎる…
「グランド・ソナタ「4つの時代」」は楽章を人生の時期に見立てた有名作品。
第1楽章「20代」、溌剌としたアルカンらしい主題と、実に美しく艶やかな中間部。
個人的に、あっさりしてはいるけれど彼の曲の中でももっとも気に入っている曲の一つ。
ここでのアムラン、実に爽快にかっ飛ばしてくれます。凄い。
第2楽章「30代、ファウストのように」は一番アルカンらしい響き。
この演奏だと普通に華やかな音楽に聴こえてしまうけれど、
実際に譜面を見てみると何だこれの世界だからいろいろとすさまじい。
もちろん流麗にして豪華絢爛な音絵巻は単純に聴いていても、とても濃密で聴きごたえがある。
第3楽章「40代、幸福な家庭生活」はそれまでに比べるとずっと落ち着いた3拍子。
いわゆるアダージョ楽章に相当するものでしょう。まあアルカンにしては普通に綺麗。
第4楽章「50代、縛られたプロメテウス」、極端なまでにレントで、鬱屈な音楽を奏でる。
重々しく深い美しさを奏でてくれて、そしてアルカンらしい妙な動き。
最後はどう締めるのかと思ったら、なかなか重く劇的に終わりました。
「ソナチネ」はグランドソナタと比肩するとかなり後期の作品。
音楽はより洗練された簡素な音響ですが、そのえげつなさの濃縮ぶりもまた進化してます。
聴いて楽しい弾いたら地獄、こうして部屋でオーディオ聴いてるには楽しいアルカン音響が存分に聴ける。
あれ、スケルツォとか、最初は普通だったよね…?というか、楽章に緩徐楽章が無い時点でおかしいです。
流麗に磨きがかかっているのに、外道さにも磨きがかかっている、いろいろ素晴らしい曲。
後には抜粋を2つ。「舟歌」はこの流れで聴くと実に普通。アルカンの落ち着いた美しさを聴ける良い曲です。
「イソップの饗宴」は「12の練習曲」のラストを飾るもの。
25の変奏で組み上げられた、やっぱり彼らしい超絶技巧が華やかに繰り広げられる作品。
アムランの演奏、言わずもがな素晴らしすぎる。「イソップの饗宴」なんか、
アンコールでやれたらかっこいいだろうけれど可能なのは彼だけだろうなと思えるくらい凄い演奏。



フィクレト・アミロフ
アラビアン・ナイト 他

Fikret Amirov
The Arabian Nights, Symphony for String Orchestra, Shur(Symphonic Mugam)

Nazim Rzaev,Cond. Bolshoi Theatre Orchestra
Olympia  OCD 578 A+B

これは凄い・・・ハイテンションな曲が次から次へと出てくる出てくる。
アゼルバイジャンの作曲家アミロフが晩年に書いた代表作の一つ「アラビアン・ナイト」。
ハチャトゥリアンあたりの曲から民族性を濃縮したようなその曲想は非常に野蛮で力強い。
いわずと知れた名作を基にした2幕のバレエ音楽ですが、90分の間絢爛世界が踊りっぱなし。
特に第1幕は金管と打楽器が最前面に飛び出た曲が多く聴き応えあります。
3+3+2の耳に残る主題と思しきものや、その関連メロディーも追ってみると楽しいでしょう。
こんな派手な楽曲をボリショイ劇場のオケが・・・そりゃあ鬼に金棒だ。
カップリングにある、ロジェストヴェンスキーが振る弦楽交響曲がかすんで見えます。
他2曲も十分面白いんだけどねえ・・・



Louis Andriessen
Zilver
Disco
Overture to Orpheus
Worker's Union

The California Ear Unit
New Albion  NA 094 CD

オランダの大作曲家、ルイ・アンドリーセンの室内楽作品集。
「Zilver」は「バッハのようなコラール変奏曲を書」こうとしたという言葉の通り、ゆったりした長いメロディーが主な構造。
そこに鍵盤楽器のスタッカートな和音が絡んできて、彼らしい世界観になってくる。
徐々に絶えずテンポは速くなっていき、最後を除いてひたすら盛り上がっていく。が、最後はふと冒頭に回帰して終了する。
曲の題は曲において重要な役割を果たすフルートとヴィブラフォンからきているのでしょうか。
次の「Disco」は最初から軽快なメロディー。が、それは直ぐにピアノと弦の微かな余韻を引き伸ばすスパンの長い音楽に。
それが少しずつ折りたたまれて発散してはまた音が少なくなり・・・じわじわと盛り上がってきて終わる。
頂点が最後にある「Zilver」と違い、最初に頂点を提示してからそれに向け、さらにはそれを超えようとさせる作り方。
「Overture to Orpheus」はチェンバロのソロ。様々な上昇音階主体による、単純な構成のどこか古典的な音楽。
特に大きな盛り上がりは無いですが、一番聴きやすい音楽でもあります。
「Worker's Union」は頭から最後まで機械音のような重々しいリズム。短いリズム構造を元に展開していく重厚な曲です。

演奏者は、自分はフェルドマンの作品集でよく見かけていました。やはり綺麗なトーンに安定感があります。
とはいえ、それ以外の部分も十分に素晴らしい出来。
アグレッシブさが伝わりにくいニュー・アルビオンの録音ですが、その中でも頑張っていますね。
ただ、アンドリーセンはやっぱり大編成の方が面白い曲に聴こえる気が。「国家」とか。



Louis Andriessen
De Stijl, Trepidus, Dances

Kaalslag  Reinbert de Leeuw,Cond.  Gerard Bouwhuis,Piano
Claron McFadden,Sop.  Radio Chamber Orchestra  Gunther Schuller,Cond.
Attacca  Babel 9375

ルイ・アンドリーセン(1939-)の作品集と見ると、やっぱりつい手が伸びてしまう。
「デ・ステイル」(1985)はご存知彼の代表作「物質(De Materie)」の第3曲を独立させたもの。
オランダ前衛運動として有名なデ・ステイルの代表作の一つ、
ピート・モンドリアン(Piet Mondrian)の「赤、黄、青 によるコンポジション」(1927)にインスパイアされた作品。
最初の溌剌とした音はすぐにファンキーなリズムに様変わりし、長い旋律を歌う合唱の背後で
サックスやベースを主体としたアンサンブルがノリノリで不規則なビートを刻む。
ここはディスコじゃねえと突っ込みたくなるような、直球のノリがそのまま音楽に現れて暴れまくっているのに、
音楽の輪郭はどう考えても現代音楽、アンドリーセンらしいクリスピーな世界。
モンドリアンの好んだブギウギのリズムまで飛び出し、もはやダンスチューンの坩堝と化す逸品。
ちなみに、この音源はNonesuchのとは別物です。録音のヴィヴィッドさはどうしても負けてしまいますが、
音楽のハジケっぷりはこっちの方が上かもしれない。ミスも聴こえますが、
そのなんだか軽薄なところも含めて(ああ、変てこだけど楽しいなあ)と感じることが出来る。
「Trepidus」(1983)は彼自身の「速度(De Snelheid)」を元にしたピアノ独奏作品。
冒頭のゆっくりしたコラール風旋律は次第に速度を早め、いかにもアンドリーセンなごつごつしたリズムを刻みだす。
「踊り」(1991)はもともと「階段(De Trap)」という舞踏作品だったもの。
ダンサーは古代エジプトのファラオの役割をするらしく、音楽は旋法的。
ピアノとクロタルの高く澄んだ響きに弦が優しく和音を添えて、美しく神秘的に音が広がっていく。
ヴェールのカーテンがふわりと風に揺れて日差しを漏らすような美しさ。
そこにソプラノの透き通った歌が入り、次第にリズミカルな動きが現れてフィリップ・グラスみたいな響きに。
けれどちょっとファンキーなリズムははっきりとアンドリーセン流。
最後も含め、基本的にはゆっくりとした弦楽とソプラノの神秘的なうねりが全体の動きの主体。
これは初めて聴く曲でしたが、彼らしいはっきりしたリズムと美しい響きが合わさっていて楽しかった。
30分弱というのはさすがに長かったが。
録音はアッタッカらしい微妙な響き。



Lous Andriessen
Mausoleum for 2 high baritones and orchestra, Hoketus for two groups of five instruments

Charles van Tassel/David Barick,Br.  ASKO Ensemble Schonberg Ensemble  Reinbert de Leeuw,Cond.
Ensemble Hoketus
Donemus / Composer's Voice  CV 20

ドネムスから出ているルイ・アンドリーセン作品集。そういえばComposer's Voiceって日本じゃあんまり見かけない印象。
「廟」(1979/1981)は印象的な断片が間を置いて繰り返され、次第にライヒよろしく一定の流れに発展していく。
この冒頭は残響にツィンバロンも相まって、なかなか綺麗でかっこいい。
次第にホルン主導のいつもみたいな込み入った和声の機械的な動きが走り出す。
10分以上たってようやくバリトン2人がバクーニンらのテキストを歌いだす。ロシア革命あたりが曲のテーマなのね。
トロンボーンも入りだして、音楽の勢いはここらからフルスピード。実に爽快です。
後半は次第に動きが硬直していって収束するのもいつもの流れ。
「ホケトゥス」(1975-77)はアンサンブル・ホケトゥス絡みでも有名でしょうね。
サックス打楽器、ピアノにフェンダー・ピアノ、ベース、パンパイプが入る不思議な編成。
題通り、アンサンブル同士の応唱が最初から音ごとに絡み合う、単純ながら難しい構成です。
反復する断片を様々に入れ替えながらひたすら音楽は進んでいくあたり、
アンドリーセンの一番急進的だったころの音楽で実に刺激的。

この70年代の作品を聴いていると、このころは随分とミニマリズムに影響を受けた作品を書いていたんだなあと実感。
「ホケトゥス」なんてかなりミニマルしてます。グラスの初期作品だよとか言われたら、中途半端にしか知らない人間は信じそう。俺とか。
演奏はどちらも名前を見ただけでもう外れないことは分かってました。
もちろん聴いていわずもがな。「廟」なんか金管は相当吠えてます。



Vyacheslav Artyomov
Invocations
Totem, A Sonata of Meditations, Invocations, Ave atque vale

Lidia Davydova,Sop.  Mark Pekarsky Percussion Ensemble
Olympia  OCD 514

グバイドゥリーナやススリンと親交のあるヴャチェスラフ・アルチューモフ(1940-)の打楽器作品集。
「トーテム」、1976年作品。6重奏。様々な楽器のトレモロに始まり、ためらいがちにリズムが入る。
ここでの音楽はまさに即興演奏的。そこから現れるプリミティヴなリズムが盛り上がり、
金属楽器の爆発で頂点へ上り詰める。最後は冒頭のような構造に戻って曲を終える。
「瞑想のソナタ」は4楽章30分の大作。打楽器四重奏。朝、昼、夕方、夜の瞑想をイメージしています。
鐘やゴングの半意識的なまどろみ、まさに瞑想的な楽想。
第2楽章は対照的に、ドラムによる古代の祝祭的なもの。躍動的でリズミカル。
夕方の部分は、リズム的には比較的穏やかですが、音自体には勢いのある楽章。
シンバルや各種鳴り物をメインにした、持続音的な曲。
最後は深夜。マリンバやドラムなど今までの楽器も現れながら、今まで一番構成的でありながら
どこか漠然としたイメージを持つ音楽。はっきりしたリズム構造が見られますが、どこかとりとめない。
アルバムタイトルでもある「祈り」はソプラノの入る打楽器4重奏。
ソプラノ達のオノマトペがマラカスなどに混じっていく。
ここでのソプラノは完全に楽器としてとらえられています。言語ではなく、音による表現。
シラブルやクリック音が打楽器の音と一体になって響くさまは新鮮です。
このCDの中で一番古代の祭事的な趣が強い音楽。
「Ave atque vale」は打楽器ソロのための作品、1989年。
広い間のあるドラムの打撃、きらめく金属音、ある意味このアルバムでの音のあり方を象徴している音楽と言えそうです。



ヨハン・セバスティアン・バッハ
ヨハネ受難曲 BWV245
Johan Sebastian Bach
Johannespassion, BWV245

Bach Collegium Japan  Masaaki Suzuki,Con.
1999 BIS  BIS-CD-921/922

バッハはバロック作曲家の中で一番好きな作曲家ですが、思いいれもあって、この曲を多分一番良く聴く。
中学2年、当時吹奏楽部で行き詰っていた時に先輩から「なにかいろいろ音楽を聴いて参考にした方が良い」と言われ、
親からもラジオのエアチェックテープを借りた。なら自分でも・・・と、とりあえず東京FMを聴いてみることにした。
そうしてラジオをチューニングしたときスピーカーから出てきた音、それがこの曲だった。
あの時感じた、未知の曲が聴けることの感動と、その未知の曲の心地よさを忘れることは出来ません。
そのとき演奏していたバッハ・コレギウム・ジャパンの録音が、やはり自分にとっては一番。
ラジオで流れていたのはライヴだった気がするので、違う音源なのは残念ですが、それでも素晴らしいことに変わりない。
透き通るような歌と演奏が、体と心に染み入るように響いてくる。
いつ聴いても素晴らしいと思います。そこらのヒーリングなんかよりこの曲を聴いたほうが癒される。
バッハの受難曲はマタイが圧倒的に有名ですが、私はこのヨハネのほうを推したい。



Yasuaki Shimizu & Saxophonettes
J.S.Bach Cello Suites 1-3

清水靖晃,Tenor Sax.
1996 Victor  VICP-235

テナーサックスソロによるバッハの「無伴奏チェロ組曲」の1-3番演奏。
ですが、このアルバムはなかなかの曲者。
まず聴いて印象に残るのは残響。深い残響は、まるで実験音響もような特殊な効果。
しかも、その録音場所をスタジオロビーや採石場といった場所で行っているのが興味深い。
解説の例にあるバラード作「音を取りのける男」から連想しても、
清水自身がこの演奏を過去の音楽的歴史から切り離して新しい響き・音楽を見つけるために
すべてを取り組んでいることが非常に明快にあらわされています。
そしてその結果は単純にそれだけでなく、音響面からのアプローチによる
バロックと実験音楽の連結も生み出しているように感じられます。
何しろ、はっきり言ってこの音響は自分にとって、ディープリスニングバンド系列や
山田ノブオなど(とりあえず今思い出したのは彼の'Empty Can Street Orchestra')音響作家が
やってきたことをクラシックで実践したようなもの。
己の技法を磨くだけでなく、音楽の表現するためにどういったことが可能なのか、
どうしても保守的・固定的になりがちなクラシックにどれだけ自然に新鮮な切り口をつけられるか。
そういう観点からみても、このアルバムは面白く聴けるんじゃないでしょうか。
もちろん、普通にサックスの技巧を見ても満足できるものです。
個人的にはさまざまな見方・聴き方ができる素晴らしいアルバムでした。



Leonardo Balada
Maria Sabina, Dionisio: Im Memoriam

Susi Sanchez/Angel Saiz/Fernando Tejedor/Carlos Hipolito,Narrators
Orchestra and Chorus of the Comunidad de Madrid  Jose Ramon Encinar,Cond.
2008 Naxos  8.570425

バルセロナに生まれ、ジュリアード音楽院も出た、
パーシケッティやコープランドに師事経験のあるレオナルド・バラダ(1933-)の作品集。
「マリア・サビナ」はその名の通り、メキシコ・アズテックインディアンの
指導者だった女性の呪文などをテキストに繰り広げる、69年の力作。
冒頭からスネアロールと金管らの単音の掛け合い。オルガンのクラスター。
亡霊のようなヴァイオリンを伴奏に朗読が入ってくる。
徐々に錯乱しながら合唱と楽器が一体となって混乱の極みに達し、かと思えば突如静寂に戻る。
時に美しく妖艶に響き、激しくぎくしゃくと飛び回る音楽はとても刺激的。
劇的な展開というわけではないところが、逆に音楽の呪術的で退廃的な面を強調する。
「ディオニシオ」は詩人のDionisio Ridruejoのテキストを元にした、
激しい錯乱を起こしながらも感動的な美しさを同時に併せ持つ鮮烈な作品。
第二次大戦への従軍経験を基にしたテキストが、
時には軍歌のような音楽も響かせながら突進するさまは圧巻です。

確かに個性的という言葉が似合う作曲家。
前衛的語法を前面に使いながらも、根底にはスペインの血が流れている。
ジャケ、確かに内容はマジックマッシュルームを使って預言とかしてたマリア・サビナの音楽だけど
このコラ画像みたいなセンスはちょっと…



Leonardo Balada
Revolution & Discovery
Zapata:Images for Orchestra, Columbus: Images for Orchestra, Reflejos, Divertimentos

Orquesta de Valencia Manuel Galduf,Con. Orquesta Sinfonica de la Radio TV Espanola Sergiu Comissiona,Con.
Cuarteto Latinoamericano  Alberto Almarza,Fl.  Anthony Bianco,Bass
Carnegie Mellon Contemporary Ensemble  Eduardo Alonso-Crespo,Con.
1999 Albany  TROY 343

個性的と言うか、なんか頭がトリップしてそうな変な曲を作らせたら天下一品のレオナルド・バラダ作品集。
前半は「管弦楽のためのイメージ」の副題を持つシリーズ。
「ザパタ」はダリの影響をもろに受けているらしい同名の未上演のオペラから再構成したもの。
最初のワルツ、おおむね普通に進行する音楽なんですがどうも微妙に違和感。
ウインナワルツに別のワルツが割り込んで来たり、関係ない音が紛れ込んで来たり。
そのままマーチになだれ込み、完全に革命歌の斉唱状態になって前半は壮大に終わってしまう。
いくら革命家ザパタのオペラだったからって、この展開はあんまりにも奇天烈すぎる。
後半はメキシコのポピュラー歌を元にしていますが、いくらなんでもウェディング・ダンスの副題の終楽章で
こんな軍隊マーチみたいな音楽とごった煮状態だと、少なくとも日本人の感覚じゃ意味不明以外の何物でもない。
「コロンブス」は名前の通り新大陸を発見したその人を題材にしたオペラからの抜粋。
エスニックな打楽器リズムの印象的な第1曲、こちらの方はかなり正統に熱気ある音楽。
続くアリアを元にした楽章もかなりまともに聴こえますが、よく考えたらそれでもまだ変な展開が中にはある。
その分、オペラの最後にも配置されている終曲は激烈。先住民の聖歌を模した音楽が
異常で静かな熱気をふつふつと沸かす音楽が盛り上がっては消えていく。
「弦楽とフルートのための反射」は緩急二楽章制。ゆっくりした第1楽章は
旋律の歌いまわしに彼らしいいかがわしさが満載していて、どうも素直に聴けない。
そして第2楽章ではそのグロテスクさが幾分ミニマルなスペイン風味と合体してゆっくり走り出す。
なんで、ほのぼのした音楽になりそうで、さりげなくぶれちゃってるんだろう…
「弦楽のための3つのディヴェルティメント」、第1曲はピッツィカートのみ。
あー駄目だよそれやっちゃ、バラダの曲じゃ骸骨の踊りにしか聴こえなくなってしまう。
第2曲はハーモニクスのみ。予想通り、今度はホラーな世界に紛れ込んだようです。
第3曲でようやく通常奏法のみ、落ち着いたぞと思ったら今までのムードが全部いっぺんに押し寄せてきただけでした。
リズミカルで微妙にのれる曲だから余計始末に負えない。でもかっこいい。

普通の曲でも、なんかいまいち普通になりきれない妙な響きがまさにバラダ。
「ザパタ」はインパクト抜群のもっと知られて欲しい作品です。
演奏、とくに前半のオケ2つは荒々しくて良かった。



Claude Ballif
A Cor et a Cri, Quatuor a Cordes No.3, Concerto"Haut les Reves", Sonate pour Flute & Piano

Orchestre National  Luca Vis,Con.  Kronos Quartet
Clara Bonaldi,Vn.  Nouvel Orchestre Philharmonique  Michel Tabachnik,Con.
Pierre-Yves Artaud,Fl.  Christian Ivaldi,P.
1991 Adda  MFA 581283

パリ出身、メシアンに師事するも肌が合わず、ダルムシュタット講習に出入りしてGRMにもいた
フィリップ・マヌリの師匠クロード・バリフ(1924-2004)の作品集。
いろんな方々と交流・師弟関係があったようで、ヴィシネグラツキーなんかも師匠の名に出てくるくらい。
「A Cor et a Cri(With hound and horn)」は1962年に書かれた、ドイツの出版社の150周年を記念するための作品。
衝撃的なクレッシェンド音型が押し寄せる、セリエルな和声の散らばり。
セリエリスムを基本にしながら調性を組み合わせていくやりかた「Metatonality」を提唱していた人物ですが、
この作品を聴いていると音楽の流れはヴァレーズとウェーベルンを足してダルムシュタットにぶち込んだ感じ。
「弦楽四重奏曲第3番」はクロノスカルテットの演奏音源。2楽章形式。
第1楽章は15のシークェンスを元にして特殊奏法を使い分けていくアレグロ。
第2楽章では随分と調性的な側面が出てきて、寂しげな旋律がゆったりと流れる。
ヴァイオリン協奏曲である「Haut les Reves」は聴く限りだと完全なまでにセリエルな現代音楽の印象
そのものなのですが、解説を見る限りだとかなり18世紀の音楽形式に影響されているらしい。
「フルートとピアノのためのソナタ」は1958年の作品。
こちらは無調にかなり近いもののまだ近代音楽の特徴をはっきりと捉えられます。

聴いてみて、なるほどフランス国外ではほとんど無名な状況に置かれている理由が分かった気になりました。
たしかに実力はある作曲家なのでしょうが、いかんせん作られる響きがあまりにも地味すぎる。
理論を解する力がなかったらまったく面白くないし、理解してもその技法は
もはや現在ではほとんどの人物が当たり前のように取り組んでいて、
しかも多くの人物が彼より面白い成果を引き出している現状ではあまり感心もされないであろう作風。
ブーレーズと同世代なのですが、残念なまでの違いが出てしまっています。



Claus Bantzer
Reflections

Leszek Zadlo,Sax Stephen Krause,Perc. Christian Stahnke,Vla.
ElbtonalSchlagwerk perc. Ens. Harvestehuder Kammerchor Claus Bantzer,Org.,P.,Vo.,Con.
2003 OEHMS  OC 001

ドイツの作曲家クラウス・バンツァーの小品集。教会の合唱指揮者でもある彼の、彼なりの教会音楽がここで聴けます。
「Dedicated Water」はオルガン、打楽器、朗読のための作品。落ち着いた朗読の裏で楽器の重々しいドローンと拍動が広がっていく。
そこから徐々にマリンバなどの打楽器が動き出して興奮を高めていく。後半朗読は少しだけ歌います。最後は静かに。
「Match」は打楽器とピアノで、激しいフリージャズのような音楽を披露します。後半は淡いバラード。
「MMM -melancholy morning mood」はピアノとソプラノサックスによる名前の通り気だるいバラード。
「Lost track」はサックスとピアノのとりとめない、フリージャズで不思議な対話。
「Lamentation」は打楽器とオルガンの暗い、けれどちょっとチープなバラード。
ドラム風打楽器がフリーです。いつのまにかオルガンが壮大に。
「Liebe ist nichts, 」は合唱とヴィオラ、打楽器アンサンブルのための作品。17分とこの中では長め。
不安げな合唱からヴィオラの歌やちょっと土俗的な打楽器が絡みこむ。
2/4楽章は重々しい歌唱がメイン。1/3楽章はジャジーな和声に乗せて鍵盤打楽器が活躍します。
「Drops」は民族楽器?の動きのある伴奏に乗せて鍵盤打楽器やピアノがフリーな音を刻んでゆく明るい音楽。フェードアウトの終了は無いわ。
「Ask me」も同じ編成ですが、こちらはより黙考的。フリーな音楽が徐々にまとまり、リズムを形作ってくる。
「Dialog 8」はオルガンの絢爛な序奏からテナーサックスの色っぽいソロが踊る、一番ジャズっぽいデュオの曲。
「Regine」はまた打楽器とピアノ。聖歌風のフリーなピアノが徐々に熱を帯び、ドラムソロみたいな打楽器に受け継がれる。
後半はまたピアノ、コラール的な音楽がより顕著になって帰ってくる。
「Orpheus」の冒頭オルガンはかなり聖歌的。暗いオルガンに祈るような歌が入り、徐々に各楽器が覚醒していく。
が、混沌としたままに落ち着きを取り戻し、虚しさの残るまま曲が終わる。
とりあえず、打楽器はだいたいドラム風。というかほとんどドラム。
”「聖書的な合唱」「荘厳なオルガン」「原始的な打楽器軍」「野性的なサックス」を融合し、
「人間のすがる神への賛美」対「人間の使う道具」を意味する”という作曲者の目論見は良く出ています。
ただ、彼の音楽が本来持つスムース・ジャズみたいな音楽性はあまり表面化しておらず、そこが残念な気も。



Django Bates
Good Evening... Here is the News
Three English Scenes, Pond Life, Tentle Morments,Travel Cartoons for the Blind,
Candles Still Flicker in Romania's Dark,City in Euphoria - World in Chaos, Horses in Rain

London Sinfonietta  Diego Masson,Cond.  Human Chain
Smith Quartet  Sidsel Endresen,Vo.  Apollo Saxophone Quartet
1996 Argo  452 099-2

ジャズでその音楽活動を初め、これまでの活動もクラシックと現代音楽のはざまを行くような
独特のポストモダンなイギリス作曲家ジャンゴ・ベイツ(1960-)の作品集。
管弦楽作品「3片の英国的情景」は彼の個人的な印象を音楽にした各3分ほどの小曲集。
BBC放送を模したカオスな音楽からお得意のジャズ風音楽までいろいろです。
弦楽四重奏のための「ポンド・ライフ」を聴いていても、とにかくクラシック以外の音楽からの影響しか見えてこない。
ロック、ジャズ、民族音楽やカントリーのような切れ端。そういう意味では聴きやすい。
「テントル・モーメンツ」も管弦楽で流麗なジャズを聴くことができる。
「盲人のための旅行漫画」はサックス四重奏なだけにいちばん彼の音楽の俯瞰ができる。
微分的なチューニングは新しい調律を挑戦するわけではなく、調子はずれを再現するために。
音楽理論はすべて、奇異な音楽の流れを作り出すために。そして、その根底にジャズの響きがある。
「ルーマニアの暗闇の中でキャンドルはまだ、ちらちら燃えている」、トロンボーンのソロが流麗な弦とドラムの上で淡くつぶやく。
もしかしたら、これが一番このアルバムの中で気に入ったかもしれない。
「シティは有頂天〜混沌の世界」は4つのラジオニュースがテキスト。ぐちゃぐちゃと音楽が絡まっていく。
「雨の中の馬」は「ルーマニア〜」の朗読版みたいな感じ。
うーん、海外ではかなり人気があるみたいだし、ポストクラシックらしい聴きやすい曲では
あるけれど、自分の趣味にはちょっとはまらなかったなあ。



Luciano Berio
Orchestral Works
Chemins I,Chemins IIb, Concerto for two pianos and orchestra, Formazioni

Anna Verkholantseva,Hp.  GrauSchuhmacher Piano Duo
Vienna Radio Symphony Orchestra  Martyn Brabbins/Bertrand de Billy/Stefan Asbury,Con.
2008 Col Legno  WWE 1CD 20281

Wien Modern Edition #2とするシリーズものの、べリオのオケ作品集。
「シュマンI」はハープのための「セクエンツァII」を協奏曲形式にしたもの。
元から聴感覚上は優雅なたたずまいのある作品でしたが、こちらでもハープが最前面に来るので
大きな印象の変化はありません。音が抽出されて強調を施され、
音の振る舞いが豪華になったセクエンツァ、というような印象。
非常に細やかなハープの動きに呼応するように、オーケストラの響きが舞い上がる。
「シュマンIIb」はヴィオラのための「セクエンツァVI」がオリジナル。
IIではヴィオラがソロとしての役割を持って編成に加わっていますが、このIIbでは管弦楽のための作品に。
オリジナル冒頭の激しいパルスは、こうして聴くとじつに落ち着いた盛り上がりと緊張感をもたらしてくれる。
そして、セリエリズムを抜けはじめたべリオの音楽性を良く体現している。
持続的な音の雲の上で激しく入り乱れる楽器群。あの錯乱的な音楽をさらに広げた素晴らしい音響。
「2台のピアノのための協奏曲」、冒頭のピアノの動きは神秘的で、どこかミニマル。
その音の動きは制限されているというより、特定のユニットが幾度も出てきていることで
音楽の印象が前2作とは大きく変化しています。
音の構造はより密なものになり、どろどろと込み合った響きが流れていく。
「フォルマツィオーニ」は86年、このなかでは一番最後の作品。
音の反復的な要素が前回になり、そこからむすろクラシカルな響きすらうかがえる。
べリオの作風変遷がうかがえるチョイスで楽しかった。全曲ライヴ録音。



Herman Berlinski
Return, Sinfonia No.10 for Cello and Organ

Donald Boothman,Br.  Lori Barnet,Vc.  Herman Berlinski,P.& Org.
2000 Composers Recordings Inc.  CRI CD 839

ポーランドに祖を持つユダヤ系作曲家ハーマン・バーリンスキ(1910-2001)作品集。
ライプツィヒに生まれ、フランスでブーランジェらに学んだ後大戦もあってアメリカに移住、
そこからメシアンにも師事したことがあります。
なかなか変遷ある経歴ですが、最終的にバーンスタインらとの邂逅もあって
アメリカに終の地を見出したこともあってCRIからリリースが。
バリトンのための歌曲集「帰還」(1950/85)は彼が故郷であるライプツィヒに
半世紀近い不在ののちに戻ったときの印象を基に書かれた作品。
音楽としては基本的には近代の中にぎりぎりはまっていますが、
その躍動感にあふれ変化にとんだ楽想はかなりエキセントリックなものが。
全体的には追憶を深めるような流麗な展開の範疇に収まっています。
「シンフォニア第10番」(1977)は親友だったカバラー、ユダヤ教指導者Milton Feistに捧げられています。
聴いていて、編成のせいもありますがなんだかメシアンに似たものを感じてしまう。
彼のキリスト教に対する敬虔さを見てバーリンスキも自身とユダヤ教のそれを意識したらしいので
もしかしたらそれが音楽上の共通の感性に現れているのかもしれません。
この音楽はユダヤ教に深く関連した動機を持っているので、余計にその類似性を想起させるのでしょう。
瞑想的で前述したようなイメージの強い第1楽章に対し、
第2楽章冒頭は19世紀からあるアラブ風旋律を主題にした音楽が展開されます。
ただ、祈るような音楽なのはどちらも同じ。

ピアノがかなり達者だったようで、この録音でもそれは堪能できる。



Boris Blacher
Concertante Music for Orchestra, Orchestral Variations on a Theme by Paganini,
Second Concerto for Piano and Orchestra(in variable metre)

Gerty Herzog,Piano  Dresdner Philharmonie  Herbert Kegel,Cond.
1995 Berlin Classics  0090152BC

なぜか満州で生まれ、フリードリッヒ・コッホに師事した
ベルリンを生涯拠点としたボリス・ブラッハー(1903-75)の管弦楽作品集。
彼の弟子にはユン・イサンやアリベルト・ライマンがいますね。
「管弦楽のためのコンチェルタンテ・ムジーク」、ファゴットのおどけたような動きから軽快な動きが生まれ出る。
この動きや第2楽章の伴奏を見ても、当時のジャズのリズムが影響を持っているのは間違いない。
1937年の若々しい活気に満ちた様な、とてもリズミカルな音楽。
「パガニーニの主題による管弦楽変奏曲」(1947)はラフマニノフでもおなじみの
あの旋律をモチーフにした作品。前作と並び、彼の代表作と言えるものの一つでしょう。
劇的でどこか軽妙なリズム構成でありながらドイツらしい重厚さで響かせる派手な音楽。
「ピアノ協奏曲第2番」、ここではブラッハーの妻が演奏してます。
副題にもあるように、とりわけ可変拍子のリズムが大活躍。
特に第1楽章のノリノリさはやばい。第3楽章の祭典のような楽天音楽も面白い。
リズミカルなドイツ音楽を聴きたい時はこの人は必須。
ケーゲルの演奏はその内容をさらに引き立てていて申し分ない。



Philippe Boesmans
Conversions, Concerto pour violin et orchestre, Concerto pour piano et orchestre

Richard Pieta,Vn.  Marcelle Mercenier,P.
The Liege Philharmonic Orchestra  Pierre Bartholomee,Cond.
Ricercar  RIC 014024

アンリ・プスールとも関係の深いらしいベルギーの作曲家フィリップ・ブースマンス(1936-)作品集。
管弦楽のための「対話」(1980)、具体的な経緯とかは解説で分からず。
…だってこの解説の英語頁、この作品のページだけ乱丁でフランス語のままなんだもの…
淡い色彩の絡み合う中から、次第に金管楽器の華やかな頂点へ。
ひたすら和声の絡み合いで音楽の移ろいゆく、すごく現代フランス音楽みたいな作品。
ただ、変に不協和なものばかりでなく調性的に近い響きが多く聴けるので、とてもきれいに感じます。
「ヴァイオリン協奏曲」(1979)はヴュータンやイザイあたりを意識した響きの作品だそう。
激しくかきこむような動きの特徴的な前半部、沈思黙考の中間部から次第に動きが弦楽に伝播して後半へ。
「ピアノ協奏曲」(1978)は冒頭から一気にがつんと叩く。ピアノのクラスター的な音塊がいきなりカデンツァとして現れる。
その構造はその後の全曲にわたって中核的なものとなります。
両端2曲の響きは面白かった。全体的に和声の響きを楽しむのが一番いいと思ったあたり、現代フランスの流れを感じる。



Claude Bolling
Suite for Violin and Jazz Trio

Tadeusz Gadzina,Vn.  Pawel Perlinski,P.
Zbigniew Wegehaupt,Bass  Wojciech Kowalewski,Dms.
Acte Prealable  AP0028

クロード・ボラン(ボリング)(1930-)は昔から気に入っている作曲家。
「フルートとピアノ・ジャズトリオのための組曲」を聴いて以来ファンですが、
この度この「ヴァイオリンとピアノ・ジャズトリオのための組曲」を久しぶりに入手。
というか、Acte Prealableは随分とボランが気に入ってるらしいね、「フルート〜」も「チェロ〜」もリリースしてるし。
1曲目「ロマンス」、ヴァイオリンのメランコリックなメロディーが、ピアノのブルーノートな和声に彩られ、色鮮やかに舞う。
中間部では一転して軽やかに音楽が回る経過句の後、ピアノトリオのターンに。
うーん、この1曲目だけでも満足です。実に美しくて甘く、気怠い。
2曲目「カプリス」、クラシカルなヴァイオリンのカデンツァも聴けますが、トュッティは実に軽快なジャズ。
3曲目「ガヴォット」のいかにも古典的なアクセントの旋律が思いっきりモダンな衣装に包まれているのも
4曲目「タンゴ」のクラシカルなタンゴの趣をまとったライトジャズな音楽も面白い。
5曲目「スラヴォニック」、民族調の哀愁を込めた旋律がいきなりジャズトリオに変身。
その後もいくつもの楽想同士が対比されながら激しく共演する。一番長い曲だけあって、実に秀逸。
6曲目「ラグタイム」を聴くと、ボランがジャズ・クラシックス(「タイガー・ラグ」や「二人でお茶を」なんか)を
普段から意識していることが実によくわかる、いかにもなラグタイム。
7曲目「ワルツ」の、ヴァイオリンが低音域で甘く歌うところなんかボランの得意技。ベースも大活躍です。
そしてラスト8曲目「ホラ」で実に華麗に締めを飾ってくれるあたり、本当に期待を裏切らない。
やっぱりちょっと気楽に優雅な時間を味わいたい時には最高の曲を作ってくれる人です。
演奏・録音ともに実に軽やかでクリア、かつ温かみがあって素晴らしい。



アレクサンドル・ボロディン
交響曲全集
Alexander Borodin
Prince Igor: Overture, Polovtsian March
Symphony No.1,2 and 3
Petite Suite

State Symphony Orchestra of Russia  Evgeny Svetlanov,Cond.
1993 RCA(BMG)  BVCC-38201~02

ロシア国民学派時代を代表する作曲家ボロディンの交響曲全集がスヴェトラの指揮で。
歌劇「イーゴリ公」からの抜粋は、有名な踊りではなくて「序曲」と「だったん人の行進」。
この歌劇は交響曲第3番と同様、生前は完成されることなく、他者の補筆によって完成されました。
「序曲」はグラズノフが補筆。荒々しくも美しい音楽が、グラズノフのオーケストレーションで彩色される。
「行進」はリムスキー=コルサコフが補完。どっしりした、特に異国的な(東欧的な)楽想。
ボロディンが日本の大名行列絵を見ながら作ったと言われると
ちょっと納得してしまう、いつもの彼とはまた違う不思議な感覚。
「交響曲第1番」は1866年、彼がバラキレフに会って本格的に作曲を始めてからまだ4年しかたってません。
それでここまでの完成度を持ち、実際に当時のロシアを代表する作品となったのが凄い。
個人的には流麗な感覚が前面に押し出されている点は好きではないんですが、それでもこの溌剌とした感覚とかは好き。
未完の「交響曲第3番」は、やはりグラズノフに補完されましたが、こちらはかなり手が加えられているようです。
第1楽章はまだかなりボロディンの原案があったようですが。
その第1楽章のどこかノスタルジックな楽想が気に入りました。
もっとも、結構補筆してる第2楽章も5拍子のスケルツォとか音楽は好き。
「交響曲第2番」は1番の約10年後に完成された作品。金管主導の場面が沢山あって大好きです。
というかこのCD買った理由はとりあえずこの曲を聴きたいからというものなんですけれどね。
冒頭の重く威圧的な主題がたまりません。この演奏はかなり引っ張ってます。
美しいホルンソロの第3楽章など、民族的なロシアらしい音楽が満載で良い。
「小組曲」は比較的晩年に作曲されたピアノ組曲をグラズノフがオーケストレーションしたもの。
こちらの方は、編曲も相まってか、優美な音楽が前面に押し出されています。
ロシア的穏やかさが思いっきり聴ける、「小」にしては30分かかる組曲。
演奏はさすがエフゲニー・スヴェトラーノフ&ロシア国立交響楽団。こういう無骨さがないと。
でも勢いがないほうではある。もっとぶっ放していいのに、もの足りん。



Pierre Boulez
Piano Sonata Nos.1,2 and 3

Herbert Henck,Piano
1985 Wergo  WER 60121-50

前衛時代の代表的な旗手であるピエール・ブーレーズのピアノソナタ全集。
まさに戦後の新しい音楽を象徴するに相応しい、非常に厳しい曲。
トータル・セリエリズムによって作曲された第2番(1946)などはまさに当時の最先端そのもの。
第1番も同じ傾向ですが、第2番の凄いと思う場所は、きちんと音楽としてのまとまりが保てていること。
そこまで詳しい理解の無い私でも、はっきりと音楽としての頭や結びが行われているのがわかる。
手元にある松平頼暁氏の書籍にもちょっと内容が書かれていますが、
音程モチーフや音形モチーフの変形などさまざまな手法が使われているそう。
一方、第3番では管理された偶然性も登場、さきほどより同音への固執やクラスター音響が聴こえます。
それにしても、これが古典として聴ける現代が恐ろしいなあ・・・
ヘルベルト・ヘンクによる冷徹で強力な演奏が、ブーレーズの無機質な音楽を最高に引き立てています。
確かに定評のあるに相応しい、ものすごい内容。



Brenton Broadstock
Timeless
Festive Overture, Timeless, The Mountain,
Federation Square: Rooms of Wonder, Symphony No.4 'Born from Good Angel's Tears'

Tasmanian Symphony Orchestra  Ola Rudner,Conductor
2005 ABC  476 8041

オーストラリアの主導的な作曲家として注目されているブレントン・ブロードストック(1952-)の作品集。
隠さずとも、NHKFMでの紹介で気になってCDを買ったクチ。
「祝典序曲」(1986)はその題名に反して、勢いはあるもののどこか悲しげな響きが全体を包んでいる。
中間部なんて、ホルンとチューバに始まる旋律の対位なんてメランコリック以外の何物でもない。
スネアに導かれる後半部はかなり前を向いた感じではありますが、どこか軍楽のようなリズム感覚。
劇的に盛り上がるわけでもなく、けれど端正に音楽が終わるあたり、何とも不思議な味わい。
娘に捧げられた弦楽のための「タイムレス」(2002)は、初めて聴いてこのCDを買おうと決めたきっかけの曲。
無名の詩人によるオーストラリアの大地を唄ったテキストにインスパイアされた、むせぶような弦楽の旋律。
これを聴いていると、そこまで似ているわけではないですがマクミランの「イソベル・ゴーディーの告白」を想起します。
次第にリズミカルになり、その頂点で瓦解して淡く消えゆく、その響きが自分の好みストライクです。
室内管弦楽のための「山」(1983)はそれまでとはちょっと趣が違う。初期作品だからか。
冒頭の金管で演奏される短いモチーフの掛け合いが発展しながらシステマチックに進む。
ただ、中間部なんかを聴いていると、その向こうにロマンチシズムが見え隠れしているのがこの作曲家らしい。
前衛的なパッセージと調性的な音楽が入り乱れた、まさにこの世代の音楽ってかんじ。
「フェデレーション・スクエア:驚愕の部屋」(2003)は「山」の系統ではありますが、
そこに今までの作品のような情緒的な側面が最大限使われているような印象。
弦楽の美しい旋律がリズミカルに動き、それが淡く消えていくのは「タイムレス」と同じですね。
メルボルンのフェデレーション・スクエア新装公開に合わせて作られただけあって、こちらはまだ、なかなか祝祭的。
「交響曲第4番「天使の嘆きからの誕生」」は、1976年にフィンランドで書かれた物語が元というから最近で吃驚。
壮大に広がるサウンドスケープが心地よい、個人的には交響詩なんじゃねーのと言いたくなる音楽。
中間部の2和声で伴奏をつけるやり方は、なんかとってもグレツキ的。

録音が、なんか思ったよりよろしくない気がするのですがまあいいか。
序曲とタイムレスに驚愕の部屋がかなり良い感じ。ただし再生頻度は圧倒的にタイムレス。



Hans-Gunter Brodmann
Musica Sacra -Percussion Fantasies

Hans-Gunter Brodmann,Perc.
2000 cpo  999 749-2

ハンス=ギュンター・ブロッドマン(1955-)の自作自演作品。
打楽器アンサンブルでもこの人の曲はよく演奏されていたりします。岡田知之打楽器合奏団のCDにも録音あり。
民族的なドラミングに乗せて、マリンバがぽろぽろとメロディを奏でる。
クロテイルの澄んだ音が、低くくぐもった響きに光をさす。ドラムにファンキーなマリンバ。
多重録音にフェード系を含む編集を施し、さらに雷鳴や虫の羽音といった環境音などを多く盛り込んでいるため、
作品というよりはいわゆるアルバムの考えに近い。
ただ、全体としては土俗的な概念による現代世界の表現に一貫していて悪くない。
生演奏が好きとか、リズミカルな音楽が好みな人間には1,7曲目がお薦め。



Gavin Bryars
I have heard it said that a spirit enters...
Three songs, Violin Concerto"The Bulls of Bashan", The Porazzi Fragment, By the Vaar

Gavin Bryars,D.Bass  CBC Radio Orchestra  Owen Underhill,Cond.
2002 CBC Records/Les disques SRC  SMCD 5223

ギャビン・ブライアーズの管弦楽作品集。
1曲目「Three Songs」はアンビエントとイージーリスニングの中間にブルースが加わった感じ。
どこがブルースか具体的に言うとボーカル。もろにそっち系の声です。
ぼーっと聴いていたらいつのまにか次のヴァイオリン協奏曲に移ってました。
以降もだいだい同じ感じ。クラシックともアンビエントとも癒し系ともつかぬ音楽がひたすら続く。
これはこれでまあいいけれど、ここまで気だるいのは勘弁。
最後の「By the Vaar」(ダブルベースの協奏曲)もちょっとジャジーになっただけだし。
綺麗なのはいいんだけれど、聴いてて胃もたれしそうだ。ごちそうさま。



Gavin Bryers
The Marvellous Aphorisms of Gavin Bryers: The Early Years
The Squirrel and the Ricketty-Racketty Bridge, Pre-Mediaeval Metrics,
Made in Hong-Kong, 1,2,1-2-3-4

Seth Josel/Eli Friedman,E.Gui.  Ulrich Krieger,Sax.
Yayoi Ikawa,P.  John Davis,E.B.  Kenny Growhowski,Dms.
2007 mode  177

「タイタニックの沈没」などでアンビエント系作家としての名前が有名なギャビン・ブライヤーズ(1943-)。
彼の70年ごろの実験音楽作品がリリース、さすがはmode。
「The Squirrel and the Ricketty-Racketty Bridge」はデレク・ベイリーのために書かれた曲。
彼が作曲と即興の違いに興味を示した時期のようです。
一定のリズムのシークェンスがひたすら繰り返され、ミニマルのように響く。
なにしろ、一人につき2台のギターを同時に弾かねばならず、その楽器自体も演奏者の背面にあるという
わけのわからない仕様。初演はベイリー自身とジョン・ティルブリーがやってます。
「Pre-Mediaeval Metrics」はスコアにモールス信号のような表記が4つ1セットでひたすら書いてある。
演奏者(組み合わせは自由)はそれを見ながらそのまま長音と短音を演奏していくだけ。
演奏できる音高は一つだけとされているので、結果としてリズム構造しか記憶に残らなくなる。
「Made in Hong-Kong」当時の英国のおもちゃは香港製が多かったことからこの名前。
1.楽器としてはおもちゃのみを使用、2.曲の長さはぜんまい仕掛けに準ずる。
3.演奏の重ね方や関連性は自由、4.できるかぎり多くの種類のおもちゃを使い、
5.おもちゃはその所有する子供に使いたい理由とその旨を伝えて了承を得た場合のみ使うことができる。
なんとも実験的と言うか、ダダイズム。もちろん聴こえてくる音は混沌の極みです。
あれ、ってことは使うおもちゃは香港製じゃなくてもいいのか。
「1,2,1-2-3-4」、奏者は各々のヘッドホンでテープに録音された別々の音楽を聴く。
その中から自分が演奏する楽器のパートだけを抜き出し、演奏するわけです。
音楽はメジャーなものであればポップス、ジャズあたりのような音楽で指定はない。
だからここの演奏ではビートルズ縛り。なんとも錯乱した音の乱痴気騒ぎが聴けて面白い。
ちなみにテープの方はだんだんゆっくりになっていくので、錯乱度はアップしていく。
全曲ブライヤーズと思えないインパクトに満ちていて楽しかった。



Learning to Fall: Music of Glenn Buhr
3 Songs, String Quartet No.1 & No.2(Sixblues), Ritchot Mass

Penderecki String Quartet  Anne-Marie Donovan,M-S.
University of Manitoba Singers  Henry Engbrecht,Cond.
1999 Marquis Classics  81237-2

カナダ・ウィニペグ出身、Lawrence RitcheyやCasey Sokolに師事した
グレン・バー(1954-)の弦楽四重奏による90年代作品集。
「3つの詩」(1997)はCBCの「Cathedral Songs」という企画の一部として作られた作品。
幾つか版画あるようですが、ここにはそのうち一番簡素な編成の物が収録されています。
第1曲はチェロ・ヴィオラとメゾソプラノによる、非常に簡素なオルガヌムが歌われる。
第2曲は変わって非常にステレオタイプな新古典というか、メロディアスで聴きやすい劇伴みたいな音楽。
第3曲はトレモロ伴奏の印象的な、新しい単純性に似た感覚もある淡く綺麗な楽想。
どの曲も形式は違いますが、それぞれの美しさを持った良い曲でした。
「弦楽四重奏曲第1番」(1992)はミニマルの影響を感じる出だしののち、
オルガヌムがまた出てくるあたり彼は古楽好きなんでしょうか。
性急な中に葬送行進の現れる第3楽章、サンスクリット語を題にしたやはり中世趣味な淡い第4楽章、
パルス伴奏のよりミニマルな響きにアラビックな旋律が絡む終楽章。
淡い響きですが聴きやすく、緩徐楽章の綺麗さとそれ以外のミニマリズムが印象的な曲でした。
「Ritchot Mass」(1997)は同年ウィニペグを襲った洪水の被害者のために書かれた作品。
Ritchotはその中でも大きな被害のあった南部地域の名称です。合唱と弦楽四重奏。
弦楽のドローンを背景に重く呟かれるキリエ、パルス音型による短くも華やかなグロリア、
冒頭に近くもよりモーダルな構成のサンクトゥス、古い教会歌を踏襲したアニュス・デイ。
「弦楽四重奏曲第2番」(1996)は題も示しているように、チャールス・ミンガス「Goodbye Pork Pie Hat」
を基にした変奏曲。とはいえ、かなり手を加えていて原曲が分かるわけではありません。
出だしの激しいトレモロによる疾走なんかは自分好みです。
後半はブルースらしいオリジナルを尊重するメロディアスさ。

バロック以前の音楽やオスティナート性を強く主張するなかなか聴きやすい音楽で、
ミニマリズム好きにも傾注足る音楽でとても楽しめました。
演奏も録音がダイナミックさを重視してはいませんが満足できるもの。



Bun-Ching Lam
...like water

Abel・Steinberg・Winant Trio
1997 Tzadik  TZ 7021

マカオ出身、香港やサンディエゴ等で音楽を学び、レイノルズやオリヴェロスらに師事。
アメリカを中心にピアニストや指揮者としても活躍する女性作曲家、林品晶(1954-)の1995年作品。
ピアノ、ヴァイオリン、打楽器がぽつぽつと呟くフェルドマン的冒頭から
激しく転がるパッセージへ、かとおもうとヴァイオリンの歌からピアノの綺麗なアルペジオ・・・
水のように様々にその状態を変化させる、非常に短い曲の連続からなる30分弱の音楽。
1つの楽曲の平均時間は1分半という短さ。それぞれの音楽はまったく異なる技法を使っていますが、
それによって目まぐるしい変化を体感することができる。
購入するとき「ミニマル的」と書いてあったので、(Tzadikだし良いかな)と考えずに買ってみたのですが、
とりあえず全然ミニマルではなかった。まあ語法は簡素だけれど。
Tzadikらしい、ふわふわしたとりとめなさは心地よいけれど、それ以上でも無い。
ただ、広い空間で聴いたり別の作品を漁ったりしてみたら、まだ自分の評価はかなり揺れそう。
とりあえず、エピローグ直前にある妖しげなビブラフォンソロは良かったかな。



Le Nuove Musiche, Firenze 1601
Nuove Musiche e Nuova Maniera di Scriverle, Firenze 1614

Montserrat Figueras,Vo. Hopkinson Smith,Lute Robert Clancy,Baroque G. Jordi Savall,V.da G.
2008 deutsche harmonia mundi/Sony  88697 281822/16

ジュリオ・カッチーニ(1550?-1618)は主にフィレンツェで活躍した歌手・作曲家。
彼はルネサンス後期の音楽界において、モノディー様式と呼ばれる後のバロック音楽の定礎となる形式を編み出した人物。
この「新しい音楽」および「新しい音楽と新しい書法」はその代表作です。
確かに中身を見てみると、その音楽の響きはびっくりするほど後の音楽と構造が似ている。
もちろん16世紀(から17世紀)の音楽の範疇ではありますが、そのはしばしにおっとくる発見があります。
何しろ抑揚がはっきりしていて聴きやすい。それまでのポリフォニーのような、滑らかで平坦な音の曲線を描くような音楽とは全く違う。
そのまさにレチタティーヴォ(このモノディー様式から発展した)的感覚が斬新ですね。
ちなみにこれ本当はハルモニア・ムンディの50周年記念ボックスの中の1枚なんだけれどね。この1枚だけ2桁で手に入れたという話。



ジョン・ケージ
John Cage
Works for piano and Prepared Piano

Joshua Pierce,Piano etc.
1988 Wergo  WER 60151-50

ケージはその生涯で本当に幅広い手法を展開したので、私みたいにぽつぽつと音源を聴いている人間には全容がまったくつかめない。
とりあえずこのCDでは初期(1943-52)のピアノ・プリペアドピアノ作品が収録されています。
限られた構造の極端な反復。異常なまでの沈黙の長さ。特殊奏法や非楽器的な使用法。また、「易の音楽」のような偶然性をもった曲・・・
彼の作曲家としてのごく初期に、すでにこれだけのことをしていたのはとてつもない偉業でしょう。
あくまでも、この初期の作品群では元の構造はメロディアスな性格を持っていて聴きやすいもの。
収録されている「ある風景の中で」に代表されるように、とっつきやすい現代音楽として紹介されることもあります。
ですが、その実体はそれまでのクラシックと大きく異なるもの。聴きやすさはあくまでも結果としてそうなっただけだと思うのです。
曲の響きをとらえるだけではなく、その実を読み取ることが作曲家への正しい敬意の現れになるのではないでしょうか。

そんなことを、このCDを聴きながら考えて己の肝に銘じたのでした。
もっと自分も曲の構造についての造詣を深めていかないと。
あ、収録曲自体の解説忘れた、まあ全般的な事柄は説明してるから良いよね。



John Cage
The Orchestral Works 3
One9 and 108

Mayumi Miyata,sho  WDR Sinfonieorchester Koln
2002 Mode  mode 108

ジョン・ケージ最晩年の、演奏者数を題に冠したナンバーピース。
この「108」はそのうち最大の編成を要する作品です。
それと笙ソロによる「One9」がなぜ同時に演奏されているかと言うと、実はもともと「108」との共演が認められている作品だから。
古典的なカテゴリで非常に乱暴に表現してしまうとしたら、協奏曲のような形にすることができる、といったものでしょう。
このような形式は、同時期の「One8(チェロのための)」と「108」でも可能です。

オーケストラの淡くひろがる弱音に、宮田の笙が雲のようにどんよりとかぶさる。
一人では非常に間の長い、タイムブラケットに支配された音たちなのに、
それが108+1も重なることにより絶えず誰かの音が鳴っていることになる。
自由なタイミングで鳴らされているのに、どこか自然に感じるような、
不思議な調性感を聞き取る瞬間や流れを読み取ることが出来てしまう。
晩年のフェルドマンにも通ずる時間感覚の遅延さを体験できる、ある種ドローン的な作品。
もちろん、最初と最後はタイムブラケットの性質のため緊張感溢れる無音状態になります。
「108」の演奏時間が44’30”で決められている点は、彼のあの「4分33秒」を連想させてしまいますね。
音響としての完成度が高いと思える、またドローンとしても聴くことが可能な、良い作品です。



John Cage
Works for Percusion complete edition vol.4 1940-1956
27'10.554" for Percussionist, Fads and Fancies in the Academy, Four Dances

Amadinda Percussion Group  Zoltan Kocsis,P.  Zoltan Gavodi,Tenor
2005 Hungaroton  HCD 31847

Hungarotonの、アマディンダによるジョン・ケージの打楽器作品シリーズ第4弾。
「打楽器奏者のための27'10.554"」は偶然性を一番使っていた頃の作品。
'10 000 things' のシリーズの最後に当たる曲です。
特定のリズム構造を基本に、その長さや組み合わせを自由に変えながら音楽は進みます。
また、音の指示は「皮、金属、木の打楽器と、録音を含むそれら全て」の4つのグループで行われており、
楽器の特定は演奏者による全くのランダム。録音の同時使用ばかりか
すべてを録音で行っても構わないという指示があります。
スコア1ページが1分に等しく、当然全曲の長さは27分10.554秒。
彼らしい、間の多い不思議な音空間が聴けます。
「アカデミー内のファドとファンシー」は1940年の小曲集。
最初期の彼らしい、軽快なリズムの上で進む、時にクラシカル、かと思えばジャズやら旋法的な音楽。
クラッピングや口笛などの伴奏がなんとも間抜けで楽しい。
「4つのダンス」は有名なプリペアドピアノのための「3つのダンス」とは別作品。
長年紛失していた2P目が発見され、このたびめでたく完全版の初録音。
ダンスというだけあって、非常に軽快な作品。多くても4人の編成で奏される、簡素ながら楽しい音楽。
クラップやストンピング、男声の母音唱法やファルセット、内部奏法の多いピアノ。

演奏は言うに及ばず。録音も非常にクリア。
ピアノでゾルターン・コチシュが参加。お陰で不安がありません。



John Cage at Summerstage
Music for Three, Eight Whiskus, Four6

John Cage,Voice  Joan La Barbara,Voice etc.  William Winant,Perc.  Leonard Stein,P./Voice/Perc. etc.
1995 Music & Arts Programs of America  CD-875

1992年7月23日、ケージが生前に参加した最後のライヴ演奏の様子を記録したもの。
曲だけでなく、各曲間の話も収録。ケージ80歳を祝う場面もあり、聴いていてなんともしがたい気分になります。
「Music for Three」、バーバラのボイス・パフォーマンスに東洋の鐘が響き、ピアノが呟く。
タイム・ブラケットを使うのみならず、編成などの重ねあわせまで任意に決められる自由な世界。
ここでは東洋的な打楽器が多く行われているせいか、間の取り方などにも禅思想なんかを連想したくなります。
ボーカルのための「Eight Whiskus」はメソスティックスによる音楽。クリス・マンから贈られた言葉を元に作り上げ、
ここでも演奏しているジョアン・ラ・バーバラへ献呈。ただ、メソスティクスではあるものの旋律的で美しく、
非常に聴きやすい。晩年のケージでもこういう曲があるもんですね。
ちなみにこの曲は、後にヴァイオリンのために改訂されてもいます。
最後、というか間違いなくメインの「Four6」の初演。どうやら楽器も任意にされているようですね。
長いそれぞれの間からゆっくりと聴こえてくる、ひとつひとつの音達。
ありのままの音とはどういうものなのか、示唆を与えてくれる自由さを持った演奏です。
この後1ヶ月も経たないうちにケージは亡くなってしまうということを考えると、また何とも。



John Cage
Sixty-Two Mesostics Re Merce Cunningham

Eberhard Blum,Voice
1991 Hat hut  hat Art CD 2-60951~2

ジョン・ケージの膨大な活動の中のひとつに「メソスティックス」を用いた作曲があります。
これは詩のような単語・フレーズの一連を横書きで並べ、そこから特定の文字列を縦読みできるようにしていくもの。
この曲ではすべてにおいて"Merce"か"Cunningham"の文字列が隠されています。
以下、譜例。
解説より
何も知らない人がこれを見ても意味不明でしょうが、これがれっきとした楽譜。
彼お得意の易経によって無作為に決められたフレーズ等は、一文字づつ全て異なったフォントで書かれています。
奏者はこのフォントやサイズの違いによって、即興的に解釈を行い唱法に反映させていくわけです。
また、これとは別に指定されているものとして、演奏時間があります。
奏するテンポは自由ですが、発声部と無音部あわせて1分半でないといけないため、
もしさっと早めに演奏した場合はその後の無音パートが増えるわけです。
また、ひとつのテキストは「単一の叫び声であるかのように中断なく」奏さなければなりません。
こうして出来上がったものは視覚的にも聴覚的にも非常に斬新なもの。
特にこの文字楽譜のインパクトを超えるものはなかなかないでしょう。



John Cage
Works for Piano, Toy Piano & Prepared Piano Vol.III
Suite for Toy Piano, The Seasons, Music for Amplified Toy Pianos, A Book of Music

Joshua Pierce,Pianos  Maro Ajemian,Piano(Book of Music)
Marilyn Crispell/Joe Kubera,Toy Pianos(Amplified~)
1991 Wergo  WER 6158-2

ケージ40年代のピアノ作品を主に収録。
「トイ・ピアノのための組曲」はいつ聴いても、その中核音を明確に意識した
簡素な構造がトイ・ピアノの淡い響きに相まって実に素朴で心地よい作品。
この録音の、オルゴールのような音色はそれを最大限に強調してくれます。
「四季」のピアノ版を聴くと、室内楽版で感じた淡い輪郭ではなく、
この曲が実に旋律的であったことを理解させてくれる。
「増幅されたトイ・ピアノのための音楽」だけ1960年の作品。
複数のトイ・ピアノ、特殊奏法、さらにはおもちゃの音などが図形楽譜にしたがって演奏される。
プリペアドピアノ2台による「音楽の本」はこのアルバムにおいて、また
初期ピアノ作品においても中核をなす作品の一つ。
リズム的な構造が主体となって組み立てられていき、打楽器的なピアノの側面が強調される。
ケージの大作で、ここまで終始全面にわたって軽快なリズムが全開に聴ける作品はないでしょう。
初期の楽しさを存分に詰めた曲です。
最後は「トイ・ピアノのための組曲」ピアノ版で締め。
こうして聴くと、なんか落ち着いた簡素な曲になってしまう。シニカルな感じが足りないなあ。
初期のキャッチーなケージをピアノで追える、楽しい一枚。
Wergoらしいクールで抑えた録音が手堅くてまたよし。



John Cage
Music For Percussion complete edition No.1:1935-1941
Quartet, Trio, Imaginary Landscape No.1, First Construction (in Metal),
Second Construction, Living Room Music, Double Music(with Lou Harrison)

Amadinda Percussion Group  Zoltan Kocsis,Piano
1999 Hungaroton  HCD 31844

ジョン・ケージの打楽器作品全集の第1弾、最初期の作品ばかりです。
「カルテット(四重奏曲)」は1935年の作品ですから23歳前後の頃、現存する最初期の作品ですね。
が、すでにもうコンストラクションのシリーズにつながるような構造がはっきり聴ける。
特に両端楽章のリズミカルな楽想は、初期のケージらしい響きを持ちながらも
実にわくわくするようなビートの妙を心得ているから面白い。
それにしても、打楽器のための最初の作品のはずなんですが、すでに4楽章構成の20分を超える立派な作品になっています。
アマディンダのメンバーZoltan Vacziによって編曲(というか"Instrumented")されているらしいんですが、
これは単純に編曲というより楽器構成をアレンジした、という解釈で良いんでしょうか。
さて、次の「トリオ(三重奏曲)」のほうはこのタイトルだけ見ると似たような連作っぽいんですが、
内容はかなり切りつめられています。3楽章でわずか4分。
特定のリズム構造を核にして、東洋打楽器をたたいていくのは変わらないんですが、
その組み立て方は打って変わって非常にストイック。
さらに「行進曲」「ワルツ」といった特定の楽想を連想させる楽章のネーミングも意味深さを感じます。
ワルツの、淡く叩かれる妙にセンチメンタルな音楽が面白い。
「イマジナリー・ランドスケープ第1番」は当然、空想の風景シリーズの一番最初。
レコードプレーヤーの再生速度を調節することで楽器化させてしまう発想がいかにもケージ。
電子音のサイレンや打楽器がうねり、ピアノ(プリペアドこそされていませんが、内部奏法があります)が
初期おなじみのプリミティヴなリズムを奏でる。フリーというかなんというか、のんびりしている。
にしても、1939年の作曲とは、電子音楽の系譜からしても最初期の作品ですね。
さてここでおなじみの曲、「第1コンストラクション」へ。こうして聴くと、結構ノイジー。
もともと演奏自体が金属音をしっかり響かせてくるところにゾルターン・コチシュ(!)の
内部奏法しかないピアノが乱入してくるもんだから余計にがしゃがしゃうるさい。
けれど、その中身は非常に聴いていて楽しい。作曲的な構造のほうも、格段に充実しています。
「第2コンストラクション」はガムランの影響が顕著、ピアノははっきりとプリペアドされるようになり、
ごつごつしたリズムの楽しさが一番顕著に聴ける作品。演奏はそれに全力で輪をかける。
でも意外とすっきりしてるのが好感もてるし、お勧めしやすい。
以前聴いた別の演奏、プリペアドピアノが強烈に叩いてて低音バリバリ、
個人的には興奮ものだけれど他人におすすめしにくい感じだった・・・という記憶があるからなおさら。
「リビングルーム・ミュージック」は楽器のアイデアが強烈ですよね。
居間にあるものなら何でも楽器にしてしまっていいので、机だろうが茶碗だろうが壁だろうがなんでもいい。
第2楽章は奏者自身のボイスパフォーマンスですし、この中でもかなり特異な音響。
8分ほどの作品ですが、演奏会でやったら相当印象に残るでしょうね。あ、浮くの間違いか。
最後はルー・ハリソンとの共作でも有名な「ダブル・ミュージック」。
ガムランの響きが一番顕著に表れる作品ですが、こうして聴くと、なんとも落ち着いたもの。
というか、これの演奏機会が多いことが、実はいまだに理解できない自分。
いやあ、全体を通して実に楽しかった。やっぱり初期ジョン・ケージはわかりやすいリズムがぎっしり詰まってます。



John Cage
Sixteen Dances for Soloist and Company of 3

Ensemble Modern  Ingo Metzmacher,Cond.
1998 BMG/ Red Seal  
ジョン・ケージの作曲した、モダンダンス史上に残る「16のダンス」(1951)。
64の音素材を8×8のチャートに書き込み、それを一定の順序で抜き出す。
それを8つづつ交換することで16曲分の素材を作成しています。
さらに感情を表す楽章ではそれを連想させる素材を使って手入れを行う。
楽章の各々には平方根的リズム構造(一セクションX小節×Xセクション)の構造がだいたい使われ
16曲の演奏順序などは(条件がついているものの)偶然性で決めていく。
伝統的作曲法と、彼があみ出した偶然性の双方を用いた、革新的な音楽です。
この(当然ながら)マース・カニングハムのために作られた作品、実際に聴いているとびっくりするくらい静か。
まあ感情の示すものがインド思想における理念であることを鑑みても、
この音楽は見事に「易の音楽」など後年の偶然性音楽と変わらない。
そういう意味では、このタイトルはちょっと詐欺。初期の「4つのダンス」とかを連想したら即死決定ですよ。
まあもっとも8曲目の「間奏曲」や「憎しみ」とかにはリズミカルな旋律が出てきたりもして、
たしかに初期の作品であることはなんとなく理解できますが。



John Cage
Fifty-Eight

Pannonisches Blasorchester  Wim van Zutphen,Cond.
1993 hat hut  har ART CD 6135

ジョン・ケージの「58」(1992)は、彼の最後を飾る一連のナンバーピースの中でも最晩年の作品です。
この曲が特徴的なのは何と言ってもその編成、管楽アンサンブルのための作品で、吹奏楽と言っても間違いじゃない事。
このCDはこの1曲のみの収録ですから、これが吹奏楽コーナーにあってもおかしくはない。違和感だらけだが。
グラーツで行われる音楽祭のために書かれた作品で、ケージ自身が棒を取りたがっていたようですが、
8月に彼が亡くなってしまったために10月の初演に立ち会うことはかないませんでした。
この録音は、その初演の様子。
どろりとした音が伸び、サックスやチューバなどの音が無遠慮に重なっていく。
木管楽器の音が濁った空気を作りだし、その中に時折調性的に聴こえなくもない瞬間が現れる。
編成は、ピッコロ3-フルート4-アルトフルート3-オーボエ4-コールアングレ3-クラリネット4-バスクラ3-
バスーン4-コントラバスーン3-ソプラノからバリトンまでの各サックス3-ホルン・ペット・ボーン各4にチューバが3。
こうしてみると、よくある吹奏楽編成はクラリネット重管偏重なのがよくわかる。
易経要素が変わらず用いられた、素晴らしい混沌ドローンサウンドです。



Nova Musicha N.1
John Cage
Music for Marcel Duchamp, Music for Amplified Toy Pianos, Radio Music,
4'33", Sixty-Two Mesostics Re Merc Cunningham(Frammenti)

Juan Hidalgo,Walter Marchetti,Gianni-Emilio Simonetti,Demetrio Stratos,Performer
Cramps  POCE-1025

イタリアの前衛旗手がジョン・ケージを演奏した有名な一枚。
フアン・ヒダルゴによる「マルセル・デュシャンのための音楽」で開始。
何とも古典的で落ち着いた演奏は、プリペアドピアノの初期に書かれた背景と一致して心地よい。
「増幅されたトイピアノのための音楽」は偶然性を使った作品の一つ。
トイピアノ3台のみならず、いろいろな音の出るものを不特定に鳴らしていく。
ちょっと録音の古さが目立ちますが、ワルテル・マルケッティまで演奏に参加しているあたりが何とも。
続けて同じメンバーによる「ラジオ・ミュージック」。この作品は何を聴いても楽しい。
音響は千差万別になるけれど、音響の変化は制御されているので等しくいかれた音になってくれる。
そしてシモネッティによる「4分33秒」、しっかり蓋を閉める雑音が微かに収録されています。
そして最後のデメトリオ・ストラトスによる「マース・カニンガムにまつわる62のメゾスティクス」。
5つ以上ならいくつ読んでも構わない性格上、収録時間は9分に届かないですが、その内容は白眉。
Area等でも披露されている彼のボイスパフォーマンスがたっぷり聴けます。
このCDの価値は、たぶんこのメゾスティクスが断トツずば抜けてると個人的には思う。



John Cage and David Tudor
Indeterminacy

John Cage,Reading  David Tudor,Music
1992 Smithsonian/Folkways Recordings  SF 40804/5

ジョン・ケージとデヴィッド・チュードアの黄金コンビによる「Indeterminacy(不確定性)」(1959)。
ケージは1分につき一つずつ、小噺を語る。内容はとりとめない。
そこに、チュードアがピアノやエレクトロニクス(テープ)を使用して、盛り上がりをつける。
とはいっても、その内容は完全にカットアップだらけ。
サンプル元が「ピアノと管弦楽のためのコンサート」と「フォンターナ・ミックス」だから余計にヤバイ。
語りの抑揚によって、それに合わせられた音はかなり変わる。
それによって、本来の淡々とした語りにびっくりするくらいに抑揚が付き、
朗読もノイズも音楽断片も、すべてが一つにくるまれて音楽になる。
音の包括とはどういうことかよくわかる、その意味では素晴らしい。
尤も、90分の長さがちょっとだらけそうになるのは仕方がない。緩急はもちろんついているけれど。



John Cage and Lejaren Hiller
HPSCHD
John Cage and Lejaren Hiller;HPSCHD
Ben Johnston; String Quartet No.2

Antoinette Vischer/Neely Bruce/David Tudor,Harpsichords
The Composers Quartet
Nonesuch  WPCS-5133

ジョン・ケージとレジャレン・ヒラー、二人の重鎮が手を組んで作ってしまった異常な作品のCD再発。
偶然性に熱狂していたケージと情報処理における偶然性に取り組んでいたヒラーが組んだのは
ある意味必然と言えるでしょうが、その結果はコンピューター・ミュージック初期の傑作となって
今も名を残すと同時に、聴く者に衝撃を与えてくれます。
ちなみにハープシコードが嫌いだったケージがなぜこれを書いたかというと、
委嘱者がハープシコード奏者Antoinette Vischerだったから。
モーツァルト作品の断片がさまざまな所から鳴り響き、
オクターブを様々に分割して作られた音階に基づいたテープ音響がばらばらと零れ落ちる。
ここでのテイクは決定された7つの演奏パートと51種全てのテープ音響が一度に鳴らされているので
ものすごくカオティックで錯乱したような響きが満載しています。
初演時はこのパートが4時間半にわたって分散され、そこにプロジェクターによるスライドがあり、
まさにケージの提唱するミュージサーカス状態だったというからすごい。
カップリングのベン・ジョンストン(1926-)の「弦楽四重奏曲第2番」は
師であるハリー・パーチの影響を受け、微分音を用いた作品。
純正調律を行った音階でややセリエルな趣もある音楽を描いているため、
聴いていて響きはとても美しいけれど旋律的に聴くと意味不明になってしまう。
ただ、とにかくその純正調の積み重ねはとても綺麗なので魅力的です。
ただいかんせん、カップリングのインパクトが凄すぎるのが残念。
単独で見ると十二分に素晴らしい作品&演奏なんですが。



Paolo Castaldi
Finale

Giancarlo Cardini,Piano
Cramps  POCE-1209

ダルムシュタット講習に4年間参加し前衛最先端の知識技術を持ちながらそれを離れ
独特の活動を60-80年代に行ったパオロ・カスタルディ(1930-)の「フィナーレ」(1971-73)。
ピアノは、いかにも古典的で美しい音楽を流麗に奏でていく。
まあ確かに、素直にエンディング的な意味合いも持てる感じの音楽。
ただ、どちらかというと堂々とした「幸福な明確さをもって」響く楽想です。
次第に微妙な間をはさみだし、あれと思っているとじわじわ違和感が浮かんでくる。
自分だと、全部聴いていくとなんとなくという程度ですが、展開があまりにも自由すぎる感じ。
似たような変奏がひたすら続き、曖昧なままどんどん次へと押しやられていく。
そのある種ミニマルな流れは聴いていて同種の倒錯状態にしてくれます。まさに帯にあるフリークアウト状態。
それをさらに、沈黙を挟むことで完全に単純に流れては行かず、一息置いて新たに流れを作り出す。
こういう奔放な、垂れ流しに近いような音楽は当時としては相当に真新しかったでしょう。
ロック畑が想像するようなクラシック、それっぽいモチーフが延々と流れていくあの感覚に似ていますが、
おそらくはそれに影響を与えるきっかけを作ったのがこれかもしれませんね。
そこに、前衛に対する皮肉のようなものを感じ取るのも良いし、
ただ身を任せるがままミニマル亜流の感覚で聴いているのもまた楽しい。



Niccolo Castiglioni
Quilisma, Tropi, Consonante, Daleth,
Risognanze, Intonazione, Cantus planus

Ensemble Risognanze  Tito Ceccherini,Con.
2006 Col legno  WWE 1CD 20253

イタリアの作曲家ニコロ・カスティリオーニ(1932-96)の作品集。
ミラノ音楽院でピアノと作曲を学び、ダルムシュタットの夏期セミナーにも出席しながら、
ロマン派的・前時代的な音楽に興味を示し、現代音楽にその響きを内包させようとしました。
「キリスマ」、弦楽器のか細く非現実的な音の亡霊を背後に、ピアノがきらきらと不規則にゆらめき光る。
「トロッピ」は1959年、ダルムシュタットに出席していた頃の代表作。
強い点描的な構造などは当時の前衛そのものですが、その中には彼独自の美しさがすでに見られます。
「子音」はその3年後。「トロッピ」と似た傾向ですが、さらに音楽の艶めかしさが進んでいます。
フルートソロを加え、使用しづらい音域や特殊奏法などの曖昧な響きが強調されているところもその印象につながってる。
「ダレット」は1979年、「キリスマ」と同じく全盛期といって良い時期の作品。二重奏。
繊細に美しく動くピアノと、活発にどこか古典的な動きを見せるクラリネット。
「リゾナンツェ」は1989年作曲、これ以降は全て晩年の作品です。
1分ほどの楽章が15連なっています。内容としては、かなり単純化したのが分かる。
まあこれほど短い中で表情を変えるとなると、彼の作風ではこうなるのも理解できますが。
逆に、彼の音色に対するこだわりを聴ける意味ではいい曲。
「イントネーション」も同様。古典音楽への回顧のような動きが目立ちます。
「カントゥス・プラヌス」は二人の声楽がついたアンサンブル作品。
17世紀独の神秘家・詩人Angelus Silesiusの「Cherubinischer Wandersmann」からテキストをとっています。
この中で一番、彼の音楽の美しさが現れていると思います。簡素な静けさの中で幻想的に舞う2つの声。
ともすればフェルドマンにも通ずるような響きを聴くことができます。

その独特の美しさと、前衛に過去作品を投影するようなちぐはぐさは確かに評価されうる面白さ。
代表格と言われるほどにはなりえないだろうけれど、その傍らでしっかりと留められておいてほしい作曲家です。



David Chaitkin
Summersong, Scattering Dark and Bright, Serenade, Etudes, Seasons such as These

Sylvan Winds  Arthur Weisburg,Con.  Gordon Stout,Perc.  Edward Murray,P.
New York New Music Ensemble  Robert Black,Con.  David Burge,P.
The Cantata Singers  Jon Harbison,Con.
1997 Composers Recordings Inc.  CRi CD 749

ジャズを通してまず音楽に触れ、ダッラピッコラらに師事したNY生まれの作曲家デーヴィッド・チャイトキン(1938-)作品集。
主に70年代の作品が収められています。「サマーソング」は23管楽器のための吹奏楽作品。
クラリネットから提示される物憂げな旋律が断片的に楽器に波及していく。
次第に動的になって行って躍動的な断片も瞬間的に表れますが、基本的にはゆっくりと音楽は進む。
和声感覚がかなり鋭くて、管楽器作品なのにとても淡い繊細な響きが作られているところは素晴らしい。
打楽器とピアノのための「散乱する闇と輝き」も打楽器はヴィブラフォンをメインに
煌めくようなパッセージが音楽の中から散文的に出てくる。
7楽器のための「セレナーデ」はフィラデルフィア作曲フォーラムのために書かれたもの。
こちらはさらに散文的というか絡み合いの密度が高まって、結果聴きやすさは薄れていますが内容的には一番濃いかも。
ピアノのための「エチュード」は一番初期の方でもあって、かなり調性が薄いし構造主義的。
合唱による「このような季節」、ここではジョン・ハービソンが指揮してたりする。
ただ、音楽も和声も一番厳しい。まあ「リア王」の嵐の部分をテキストにしているらしいので
これくらい内向的な厳しさを持つもので良いのかもですが。
個人的には、やっぱり最初2曲の比較的後年の作品が良かった。



Luciano Cilio
Dell'universo Assente

2004 Die Schachtel  DS7

その活動の全盛期に突如自殺を遂げてしまったイタリアの作曲家ルチアーノ・チリオ(?)(1950-83)の作品集。
以前リリースされた音源を含め、アーカイヴスとしての意図もあってプレスされたようです。
生前は建築学や音楽を学ぶ傍らアンダーグラウンドの音楽家や前衛活動にかかわりを持ち、
図形楽譜的なものを基礎とした即興演奏などを主に行っていました。
「Dialoghi dal presente(Present Dialogues)」は生前リリースされた唯一の作品。
ギター、チェロ、ピアノによる、甘く切ない、それでいて暗さのある素朴な音楽。
フルートや太鼓による、民族的だけれども落ち着いた、どこかアンビエントな音楽。
簡素な、五音音階できらめくはかないピアノ即興。ギターとマンドリン、コントラバスの美しい共演。
4つの「Quadri(Frames)」と「Interludio(Interlude)」からなる、非常に綺麗な音楽です。
それまでの要素が結合される第4部「The Absent Universe(アルバムタイトル名でもある)」は
おそらく彼が目指していた音楽の一つなのではないでしょうか。
その後には未発表のテイクが続く。「Present Dialogues」の第1部。
「Studio per fiati」という曲だけ流し読みで解説が見つけられなかったんですが、これどういうものなんだろう。
ふわふわと電子音のようなものが漂う、ギターの弦をこすりながら増幅しているような音楽。
「Suiff」は環状構造をもつと言う意味でも即興性を持っています。
ここのテイクでは、後半G. De Simoneによるエレクトロニクスが入ってくる。
「Liebesleid」は公式に見る限り彼の遺作。楽譜には僅かな音といくばくかの指示があるだけ。
暗く沈んだ、即興性の非常に強い音楽。間が多い。
G. De Simoneによる「Present Dialogues」第3部の別テイクを挟んで、
最後は初期の作品である「4th Sonata」で。タイトルは4番ですが、1-3番は存在しません。
断片はたしかに古典的な構造を保っていますが、全体的な進行はすでに即興的。暗く美しくささやかれる、寂しげな音楽。
多くの人が絶賛するこのCDですが、確かに内容は素晴らしいものです。
即興性が高いゆえに同じ音楽を望むことは間違いでしょうが、一定の評価はされるべきアーティスト/作曲家です。
限定500部。



Qigang Chen
Iris Devoilee, Reflet D'un Temps Disparu, Wu Xing

Yo-Yo Ma,Vc.  Orchestre National de France
Muhai Tang/Chales Dutoit/Didier Benetti,Cond. etc.
2003 EMI/Virgin  TOCE-55528

上海に著名画家の息子として生まれ、文化大革命の混乱にもめげず北京中央音楽院の一期生となり
84年からパリへ移り師のメシアンからは絶賛されたという陳 其鋼(チェン・キガン、1951-)の作品集。
「ヴェールを取られたイリス」は虹の神をタイトルに持つだけあって、また
メシアンの弟子というだけあって、非常に豊かで美しい色彩的な音楽を見せてくれる。
淡く美しい管弦楽の絹地にソプラノの声がふわりと浮かび、琴が細やかにトレモロを添える。
京劇風に歌うソプラノが、艶やかなうねりを持った器楽の上で伸びやかに歌う。
軽快なアレグロに恨みのたぎるクラスター、管弦楽の炸裂など表情が多い。
ただ、この多楽章のなかで中核的な役割を持っているのは「V.優しく」「IX.淫蕩に」であることから
この曲は非常に初期メシアン的な性格を持っていると考えられます。
メシアン的な移ろいを見せる、まさに優しげな第5楽章や、官能的で美しくゆらめく第9楽章は
まさに「トゥランガリラ交響曲」の第6楽章のような世界。
チェロとオーケストラのための「失われた時の反映」はヨーヨー・マのための作品。
江南文化創世記のころの「梅花三弄」の旋律を使い、変奏的な展開を持って
じわりじわりと元の旋律を思い出していく過去への思いを綴った曲。
花びらが舞うように、激しくも華麗に開かれる音楽の祭典。
元のメロディが現れるクライマックスはなかなか感動的です。かっこいい。
「五行」はその名の通り五行思想に基づいた短い5曲構成。
流れるような水から木質楽器の響き、金管の炎からゆったりとした土へ。
最後は金気から冒頭へ戻り循環する。
中国的な気質の中に淡く美しい響きが広がる、綺麗な作品たちでした。
演奏はフランスの団体だけあってノーブル。線が細いけれど。



チン・ウンスク
Unsuk Chin
Akrostichon-Wortspiel,
Fantaisie Mecanique, Xi, Double Concerto

Ensemble Intercontemporain etc.
2005 Deutsche Grammophon  00289 477 5118

チン・ウンスクは1961年生まれ、韓国の女性作曲家。
「折句 - 言葉の遊戯」はソプラノとオーケストラのための短い7楽章作品。
短いだけにさまざまな断片が浮かんでは消える。管弦楽とはいってもアンサンブル形式の小さなもの、それも比較的高音が目立つような。
それもあって、ぼやけた雲を弄ぶような音の感覚です。後半は韓国出自ならではの民族的な旋律を使うことが多め。
「機械仕掛けの幻想曲」は冒頭からピアノと打楽器が無秩序にリズムを重ねていく。その上昇音階の様が師のリゲティを思わせます。
細かなテクスチュアが楽器に構わずひたすら重ねられていくところがまさに師匠直系らしい。
トランペット、トロンボーン、ピアノ、打楽器のための作品。後半はジャズの香りも少し。結構派手に終わります。
「ザイ」は大編成のアンサンブルとエレクトロニクスのための作品。全体的に金属的な響きが奏でられる、冷徹な面持ちの曲。
エレクトロニクスが金属的なうねりを発するところに、楽器が少しずつ参入していく。
急激に押し寄せてくる電子音と楽器の波が聴き手を徐々に覆っていくのが音響的に楽しい。
中間部になるとやがて、音の動きが明白になり始めて瞬間的な音の細かな構造対比に移っていく。
その後次第に冒頭のドローンに戻っていく、アーチ構造の作品。
「二重協奏曲」プリペアドピアノと打楽器、二人のソリストの動きが音響的にも似通っていて、斉一的な表情を作っていく。
つかみどころのない浮かんだ音が比較的目立つため、前半2曲とは少し趣が違う。
ただ、声部的な動きは強い関連性がありますが雰囲気自体はしばしば変わる。
音響的には明らかに「ザイ」の印象しかありませんが、他曲でも、独特の音の激しい振る舞いがなかなか面白いと思いました。



Morgens Christensen
Vocal and Chamber Music, Vol.3
Birds of a Midsummer Night, Snow Light(Snelys), Esprit feerique, Dreamtimes,
The Lost Poems of Princess Ateh, Mellem livets afgrunde, Ange Silencieux

Ensemble Nord
Paula  PACD 96

モーエンス・クリステンセン(1955-)はデンマークの作曲家。
このPaulaレーベルが異常なまでにプッシュしてますが、実際デンマークでは代表的な作曲家のようです。
「真夏の夜の鳥」リコーダーが鳥の鳴き声を模し、エコーが響き渡る。
ギターが物憂げに伴奏をする、なんとも浮遊感の漂う簡素できれいな作品。
「雪明り」は打楽器とクラリネットの野太い音で開始。
ふわふわした淡い音楽が続くかと思いきや、いきなり激しいパッセージが出てきて、
個々で初めてギターはエレキだったんだと気付く。
ギターとヴァイオリンのための「妖精」のオリジナルはピアノ伴奏。
とりとめなく広がる音楽が音響になかなかあっていて心地よい。
「夢の時代」はピアノと打楽器。間奏曲的性格が強く、いつにも増してとりとめない。
「王女アテーの失われた詩」はMilorad Pavicの小説が基になっているそう。
「人生の底知れぬ深みの間で」はテキストを歌うソプラノが明らかな音楽の中核。
楽器群は音をつぶやく程度にとどまっているあたり、彼の音楽の性格がよくわかる。
「沈黙の天使」は名に反して、このCDの中で一番激しい動きが終始する。
うーん、正直言ってあまり好みにはなれなかった。散文的でとりとめない曲想が彼の作風なのでしょう。



ヤニ・クリストウ 作品集
Jani Christou

1.Enantiodromia
2.Praxis(String Orch. and Piano)
3.Epicycle
4.Anaparastasis III "The Pianist"
5.Mysterion Prolog und Sprechertext
6.Anaparastasis I "The Baritone"
7.Praxis(11 Strings and Piano)

Edition RZ  Ed.RZ 1013

どれを取っても不気味な曲です。
とあるページで紹介されているのを見て、どんなもんかと買ってみれば大当たりでした。
とりわけ、劇要素のあるアナパラスタシスはヤバイ。

第三番「ピアニスト」は電子音のどろどろした持続音が全ての基音。というか前半は音の殆どがそれ。
その上に、音になれなかったかすれた音たちが少しづつ蠢いていきます。
突如爆発する音塊にはおもいっきりびびる。半狂乱のパフォーマーたちの声にはもっとびびる。
終盤は電子音も激しくうねりだし、打楽器含む全楽器が極限を超えてしまったかのような異常世界を描き出します。
あと「Pianist」であって「Piano」でないところも注目。
第一番「バリトン」では第三番以上にダイナミクスの両極化が目立ちます。
弦が微かなうねりを続ける中、コントラバスが呟き、バリトンは通常でない発声でかすれた台詞を短く呻き、叫ぶ。
途中でしばしば現れる、完全な無音の間は恐ろしい。パニック空間以上の圧迫感・緊張を与えます。
ほとんどがpだけに僅かなfは鮮烈です。あと特殊奏法多い分ホラーな音が多め。

Epicycleは電子音楽作品のため表現が他の曲以上に具像的・直接的です。
呻き・乾いた嗤い・叫びがコンクレートの煽りに被さってくる辺りはまさにホラー。
エナンシオドロミアは一番普通の現代音楽であり、作曲者の代表作かつ遺作になります。
じわじわと弦がにじり寄ってきて、頂点にパニック状態の人声が乱入してくる展開は彼独特の境地ですね。
普通の音楽に飽きた方なら存分に楽しめるんじゃないでしょうか。
反対に、それ以外の人が聴いたら引くかも・・・



Jani Christou
Jani Christou Vol.1
Phoenix Music, Six T.S.Eliot Songs, The Strychnine Lady, Enantiodromia

Greek Radio Symphony Orchestra  Franz Litschauer,Cond.
Alice Gabbai,Mezzo-S.  Piero Guarino,P.
Second Hellenic Week of Contemporary Music Ensemble  Rhona Lee Rhes,Vla. Dimitris Agrafiotis,Cond.
Oaklant Symphony Orchestra  Gerhard Samuel,Cond.
2001 Sirius  SMH 200110 2

ギリシャ現地のレーベルから発売されたヤニ・クリストウ(1926-70)の作品集シリーズ。
こいつはマニア歓喜すぎる…音源も貴重なものがそろってます。
ただ、Edition RZの作品集とかぶっている音源があるのだけは惜しいところ。
オーケストラのための「フェニックス・ミュージック」(1948-49)は
冒頭に提示されるB-A-C#の動機が基本となって展開する、5楽章アッタッカの音楽。
このころはまだ、何というかベルクだとかハルトマンだとか、そういった暗い近代音楽のような形を保っている。
そのため、Edition RZの印象で聴くと戸惑いますが、本来初期はこのような作風が主流だったはずです。
まあ金管の使い方とか見てると、後期の錯乱した音響につながるものも感じ取れるから侮れないんですが。
あと中間部の野蛮な盛り上げ方とか、かっこいいと同時に晩年顕著な狂気性が垣間見える気がする。
「6つのT.S.エリオットの歌」(1955)は、演奏頻度はクリストウ作品の中で一番多いんじゃないでしょうか。
重苦しく閉鎖的、それでいながら非常に美しいとも思える、メゾソプラノとピアノのための扇情的な音楽。
ドラマティックな音楽なので、確かに演奏受けはかなり良い作品だと思います。
高音と低音の対比を効果的に使用しているあたりなどは刺激的で、
音響的な刺激が非常に強いクリストウ作品の特徴をばっちりあらわしている。
ここに収録されている録音は詳細不明(おそらく作曲家自宅での録音?)のプライヴェート・レコーディング。
こういうのがさらっと出てきてるあたり、現地での全集らしくて素晴らしい。
録音自体は良くないけど、演奏は真に迫ってくるものがある。
「ストリキニーネ・レディー」(1966-67)はついに本領発揮、RZ作品集のようなものを期待していて大満足な作品。
男による語りで幕開け、弦楽器のうなり、トランペットの叫び、演者の慟哭、それらの前で孤独にノイズを奏するヴィオラ。
ソロとして前面に立つヴィオラは女性でなければなりません。彼女こそが舞台における「ストリキニーネ・レディー」です。
「Anaparastasis」シリーズ同様非常に舞台的な要素が強く、音源だけでは全容をつかみきれません。
実はYoutubeで最初の部分だけ見れる動画があるんですが、これを見るといろいろ衝撃が走りますね。
また、この初演音源の中で聴衆が笑ったりとかしている反応の理由も少しわかります。
にしても、for solo viola(female),five actors,instrumental ensemble,tapes,various sound objects and a red clothの
編成だけでも異常すぎる。というか最後の赤い布は上記動画見るまで意味不明でした。
まあ最初しか見れないおかげで、見た後も位置づけはわからないままなんですけれどね。
「相反(エナンシオドロミア)」はRZ作品集の最初にもある有名な作品ですね。というか同一テイク。
弦の甲高いわななきが次第に増殖し、全楽器と演者を巻き込んだパニック状態に至るまでの異常な緊迫感はやはりそら恐ろしい。

50P以上の解説を盛り込んだ、本形式のジャケット。
さらにEnantiodromiaスコア抜粋をプリントした小ポスター付きという豪華仕様。
今のところこのVol.1しか入手できていないですが、これはマジで全部欲しい…



Rene Clemencic
Apokalypsis -The Revelation of St.John  Oratrio in Antient Greek

Female Members of the Vienna Chamber Choir  Clemencic Consort  Rene Clemencic,Con.
2000 Arte Nova  74321 72115 2

主に古楽の演奏家として有名なレネー・クレメンチッチ(1928-)の、オリジナルにおける1996年作曲の代表作。
新約聖書の黙示録に音楽をつけた、全曲3時間に及ぶ大作オラトリオ「黙示録(アポカリプシス)」。
サイレンと人々の叫びに始まり、5人の男性歌手が古典ギリシャ語による黙示録を滔々と歌う。
語りのような歌を音楽の軸としながら、打楽器を中心としたアンサンブルが多少具像的に情景を形作っていく。
編成だけ見るとかなりアレな音楽が想像できたんですが、意外と中身は(比較的)まとも。
もちろんかなり前衛的ではありますが、やはり作曲家の本分が古楽ということもあって
それを思わせるようなパッセージや進行が見受けられるため(例えばXVIIIの中盤やDisc3)、奇異さが和らいでくれる。
音楽的な盛り上がりもまだ素直に存在していることからこの大作をすんなり聞くことができて、
それでいて音響的にはかなり先鋭的なものがあるので自分にとってはとても楽しい。
なにせカウンターテナーを含む男性歌手、女性のみの合唱、トロンボーンメインのブラス奏者10人、
ダブルベース7本に5人の奏者による多彩な打楽器、というなかなか異常な編成。
正直、これでよく古楽など古典的な音楽の影響が感じ取れるなあとびっくり。
でもトロンボーン5本という偏重さは、メシアンがトロンボーンに黙示録的な響きを連想したという話が思い浮かぶし、
低音がかなり強調される構成は、語る内容を反映した暗い音楽をより効果的にしている。
確かに出来は素晴らしいと思えるあたり、この曲における作曲者の試みは成功しているでしょう。
おどろおどろしくも美しさも垣間見れる、古楽を現代技法で再構築したような音楽。
演奏者は、作曲者が編成した古楽アンサンブルのプロ、クレメンチッチ・コンソート。
作曲者の意図をよく汲まれた、素晴らしい演奏です。



Nicolas Collins
It was a Dark and Stormy Night
Broken Light, Tobado Fonio, It was a Dark and Stormy Night

Soldier String Quartet  Nicolas Collins,Electronics/Voice etc.
1992 Trace Elements Records  TE-1019CD

現代音楽作曲家、実験音楽のアーティストとして活躍するニコラス・コリンズ(1954-)の
比較的クラシカルな方面の?作品集。
「Broken Light」は弦楽四重奏とCDプレイヤーのための作品。
壊れたCDプレイヤー再生の音飛びや早送りを利用し、まるでエレクトロニカのようなループを繰り出す。
そこへ弦楽四重奏が、その動きをなぞるような形で寄り添って展開していく。
クラシカルでいてエレクトロニカのような、さらに民族的な旋律まで姿を見せる不思議な音楽。
けれど、その新鮮な響きは間違いなく面白い。個人的にはとても気に入った。
「Tobado Fonio」は"Trombone-propelled Electronics"、つまりトロンボーンの動きで制御されたエレクトロニクスのための音楽。
最初は完全にハードドローンなんですが、後半の過激なカットアップ風味の展開は
「Devil's Music」などで見られる彼の本領を垣間見せていて楽しい。
というか、ここまでくるとカール・ストーンの「Mom's」みたいだ。
表題曲は、前記の曲で使用したコントロール方法を元にしながら発展させた、ナレーション付きの音楽。
エレキギターのドローンがゆっくりとカオティックに成長していく、実験音響な作品。
朗読が早送りされていかれてくる辺りから本領発揮です。
ちなみにこの音源、トランペットでBen Neillがいたりアコーディオン(!?)でGuy Klucevsekが
参加していたりと地味にいろんなメンツが参加。
クラシカルなカテゴリで実験音響に近い音楽をジャズに強いメンバーが演奏・・・なんともはや。



Dinos Constantinides
Celestial Symphony No.6 & Three Saxophone Works
Celestial Symphony No.6, Concerto for Alto Saxophone and Chamber Orchestra (Midnight Fantasy II),
Concerto No.3 for Alto Saxophone and Orchestra, Homage -A Folk Concerto for Alto Saxophone and Orchestra

Theodre Kerkezos,A.Sax.  Nurnberger Symphoniker  Stefanos Tsialis,Cond.

2007 Centaur  CRC 2871

ギリシャ・アテネの生まれ。アメリカで学んだ後は基本的にアメリカに住み
ルイジアナ州立大学で教鞭を執るディノス・コンスタンティニデス(1929-)の作品集。サックス成分多め。
「天界交響曲第6番」は、名前からして分かるように彼の占星的・神秘学的世界観丸出しの作品。
神秘的で綺麗な木管の動きから、次第に管弦楽全体の壮大な輝きに発展する。
天文系TVの劇伴にも使えそうな感じの、すごく爽やかでそれっぽいイメージの音楽。
第2楽章はイングリッシュ・ホルンの旋律が光る、ゆったりした旋律美。
第3楽章は重めのリズムをベースにしながら、ちょっと暗めで(ほんの少し)前衛的に。
最後は冒頭の音楽に回帰して淡く終わる。
「アルトサクソフォンと室内管弦楽のための協奏曲」(1989)は単一楽章作品。
サックスソロのカデンツァが技巧的ながらも歌うような旋律を奏で、
音楽は妖しくも綺麗で、けれど半音階クラスターも時折あらわれる暗い音楽に。
ソロはナイチンゲールの歌を意識した歌いまわしになっていて、自由に跳ねまわる。中間部は熱く歌う所もあって良い。
「アルトサクソフォンと管弦楽のための協奏曲第3番」はそれまでに書かれた他のサクソフォン作品を
材料にして、短めの楽章からなる作品に再構築したもの。先の曲と対照的に、けっこうライトなタッチ。
モーツァルトの雰囲気丸出しな楽章もあったりして面白い。
「オマージュ -アルトサクソフォンと管弦楽のためのフォーク協奏曲」(1988)は
ギリシャの民族音楽をベースにした、いかにも舞踏風の爽やかな作品。
優雅さを感じるゆったりした第1楽章と、そこからアッタッカのゆるやかな第2楽章。
第3楽章の踊りはかなり陽気でほのぼのした軽快さ。
かなり曲によって作風が違いますが、全体を通して透き通った近代〜ネオクラシカルな響きと
自然主義というか神秘主義に傾倒しているような趣は一貫しています。
演奏、曲の面白さは伝わってくる良い演奏ですが、表現力が一流と言うわけではない。



Barry Conyngham
Southern Cross -Double Concerto for violin, piano and orchestra,
Monuments -Concerto for piano, DX7 and orchestra

Robert Davidovici,Vn.  Tamas Ungar,P./DX7  London Symphony Orchestra  Geoffrey Simon,Con.
1992 Cala  CACD1008

シドニー出身、ジャズ演奏者として音楽を初め、シドニー大学でスカルソープに師事。
オーストラリアの代表的な作曲家と言えるバリー・カニンガム(1944-)の協奏曲作品集。
ヴァイオリン、ピアノと管弦楽のための二重協奏曲「南十字星」(1981)。
第1楽章はアルペジオ音型の印象的な、瞑想的ながらも力を持った、大地の拡がりを表現した音楽。
第2楽章は、同音連打から端を発した音型が激しくざわめき立つ、星の煌めき。
10分ある第3楽章はこの協奏曲の核。ゆったりとした旋律と色彩豊かな和声のちらばり、
広大で凄みを持ちながらも優しい音楽が繰り広げられる。
短い第4楽章は衝突の名の通り、クラスター風な音と特に特殊奏法的なソロの動き。
第5楽章、第3楽章からの発展らしい音楽に導かれた長いカデンツァを伴った音楽。
短い反復モチーフのうねる、緊張感が最高潮に達するところで音楽は終わる。
ピアノ、DX7と管弦楽のための協奏曲「モニュメント」(1989)では
タイトルの通り、ヤマハのキーボードDX7をピアニストが同時演奏します。
先ほどの曲よりは幾分か旋律的要素が強く絡んだ冒頭。輝くような明るさと
トッカータ的な鋭さを併せ持った音楽に、キーボードの神秘的な上昇音形がきらめきを添える。
「Uluru The Rock/Sydney Opera House」なんて楽章タイトルを考えると、トッカータというよりはロック風なのか。
第2楽章はバリアリーフを冠したDX7大活躍の楽章。静的でふわふわと漂う音楽。
シティスペースを描く?第3楽章はピアノの流麗でノスタルジックですらあるカデンツァで開始。
トランペットの12音を契機に場面は切り替わり、同音連打の緊張感が走る激しい音楽に。
クライマックスの劇的さはこちらの方がはるかにかっこいいです。

オーストラリアのランドスケープを描く作曲家だけに、響きを楽しみながら聴くのが一番楽しい音楽。
おかげで、自分の好みにはかなりマッチしました。スカルソープより好きかもしれん。
演奏も、細やかかつ緊張感を維持した演奏で素晴らしい。



Paul Cooper
Complete music for Solo Piano
Cycles, Four Intermezzi, Sonata for Piano, Frescoes, Sinfonia for solo Piano

John Hendrickson,Piano
1998 Composers Recordings Inc.  CRi CD 776

イリノイ出身、インゴルフ・ダールやパリ音楽院でブーランジェに師事。
アメリカの大学などで教鞭を執りながら多くの作品を発表したポール・クーパー(1926-96)のピアノ作品全集。
「サイクル」、共通の素材によってつくられた12の短い小品集だからこそのタイトル。
1960年代に作られただけあって、特殊奏法もそこそこ使っています。
短い小品ごとに性格を変え、主に内部奏法を使って表現する世界は、
あえて類似の響きを探すとするなら同国のクラムでしょうか。ただし、構成自体はこっちの方が凄く堅い。
そういう意味では手堅い分生真面目で、エキセントリックさはない。
シェパード大学の同僚の妻に贈られた「4つの間奏曲」(1980)、
音の散らばりの中にはっきりとした鋭さをのぞかせる、短くも厳しく綺麗な作品。コラール風の第4曲とか意外とけっこう好み。
「ピアノソナタ」(1962)は半音階的ではありますが無調ではない様子。
短い4つの楽章が連続する、やはり技巧的な側面が強い音楽。
「フレスコ」(1994)、短い5楽章ごとに3・5・6度など特定の間隔を使って作られた、やはり同僚を祝うための曲集。
そのためもあってか、音楽によって拡がりもあるし普通に調性的で綺麗な音楽も多い。
「ピアノ独奏のためのシンフォニア」(1989)は、スタインウェイ社が50万台めのピアノを制作した記念のもの。
非常に技巧的ですが、今までの作品にないリリシズムというか扇情的なものがあって、音楽に引きこまれます。

晩年の後半2曲は聴きやすさが適度にあって、かなり楽しく聴けました。
演奏が結構模範的と思わせておいて、強く欲しいところはがつんと響かせてくれてメリハリついてて良い。
正直、演奏に結構救われているところもあるかもしれないと思った。



Chick Corea
Septet -Music for String Quartet, Piano, Flute and French Horn

Chick Corea,P.  Ida Kavafian & Theodre Arm,Vn.  Steven Tenenbom,Vla.
Fred Sherry,Vc.  Steve Kujala,Fl.  Peter Gordon,Hr.
ECM  J33J 20075

チック・コリアのクラシカルな室内楽曲2曲、「七重奏曲」「イスファハンの城(The Temple of Isfahan)」。
さてどんなもんかと聴いてみれば、けっこう普通にクラシックな響き。
もちろん、コリアらしい箇所も満載しているけれど、無理しない程度に古典的な音楽に沿っている。
インプロ部分なしに、全てスコア化した音だからこそ、余計にそう聴こえるのかも。
クラシックを聴く耳で考えてしまうと微妙なところもあるけれど、ジャズの耳で聴けば新鮮に聴こえるでしょう。
また解説者も言っている通り、これを聴く事で、今まで見えてこなかった問題点や可能性に気づければ
このような試みは価値あるものではないでしょうか。
「イスファハンの城」のほうは、イスラエルの歴史都市を題にしているだけあっていくぶん中東風。
そして、多分こっちはアドリブ部分があるためにかなりジャジー。
演奏は不安の感じられないものだし、私にとっては新しい音楽の発見となることができました。



Joao Victor Costa
Obras para Piano
Eight Variations on the 'Bailinho da Madeira' Theme, Suite No.1 in E,
Variations on the 'Baile dos calcoes' theme from Porto Santo, Suite No.2 in C,
Variations on the 'Xaramba' Theme

Robert Andres/Honor O'hea,Piano
numerica  NUM1168

ポルトガルはマデイラ島出身の作曲家、ジョアン・ヴィクトル・コスタ(1939-)のピアノ作品集。
「'Bailinho da Madeira'の主題による8つの変奏曲」、簡素な民族音楽風の主題が華麗に普通に変奏されます。
展開の仕方が古典派の世界。まったくもってクラシックの教科書的音楽。
ただ、音楽の響き自体は、それよりもむしろイージーリスニング風味。なんというか、場面によっては
(実際にはかなり距離がありますが)リチャード・クレイダーマンみたいなのと同じものを感じてしまう。
「組曲第1番 ホ長調」、おそらく旋律がオリジナルなものになっただけ。それもやっぱり民謡風。
そしてこのあたりで気づく。この人、故郷の民謡音楽を作風のベースにしているんだ・・・
「ポルト・サント島の'Baile dos calcoes'による変奏曲」はピアノ連弾なので微妙に世界が広がる。
「組曲第2番 ハ長調」4曲目は気に入ってるかな。というかそろそろ飽きてきた。
「'Xaramba'の主題による変奏曲」は2台ピアノ作品。ん、まあ、そうね、おんなじ。

自分にあるルーツを作風に活かすというのは全く問題ないんですが、表現技法があまりにもシンプルすぎる。
まあ簡易で聴きやすく、万人受けする音楽ではありますが・・・
演奏、可もなし不可もなしの安全運転。



Paul Creston
Symphonies Nos 1-3
Symphony No.1 Op.20, Symphony No.2 Op.35, Symphony No.3 Op.48"Three Mysteries"

National Symphony Orchestra of Ukraine  Theodore Kuchar,Cond.
2000 Naxos  8.559034

アメリカの作曲家ポール・クレストン(1906-85)の交響曲、前半3つ。
彼はおそらく、現代アメリカものを聴く人以外では(ソナタ等で)サックス吹きに知られているのでは。
「交響曲第1番」、始めから終わりまで実に威風堂々たる第1楽章。
第2楽章は「ユーモアをもって」とありますが、なんかどうもドイツ的な生真面目さが。
でも第3楽章はすでに十分に彼らしい甘い旋律の積み重ねが聴ける。
第4楽章の「陽気さをもって」、細かいシンコペーションリズムはいかにもアメリカらしい。
「交響曲第2番」、「序奏と歌」の艶めかしい展開は彼の本領発揮。
時に牧歌的で伸びやかに、ある時は暗く熱を帯びて展開する音楽は美しいもの。
一方「間奏曲と踊り」は不穏げな間奏からいきなりややリズムが土俗的だけれど軽快な音楽に。
激しく情熱的で、かなりテンションが高い。演奏頻度が高い曲なだけありますね。
展開的には交響曲らしい場所は全く無いですが、音楽はとても気に入った。
「交響曲第3番「3つの謎」」、キリスト教の世界観に倣った1950年作品。
怪しげな冒頭から天界の日差しのような音楽へ。アレグロになると牧歌風世界へ。
第2楽章はその展開部が悪魔の行進に変わっただけ。
第3楽章、トランペットソロは印象がレスピーギ「教会のステンドグラス」第2曲中間部。
なんか3番は和声に意識を向けるあまり、作風が保守的になりすぎた気が。
演奏、カリンニコフのあれで有名にあっただけあって非常に美しい響き。
そういう意味では非常にクレストンに合う。東欧の団体だから、それでいて音に力もあるし。



Paul Creston
Janus Op.77, Concerto No.2 for Violin and Orchestra Op.78, Symphony No.4 Op.52

Gregory Fulkerson,Vn.  Albany Symphony Orchestra  David Alan Miller,Con.
2005 Albany  TROY737

晩年の作品「ヤヌス」、冒頭の木管による旋律の甘ったるさがまさにクレストン。
それが次第に高揚していって荒々しい(ちょっとジャズの影響もありそうな)音楽に。
荒いのにどこかノーブルな美しさが漂うのが特徴。最後は景気よくどかんと。
吹奏楽でやってもおかしくない曲ですね。
「ヴァイオリン協奏曲第2番」、妖艶な冒頭から技巧的で軽快な音楽へ。
ああこれは彼の保守的で美しい音楽が全開だなと予感したら、第2楽章なんかはもろに彼の近代世界@牧歌風。
第3楽章の快速なスケルツォはこのライトな音楽の締めに相応しい音楽。
「交響曲第4番」、重厚な和声で堂々とした序奏を鳴らしたのに、その後はいきなり軽快に。
ライトなタッチで洒脱に聴かせる辺り、雰囲気は違うけれどクレストンらしいなと感じる。
第2楽章のアンダンテはド直球で田園的牧歌音楽だし、第3楽章もスケルツォになっただけで
基本的な音楽風景は変わらず。最終楽章も跳ねるような豪華さで突っ走る。
交響曲なのがびっくりするくらいライトなタッチの音楽。軽薄とも言えるし、軽妙とも言える。どちらととるかは好み次第。
音楽としては「ヤヌス」と協奏曲の終楽章あたりが好み・・・かなあ。
演奏がAlbanyらしいもっさり加減過ぎていらいらする。



ジョージ・クラム
幼子たちの古えの声、夏の夜の音楽(マクロコスモスIII)
George Crumb
Antient Voices of Children, Music for Summer Evening(Makrokosmos III)

Nonesuch  WPCS-5171

クラムは特殊奏法をふんだんに使った静謐で神秘的な音楽を出してきます。
ピアノや弦はまともな音の方が少ないかも、と思うくらい。その曖昧さが独自の世界観に繋がりますね。特殊な楽器も多い。
代表作の一つである、ロルカの詩による「幼子たちの古えの声」はそれを聴くことが出来る好例でしょう。
呟き、時折だけ叫ぶ声。協奏・強奏がほとんど無い楽器群。民族的な舞踏でも最小限の楽器による静かな佇まいです。
また、残響が多く、まるでそちらの方が音の主体であるかのように構成されている点も重要。
ボーイソプラノの声はロルカの危うい世界にマッチしますね。献呈者によるソプラノを初め、静寂が強調された演奏も素晴らしい。
「夏の夜の音楽」はマクロコスモスの第1巻と比べると編成の巨大化にも関わらず静謐感の押し出しが目立ちます。
はっきりしない輪郭や綺麗な音が多く、宇宙の果てでまどろむような感覚が心地よいです。それだけに引用が現れると意識が鮮明に。
どちらも中間部が一番盛り上がるのが面白い。



George Crumb
Voice of the Whale
Makrokosmos, A Little Suite for Christmas,A.D.1979, Vox Balaenae

Andrew Russo,Piano  Conchord
2002 Black Box  BBM1076

Black Boxからクラムの作品集。
「マクロコスモス」は言わんと知れたクラムの代表作。
特殊奏法をふんだんに取り入れながら彼の神秘的な作風を存分に味わえ、
さらに記譜の絵画じみた美しさも相まって人気が高いですよね。
ここでの演奏は、このレーベルらしい録音と相まって、
ダイナミクスをあまさず捉えつつもちょっと平坦に、ライトで張りのある音を響かせる。
占星術のような妖しい煌めきを存分に聴ける点ではこの録音は好印象。
ただ、あの正体不明の妖艶さというか、神秘的な側面は減っている気もする。
もっともこの音楽を美しく聴けるので、手はすごく伸ばしやすい。
「クリスマスのための小組曲 A.D.1979」もピアノソロ作品。
マクロコスモスと同様、古代の音楽への敬意や現代音楽のオマージュ(ここでは
特にメシアンの「20のまなざし」)などが見られながらも彼らしい音楽が聴けます。
この曲の一番マクロコスモスと違う点は、大半が通常奏法のみで書かれていること。
さらに、踊りの部分を除けば全てがクラムらしい神秘的な音楽が続くこと。
後半、中世風の旋律がそのまま表れる部分の特殊奏法の味付けとか良いですね。
「鯨の声」はフルート、チェロが加わりますが、奏法の奇異さはいつも通り。
土俗的なうなり声、高音偏重のきらめき、畏怖を起こさせるような厳しい響き、
けれどこの曲の一番の醍醐味は非現実的なまでに淡く美しい、最後の曲だと思います。
これまでの音楽を清算するように、通常奏法を使って締めくくる。
この曲は、個人的にクラム作品で一番好き。



Zulema de la Cruz
Concerto No.1 for Piano and Orchestra 'Atlantico', La Luz del Aire, Latir Isleno, Soledad

Guillermo Gonzalez,P.  Helsinki Philharmonic Orchestra  Leif Segerstam,Cond.
Proyecto Gerhard  Jose de Eusebio,Cond.  Czech Virtuosi
2005 Col legno  WWE 1CD 20242

マドリード出身、地元とスタンフォード大で学び、地元大ではエレクトロアコースティックを
教えてたりするスペイン女流作曲家スレマ・デ・ラ・クルス(デラクルス、1958-)の作品集。
「ピアノ協奏曲第1番「アトランティコ」」(2000)はこのアルバムのメイン。
冒頭6/8のリズムで湧き上がるリズムを初めタンゴなどから引用されたアクセント。
スペイン音楽(とりわけカナリア諸島のものについて言及があるのはカナリヤ諸島音楽祭での初演を
意識しているのでしょう)の響きを維持しながら亡霊のように神秘的で暗い情熱が湧き上がる。
頂点ではクラスターも爆発しながら、劇的かつ派手派手に盛り上がります。
第2楽章はチェロの独奏が際立つひそやかな音楽、第3楽章は待ちに待った舞踏リズムの大爆発。
ラストの混然となった響きには圧倒されます。
「春の祭典」がよく引き合いに出されるようですが、確かにそのリズムを基調とした
民族的というか土俗的なセンスは連想されるものがあるし、
グバイドゥリーナの名も同じ暴力的な迫力を見せてくれる女性作曲家として比較されることが多いでしょう。
ただ、自分としてはやっぱり、同国の音楽観念を保持しながら前衛に疾走していった
ロベルト・ジェラールあたりの流れを汲んでいるんじゃないかな、とも感じました。
ちなみにこの初演時のライヴ、流石はセーゲルスタム、とでも言うべきか。
「大気の光」は4群に分けられた楽器群が暴れまわる協奏曲と同年の作品。
やはり打楽器がリズムをどんどんと叩きながら響きを変遷させていく。
「Latir Isleno(Island Pulse、島の律動とでも訳す?)」は98年のピアノ作品。
「En Torno al Sur(Turning to the South)」と題されたピアノ三部作の2つめ。
カナリア諸島の有名な民謡を元にした、美しく怪しげな楽想は、協奏曲の第2楽章みたいな感じ。
「ソリチュード」(1998)、足音と始原的なドラミング音による彼岸世界なマーチの冒頭がとても印象的。
スターバト・マーテルを主題にした、弦楽器による綺麗で聴きやすいながらも
どこか一線を画したうすら寒さを持つ、ナルシソ・イエペスへの追悼を込めた作品。

確かに「ピアノ協奏曲」のインパクトは凄いけれど、「ソリチュード」みたいな音楽もとてもいいと思う。
演奏も含めて、非常に楽しめました。



Gyula Csapo
The Great Initial -humanvoicetimesculpture, Concerto for Viola and a Changing Environment

Rivka Golani,Vla.  MR Symphony Orchestra  Laszlo Tihanyi,Con.
2010 Hungaroton  HCD 32665

ダルムシュタット講習参加経験あり、IRCAMでも研鑽しフェルドマンに教えを乞うたこともある
ハンガリーの作曲家ギューラ・ツァポー(チャポ、1955-)の作品集。
「The Great Initial」は人間の音声を元に制作された、一応は電子音楽と言っていい範疇。
正確にはミュージック・コンクレートの概念の方が近いか。
現代採取可能なすべての年代の声を録音し、それらをさらに声の幅を広げる目的において音声加工を施す。
そうして組み上げる音楽は、あたかもそれらの人物が実際に集って
合唱しているかのような一体感を持って響くように設計されています。
長くても1分ほどの細かい区分によってトラックわけされています。
それによって、またそのタイトルによって、音声の構造はかなり掴みやすくはなっている。
そんなに声を重ねるわけではなく、細かい構造分けで一つずつ聴かせていくタイプなので、
かなり音響としては切りつめられたもの。そういう意味ではIRCAMやフェルドマンに通ずる一点偏重ぶり。
「ヴィオラと変化する環境のための音楽」はこのCDリリース時点ではほぼ最新作。
オーケストラはヴィオラの周りを取り巻く環境であり、それらは個々の性格を持っています。
それをソロは架け橋のようにつなぎ、その中に囲まれて動き回る。
こちらも、先ほどと共通して現れるモチーフは非常に幅広い。
ただ、それらはやがてソロに繋げられるように、どこか統一感は持ち合わせている。
坦々と進んでいく音楽なのも先ほどと同じ。ただこちらは水平的な変化だけでなく
垂直的な組み合わせも様々に聴こえてくるので飽きはそこまでこない。



Conrad Cummings
Photo-Op, Insertions, The Americam Way

Cummings Ensemble
1992 Composers Recordings Inc.  CRi CD 627

サンフランシスコ出身のコンラッド・カミングス(1948-)作品集。
「Photo-Op」冒頭からいきなりユニゾンでモチーフが颯爽と反復される。
その瞬間気付く、ああ、この曲はフィリップ・グラス風の作風なんだ、と。
もちろんあそこまで極端ではなく普通の音楽構造に従ってはいますが。
ただ、シンセを交えた一定のリズム刻みによる伴奏の上を旋律が伸びていく音楽は明らかにグラス。
とてもドラックマンらに師事し、Ircam在籍経験があった人間の曲とは思えない。
まあ楽想はグラスよりは随分多岐にわたっているので聴きやすくはある。
というか、気が付いたらもう「Insertions」に入っていた。その点だけでも作風は推して知るべし。
あ、でも3曲目はけっこう面白かったかもしれない。一番グラス風でもあったけど。
「The American Way」も予想通りというか、それ以上にグラスでした。
…まあこれはこれで良いんじゃなかろうか。
でもこれ、パクリだとか騒がれないのかなあ、果たして大丈夫なのか。



Joseph Curiale
Awakening
Gates of Gold, Awakening(Song of the Earth), Adelina de Maya, The Multiples of One

Ralph Morrison,Vn.  Mike Miller,G. etc.
The Royal Philharmonic Orchestra  Joseph Curiale,Cond.
2000 Black Box  BBM1050

アメリカの作曲家ジョセフ・クリエール(Joe Curiale表記の場合も、1955-)の代表作。
「Gates of Gold」はゴールドラッシュに沸く18-19世紀カリフォルニアに移住してきた中国人を描いた曲。
華やかな序奏ののち、ヴァイオリンによる中国風なソロが華麗に舞う。
第2楽章、感情たっぷりにゆたかな響きが流れていくあたり心地よい。
第3楽章のリズミカルな音楽は彼の音楽の真骨頂。実に心躍るリズムが爽快に踊る。
第1楽章でも聴けた民族的な旋律が絡み合いながら、劇的に音楽は展開します。
「Awakening」はこの人を知ったきっかけの曲であり、彼の代表作でもあります。
トランペットの優しく響くソロで幕開け。美しく、抱擁するかのような暖かい音の第1楽章。
第2楽章はそれを引き継ぎ、真摯に祈るような、凛とした感覚を持つ楽想に。
第3楽章はそれまでと打って変わり、楽しさを思いっきり表現するような沸き立つ音楽。
短いですが、非常に印象に残る素晴らしい曲です。
「Adelina de Maya」、姉妹のAdeninaに捧げられた曲。
ギターのアルペジオと共に、あの鄙びたイメージの曲想が豊かに広がる。
第2楽章では逆に、躍動するスパニッシュなイメージ。
まあ、ラテン的なノリと言えば似た所はあるでようね・・・ただやっぱり、音楽としては凄くノれるので楽しい。
「The Multiples of One」はこの中で唯一の室内楽編成。
ピアノの落ち着いたリズムに、チェロの軽快な、けれど美しく歌うような旋律が重なり、
オーボエやフルート、ヴィオラがそっと音を寄せてくる。

作風は、例えるならジョン・ウィリアムズやマイケル・ケイメンのような作品に
民族的な旋律やリズミカルさを与えたような感じ。
特に溌剌とした楽章の軽快さは特筆すべきものがあると思います。
上記の作曲家が好きな人や吹奏楽ファンの人には是非にでもチェックしてほしい作曲家。
非常にマイナーな位置づけに置かれているのが残念でなりませんね。



Marc-Henri Cykiert
Capriccio Hassidico
Capriccio Hassidico, Phapsodie Herschel Grynszpan, Danse,Danse,Danse ,
Ta Mere Ne Reviendra Jamais, La Vie est une Petite Chanson

Michael Guttman,Violin  Frederic Rzewski,Piano
1991 Editions Sowarex/Igloo  IGL 095

ベルギー・リエージュ生まれ、ギターを学び音楽のみならず写真家としても活動する
作曲家(1957-)の、ヴァイオリンとピアノのための作品集。読みはマルク=アンリ・シキールで良いのかなあ…
解説がフランス語のみで、語学弱い自分には歯が立たぬ。さり気にジェフスキがピアノ演奏。
冒頭の「カプリッチョ・ハシディコ」、のっけから非常に激しい楽想でテンション上がる。
流石に爆走はすぐおさまりますが、基本的には鋭いピアノの伴奏リズムと荒々しいヴァイオリン。
「Phapsodie Herschel Grynszpan」はピアノの憂い気な冒頭から次第に力強く盛り上がる。
第1曲のピアノソロ部分は次第に暴力的なまでに激しくなるのがかっこいい。
アッタッカで入る第2曲、ヴァイオリンの旋律はいかにもユダヤ風。盛り上がりもある、表情豊かな20分近い音楽。
この人の曲は、基本的にユダヤというかジプシー音楽に色濃く影響されています。
「ダンス、ダンス、ダンス」はヴァイオリン独奏のための、短い21曲からなる変奏小品集。
民謡風の旋律を基に、ちょっとポロネーズ風の風味付けをした、7分半の音楽です。
「Ta Mere Ne Reviendra Jamais」はピアノソロのための12の変奏曲。
どうやら子守唄を主題にしているようです。そのため、これは比較的おとなしい。
もちろん、変奏の端々に爆発がありますが…それもあってやや前衛さが目立つ。
「La Vie est une Petite Chanson」はクレズマー音楽が主題に使われています。
これは比較的小品チックな、軽やかさを感じる楽想に仕上がっています。…最終楽章以外。

ジプシー音楽を強く感じさせる、やや前衛的な激しさも併せ持つ強烈なリズムの音楽たち。
大御所二名の演奏も文句なし。というか、(師でもある)ジェフスキの演奏が強烈すぎる。
この鋭い名演のお蔭で、クラシックのみならずジャズやチェンバーロックにも通ずるものを見つけられます。
その意味では、最初の2曲が凄くおすすめ。



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