作曲家別 D-F

姓のアルファベット順。



Luigi Dallapiccola
Canti di Prigionia, Cinque frammenti di Saffo, Due liriche di Anacreonte, Sex carmina Alcaei,
Tempus destruendi-Tempus aedificandi, Due coli di Michelangelo Buonarroti il giovane

Julie Moffat/Nicola Jansen,S.  Lorraine Gwynne,Mezzo-S.
New London Chambar Choir  Ensemble InterContempolain  Hans Zender,Cond.
2001 apex  8573 89230 2

イタリア近代〜現代の作曲家として重要な位置にいるルイージ・ダッラピッコラ(1904-75)作品集。
「囚われの歌」(1938-41)は政治的な意味を込めた三部作のはじめであり、彼の代表作。元はこれオペラでもあります。
怒りの日の旋律も用いながら、ファシズムへの反感を胸にリラダンのテキストを歌う。
この作品はまだ12音技法とかに染まる前の出世作でもあるので、非常に聴きやすい。
そして同時に、その鎮魂のような静かな音楽は暗くもありますがびっくりするくらい美しい。
第1曲の盛り上がりなんて鳥肌が立つくらいにかっこいいじゃないですか。
第2曲も短いながらも、強奏の重苦しさと祈るような真摯さが同時に響く印象的な楽章。
個人的には3曲目はそれほどでもないんですが、十分祈りの音楽としての結尾に相応しいとは思う。
「サッフォーの5つの断章」(1942)は彼が本格的に12音技法にはまりだした時期。
なるほど、音の動き方がかなり無調的になってきてる。
「アナクレオンの2つの詩」(1945)おお、かなり厳しくなってきた。
でも、こちらの2曲目とかはその緊張感を随分うまく活かして作曲されていると思える。
「アルケウスの6つの歌」(1943)は一番12音音楽っぽい体裁をしてる。
短い断片のような曲ばかりなので、分析しないと面白く感じられないかな…
「Tempus destruendi/tempus aedificandi」(1970-71)は最晩年の合唱作品。
音の跳躍がかなり激しい、やはり無調ではありますが印象的な響きになっています。
「ミケランジェロ・ブオナローティによる合唱曲 第2集」(1933)は同じアカペラ合唱ですが、12音にはまる前。
お蔭で、びっくりするくらい平凡と言うか、普通に聴こえて安心する。
うーん、「囚われの歌」は何度も聴きたいと思える曲なんだけれども。



Michael Daugherty
Metropolis Symphony, Bizarro

Herbert Greenberg,Vn.  Emily Controulis/Mark Sparks,Fl.
Baltimore Symphony Orchestra  David Zinman,Cond.
1996 Argo  POCL-8010

マイケル・ドアティの大曲「メトロポリス交響曲」。
あのスーパーマンを題材にした音楽は、なるほど彼の作風らしいと思える。
第1楽章、ヴァイオリンの提示する性急な音楽に乗せて、次から次へと激しい音楽が鳴らされる。
そこに4か所に配置されたホイッスルが絡み合う、なかなかにノリの良い音楽。
第2楽章は微分音とサイレン、ベルに彩られた、やっぱりトロンボーンも大活躍な不穏げな音楽。
でも、それなりにリズミカルなノリで進むあたりは実にドアティの曲らしい。
第3楽章はフルート二重奏の速いパッセージが契機となる高音偏重の楽章。
第4楽章はそれを引き継いで、同じような動きが金管にまでそのまま出てくるのがいかれてる。
短めではありますが、非常に勢いのある、鞭の音が印象的…というか使われ過ぎな曲。
最後第5楽章「レッド・ケープ・タンゴ」は単体でもよく演奏されていて有名ですね。吹奏楽版もあるし。
ホルンのソロに始まり、タンゴのリズムに乗せてバスーンから旋律が奏でられていく。
音楽は各種シンバルセットとチャイム2台も効果的に使って長い盛り上がりを作っていく。
最後に、交響曲には入ってませんが同じ時期に作られたスーパーマン繋がりの「ビザッロ」収録。
吹奏楽…というか管楽器セクションと例のごとく異常に大きい打楽器群(ロックンロールのドラマーだけで3人必要)の編成。
非常に快速テンポのハイハットの刻みに乗せ、エレキベースも交えながら
ジャズロックのような音楽が終始ハイテンションに突き抜けるとてつもない10分間です。
編成だけは吹奏楽ですが、生半可な覚悟じゃ演奏は100%不可能。
吹奏楽関係者はレッド・ケープ・タンゴを演奏して満足している場合じゃありませんね、これやってみたい。
そんな音楽を思いっきりぶちかましてくれるボルティモア管とジンマンのコンビに脱帽。



Chris Dench
Beyond Status Geometry
Beyond Status Geometry, Light-Strung Sigils,
Permutation City, Passing Bells:Night

Libra Ensemble  Speak Percussion  Marilyn Nonken,P.  Carl Rosman,Con.
2008 Tzadik  TZ8044

1970年代に入りそれまでの現代音楽を反省するものとして「新しい単純性」の思想が広く流布した頃、
それに反対する考えとしてファーニホウらが中心となって提唱した「新しい複雑性」というものがあります。
セリー様式を元に、それをさらに厳しく要求するような音楽は複雑極まりないもの。
このクリス・デンク(1953-)はその流れをはっきりと汲む作曲家です。
ロンドン出身ですが、現在はオーストラリアに市民権を獲得。ダルムシュタット講習会に出た他は概ね独学です。
「Beyond Status Geometry」は打楽器奏者4人のための作品。
作曲から初演まで7年以上かかっているのは、そのスコアの複雑さ故なのか。
非情に激しく暴れ回る打楽器のリズムは、はっきり言って正確な聴きとりが不可能。
単に聴いていると打楽器奏者のそれぞれがやりたい放題暴れてるようにしか聴こえません。
最初から最後まで音符で埋め尽くされたような、とてもせわしなく展開する音楽。
「Light-Strung Sigils」、Beverliey BrauneやPaul Daviesの詩に着想を得た作品。
構成が複雑なのは変わりませんが、夜想曲的で調性をある程度感じられる美しさが印象的。
鍵盤打楽器二重奏による「Permutation City」、作曲者曰く「クールな感じ」。
まあマリンバやヴィヴラフォン、クロタルから描き出される音楽の表情はたしかに
非クラシック的なビートを感じさせるような場面もありますが・・・ 音楽自体は面白いです。
「Passing Bells:Night」はピアノソロ。低く鐘がなるような冒頭など、かなり音楽は落ち着いています。
作曲者が「今まで書いた中で最も瞑想的だ」と語るほど。とはいっても、十分激しい部分もある。
調性的なパッセージもぱらぱらと聴こえてくる、確かにどこか穏やかな印象をうける作品。

全体的に見ても、彼初期に顕著な異常なまでの複雑性はそんなみられませんが、十分複雑なのも事実。
ただ、単純に多い音に溺れながら聴く方法でもそれなりに楽しく感じられる音楽です。
欲を言えば、近年のものより複雑性全盛期の作品をメインに収録してほしかった気が。



Laszlo Des
The Hanged
Laszlo Des; The Hanged
Traditional Music of Zimbabwe & Tahiti

Amadinda Percussion Group  Keller Quartet
Monika Juhasz miczura/Zsuzsa Lukin,Voice  Laszlo Des,Sax.
1999 BMC  CD 021

このラズロ・デシュ(?)という作曲家、詳細がいまいち掴めないのですが、BMCだし、おそらくハンガリーの作曲家でしょう。
「首吊り」はAndras Boroczによって製作された彫刻を元にして作り上げられた作品。
グロテスクでいながら美しいラインを描く、そら恐ろしい彫刻をなんとそのまま楽器として扱うとんでもない発想の作品です。
乾いた音が鳴り響き、弦楽の音が冷たくリズムを刻む。
虚ろな音のリズムがかたかたと骸骨のような非現実的な踊りを見せ、
弦楽器が、まるで1台のギターの幽霊であるかのようにフォークのような音楽の形骸を肉付けする。
音楽としては、アフリカやオセアニア、そしてネイティヴ・アメリカンの音楽のような
民族音楽的色彩が強く、それを元にビート構造などを作り上げたようですが、
この強く奇異な世界の色合いも、これら先住民たちの思想に強く結びついているでしょう。
激しくも異世界的な打楽器に、弦楽器のおどろおどろしい西洋音楽の亡骸がひっかかる。
「Soul−Bell」のゴングが虚ろに鳴り響いた後の最期、
「Bereavement」のボーカルから感じるシャーマニズムなものと弦楽器の美しいドローンの
重なりが常世への入り口を示唆しているようで、素直に美しい音楽に感じられない辺り、この曲は気味が悪い。
ですが、非常に独自の音響/世界を創作できている、とても素晴らしい音楽です。
後半にはムビラによるジンバブエの民族音楽とオテア(Otea)によるタヒチのそれを収録。
ミニマルで美しい、深く落ち着いた響きの音楽。そこにデシュ自身の思いっきりジャジーなサックスが入ってくる。
前半のおどろおどろしい雰囲気とは全く違うけれど、これはこれで素晴らしい。
タヒチの方は思いっきりビート&シャウトしまくりのハイテンションな音楽。ちなみにライヴ。
演奏はアマディンダとケラー、まったくの問題なし。録音も良いし、実に良いCDでした。
エンハンスド仕様で「首吊り」のクリップが全曲分観られます。
演奏風景、彫刻の制作風景、様々な場所に吊られた首吊りの彫刻などの映像が絡みあう、こちらも恐ろしい出来。



Paul Dessau

In Memoriam Bertolt Brecht
Bach Variations
Meer der Sturme(Sea of Tempests, Orchestral Music No.2)
Orchrestermusik Nr.4(Orchestral Music No.4)

Gewandhousorchester Leipzig Paul Dessau,Cond.
Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig Herbert Kegel,Cond  Sttatskapelle Berlin Gunther Herbig,Cond.
1994 Berlin Classics  0021822BC

パウル・デッサウは20世紀東ドイツの指揮者であり、作曲家。
古典的な作りの中に前衛要素を盛り込んだ、特に晩年は当時の西ドイツの主流とやや異なった独特な作風の曲を発表していました。
「ヘルベルト・ブレヒトの追憶に」は題の通り、「三文オペラ」などを作った同年代の優れた劇作家、ブレヒトの死を悼んでのもの。
マーチと題された主部を軸に、両端にラメントとエピタフをつけた追悼の意が強い曲。マーチでは嵐のように全楽器が荒れ狂う。
「バッハ・ヴァリエーション」はJ.S.バッハとC.P.E..バッハ両名のメロディーを主題とし、さらにBACH動機と現代音楽の先駆者となった
シェーンベルグの音名になるアルファベット(ADSCHBEG)配列をも盛り込んだ技巧的な変奏曲。
比較的前衛的要素の少ない、変奏ごとの楽想変わりが激しい聴き応えある曲です。
デッサウの曲の中では、おそらく一番演奏されているものでしょう。
聴いてて大きなカタストロフィを感じられるので人気も高い。私もこの中では一番気に入りました。
ちなみに、以上2曲は作曲者自身の指揮。
「嵐の海(オーケストラル・ミュージック第2番)」は激しい嵐のような勢いで聴き手を吹き飛ばす。
10月革命50周年を記念して、1917年の激変した史実とソビエトの勝利をコンセプトに書かれた作品。
なかなか前衛的なのに対し、「第4番」はバッハの「トッカータとフーガハ長調」をベースに書かれた作品。
彼はバッハが好きだったようですねえ。しかし現代技法とバッハの音楽を、世紀を超え繋げようとしたデッサウの仕事は真摯なものです。
西ドイツのような新しい風を全力で自由に巻き起こすのではなく、ソ連統治の下何とかして新しい表現を探ろうとした
東ドイツ特有の暗い響きがたまりません。ソ連で同様に活動していた作曲家の前衛を見ているようです。
壁の向こうで独自の活動を行っていた東ドイツの音楽は、未だにあまり評価されることが少ないです。
少しでも彼やアイスラーのような作曲家がいたことを知ってほしいものですね。



フリートヘルム・デール;大管弦楽のための交響曲
Friedhelm Dohl; Symphonie fur grosses Orchester

リューベック・フィルハーモニー管弦楽団 エーリヒ・ヴェヒター指揮
Philharmonisches Orchester der Hansestadt Lubeck  Erich Wachter,Cond.

2000 Ars Musici  AM 1295-2

フリートヘルム・デール(1936-)はウェーベルンやロベルト・シューマンから学んだことがあるドイツの作曲家。
「イントロイトゥス」スネアの鋭い序奏から急くような緊張感激しい音楽が打楽器の経過句を挟み凶暴に展開していく。
「リチュアル」では妖しげで不安げなトランペットなどのソロが中心の音楽。
「バラード」は上昇音階の掛け合いから、切迫した短いパッセージの応酬。
「Lied」バスドラムの連打が印象的なおどろおどろしい序奏から、妖艶なメロディーの絡み合いへ。
その余韻から始まる「間奏曲」は徐々に激しさを増して突発音の乱舞に。
「Zerbrochenes Lied」は怪しく不安な音楽から荘厳な(珍しく明るげなものも)音楽が熱狂し、混乱の渦へ。
その頂点からまた冒頭のソロが垣間見え、雲のような弦楽器で終了する。
最後の「エクソダス」もスネアに導かれた金管の咆哮から開始。
2台のスネアが展開の重要な位置を占める、緊迫感ある行進曲風音楽。

全体的に前衛的ですが無調ではなく、緊迫した激しい音楽が続きます。
これはこれでとても楽しめるのだけれど、同じ調子で1時間は流石にきつい。もっと幅広い展開が欲しいなあ。
演奏はかなり良い感じです。曲の緊迫感が十二分に出た、ライヴ録音としてはかなりのレベル。



Paul Dresher
Casa Vecchia

Robert Black,E.Bass  Ensemble 9   Yuki Morimoto,Cond.
1995 Starkland  ST-204

アメリカのポストミニマル系作曲家ポール・ドレッシャー(1951-)の作品集。
1曲目「Underground」は、高音主体の電子音による、ふわふわした美しいテープループ。
「Other Fire」はアジアに旅行した際に録音した様々な素材を使って、自分の作曲法に応用したもの。
鳥の鳴き声から始まり、いつもの電子音ループと具体音素材が交じり合う。
「Mirrors」はエレキ・ベースのソロ。いつものように、テープループで音が重なっていく過程が心地よい。
最初はドローンに近いくらいのアンビエント。途中から早弾きに。
タイトル曲の「Casa Vecchia」は20分を超える大作。2組の弦楽四重奏のための曲。
冒頭のハーモニーは彼っぽかったけれど、リズミカルになった瞬間ライヒみたいになっちゃった。
まあでもその分電子音のチープさがなく、普通に聴ける。
楽しかった。ただ、ちょっと単調すぎかも。



Paul Dresher
This Same Temple
Liquid and Stellar Music, Destiny
Water Dreams, This Same Temple

Paul Dresher,E.Guit.  Gene Reffkin,Drums  Double Edge
1996 Lovely Music  LCD 2011

ポール・ドレッシャーはポスト・ミニマルな作曲家ですが、電子音楽作曲家という名とのボーダーラインも曖昧ですね。
1曲目「Liquid and Stellar Music」はエレキギターとライヴのテープループシステムによる音楽。
ギターの柔らかな単音が一つずつ折り重ねられていく。切なげに、ふわふわと舞い降りる。
やがてミニマルな旋律がフィードバックしながら参加してきてドローンに取って代わる。
そこからはライヒを思わせるようなリズムの展開で非常にカッコイイ。憂いをおびたメロディーが次々重なります。
それにしても、あらかじめ準備された音源なしの生演奏でここまで豊かな響きになるのは凄い。
一方、上と同じシステムを用いた「Destiny」はロックンロール一直線。
ファンキーなギターとドラム、システム知らないとどこが現代音楽なんだか1mmも理解できませんね。
「Water Dreams」は様々な水音を使用したエレクトロ・アコースティック作品。
雨音にサンプリングされたヴィオラの音が細かく震えるように絡んでくる。
ウォーターフロントの自然音も入りつつ、ちょっとハードでずぶぬれなアンビエント空間が広がります。
「This Same Temple」はこのCDの中で一番ポスト・ミニマル的。作曲者自身もスティーヴ・ライヒの影響をはっきり認めています。
ピアノ2台によるノスタルジックなメロディー断片が、ジャズのような面も見せながら繰り返されていく。
リズム的要素とメロディー的要素が絡み合いながらさまざまに展開していく、古典的で綺麗なミニマル作品。
途中、思い切りライヒの「ピアノ・フェイズ」みたいな場面があって笑える。
ドレッシャー風のポストミニマルの雰囲気がよく味わえる良いアルバムでした。



Paul Dresher
Cage Machine
Concerto for Violin & Electro-Acoustic Band,
Elapsed Time, In the Name(less), Din of Iniquity

David Abel,Vn.  Electro-Acoustic Band etc.
2004 New Albion  NA125

ポール・ドレッシャー、1994-2002年の間に作られた作品集。
1曲目、ピアノの衝撃的な打音とプリペアドピアノのパルス、シンセの効果音に乗ってヴァイオリンがピッチカートで奏でる。
強靭なビートで進む「ロックンロール」的な第1楽章に対し、第2楽章はクラシック的。
ヴァイオリンを主体とする非常に美しい音楽にプリペアドピアノがでこぼこな合いの手を添える。
悪くないけれど、クラシカル指向なのにエレキギター混ぜちゃって良いのかなあ。
なお、第1楽章はタイトルにもある「Cage Machine」の副題がありますが、これはジョン・ケージのこと。
確かに、聴いていてプリペアドピアノのそれが似ていなくもない。
「Elapsed Time」は彼にしてはずいぶん古典的なクラシック音楽。編成はヴァイオリンとピアノ。
第2楽章の簡素で夢見るような響きがとても気に入った。ピーター・ガーランドに捧げられた曲なだけあります。
「In the Name(less)」はQuadrachordとMarimba Luminaのための作品。
Quadrachordは全長160インチの弦を持つ4弦楽器で、ギター・チェロ・ピアノのような音を出せるらしいです。
Marimba LuminaはMIDIコントローラー。マリンバの形をした電子楽器です。
重いドローンから現れるリズミカルな楽想は、まるでStephen Scottのボウドピアノ作品をエレキ化したみたい。
が、音楽は次第にエキゾチックな臭いを漂わせたり電子的アブストラクト音響になったりいろいろ。
構成的には「Liquid and Stellar Music」と同じような即興的構成。
以外にもドレッシャーがアンサンブル作品でエレキギターを使ったのはこの「Din of Iniquity」がはじめてらしい。
ノース・インディアン伝統音楽に見られるハーモニー構造を用いた、
ゆったりとした綺麗な楽想とロックが交錯する奇妙な音楽。
以外にも、買ったときは一番期待してなかった曲(「Elapsed Time」)が一番良かったという話。



Richard Dubugnon
Chamber Music
Piano Quintet, Incantatio, Trois Evocations Finlandaises,
Cinq Masques, Canonic Verses, Frenglish Suite

Richard Dubugnon,Cb.  Royal Academy Wind Soloists etc.
2003 Naxos  8.555778

ローザンヌ出身、コントラバスと作曲をパリで学んだリシャール・デュビュニョン(1968-)の作品集。
近代フランス的な和声感とロシア的なリズムから「ラヴェルとプロコフィエフの息子」という評価を貰っています。
「ピアノ四重奏曲」を聴いていると、確かにその批評のまんま。
近代感覚ばりばりでどんどんと音楽が進みます。
チェロとピアノの為の「呪文」もだいたい同じ。
こちらの方は幾分作り方が神秘主義的でしょうか。「スクリャービン風」。
コントラバスソロのための「3つのフィンランドの思い出」は自作自演。まあまあ初期の作品です。
いかにも現代の近代風ソロ作品らしい軽快さと旋律の装飾。悪くない。
オーボエソロのための「5つのマスク」は、マスク蒐集が趣味の友人(オーボエ吹き)
のために書かれたもの。旋律が多めなほかはだいたい前の曲と同じ感じ。
「カノン風ヴァース」はオーボエ、イングリッシュホルン、オーボエ・ダ・モーレのための作品。
カノン構造をわかりやすくするためなのか、なんてまた極端な編成・・・
3曲で5分もない、短い小品です。
管楽五重奏のための「フレングリッシュ組曲」、題は当然French+English。
民謡も取り入れながら、変奏曲形式で進みます。
う〜ん、曲はあまり面白いとは思えなかった。録音もNaxosらしいもっさりさが裏目だし。
自作自演はさすがに表情や意図がよく汲み取れていていいのですが・・・
あとまあまあ楽しかったのは「呪文」くらいか。



Maurice Durufle
Organ Music
Prelude, Adagio and Chorale with Variations on the "Veni Creator",
Prelude to the Introit of the Epiphany, Fugue on the Theme of the Carillon of Hours of the Cathedral of Soissons,
Scherzo Op.2, Prelude and Fugue on the Name of Alain Op.7, Suite Op.5

Todd Wilson, The Schudi Organ Saint Thomas Aquinas Dallas,Texas
1987 Delos  D/CD 3047

20世紀フランスでもっとも有名な宗教音楽作曲家のモーリス・デュリュフレ(1902-86)のオルガン作品集。
「前奏曲、アダージョと「来れ創り主たる聖霊」によるコラール変奏曲」は彼の代表作。
前奏曲の神秘的だけど軽やかな動きの響きに、その成果がよく出ていると思う。
アダージョはその分、かなり聖歌風のテーマがわかりやすく提示された楽想。
コラールはまさに彼の本領発揮、荘厳で輝かしい響きが空間を満たす心地良さはたまりません。
「イエスズの御公現の入祭?のための前奏曲」は短いながらも技巧的で心に響く、荘厳な前奏曲。
「ソアソンのカテドラルの「時の鐘」の主題によるフーガ」はフランス北部にある大聖堂の鐘の旋律を元に作られた即興的な作品。
でも軽快な6/8から爆発的な幕切れに至る3分ほどが凄く滑らかに進んでカッコいい。
「スケルツォ」は作品2、まだ音楽院にいたころに書かれた初めてのオルガン作品。
ほとんど聴いていないので判別つきませんが、かなり師のトゥルヌミールの影響があるようです。
「アランの名による前奏曲とフーガ」はアルファベットを音階に当てはめて旋律を作っています。
どこか性急なところもする流れるような前奏曲、粛々と始まり、次第に力を込めて歌い上げていくフーガ。
戦死した友人であるジャン・アランのために作られた、荘厳さを持ったやはり代表作の一つ。
「オルガン組曲」は23分を超える大作。終始重厚な祈りをささげる前奏曲、
独特の浮遊感が味わえるシシリエンヌ、華やかに装飾的な旋律が入り乱れるトッカータ。



Julius Eastman
Unjust Malaise
Stay on it, If You're So Smart,Why Aren't You Rich?, Prelude To The Holy Presence Of Joan D'Arc,
The Holy Presence Of Joan D'Arc, Gay Guerrilla, Evil Nigger, Crazy Nigger

Julius Eastman/Frank Ferko/Janet Kattas/Patricia Martin,Pianos etc.
2005 New World Records  80638-2

NYに生まれ、ピアノと作曲を勉強。ルーカス・フォスに見いだされピアニスト・ボーカリストとして活躍し
「キッチン」における活動を初めとした70−80年代アメリカ実験音楽シーンで活動しながらも、
最後は酒とドラッグに溺れ住居も放逐されて、病院で孤独に死んでいった
アフリカ系アメリカ人ジュリアス・イーストマン(1940-90)の作品集。
商業的な活動を一切行わなかったうえ、上記の放逐でおそらくスコアを含む資料が大量に処分されたために
残されたものがとても少なく、おそらく彼に焦点を当てた唯一のCD(リミックスCDが何故か最近出たけど)。
ここに収録されたものはどれも、イーストマンの生前に録音された貴重な音源。
アンサンブルのための「Stay On It」(1973)は彼の初期に近い作品。
非常にポップで軽快な旋律がベースとなって、即興演奏的な構成を持って進む。
声のパートが独特の響きを持っているのは、彼がメレディス・モンクのツアーに参加していた頃なのも
影響しているのかもしれません。なお、彼はモンクの"Dolmen Music""Turtle Dreams"にもクレジットが残っています。
室内楽のための「If You're So Smart,Why Aren't You Rich?」(1978)はミニマルというよりは散文的な即興的音楽。
トランペットによる半音階上昇をきっかけにして、金管楽器を中心としたアンサンブルが半音階による掛け合いを繰り広げる。
後半はヴァイオリンのポルタメントだらけの旋律みたいなものを軸に、さらに混沌とした響きに。
非階層的な音楽を目指して作られたと思われるこの作品は、この中でも最もコアな曲の一つでしょう。
「The Holy Presence Of Joan D'Arc」(1981)はちょっと性格がまた違う、神秘主義的なもの。
先にある前奏曲はイーストマン自身の歌唱。良い声してます。声によるミニマルで劇的な響きの音楽。
本編はチェロアンサンブル。アメリカンなダンディズムを感じさせる伴奏の反復。
そこに旋律をさらに加え重ねていく、延々とオスティナートの上で奏でられる作品です。
混沌としていますがかっこいい。チェロ10丁というアンサンブルもなかなかミニマル作品らしくて良い。
CD3のピアノ4台演奏による作品はどれも1979-80年ごろに書かれたもの。この録音も全て同じコンサートにおけるものです。
「ゲイ・ゲリラ」では簡素ながらもビートを強烈に感じる素子がカノン風に組み合わされ、
半ば強迫的なまでの響きを持って聴き手に迫る。BrilliantレーベルのMinimal PianoシリーズBOXにも収録されていている、
数少ない聴き比べができる作品。というか、それで自分もこの作曲家を知った。
このライヴ音源のほうが、Van Veenの多重録音のような正確な冷徹さはないけれど、空恐ろしく暗い熱気を持っていて良い。
「エビル・ニガー」はトレモロ音型に支配された、さらに攻撃的なイメージ。
掛け声でタイミングを合わせていく光景は、その音楽の荒々しさを強調する。
最後の、不意にランダムな持続音に消えていくラストは、寒々しさを感じる終わり方です。
「クレイジー・ニガー」は90秒ごとに動きを変えていきながらひたすらにパルス反復の中でうごめく大作。
時折旋律的なものがきらめきながらも、音楽の進行は前2曲と同じく独特の重苦しさに支えられている。
その中でバリエーション豊かに変化していく1時間弱の音楽は非常に濃い。
果てしなく一定のリズムの中を突き進んでいった最後の煌めきは圧巻。
最後にボーナス、上記の演奏会の冒頭にイーストマンが行ったスピーチが収録されています。
どうやらこれら3作品は人数も楽器指定もないようですね。

ミニマリズムの潮流の中でも、これほど特徴ある音楽が埋もれていたのは信じられません。
ポストミニマルの享楽的な響きとは一線を画した、本懐のミニマリズム隆盛そのさなかに居たことが取れる作風。
独特の緊縛した空気は他の曲では味わえない。録音の貴重さも言わずもがな。
解説を担当しているカイル・ガン曰く他にも音源はかなりあるようなので、いつかリリースされることを願うばかり。



↓番外(セットとしてこちらに)
Jace Clayton
The Julius Eastman Memory Depot
Evil Nigger, Gay Guerrilla

Jace Clayton,Concept/Arr./Processed Piano
David Friend/Emily Manzo,P.  Arroj Aftab,Vo.
2013 New Amsterdam Records  NWAM045

NYで活動するジェイス・クレイトンがジュリウス・イーストマン作品を基にリミックスしたアルバム。
なるほど、70年代黒人DJカルチャーの中で作られた作品でもあるから親和性は良さそう。
同じ黒人ニューヨーカーとしての先人に敬意を表したという点も大きいのでは。
「エビル・ニガー」、第1部はかなりオリジナル要素が強いですが
第2部になるとかなりプロセッションで曖昧模糊とした響きに変えている。
3部の混迷としたパッセージののち、長い第4部はその亡霊のようにそれまでのモチーフが淡く入り乱れる。
「ゲイ・ゲリラ」の方も良い感じ。
原曲スタートでじわじわとあの平坦な緊張感の積み重ねが始まる。
そこに少しずつ加工とエフェクト追加が入り、あのちょっとパルスが止まる展開の所で大きく改変開始。
かなり間の多い寂寞としたリミックスを施してまた本筋に戻していく。
第3部は主にエフェクト面での加工が多い。ラストいきなり挟まれる旋律は、曲に組み込まれているものか。
第4・5部ではやはりそれらが組み合わされ、原曲でも味わえた倒錯感が
さらに大きく揺さぶるようなものになって押し寄せてきます。
ラストに「Callback from the Society of Eastman Supporters」として
Gay Guerrillaをマテリアルとした淡いナンバーを収録しています。



George Enescu
Romanian Poem Op.1, Romanian Rhapsody No.1 in A Major & No.2 in D Major Op.11

Chorus & Orchestra of the Romanian Radio and Television  Iosif Conta,Cond.
1988 Marco Polo  8.223146
ジョルジュ・エネスクの作品集。なんとも微妙な外れ感が大いに漂うのがマルコ・ポーロ盤。
「交響組曲「ルーマニアの詩」」は1897年に書かれた記念すべき作品1。
祖国ルーマニアでの子供時代の思い出を元に作られた、男声合唱(母音唱法)も使った30分ほどの力作。
内容は、正直言ってかなりロマン主義的。例にもれずルーマニア民族音楽に影響を受けているために
音楽はいかにもなものではありませんが、色彩感を前面に押し出したとてものびやかで美しい音楽。
後半は次第に盛り上がり、22分ごろから始まる一瞬のプレスト部分なんかはテンションが上がる。
演奏は、録音の残響で前半はごまかせているのですが、後半はさすがに言い逃れできてない感じ。
「ルーマニア狂詩曲第1番」は説明不要の代表作。現地オケと言うことでどんなもんかと買ってみたのですが、
ノリは良いのですがなんとも技量不足。勢いはありますがどうにも散漫で、そこまで下手ではないのですが微妙。
「ルーマニア狂詩曲第2番」の方は1番と比べるとやっぱり地味。のどかな光景が続くのが主な原因。
ラストにいきなり踊りのようなヴァイオリンソロが入りますが、それだけ。
ここまで落ち着いた音楽じゃ人気は出るわけないよな…悪くないんだけれども。
演奏は、まだ一番粗が出てないので聴けるかな。



Sven Einar Englund
Concerto for Piano and Orchestra Nos.1 and 2, Epinikia

Matti Raekallio,Piano  Tampere Philharmonic Orchestra  Eri Klas,Cond.
2003 Ondine  ODE 1015-2

フィンランドの作曲家としてはシベリウス以後の重要な立場にあるスヴェン・エイナル・エングルンド(1916-99)。
交響曲作曲家、あるいはピアニストとして名高いだけあって、
この作品集に収録されたピアノ協奏曲のシリーズも実に力が入っています。
「ピアノ協奏曲第1番」(1955)は彼の代表作ともいえる重要なもの。
第1楽章のソナタ形式、荘厳な最初の主題から、重くも深い響きで流麗さも兼ね持つ音楽が広がる。
バルトークやプロコフィエフのような強靭さを垣間見せながらも、音楽はあくまで流麗に流れていく。
カデンツァ部分、初演時の作曲者の即興はなかなかすごかったそうですね。聴いてみたい・・・
第2楽章は複調を用いた、神秘的というかバラードな音楽。かなりカッコいい。
そしてそこからアッタッカで第3楽章へ。打って変わって、息急くような性急さ(non troppoですが)。
ハチャトゥリヤンのような音捌きで進み、最後は元気よく終わる。
「ピアノ協奏曲第2番」(1974)は1番と全体的に似た雰囲気ですが、やや暗め。
「前奏曲」の装飾的な音型が印象的な主題から幾分シリアスさを増して古典的な展開に。
このあたりは新古典主義やプロコフィエフ、ショスタコーヴィチといったあたりの影響がよく読み取れる。
「アリア」、陰鬱な曲調かと思いきや展開部でいきなり諧謔的なマーチ風のリズムがでてきたりして。
「終曲」ではグロテスク音型を用いながらスケルツォのような動きをぎくしゃくと発展させる。
交響詩「エピニキア」(1947)は彼の出世作的な立場にある初期の作品。
ここでは後期のような諧謔さはなく、素朴で新古典主義に影響された旋律が存分に味わえる。
特に後半の複調と癖のあるリズム処理は聴きものです。
壮大に盛り上がって終わるこの曲、ロマン主義や近代の色を濃く残した実に良い曲。

こうしてみると、新古典主義やその作曲家、そしてショスタコーヴィチのような音楽への傾倒が激しいです。
それらを北欧らしい流麗な近代音楽の枠組みにはめてきているのが面白い。
演奏は実に綺麗でダイナミクスのついた素晴らしいもの。



Ake Erikson
Colours in Play
Fanfare for Brass Sextet and Timpani, Where Heaven and Sea Command, Rain Forest,
Colours in Play for Omnibus, Nocturne, Straight out, Play, from Creation Betrayed

The Linne Quintet  Academy Chambar Choir of Uppsala  Stehan Parkman,Con.
Mats Persson,P.  Omnibus Wind Ensemble  Orphei Drangar  Robert Sund,Con.
Uppsala Chamber Orchestra  Mats Rondin,Con.  Royal Academic Orchestra,Uppsala  Carl Rune Larsson,Con. etc.
2005 Phono Suecia  PSCD 162

ウプサラで長年活動し、ピアニストやジャズ編曲なんかする傍ら
フィルキンゲンの所長まで務めたこともある作曲家オーケ・エリクソン(1937-)の作品集。
「金管六重奏とティンパニのためのファンファーレ」、急緩ついた短くも細やかなパッセージの印象。
ウプサラの都市700周年を記念する作品です。
合唱曲「Where Heaven and Sea Command」はElisabet Hermodssonの詩に歌を付けた、朗読もありの内容。
ピアノ独奏曲「雨の森」(1972/75)は初期の作品なこともあってなかなか実験的。
メトロノームの規則的な響きに、内部奏法によるハープのような撥弦音と重苦しいクラスターの残響。
中間部は通常奏法による怪しげな響きから次第に粗野で爆発的なクラスターの世界に。
後半は特殊奏法と通常奏法の入り乱れる、間の支配的な部分。
なるほど、フィルキンゲン所長なだけある鋭い音楽です。
ちなみに、収録作品の中でウプサラと直接関与が無いのはこの曲だけ。…地元に根ざした作曲家なんですね。
「Colours in Play for Omnibus」は献呈されている団体がダブルの木管五重奏にコントラバスとトムトムの編成。
序奏ののち、ちょっとジャズの影響も感じる跳ねるような主題が。
「夜想曲」はウプサラ大学500周年のために書かれた男声合唱曲。重苦しい感じはよし。
金管五重奏のための「ストレート・アウト」、前半のむしろこっちが夜想的イメージな音楽とトッカータ風の後半。
管弦楽のための「プレイ」はかなり抽象的。重々しいリズムを基調になかなか劇的に音楽が進む。
次第にリズムが熱気を帯びていくあたりカッコいい。これくらいの方が音響で聴く人間にとっては楽しかった。
大曲オラトリオ「Creation Betrayed」からの抜粋2曲、前半は非常に重々しい創世。
後半は3拍子の児童合唱が入った、重厚な中にややあどけなさ・無邪気さも感じる音楽。
「雨の森」「プレイ」の2曲が良かった。



Rudolf Escher
Le Tombeau de Ravel, Six epigraphes antiques(Claude Debussy),
Largo from Sinfonia in memoriam Maurice Ravel, Hymne du Grand Meaulnes

Ensemble Alma Musica  Rotterdam Philharmonic Orchestra  Paul Daniel/Jeffery Tate,Con.
Concertgebouw Orchestra  Lucas Vis,Con.
Composer's Voice  CV 22

ルネサンス音楽と、とりわけラヴェルとドビュッシーにのめりこんでいたオランダのルドルフ・エッシャー(1912-80)作品集。
作品カタログにも彼らの名前が多く表れるうえ、写真の写り方がすごくラヴェルみたいで絶対意識してるよこれ。
なお、いわゆるだまし絵で有名なマウリッツ・エッシャーは叔父。
「ラヴェルの墓」(1952/59)はハープシコードを含むアンサンブルのための作品。
作曲者がラヴェル晩年の住家を訪れた印象に、ラヴェルの「クープランの墓」やそのクープラン本人を
元に書き上げた組曲。もちろんマテリアルにラヴェル作品の旋律も使われています。
ハープシコードの時代がかった冒頭に木管楽器の歌が乗る第1楽章なんかすごくいい。
はっきりとした、堅固な構成に近代的和声とオマージュが入り込んだ、明快な響きの楽しい音楽です。
小管弦楽のための「6つの古風なエピグラム(クロード・ドビュッシー)」はまさに名前の通り。
最初からもろにドビュッシー風の音楽が全開で聴けます。
ドビュッシーのどの作品っぽいか想像しながら聴くのも面白いかもしれませんね。
「シンフォニエッタよりラルゴ」はこの楽章しか現存していません。40年の2/29に完成させたのち、
5/14のロッテルダム爆撃で彼の他の作品もろとも草稿が失われてしまったからです。
この作品では印象主義への彼の傾倒ぶりと同時に、純音楽を作る彼の手腕が見れて良い。
純粋に綺麗で感動的な音楽展開が聴ける、他の楽章を聴きたくなる出来栄え。
「グラン・モーヌへの賛歌」はアラン・フルニエの有名な作品を元にしたもの。
交響詩的な光景を聴ける、15分ほどの流麗な音楽。演奏会で聴けたら夢心地だろうなあ。
現代的なものは全くといっていいほどない、清々しい印象主義(とルネサンス期)礼賛な作風でした。



アンドレイ・エシュパイ
交響曲第4・5番
Andrei Eshpai
Symphony No.4"Symphony-Ballet", Symphony No.5

USSR Symphony Orchestra  USSR Radio and TV Large Symphony Orchestra
Vladimir Fedoseyev,Cond.
1994 Russian Disc  RD CD 11 051

一部にはやたら人気があるエシュパイ。私も彼の曲は気に入っている一人です。
確か何の気なしにこれを買ったのがきっかけでした。
交響曲第4番はそれ以前に作ったバレエ曲が基なだけあって、曲想の変化が目まぐるしいです。
彼の曲ではよくあるフルート低音の序奏から盛り上がってきたら、気がつくと性急な戦争音楽系マーチ風に。
思いっきり盛り上がったら直ぐに落ち着き、一息ついてたらおや、さっきのメロディー・・・? ってな勢い。
後半はポピュラー音楽もどきも現れたり、なかなかぶっ飛んだ展開。
でも適当に並べたのではなく、しっかり構成がとれていると感じる辺り凄い。
第5番もフルート独奏で開始ですがずっと瞑想的。
それがやがて不穏な空気に変わり、そこからファゴットに始まるどろどろした重いリズムがオスティナートしていく。
このリズムをきっかけにして荒々しさが反復され、最後には暴力的に盛り上がります。
しかしこの荒くれた饗宴は不意に静まって冒頭のフルートへ戻り、そこからコラールの金管主題が現れます。
最初の不穏な空気ではなく、柔らかい音楽が展開される。それが終わったら後は突き進むのみ!
今までの主題も絡み合いながら極限まで盛り上がって打ちあがって終了。
決して明るいわけではないですが、カッコイイし聴きやすい。爆音系、ロシアものが好きな方は是非聴くべし。



Barbara Monk Feldman
The Northern Shore, In the Small Time of a Desert Flower

Marc Sabat,Vn.  Stephen Clarke,P.  Dirk Rothbrust,Perc.
Aki Takahashi,Piano
2012 mode  244

ケベック出身、モートン・フェルドマンの最晩年に結婚した女性作曲家
バーバラ・モンク・フェルドマン(1953-)近年の作品集。
「北の海辺」(1997)はケベックの海沿いの風景を元に作られた作品。
ピアノやヴィブラフォンの印象的な上昇音形にヴァイオリンが細く長く単音を奏でる。
幾分か旋律的ではありますが、内容は笑っちゃうくらいフェルドマンに似てる。
ただ、その感覚で聴いても良いし、単純に雰囲気を気楽に楽しむことも出来る意味では聴きやすい。
夫のような厳しさはあまり表に出てきません。特に後半は普通に綺麗な曲。
「砂漠の花の小さな時のなかで」(2000)はメキシコの峡谷で見た花の印象がベース。
鮮やかなアルペジオが時折花開く、淡くも非常に綺麗な作品に仕上がっています。
演奏者は初演者である高橋アキ、彼女の好む音楽にぴったりの曲でもあると思います。
自然を対象にした作品が多いこともあって、力が抜けたというかのんびり聴きやすい楽想ではありますが、
根本的な響きは夫の影響を非常に強く受けているのが一瞬で分かる。



Morton Feldman
Pieces for more than Two Hands

Piece for Four Pianos, Intermission VI
Piano Four Hands, Two Pieces for Two Pianos
Two Pianos, Five Pianos

Laurence Cornez, Kaat de Windt, Jean-Luc Fafchamps, Jean-Luc Plouvier, Stephane Ginsburgh,Piano
1991 Sub rosa  SUB CD018-41

モートン・フェルドマンのピアノ・アンサンブル作品の一部をまとめたもの。
「Piece for 4 Pianos」は冒頭から調性的な面が目立ちます。けれど、そのため聴きやすく、手軽に瞑想世界に入れる点がよし。
フェルドマン独特の和音がちょっと・・・という方はこの曲がおすすめですね。
はっきりとした曲の性格が見えて、聞き手に何かしらの感情を持てるような曲です。
「Piano Four Hands」はその翌年の作品。当然ですがぐっと音が減り、きらめくような印象を与えてくれます。
このあたりからはすでに思い切りフェルドマン全開。
「Two Pieces for Two Pianos」はこのCDの中で異色の存在。短い和音がさっさっと振りまかれていく。
「Intermission 6」とともにフェルドマン初期の作品ですが、どちらも彼独自の音の扱い方が出揃っています。
「Two Pianos」は「Piano Four Hands」と違い楽器が2台あるので音の重なり方がより多く楽しめます。
ただ作曲年数は大して変わらないので雰囲気は大きく変わりません。低音の響き止め多用が印象的。
最後の「Five Pianos」のみ、このCDで唯一作曲が70年代の、彼後期の作品。
後期独特の、重々しさ・閉塞感に浮かぶ音の美しさがなんとも言えず素晴らしい。
ピアノ5台を用いながら、その音は非常に静かで少ない。そのかわり余韻の響きが凄く充実しています。
上昇音階の妖しい響きだけでもぞくぞくきますね。後期フェルドマンの音の豊かさと静寂さがピアノで聴ける素晴らしい曲。
演奏者のハミングあり。声が微かに聞こえますが心霊現象でもノイズでもありませんよ(笑)
録音の強い反響が作品に強い瞑想性、沈思志向をもたらしていて、聴いていてダイレクトに心を飛ばせます。
ただ、ここまで強いと好みがかなり分かれそう。



Morton Feldman
For Samuel Beckett

Kammerensemble Neue Musik Berlin  Roland Kluttig,Cond.
1999 cpo  999 647-2

現代音楽界の重鎮モートン・フェルドマン最晩年の作品。この後には遺作「ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ」があるのみ。
話逸れるけれど、Hutはいつになったら遺作の唯一の録音を再発してくれるんだろう。

フェルドマンは晩年、時間単位の長大な曲を書いていましたが、最晩年になってやや短くなる傾向がありました。
1曲45分のこの曲も、以前の数時間かかる曲と比べれば短いほう。
くぐもった、分厚い音の雲が底のほうに鬱々と伸びていく。その上で高音がきらめきながら妖艶さを添える。
聴こえてくる音の厚みのせいもあって、ただでさえ少ない音の動きが一層曖昧になり、聴き手は前後も分からないような混迷をさまよう。
フェルドマンの曲の中でも、最もドローン的志向が強い曲の一つだと思います。
この曲の演奏はほかにHathutのものを持っていますが、個人的にはこちらの方がお気に入り。
混沌としながらも豊かな響きが電子音のようにどろどろ伸びていき、素直に曲に洗脳されることが出来ます。
それでいて緊張感を持った弛緩しない音運びが好印象。



Morton Feldman
For Samuel Beckett

San Francisco Contemporary Music Players  Stephen Mosko,Music Dir.
1991 Newport Classic Premier  NPD 85506

フェルドマン晩年の代表作の一つ、新しく別録音を入手。
実はこの曲、自分的にはそこまで気に入っているわけでもない。
独特の混迷した響きは好きなんだけれど、その分美しさが少なくなっているような気がしてしまう。
それが、フェルドマンの魅力を損なわせている気分を感じさせてしまいます。
けれど、こうして別の録音を見ると聴きたくなってしまう辺り毒されているのでしょうか。
この演奏、のっぺりしていると言うか、音の停滞感がかなり強い。
管楽器の音が強く収録されているのが原因でしょうが、お陰で聴いていて感じるものがもうドローン音楽。
良いか悪いかは別にして、ほどよくトリップ出来る録音でした。
ちなみにこの演奏団体、メンバーにWilliam Winantとかいたりして地味に豪華。
あとジャケットがよくわからん。何だこの絵。



Morton Feldman
Neither Opera  Words by Samuel Beckett

Ptra Hoffmann,Sop. Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks Kwame Ryan,Cond.
2000 col legno  WWE 1CD 20081

フェルドマン唯一のオペラ。ではありますが、従来の意味のオペラとは全く体裁を異にする音楽です。
歌い手はソプラノ一人、歌詞はサミュエル・ベケットの短い詩のみで内容的な物語性は希薄、
というかフェルドマンの音楽に大げさな抑揚を求めるほうがそもそもおかしい。
まさに「アンチ-オペラ」とでも言うべき作品でしょう。
独特のミニマルな暗い音響がひっそりと妖しく動く。全曲を通して抑えながら響く管弦楽に、やはり妖しげにソプラノが歌う。
彼晩年の作曲法はこの頃から使用し始めたものですが、この時点で十分に素晴らしい晩年の音世界が描かれています。
同時に、どこかシンフォニックな色合いを帯びているのが面白い。響きも雰囲気も不安げなものなのに、どこか構成的に安心できる。
音楽の展開について、いつものような単発的・偶発的なものよりは、ストーリー性のようなものを嗅ぎ取り易いからでしょう。
この時期の作品はたまに強奏が紛れ込んできてびびる事がありますが、この曲にもあるので注意(?)。
ただ、この曲においては強奏も上手く聴き手の緊張感盛り上げに参加できています。
不意の出現で驚くことによる婉曲的な緊張ではなく、テンションが素直に上がっていく感じ。
でも基本的には彼らしい神秘的な、不協和音なのにとても美しい音楽。そして普段通り、唐突な感じで曲は終わり。
個人的にこの曲はフェルドマンのトップ3に入る勢い。それ位素晴らしい曲です。



Morton Feldman
Durations I - V, Coptic Light

Ensemble Avantgarde  Deutsches Symphonie-Orchester Berlin Michael Morgan,Cond.
1997 cpo  999 189-2

「デュレーション(音価)」のシリーズはフェルドマンが60−61年に作った様々なアンサンブル作品。
ひそやかな単音が不規則に伸びていくのは後年と同じ感覚ですが、リズムが厳密に感じられない。
なぜなら、この曲ではいわゆる図形楽譜を用いて作曲されており、速度やリズムが設定されていないから。
そのため、演奏者は自分自身のテンポで個々に音を奏でていく必要が出てきます。
そこからは、当然同じリズムの蓄積が2度出てくることはありません。
この時期から、フェルドマンはリズムのゆらぎに関する追求を行っていたんですね。
ただ、結果としてリズムの細分化にはどちらも到達しますが、後期のそれは厳しく制限されたものに対し、こちらはあくまでフリーな結果。
そのため、最初に書いたような印象の違いが現れ、力なく浮動しているような音楽に聴こえるのでしょう。
IIIは漠然とした速度変化の指示(Slow-Very slow-Slow-Fast)がありますが、Fastだけ聴いていて(音が多くなったな)と思う程度。
一方、「コプトの光」はフェルドマン最後のオーケストラ作品。
美しくも妖しい音の群れが現れては消えていく。まるで光の明滅を見ているよう。
フェルドマンの最晩年の作品にはそれまでに比べ演奏時間が短くなり、その分音の密度が凝縮されたような音楽がいくつかありますが
これはその代表的な曲、音の霞が聴き手を恍惚とした空間に誘います。
フェルドマンの代表作でもあるので録音は多いですが、これはその中でも高音のきらめきが印象的。
col legnoの低い響きが強い沈思黙考さとは対極の音楽。心地よくフェルドマン空間へワープしていきましょう。



Morton Feldman
Untitled Composition for Cello and Piano

Rene Berman,Cello  Kees Wieringa,Piano
Attacca  Babel 9160-3

フェルドマン晩年の中では比較的マイナーな作品の音源。1981年作。
冒頭から非常に込み合ったピアノの和音と錯乱したようなチェロの動き。
もちろん静かな中での動きなのですが、そこが逆にその混沌さを引き立てている。
彼らしい点描的な楽想も交えながら、同じ同音反復の中でも非常に印象の違う世界を最初から作り出す。
が、この最初の部分が過ぎると、逆にいつも以上に音が減るような印象。
冒頭でも使ったモチーフがちらばりながら、さらに荒漠とした世界を描き出す。
中間部になると、期待通りの非常に簡素(に聴こえる)モチーフが主流になり一安心。
ただ、どちらにせよ常に非現実感漂うどこか美しい世界であることに変わりはありません。
いつも以上に陰影の濃い世界ではありますが、特にピアノは高音部を主体に展開し、
やっぱり途方もなく美しく感じる部分も現れるだけに何度も聴きたくなってしまう。
75分間の、静と動が入り混じる不思議な世界。



Morton Feldman
Piano,Violin,Viola,Cello

Members of the Ives Ensemble
John Snijders,P.  Josje ter Haar,Vn.
Ruben Sanderse,Vla.  Job ter Haar,Vc.
1995 Hat hut  hat ART CD 6158

フェルドマンの遺作「ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ」、
現在唯一の音源をようやく入手。全曲75分。
ピアノの和声をなぞるように、弦楽三重奏が淡く不協和音を奏でる。
限られたモチーフを、愛しむように形を変えて反復する。
ダンパーペダルを終始使うことによる残響が、その曖昧な響きの輪郭をさらに不明瞭にしている。
和声構造が、意外と協和音的な構造を多く含んでいるために、緊張感の起伏にも富んでいて
聴きやすさと音楽の起伏に効果をうまくプラスできている。
ただでさえその不思議に澄んだ響きが美しくてたまらないのに、
遺作という名前の(ある意味余計な)箔が、この曲の儚さをさらに強調する。
この調性的な響きが見せる世界は、なんてきれいなんでしょうか。
あっという間に過ぎ去ってしまう、はるかに響く音の瞬き。
入手困難になってしまったのが悔やまれる逸品です。



Morton Feldman
Patterns in a Chromatic Field,
Projection I, Composition -8 little pieces, Intersection IV, Duration II

Arne Deforce,Vc.  Yutaka Oya,P.
2008 aeon  AECD 0977

ピアニストの大宅裕の、この前のリサイタルは聞き逃してしまいましたが、こっちはゲット。
CD二枚にわたって繰り広げられる「パターンズ・イン・ア・クロマティック・フィールド」、
こちらは随分テンポ感というか、音楽の流れが斉一的。ゆったりと、淡々と音楽が流れていく印象です。
Tzadik盤と比べると、かなり音楽の持つ輪郭が変わってきています。
こちらの温かみのある、まったりとした流れも悪くないけれど、個人的にはあっちの凛とした響きの方がいいかな。
ただ、のんびり流してまどろみたい時はこっちの方がいい。
チェロ独奏の「プロジェクションI」、ピッツィカートの音を初めとして、点描的な音がさっと通り過ぎていく。
「コンポジション −8つの小品」はピアノの不協和音が不規則に呟かれ、
そこに寄り添うようにしてチェロが自らをアクセントとして配置していく。8つの小品なのに、全曲は4分少々。
チェロ二つ目「インターセクションIV」、こちらもプロジェクションと同じく図形楽譜作品。
演奏者の恣意性かは知らないけれど、こちらは随分と動き回る。
「デュレーションII」は図形楽譜を使用した最後の頃のもの。
こちらはもう、世界が完全に後期フェルドマンの世界に突入しはじめています。
短いながらも、実に美しく、妖しげな響きと持続が交差する音楽。



Morton Feldman
The Viola in My Life
The Viola in My Life,False Relationships and the Extended Ending, Why Patterns?

David Tudor/Yuji Takahashi,P.  Eberhard Blum,Fl.  Jan Williams,Perc.
Karen Phillips,Va.  Morton Feldman,P./Cond. etc.
2006 New World Records  80657-2

フェルドマン自身が演奏に参加している貴重な音源。
「ザ・ヴィオラ・イン・マイ・ライフ」のシリーズは彼の作品の中でもちょっと異色なもの。
音楽性はもちろんあの独特な静寂の中で浮かんでいるあたりいつも通りなのですが、
中核的な役割であるヴィオラは非常に旋律的な動きをとります。
このどこかヘブライ調漂う響きはフェルドマンのルーツからおそらくくるであろうもので、
そしてそれは同時期に作られた「ロスコ・チャペル」にも引用された
彼が少年時に作った旋律にたどり着き、この曲の個人的な主張を強調します。
そして、そこで改めて旋律的な要素が自然にフェルドマンの音楽世界に溶け込んでいることに脱帽する。
残念なのはI〜IIIのみの収録で、IVはないこと。まああれだけオケ編成ですから、
その都合で収録されなかったんでしょうが・・・残念すぎる。
「False Relationships and the Extended Ending」は二群、3人ずつからなる構成、
フェルドマン中期のたゆたう世界が満喫できる作品です。ピアノにかぶさる鐘の音が印象的。
不協和音の中から響く時折ハッとするような和音が非常に綺麗。
「Why Patterns?」はこの演奏で聴くと随分鋭い印象。New Albionの音源だと美しさが際立ってたんですが。
でも、この混迷した響きこそがフェルドマンの神髄だと思う。
どうやら初期は、現在の出版譜と終わり方が違ったようです。この録音はもう同じですが・・・

このCDは「The Viola in My Life」「Why Patterns?」の録音が初演直後のものであることにも注目。
確証はまだないのですが、もしかして初演と同じメンバーじゃないでしょうか。



Morton Feldman
Routine Investigations, The Viola in My Life II & I,
For Frank O'hara, I met Heine on the Rue Furstenberg

Ensemble Recherche
1994 Montaigne  MO 782018

フェルドマン中後期のアンサンブル作品を集めたもの。
「ルーティーン・インヴェスティゲーションズ(お定まりの探求)」、冒頭のピアノと弱音器付きのトランペットの音が
とても印象的。クレッシェンドなどの強弱変化も伴ったさまざまな単音が、不規則に明滅する。
後半に現れる、パルスの中でうごめく4音からなる動機も、この茫洋とした世界の中で鮮やかさがある。
中期の代表作である、ヴィオラ奏者カレン・フィリップスのための「ヴィオラ・イン・マイ・ライフ」のシリーズは
I番から。カスタネットがかちかちと歯を鳴らし、チェロやピアノがぽつぽつと音をこぼす。ヴィオラの、非連続的なつぶやき。
「フランク・オハラのために」、タクシー事故で亡くなった詩人のための、「きわめて静かに」指示されている曲。
この収録曲のなかでも特に厳しく音が抑制された、フェルドマンのいう音楽の「表面」をよく捉えられる音楽。
階層構造を持たない、平面的な音の連なりが延々と続いていく。
「ヴィオラ・イン・マイ・ライフ II」は、ヴィオラのクレッシェンド音型が中核的。
高音に偏重した音密度が、ひそやかさに拍車を掛ける。
最後の曲「フュルステンバーク通りで私はハイネに出会った」というタイトルは、彼がたまたま訪ねた
パリの通りの、ショパンとハイネの小さなエピソードに因んで。
楽器としての扱いを受けるメゾソプラノも加わり、音響的には他の曲よりちょっと頭ひとつ抜ける。
後半のアルペジオ音型が伝播していく様も美しい。
演奏しているアンサンブル・ルシェルシュ、なかなかいい演奏しています。
ちょっと癖があるけれど、このフェルドマン演奏ではそれがいいスパイスになっていて楽しめる。



Morton Feldman
Trio

Marc Sabat,Vn.  Rohan de Saram,Vc.  Aki Takahashi,P.
2009 mode  216

1980年の作品、「トリオ」。100分ほどの演奏。
序奏におけるパターンは低音の音塊、高音のきらめくような動きの対比が印象的。
晩年の作品らしい、pppからpppppの間でほとんど繰り広げられる音楽はびっくりするくらい繊細。
ただ、その中にも1回だけfffが出てきたりと、表現の変化にも微妙にゆらぎがあるようにしています。
静謐な音楽の中に比較的初期のような音の大きさを復活させているあたりは
模索を通じての立ち戻りのようで、そこからフェルドマンが最晩年、演奏時間の引き伸ばしに限界を感じて
比較的短い時間の中に構造をちりばめていく方向性に向かわせていった事実を見るような気がします。
演奏者は大御所ばかり。不安はぜんぜんありません。繊細さの良く出た演奏。



Morton Feldman
Patterns in a Chromatic Field

Charles Curtis,Vc.  Aleck Karis,P.
2004 Tzadik  TZ 8002

1981年の作品。このCDではぎりぎり80分に収まっています。
音塊状のピアノと不規則なように揺れるチェロの、それぞれ印象の異なる半音階の動き。
ごつごつした動きなのに、とても非現実的でそれがどこか美しい。
開始2分初出のピアノの穏やかなアルペジオとチェロのピッツィカートでもうすでに夢見心地。
チェロの見せる旋律的な動きが、ピアノのつぶやきで一層力なく浮かび上がる。
動と静が劇的に入れ替わる、展開を追うだけでも楽しい逸品。
そういう意味では、フェルドマンの作品としてはびっくりするくらいの抑揚がある。

演奏は、チェロが随分ボウイングのかすれた音もはっきりと入っています。
まあこれは単に録音状況の話なのですが、もうちょっと抑えられた方が
音そのものの響きに意識が専念できたのではないでしょうか。
ただ、作品の特性上、このマイクをすぐそばに置いた繊細さも聞こえてくる録音は
この(フェルドマンにしては)表情がころころとかわる音楽に合っている気もする。



Luc Ferrari
Matin et Soir

A la recherche du rythme perdu(失われたリズムを求めて)
J'ai ete coupe
Histoire du plaisir et de la desolation(快楽と悲嘆の物語)
I.Harmonie du Diable(Harmony of the Devil) 
II.Plaisir-desir(Pleasure-desire) 
III.Ronde de la desolation(Round of desolation)

Henry Foures,Piano Carlo Rizzo,Tambourin multitimbrique
Orchestre National de France Michael Luig,Cond.
1989 Adda  ADDA581156

ずっと前から欲しかったCD。「失われたリズムを求めて」のピアノと電子音バージョンを初めて聴いたのは中3生のときだったか。
この曲は打楽器の無いバージョンの方が一般的ですね。あと、ホイナツカによるクラヴサン版「社会主義音楽?」のほうがもっと有名。

最初はピアノソロから。途切れがちに、ジャズともロックともクラシックともいえない、けれどその辺りの何かを示すような断片が延々続いていく。
やがてピアノの狭間から静かに打楽器が同様な自己を表示しだし、電子音が不気味でプリミティヴな拍動をかすかに発信する。
拍動はだんだんと大きくなり、それに抗うかのようにピアノと打楽器も激しさを増していく。しかし電子音もその手は決して緩めない。
このときの、聴き手の不可避な高揚感を誘う盛り上がりがたまらない。ただ迫りくるリズムに身をゆだねるだけ。
やがてリズムは姿を消し、コオロギやキリギリスの様な虫の音を思わせる電子音に変わる。
打楽器やピアノも、電子音の影響を最初残してはいるものの徐々に落ち着きを取り戻し、最後は無音の中に溶けていく。

「J'ai ete coupe」は1969年にG.R.M.スタジオで製作された彼お得意のミュージック・コンクレート。
オーケストラ楽器の音がぼやけた空間の中で静かに展開し、その中に外界からの具体音が混じってくる。
微かにさっきのような一定のパルスリズムが聴こえてきてはっとする。

「快楽と悲嘆の物語」は、彼としては珍しいオーケストラ作品。3曲構成。
冒頭の激しい音塊が反復され、そこからやがて様々な楽器の動きが分離してくる。
それがやがてばらばらになり、散開して空疎になったらアッタッカで2曲目に。
打楽器たちの激しいソロに導かれ始まる第2曲は、やがてホルンを中心とした2音の反復動機に誘われて熱気を増す。
その上にフランス風のクラシカルな音楽発展を挟みながら、曲はふとした一瞬のヴァイオリンソロ乱入をきっかけに乱れていく。
先ほどと同じ要素でありながら徐々に組み立てが変化してきて、合間に既聴感漂う普通の音楽の断片
(その度にクラシカルだったり民族調だったりと異なる)をはさみ混沌とした世界が徐々に感染していく。
その最後には音の爆発が執拗に繰り返されて頂点に達したと思いきや、それは自ら瓦解して2曲目を閉じる。
3曲目はその残滓の破壊から始まり、どこかメランコリックで流麗なメロディーの出現と対立をする。
やがてその対立は激しさを増し、他方を侵食しながら互いにそれぞれの盛り上がりを見せていく。
が、それはやがて一つに融合したのかわからないまま落ち着きを取り戻し、メロディー断片の繰り返すうちに全曲を閉じる。
全曲35分の大作。

やっぱりこの内容は素晴らしすぎる。リュック・フェラーリを語る上では外せない盤の一つだと思います。
個人的にはやはりクラヴサンよりピアノの方が好き。あと「快楽と悲嘆の物語」はこれで初めて聴いてはまりました。
最後のトラック音飛びあって死ぬほど悔しい。でもこんなCD中古じゃないと手に入らないしね・・・
これは是非再発して欲しい。現代音楽、音響、電子音楽、どれを聴く人も持っていて損は無い、いや持つべきCD。



Luc Ferrari
Acousmatrix - history of electronic music III
Petite Symphonie intuitive pour un paysage de printemps
Strathoven
Presque Rien avec filles
Heterozygote

BVHaast  9009

ミュージック・コンクレート・電子音楽の代表格リュック・フェラーリ(1929-2005)の代表的作品集。
「Petite Symphonie」は、「ランドスケープ・ミュージック」の音楽群のひとつ。
笛の空ろでメランコリックな響きがだんだん重なっていく。次第に鳥の声のような電子音が聴こえてきて
人の話し声や電子ドローンが入ってくる。この辺り、憂いを帯びた曲調が非常に気持ち良い。
後半になってくると、電子音は次第に運動性を増して、リズミカルなクラック音が支配的になる。
最後、ここに今までの要素が様々に絡んでくるところはとても興奮できて、カッコイイ。
「Strathoven」はベートーヴェンの交響曲第5番に、さり気無くストラヴィンスキーの火の鳥が乱入してくる。
殆どネタ音楽の世界、聴いて思いっきり笑いましょう。
「Presque Rien avec filles(プレスク・リアン第3番)」は彼の代表作シリーズの一つ。
トスカーナの自然音、アルサスの森の音、女性の声などを材料にして、ストイックで巧妙な音楽の展開。
ただ、やはり聴いていて「プレスク・リアン(殆どなにもなし)」と題の割りに不自然なつなぎ目など、
音の変化を意識させる点が目立つ。
「Heterozygote」はこの中で唯一初期(1963-64)の作品。ありのままのサンプル音が、電子音とどんどん継ぎ足されていく。
次々押し寄せる音の洪水、それ以前の作品の断片も聴こえながら、初期の彼らしいハードな世界が聴ける。
「物語を示唆するのみで発展させはしない」、非常に素晴らしい内容のコンクレート作品。
やっぱり、フェラーリは凄い。



Michael Jon Fink
I Hear It in the Rain
Five Pieces for Piano, For Celesta, Two Preludes for Piano,
Living to be Hunted by the Moon, I Hear It in the Rain

Bryan Pezzone,P.&Cel.  Marty Walker,Cl.  Rick Cox,Guitars
Michael Jon Fink,Bass & Key.&Samples  Dan Morris,Perc.
2001 Cold Blue  CB0004

マイケル・ジョン・フィンク(1954-)はアメリカの作曲家。カリフォルニア芸術大学で作曲や理論を教えてます。
アンビエント系のアーティストとも交流があるようです。もっとも、近年はギターのインプロにはまっているようですが。
このCDに収録されている曲は、どれもそんな傾向になる前の作品。
「ピアノのための5つの小品」、「チェレスタのための」、「ピアノのための2つの前奏曲」は、
どれも簡素で憂いのある、暗く美しい音楽です。そこがフィンクの音楽の魅力。
「チェレスタ」などは、その音色や途切れがちな構成も相まって、とても寂しげで切ない音楽を奏でてくれます。
なんだろう、子供時代のほろ苦い思い出とか、そういうのとセットにしたら似合いそうな曲。
「Living to be Hunted by the Moon」はエレクトロなドローンサウンドにクラリネット/バスクラの持続音が絡んでくる。
暗いメランコリーな曲調は変わりませんが、かなりドローン音楽より。
「I Hear It in the Rain」は、今までの音楽を折半したような感じ。
ギターのふわりと浮かぶ持続音、メランコリックなギター/キーボードのアルペジオ。
イーノやブッドのアコースティック作品を簡素にして、暗くしたような作風です。
そちらの音楽が好きな方は是非。



グラハム・フィットキン
Graham Fitkin
Huoah, Frame, Slow

スミス・クァルテット グラハム・フィットキン&シェラー・サザーランド、キーボード
The Smith Quartet, Graham Fitkin & Shelagh Sutherland,Keyboard
1992 argo  POCL-1321

1曲目、「ウォー」。重々しい序奏のあとに、軽快なパッセージ。
彼らしい、聴きやすく明るい単純なミニマル作品です。二つの主題が交互に現れる、大元は無声映画の伴奏曲。
2曲目「フレーム」はおそらく一番気に入っている曲。ここではキーボード二重奏版です。
ちょっとかみ合わなさそうな異種のメロディーが同質な音色の中で対比的に組み立てられる。
3曲目「スロウ」はなかなかクラシカルで、彼にしては少し異質な作品。
最初のキーボードのゆっくりした和音進行と、それにミニマルに絡んでくる弦楽四重奏、明確な対立構造です。
25分の長い曲ですが、緊張感があって一気に聞かせます。中盤のチェロ主体な泣き所も良い感じ。
彼の曲はどれも、異質な構造を対比的に、しかも音響的には同質なものの中で扱う点が一貫しています。
本来の性格に加えたそれもあって私の耳にはチープな印象を与えますが、
聴きやすい上リズムには一癖ある人なのでよく好んで聴きますね。



Graham Fitkin
Circuit
Circuit, T1, Relent, Carnal, From Yellow to Yellow, White, Furniture, T2

Noriko Ogawa/Kathryn Stott,Pianos  Tokyo Symphony Orchestra  Naoto Otomo,Cond.
2009 BIS  BIS-SACD-1517

小川典子らによる、グラハム・フィットキンのSACD。@ミューザ川崎。
「サーキット」は2台ピアノと管弦楽のための協奏曲。彼の大編成は初めて聞くなあ。
パルスな冒頭からティンパニが入り、特徴的な彼らしい旋律が2台のピアノから広がっていく。
爽快に旋律が動き、それが各楽器に次々と伝染して変形していく。フィットキンが好んでいる
各ジャズ奏者のような影響も垣間見ながら、音楽は華々しく広がる。
やっぱり期待通り、気楽に楽しむことが出来ました。ただ、収録されている曲はあとすべてピアノ曲。
「T1」はうって変って、2台ピアノのための作品と思えないほど簡素で間の多い作品。
でも、フェルドマンみたくなくて、美しくゆらめくあたりフィットキン。
「やすらぎ」、アルペジオ音型が不規則なリズムをつけながら展開する。ややメランコリックな感じ。
「肉欲」は冒頭のオクターヴの重なり合いが印象的。その後の展開も開放的で快楽的。
「黄色から黄色へ」は初期の作品。簡素に美しくメロディーが紡がれる、
ちょっと吉松隆の「プレイアデス舞曲集」みたいな趣もある短い曲。
「白」は2台ピアノのための作品。リズムの重なり方がいかにも彼らしい。
オリジナルの4台版を聴いてみたかったなあ。
「家具」のほうもまあまあ初期。これくらいの作風が一番好みかなあ。
最後は「T2」、打って変わってメランコリックな軽快さが聴ける。
「サーキット」と最後2曲が好みかな。



Jim Fox
Last Things

Janyce Collins,Vo.  Marty Walker,B.Cl.  Chas Smith,Pedal Steel G.
Rick Cox,Glass G.  Jim Fox,Electronics, P. and E. Key.
2000 Cold Blue  CB0001

コールド・ブルーの記念すべきカタログ1番目。
1曲目「The Copy of the Drawing」は40分の大作。
作曲者自身のふわふわした幻想的なエレクトロニクスに、女声のささやくような朗読が入る。
エコーの効いた、不思議なアンビエント的音楽が心地よい。
アンビエントのような曲ではありますが、決してそのような浅薄な軽さではなく、
どこかとりとめとつかみどころのなさから来る軽さ。音自体は結構構成的に作りこまれています。
音楽がはっきりとした形を成す前の、不定形で始原的なものをそのまま見ている感じ。
終始弱音のままで音楽は進行し、ずっと聴いているとトリップしそうになってくる。
フェルドマンや静寂音響の作家とはまた全然違うベクトルだけれど、素晴らしい静けさを聴ける曲。
表題曲「Last Things」も、傾向的には似た音楽。
低い電子ドローンをベースにピアノの低音やバスクラリネットを中心にした、深く暗い世界。
バスクラのメロウな高音が切なく歌います。2種類の特殊ギターによる淡い和音も心地よい。
演奏者がちょっと豪華。チャス・スミスとかさりげに出演してるあたりCold Blue繋がり。
ダニエル・レンツやカール・ストーンらの文章が使用されているに相応しい、その系統に近い音楽。



Luca Francesconi
Piccoro Trama, Riti Neurali, Island, Da Capo, Secondo Concerto

Frances Marie Uitti,Vc.  Mifune Tsuji,Vn.
Geoffrey Douglas Madge,P.  Ernest Rombout,Musette/Ob./Eng.Horn
Xenakis Ensemble  Diego Masson,Cond.
Bvhaast  CD 0108

シュトックハウゼンやアツィオ・コルギ(Azio Corghi)に学び、80年代にはベリオのアシスタントをしたことでも有名な
現代イタリアを代表する作曲家ルカ・フランチェスコーニ(1956-)の協奏曲作品集。
「Piccoro Trama」は元々サックス協奏曲であったものをチェロ用に書き直したもの。
確かにソロの要素を見るとジャジーなサックスの即興演奏を思わせるパッセージが満載。
ヴァイオリン協奏曲である「Riti Neurali」は、神経細胞ニューロンの電位の特徴を利用しての
計算の可能性を理論化したMcCullochとPittsの理論にインスパイアされたもの。
要は(日本なら高校で学ぶ)「全か無かの法則」を使って、0か1の信号に置き換えてみようという話。
決して古典的な技法で展開しないものの、「異なった視点で見れば、層から層へと動いている」
電気信号のような細かいパッセージがそこかしこに見受けられる。
「Island」はピアノと12楽器のための協奏曲。
ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」等の作品に強い影響を受けているようです。
トムのプリミティブな冒頭からも想像出来るように、海の肥沃さから連想した様々な様相の抱擁
・・・-(彼自身の経歴からも来る)ジャズやアフリカ音楽の影響や開放的な狂乱的リズムが大胆に使用されています。
「ダ・カーポ」だけは、ソリストがいない9楽器のための協奏曲。
簡素なリズム構成から徐々に力をもって盛り上がる、
鏡像的な構成と生理学的にひねたところのないアーチ型の流れを作っている曲です。
「第二協奏曲」はソリストにオーボエ・イングリッシュホルン・ミュゼットの持ち替えを要求します。
このCDの中で唯一異質の緊張感が漂う、持続音要素とパルスが絡み合う音楽。
ちょっとだけだけれどトゥールに似てる気がした。気がしただけ。まあルーツは似てなくもないが。

元々はジャズを本格的に演奏していただけあって、旋律やコードを使うことにはためらいが全くありません。
特に「Riti Neurali」のラストなど、旋律的な要素も普通に使っているあたりが印象的。
ただ、全体的な構成はあくまで非常に前衛的。
そういう意味では、正当な前衛音楽の流れを汲む作曲家と言えるでしょう。
「Island」のごつごつしたパーカッシブさは、クセナキス好きにはたまらないです。
ここでのマッジのピアノは綺麗で音の力もあり、別段悪い気はしません。
全然悪くないんだけれど、ただ「シナファイ」で酷評を貰っているのもここから想像はできる演奏スタイル。
というか、聴いてみたけれどたしかにあれは・・・っと話がそれた。
曲のどれをとっても派手な音響で細かい要素が咲き乱れる。音楽の力強さはそこらの作曲家では太刀打ち不可能。
その意味では自分は非常に好みの作風だと思ったし、クセナキスが好きな人はこの人も
好きになれるんじゃないかな、と感じた。



Benjamin Frankel
Music for Sttrings
The Aftermath Op.17, Solemn Speech and Discussion Op.11,
Three Sketches Op.2, Concertanto Lirico Op.27, Youth Music Op.12

Robert Dan,Tenor  Northwest Chamber Orchestra Seattle  Alun Francis,Cond.
1994 cpo  999 221-2

ユダヤ系の血を引くイギリスの作曲家ベンジャミン・フランケル(1906-73)の弦楽作品集。
活動初期は舞台音楽などを多く手掛けていたため、純粋な芸術作品は第二次大戦後のものが多い様子。
「余波」はテノールと弦楽、ティンパニとステージ脇のトランペットのための作品。
暗く美しい音楽にテノールがRobert Nichols(1893-1944)のテキストを歌い、遠くトランペットがこだまする。
詩の反戦的な内容、そしてフランケルの出自も相まって、鎮魂の姿勢が強く表れた音楽。
この曲はとても素晴らしいです。深く染入るような悲しみが滔々と奏でられる。
40年代前半に書かれた「厳かなスピーチとディスカッション」、なんかあまりないタイトルですが、
政治家のパーティーのために元は作られたらしい。にしても・・・
前半、音楽自体は非常に暗い。厳格というより陰鬱。これで華を添えられたんだろうか。
と思ったら後半の討論部分ではいきなり華麗に。バロック的な雰囲気もあるのは
ルールに厳格に話す様を形式的に表現した結果なんでしょうか。
「弦楽のための三つのスケッチ」は30年代前半、彼初期の作品です。
新古典主義にも似たすっきりした音楽。ここらを聴くとイギリスの作曲家だなと思える。
「叙情的協奏曲」ではシェーンベルグにも似た美しさが聴ける。
「ユース・ミュージック」は1942年、彼の母校でもあった処へ贈られた作品。
そのためもあって技術は比較的平易、音楽は溌剌とした爽快なものになっています。

全体的に見ても、イギリス近代と言ってまず出てくるようなヴォーン・ウィリアムズな感じは皆無。
むしろ、シェーンベルグやその同年代のドイツ作曲家に近い響きがあって個人的にはかなり良かった。
ただ、この中では「余波」が白眉すぎる。



Joep Franssens
Works for Orchestra & Choir
Roaring Rotterdam, Harmony of the Spheres part I, Magnificat

Netherlands Radio Philharmonic Orchestra  Netherlands Radio Choir
Netherlands Chamber Choir  Elma van den Dool,S.  Gerd Albrecht/Tonu Kaljuste,Cond.
Etcetera  KTC 1321

グローニンゲン出身、アンドリーセンに師事したユップ・フランセンス(1955-)90年代の作品集。
「ロッテルダムの轟鳴」は1997年作曲の管弦楽曲。
解説ではバッハ「ヨハネ受難曲」やスメタナ「モルダウ」を引き合いに出してますが、
個人的にはそれよりラヴェルの「ダフニスとクロエ」の方がイメージ的に近いんじゃないのかなとも。
ゆっくりと盛り上がって、朗々と非常に長い旋律と短いユニットの反復が壮大な光景を作り上げる。
その頂点、コラール風進行のトランペットによる熱い祈りの音楽が展開。
ラストのホルンによる咆哮はいかにもな展開ですがかっこいいと思ってしまう。
「天球の調和 第1部」(1994)は全8部の合唱曲うちの最初。
リゲティの影響が表れているとのことですが、何とも言えない微妙に似てる感。
ただ、ぎりぎり調性的な感じに聴こえる和声と靄のように進む音楽はそれっぽいかもしれない。
もちろん、フランセンスらしいキャッチーな綺麗さが全面に押し出されていますが。
「マニフィカト」(1999)は合唱と管弦楽のための作品。
ポルトガルの詩人Fernando Pessoaのテキストによる気宇壮大な賛歌。
低音の上で悲しげに折り重なるバッハのオマージュみたいな反復音型。
その響きが次第に厚くなっていき展開していく流麗さはすごくキャッチーだけど心地よいです。
清々しいくらいに聴きやすい、ネオクラシカルな作曲家。
ただ、そこに根付くミニマリズムと師匠譲りのダイナミックさが個人的にはまりました。
演奏は素晴らしい物ばかりですが、録音状態は仕方ないですがちょっとばらばら。



Roland Freisitzer
4th study on planes, basset clarinet concerto, music for 6 musicians
2nd oboe concerto, saxophone quartet, viola concerto, night dances

Ensemble 'die Reihe'  Ensemble Kontrapunkte  Studio Neue Musik Moskau  The Moscow Orchestra
Wiener Sax.Q.  Staffan Martensson,Bst.Cl.  Klaus Lienbacher,Ob.  Henrik Frendin,Vla. etc.
2007 ORF  ORF CD 480

ローランド・フライジッツァーは1973年ウィーン生まれの作曲家・指揮者。
シュニトケやデニソフ、ペンデレツキやリンドベリにストロッパ、さらにはテルテリアンといった大御所から教えを受けた経験があるようです。
解説が総ドイツ語で、これ以上のことは理解できんかった・・・
「4th study on planes」はピアノとドラムのぎくしゃくしたリズムから始まり、ぐちゃぐちゃしたリズムで音楽が突き進む。
「バセットクラリネット協奏曲」とか、マイナーな楽器をソロに選んだものだ。聞いてる分には普通のクラと大差ないけれど。
管楽アンサンブルの不可思議で粗野なリズム進行にのってソロが踊る、ややミニマルな曲。
「6人の音楽家のための音楽」は幾分ストイック。さらにミニマルな傾向を強めながら、
フルート、トロンボーン、打楽器、ピアノとヴィオラ・コントラバスが引きつったリズムを踊る。
「第2オーボエ協奏曲」はまあまあおとなしい方か。お陰で印象が薄かった・・・
「サクソフォン四重奏曲」、けっこうfの伸音が目立つ。そのときは時間が止まって聞こえるせいか、音楽の速度がぐちゃぐちゃ。
もっとばりばりやった方が面白い曲になったと思うんだけれどなあ。後半はメロウな感じになって、これはこれで悪くない。
「ヴィオラ協奏曲」はコントラバスーンやチューバが吼える、低音バリバリにグロテスクな音楽。
上の方でふわふわ浮かんでいるソロの影が薄いことといったら。
「ナイト・ダンス」はトロンボーンの半音上昇主題が印象的な、一番野太い響きの曲。
バスクラとファゴット2本ずつの奇妙な踊りと、ヴィオラ3本のきしみ、ベースの激しい撥弦音。

この人の曲はどれも、ぎくしゃくとした無骨で粗野なリズムパターンが曲の構造を大体作っている。
その鈍重な音楽は、瞬間的・点描的な響きの繋がりで出来ている感じ。
それなりに個性のある音楽性が出ているとは思ったけれど、そこまで面白いか問われるとちょっと言葉に詰まる。
もちろん十分に彼自身の音楽は作れているんだけれどね。
ビッグネームに師事した割には普通の現代曲だなあ、なんて。偏見だな。
解説に載ってる編成見て気づいたけれど、この人ヴァイオリンやクラリネットがやたら出てこない。1曲づつだけ。
響きの重い曲が好きなようで。他にも特殊楽器使ったり、低音重視の楽器編成が多いです。



Ellen Fullman
Change of Direction

Ellen Fullman, Elise Gould and Nigel Jacobs,Long String Instrument
New Albion  NA 102 CD

アメリカの作曲家エレン・フルマン(1957-)の、約1時間かかる大作。
形を持たない風のようなはためきから、次第にぎらぎらした協和音ドローンになっていく。
そこからリズムがおずおずと現れたり、波を打ったり、メロディアスになったりと様々に様子を変える。
90フィートの長さにもなる自作楽器「Long String Instrument」による音は、Stephen Scottのそれとかなり似ています。
ただ、こちらは自作の100本近い弦をこするため、よりふわふわした音に。
それでいてベースはドローン音楽であるあたり、ディープ・リスニング・バンドと共演していた経歴が納得できる。
にしても、本当に音楽だけだとスコットと区別がつかない。特にリズミックな部分。
初めて彼女の曲を聴いたけれど、個人的に当たり。



Ellen Fullman
Staggered Stasis

Ellen Fullman & Santiago Villareal, LSI
Anomalous Records  NOM 29

エレン・フルマン作品集。この人は良いアコースティック・ドローン作品を書いてくれます。
表題曲は全3部構成。もちろん自作楽器のLong String Instrument(LSI)を使ってます。
第1部は、ニブロックに影響された、タイムライン・プロットによるスコア描写(解説にスコア全体が印刷されてます)。
長い弦の間を、指定された時間で行き来します。第2部は一定のベースラインと倍音を使った短い曲。
第3部は第1部と同様の演奏法ですが、使用和音が同時期の作品「In the Sea」からとられてます。
45分にわたる、ぎらぎらしたドローンの応酬。意識を思いっきりすっ飛ばせます。
カップリングの「Duraton」は、更に単純な、11度の和音における倍音の研究。
スコアには演奏されるべき和音中の音が数字で示されていて、演奏者が弦の間を歩く時間だけ伸ばす。
さらにピュアな輝かしいドローン音楽になってます。とても気持ち良いです。
実はこの曲、作曲者唯一のソロ作品(1986年時点)だったり。
最後に「Speed Duration」。これ、「Duration」の和音を分かりやすいように短く3秒くらいずつ提示したもの。
ちょっと笑っちゃったけれど、こういう親切心は非常にありがたい。



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