作曲家別 I-L

姓のアルファベット順。



Jacques Ibert : Orchestral Works
Bacchanale, Divertissement, Ouverture de Fete, Symphonie Marine, Escales

Orchestre des Concerts Lamoureux  Yutaka Sado,Cond.
1997 Naxos  8.554222J

ジャック・イベール(1890-1962)の有名なNaxos作品集。
「バッカナール」はイベール晩年の作品。晩年の中では実は一番好き。
ホルンやトロンボーンの粗野な旋律が豪快に騒ぎ立てる、
それでいてパリジャンらしい小洒落たムードを残す逸品。
以前の決定盤的立場だったデュトワ盤に比べると軽々しい感じもしますが、これも十分気に入っています。
「ディヴェルティメント」も傾向は似たもの。
この劇伴の抜粋は、彼の代表作といって差し支えないものでしょう。
短い音楽が6つ連なる、フランス風な楽しみの存分に詰まった音楽集。
次の「祝典序曲」、実は日本の皇紀2600年を記念して作られたもの。
やや厳粛な趣も感じる、なかなか手の込んだ15分の力作。中盤の美しさは格別です。
他にも早坂文雄の「序曲 ニ長」など、このための作品には傑作が多いですね。
「海の交響曲」は初期のトーキー映画のための音楽を元に書かれたもの。
蒸気機関のうねり、細かな動きによる波しぶきの粒。中盤ちょっとスケルツォ風味。
生前は公開されなかった作品ですが、その描写的な音楽は
彼の音楽の魅力を十二分に引き出した鮮やかさを持っています。
そして彼の描写音楽といえば出世作の「寄港地」。
「ローマ〜パレルモ」の甘く情緒的な冒頭からリズミカルな盛り上がり。
「チュニス〜ネフタ」のエキゾチックなオーボエソロ。「バレンシア」の変拍子に導かれる熱狂的な祭典。
やっぱりこれが一番好きだなあ。人気も高い傑作です。
ちなみに、ラムルー管はこの曲の初演団体。その時の指揮がポール・パレー。

佐渡裕&ラムルー管、非常に良いタッチの演奏なのですが、音が軽い。
そのため、迫力の欲しい結尾なんかがいまいちのりきれない。
話題になるだけの素晴らしい演奏と言えるだけに、ここは痛いなあ。
だから、やっぱり聴くならデュトワのほうを選んでしまう。



Janis Ivanovs
Symphony No.8 in B minor, Symphony No.20 in E flat major

Moscow Symphony Orchestra  Dmitry Yablonsky,Cond.
2004 Naxos  8.555740

ラトビアの作曲家ヤニス・イヴァノフス(1906-83)の交響曲2つ。
自国の民族的な要素を用いながら保守的な作曲活動を行っていたようですね。
「交響曲第8番」(1956)は短い序奏に続き、快活な短調の主題が明朗に流れ出す。
重厚な出だしはいかにもそれらしい。第2楽章はいわゆるスケルツォ楽章。
性急な主題とワルツ風の音楽が交互に目まぐるしく入れ替わる。
第3楽章は緩やかな部分と流れるように進む部分とが交錯する。
第4楽章も端正な結尾楽章として、ストレートで派手に終わるかと思いきや落ち着いて終わってしまう。
彼は生涯に21の交響曲を書いていますが最後は未完に終わっているので、
この「交響曲第20番」(1981)は完成した中では最後のものということになります。
神秘的な冒頭から次第に興奮し、素直に音型が発展していく。
第2楽章の美しい旋律などは、作曲者の言う「記憶」の要約にふさわしい。
第3楽章メヌエットはそれを引き継ぐような回顧的性格を持つ、短い楽章。
最終楽章はまた、重々しく展開して消えてゆく。
良い曲ではあるんだけれど、いかんせん見事なまでの穏健派。
そして、完璧なまでに本来的な意味のシンフォニストでした。
歴史に埋もれてしまう理由も分かるけれど、堅実な活動をしていた方と言えるでしょう。



Alfred Janson
Nasjonalsang(National Anthem), Valse Triste, Tarantella

The Norwegian Radio Orchestra  Christian Eggen,Cond.  etc.
2007 Pro Musica  PPC 9060

初期はジャズピアニストとしてキャリアを積み、ロマン派やジャズ音楽などを前衛にぶち込んだような
独特の作風を繰り広げるノルウェーの作曲家アルフレド・ヤンソン(1937-)の作品集。
「National Anthem」(1988)はノルウェー国歌と動物の鳴き声をモチーフにして
彼なりのアメリカ・ミニマリズムへの興味を形にした作品。
パルス風の下降音型が印象的な動きとなりながら、トランペットとトロンボーンが
ジャズの影響が見えるソロパートを滔々と奏でていく。ソロは全曲を通して、
録音された動物の鳴き声を代表して模倣するパートでもあります。
音型は時折上昇に転じて扇情的な展開も見せながらどんどんと混沌とした激情的な音楽になっていく。
次第にリズム音型は収束していき、12:00ごろで頂点に達するところは引き込まれる。
そこからは後半、収束した音型が身を歪ませて瓦解し、緩徐パートとなりますが
ラストはロマン派ばりに最後の爆発とソロの歌で締める。
「Valse Triste」(1970)はジャズクインテット+ボーカル&テープのために書かれた作品。
ジャズ、特にポップ的意味合いを持ったそれとクラシカルなものとの融合は制作された当時
まだまだ世界的に見て革新的なもので非常に挑戦的なものでした。それだけに
ノルウェーで60年代の終わりにこのような作品が書かれていたことは特記に値するでしょう。
サックスたちの強烈なフリー演奏ののち、ベースラインの導く5拍子からやがて
テープなどの音声コンクレートやキャッチーな旋律が現れる。
中間部はテナーサックスを初めとした各楽器ソロ。この辺りは前衛なんだけれど
ジャズなのかコンクレートなのか正体不明感が。そこからラストはブルースポップな音楽に終わる。
なかなかにキレている内容ですごかった。なおこの録音は何とヤン・ガルバレクが演奏。パない。
「タランテラ」(1989)は6人のアンサンブルのための作品。
(ここでは作曲者自身が演奏する)メロディカのタランテラ風で陽気ながら不可思議な音律の旋律が
基本動機となってアンサンブルに波及していく。10分と3作品の中では短めですが
印象やテンションの高さは他の作品に劣らないです。
強烈な作品群、演奏も素晴らしかった。



Dennis Johnson
November

R.Andrew Lee,Piano
2013 Irritable Hedgehog Music/Penultimate Press  IHM007M/PP6

ラ・モンテ・ヤングの「Well-Tuned Piano」に大きな影響を及ぼした作品がついにリリース。
逆に言うと、デニス・ジョンソン(1938-)はこの作品以外殆ど知られていません。
1959年に書かれたこの「November」は非常にゆっくりとした動きでモチーフを繰り返され、
そこにやがて加算プロセスにしたがって和声が一つずつ加えられていきます。
この音の作り方はまさに初期ライヒやグラスのそれにシンクロしますが、
気を付けておきたいのは、彼らがそれをやったのが60年代(主に後半)だという事実。
それよりも前に、この手法を使って5時間もの音楽を作り上げているというあたりが先進的。
この曲を知ったカイル・ガンがこのCDを出すために腐心したのも分かります。
彼はこの曲の100分ほどのデモテープを92年に知った後、作曲者を探し出します。
が、スコアは原稿状態しか存在せず本人も詳しい構造を忘れてしまっているという状態。
それもそのはず、デニス・ジョンソンは1962年には公の音楽活動を停止しているのです。
ただ、その断片からは1970年や88年などの日付もあり、作曲者はずっと手入れを行っていた様子。
それらをガンが形にしたのが、ここに収録された5時間弱という途方もない長さの成立過程なのです。
8つのモチーフとその変形をもとに、全体的に5つのパターンを使いながら漸次的に進化させていく構造。
時に調性的なケージやフェルドマンのように、あるいは初期ピーター・ガーランドのように。
ゆったりと長く広がる、微睡のような時間。読書など、ゆっくりとした日のお供にも良し。



Tom Johnson
Kientzy plays Johnson

Daniel Kientzy,Saxophones  Tom Johnson,Narrator  Meta Duo
2004 Pogus  P21033-2

アメリカ・コロラド出身パリ在住のミニマリズム作曲家、トム・ジョンソン(1939-)の作品集。
エール大学出身、私的にフェルドマンに師事した彼の作品を、サックス奏者のDaniel Kientzyが演奏します。
「Kientzy Loops」は8音からなるループを片方が演奏し、他方はそこから自由に音を選択して
新たなメロディを作り出す。・・・ってこれまんま初期ライヒの手法じゃないですか。でも音はライリー。
「Tortue de mer(Sea Turtle)」はB.Deaconが書いた有名な一筆書きの亀を基にした曲。
バリトンによる重く不規則なリズムの短い作品。
「Narayana's Cows」、14世紀インドの数学者にインスパイアされて作ったナレーター付きの音楽劇みたいな作品。
さまざまなバージョンがあるようですが、ここでは3本づつのソプラノ、アルト、バリトンのオーバーダビングです。
簡素なメロディが朗読を挟んでだんだんと長くなっていく。
「Infinite Melodies」はそんな手法をさらに推し進め、個々のフレーズを徐々に長くしていって、終いには
永遠に続くかのように聴こえるような長さにしてしまうことをコンセプトとしています。
4楽章45分(ここでは)の大作です。でも大体の構造は聴くだけでわかってしまうシンプルさ。
とくに第1,3曲は分かりやすい。最後に収録された第1曲、伸びていく沈黙に溶けるようにして曲とCDが終わる。
最後に必ず言っている演奏者の一言はなんなんだろう。
なんというか、初期ミニマル音楽をさらに簡素にしたような曲たち。
このアルバムはサックスオンリーであること等から、ライリー好きにはいいんじゃないでしょうか。
けっこう楽しめました。以前「An Hour for Piano」を聴いたときはそうでもなかったけれど・・・聴きなおそう。



Tom Johnson
Orgelpark Color Chart

2011 Mazagran  MZ003

ミニマル系作家のリリースを続けるポルトガルの新興レーベルから、トム・ジョンソン。
2010/3/13、アムステルダムの教会における、4台ものオルガンを使った壮大なライヴ。
細い高音が伸び、それが各オルガンの間で少しずつ循環されていく。
じわじわと僅かづつ音が広がっていくさまはパレシュタインの「Schlongo!!!daLUVdrone」など
オルガンドローンの名作を彷彿とさせますが、ジョンソンはこれらのように
快楽的に音を重ねていくわけではなく、ひたすら音をオクターブで重ね、和音で洪水のようには聴かせない。
最後までひたすら一つの音を4台のオルガンで回していき、ストイックに展開する。
この辺りは非常に簡素なモチーフでひたすら音楽を組み立てていく彼らしい作風と言えるでしょう。
どちらかというと、音楽で受ける印象はEliane RadigueやPhil Niblockの方が近かった。
限定500部、ナンバリングつき。



Christian Jost
Phoenix Resurrexit -Odyssey in four parts
Dawn-Creation, Phoenix, Apocalypse, Love-Eternity

Sttatskapelle Weimar Opernchor des Deutschen Nationaltheaters Weimar
Jac van Steen,Cond. Wendy Waller,Sop. Daniel Morgenroth,Speaker
2003 OHEMS  OC 313

クリスティアン・ヨーストは1963年生まれドイツの作曲家。
この「フェニックスは蘇った」は2003年シーメンス賞を受賞した、管弦楽に合唱、ソプラノ、ナレーターを使用した大きな規模の作品です。
ドイツ語の朗読から不安げな楽器が扇情していきます。前衛的ですがちょっとだけジャジー。
混沌とした構造に怪しげなテキスチャが絡み合います。前衛的ではありますが、なかなか聴きやすい。
あまり爆発するところは多くなく、殻の中でもやもやした感情が渦巻いている感じ。
ドラマ性が高く、素直に楽しんで聴けました。ただこんなに長くなくても良い気がしてしまう。
話の内容がわからないとちょっと単調でしょうね。理屈抜きで楽しめるし、まあまあ評価されるに足る人・曲だと思いますが。



Mauricio Kagel
Exotica

Ensemble Modern  Mauricio Kagel,Cond.
2002 aulos  AUL 66099

アルゼンチンからヨーロッパへやってきた色物?作曲家マウリツィオ・カーゲル(1931-)の超有名代表作「エキゾチカ」。
日本の詩吟みたいな音楽から始まり、それに中東的なフレーズが絡んできたと思ったら、普通の世界よさようなら。
どこか、(まああの地域のことだろう)というような見当はつくけれど、いろいろとおかしな音楽がひたすら続いていく。
歌い手も訳の分からない、意味不明な語句で叫んでくれるからやばい。
ナノハヨケラ、テキトーに歌ってるところにチャルメラが乱入してきたり、もうとんでもない世界。
この音楽を聴いてると、何が普通なんだかもう分からなくなってくる。やばい。
誰しもが持つ、自分とは異なる文化に持つ誤った解釈を極端に風刺し、「エキゾチック」の概念を思い切り嘲笑った音楽です。
この作曲者自身の演奏は、そのいかれぶりがよく分かるものです。分かりたくないけど。
体の力をへなへなと抜かしたいとき、非日常的な(いかれてる)世界を堪能したい方は是非。
ちなみにこの音源、ライヴです。もういろいろな意味で凄い。
既成のものをぶち壊しあざ笑う、彼の作曲姿勢は基本的にどの曲でも同じ。
これを聴いて笑った人は他の作品を探してみましょう。ただ、シアターピース的な作品が多く、音だけじゃ良く分からないのが残念。



Vassily Kalinnikov
Symphony No.1 in G minor, Symphony No.2 in A Major

The Symphony Orchestra of Russia  Veronika Dudarova,Cond.
1992 Olympia  OCD 511

ヴァシリー・カリンニコフ(1866-1901)がアマオケの間で流行ったのって、どれくらい前でしたっけ。
若くして結核で命を落としたロシアの作曲家、一気に再評価が進んだのは
Naxosから発表されたクチャル&ウクライナ管の録音でした。
自分もそれを聴いてはまった口。以来、比較で聴きたいと思っていたOlympiaのこれをようやくゲット。
「交響曲第1番」は彼の代表作。哀愁漂う音楽がなんとも言えない美しさで満ちています。
速めのテンポでさっと流すけれど、曲の情熱はきちんと込めていて心地よい。
ある意味ロシア的な美しさを持った演奏ともいえるでしょう。
ただ、クチャル指揮のNaxos盤に慣れた耳で聴くと、物足りない部分もあります。
「交響曲第2番」は長調であるだけに、その国民楽派的なほのぼのさが全開。
明るく伸びやかなメロディーは、第1番ほどに知名度はありませんが素晴らしい作品です。
素朴な趣のこの演奏は、どちらかというとこちらの方が曲調に合っている気が。
いろいろ意見もあるけれど、買って良かった。



Michael Kamen
The New Moon in the Old Moon's Arms, Mr Holland's Opus - An American Symphony

Toshiko Kohno,Fl.  David Hardy,Vc.  F. Anthony Ames,Perc.
Leila Josefowicz,Vn.  Michael Kamen, Eng. Horn  Simon Mulligan,P.
Pino Paladino,Bass  Phil Palmer,G.  Andrew Newmark,Dr.
The National Symphony Orchestra  BBC Philharmonic Orchestra  Leonard Slatkin,Cond.
2000 Decca  467 631-2

数々の映画音楽を手がけたアメリカの作曲家マイケル・ケイメン(1948-2003)の作品集。
交響詩「いにしえの月に抱かれた新月」は、約1000年前アメリカ先住民族として繁栄していたアナサジ族に
インスピレーションをうけた作品。他の民族と交流を持たずに独自の文化を築き、かに星雲の元になった超新星を
記録していたことでも有名ですが、彼らの痕跡は突如として紀元1200年頃に消えてしまいます。
第1楽章。チェロのむせぶような民族的音階に基づいた戦慄が次第に盛り上がり、
金管が入ってきたら激しい主部へ。コンガを主体としたビートに、まさに映画のような豪華で派手な切迫した盛り上がり。
ごつごつしたリズムの輪郭がかっこいいです。もっとシリアスにしたら、マクミランの「イソベル・ゴーディーの告白」中間部ですね。
フルートのエスニックな響きをはさみながら、非常に荒々しくも熱狂的な踊りの展開。
アッタッカの第2楽章は木管楽器の美しい旋律で開始。実に感動的で雄大な盛り上がり。ああ、映画音楽みたい。
そのまま次第に躍動感を帯びて第3楽章へ。フルートと民族打楽器による主題が精霊の軽快な踊りを表現します。
中間部に霧の蠢くチェロ独奏を過ぎたスケルツォの再現は、打って変わって暗い雰囲気。
重苦しく悲痛に音楽は叫び、その過ぎ去った後に世界を変えて第4楽章へ。
2000年の現代に戻り、音楽はいきなり洗練さを帯びる。アサナジ族と現代人類を重ねあわせ、
新たな旅立ちを祝福するかのように、美しく感動的な音楽をじっくりと聴かせます。
最後がゴングの響きで淡く終わるというのがまた良い。
「陽のあたる教室〜アメリカン・シンフォニー」は同名の映画に使用された音楽を演奏会用にまとめたもの。
交響曲とありますが、5楽章20分もない、比較的あっさりした作品です。
この映画、自分は見たことないですが結構なヒットだったようですね。
でも彼が音楽を手がけた作品なら「ダイ・ハード」とか「リーサル・ウェポン」とか出したほうが圧倒的知名度かな。
前半の音楽を聴いて予想していた通りの、実にそれらしい美しい音楽が聴けて満足。
作曲者自身のイングリッシュ・ホルン(チェンバロ伴奏付き)は細かく震える旋律線が印象的。
最後、盛り上がりをどうするかと思っていたらいきなりエレキベース&ギターとドラムが参戦というど派手さ。
こいつは凄え曲だ・・・まあ確かに、いかにも映画音楽っぽいけれど。
まあ、彼はロックとのクロスオーバーが得意(メタリカや布袋寅泰とのコラボアルバムを出しているほど)
ですから、これくらい造作も無いことでしょう。

どちらの曲もなかなか楽しいですが、演奏が上手くその映画音楽のような風景描写に成功しています。
この手の音楽の中ではかなり気に入った方ですね。
あと蛇足。この人の「ロビン・フッド」の音楽を演奏したことがあるのに、経歴を見てようやく気づきました。
確かにあれ吹いた時から、映画音楽にしてはなかなか出来が良い重厚な音楽だなあ、と思ってたっけ。



Giya Kancheli
Symphony No.4, No.5

The Georgian National Orchestra  Jansug Kakhidze,Cond.
1992 Elektra Nonesuch  7559-79290-2

独特な作風で人気のあるロシアの作曲家ギヤ・カンチェリ(1935-)の交響曲2つ。
「交響曲第4番「ミケランジェロの思い出に」」、
鐘が寂寞に鳴り響き、その盛り上がりの頂点からオーケストラが一度堰を切る。
フルートが敬虔な旋律をゆっくり奏で、非常に美しいコラールがゆっくりと響く。
時折爆発する管弦楽の咆哮は、感情のほとばしりのようにそれまでの音楽を乗り越える。
チェレスタが可愛らしく歌い、管弦楽が嵐のように過ぎ去り賛美歌と暴力を高らかに鳴らす。
「交響曲第5番」、チェレスタの昔を偲ばせる旋律から楽器の咆哮。
幻想的な響きからティンパニに導かれ、壮大なロシアンコラールが炸裂する。
4番以上に緩急激しい曲です。悲痛な叫びもこちらの方が全面に出ている感じ。
激しい行進が現れたりと、感情の激流が押し寄せる辺りといい、
両親の思い出に寄せられている点が考えさせられる。
カンチェリの作風は自分も大好きだし、聴いてて楽しいんだけれど、何故かもう一回聴こうとする回数は少ない。
今回も第4番なんかはかなりいい内容だと思うんですが、どれくらい聞き返すだろうか。
緩急激しすぎて、うっとりと聴けない所がネックなのかもしれませんね。
まあそこが彼の音楽の醍醐味ですから元も子もないんですが。



Matthias Kaul
SoloPercussion

1999 Hat[now]Art  130

現代を代表するパーカッショニストの一人、マティアス・カウルの90年代ソロ作品集。自作自演。
「Kutunga」はスワヒリ語の朗読が入る、フレームドラムの微細で静かな響きに支配された曲。
「Timpani Ride」、声でバイク的な唸りを模した、ドローン的な冒頭から徐々に自転車の音やプリミティヴなリズムの応酬。
「Mazza」はゴングの一発で幕開け、ひそひそ話や快速テンポのドラムなどなど、展開が速く激しい。
「Roma」、ツィンバロンの内部奏法という、凄いんだか凄くないんだか分からない幕開け。
ピアノのそれより無骨な響きで、激しくごりごり聞かせます。
「Hendrix」は電子加工されたティンパニのための作品。半分電子音楽です。
ドローン的な過去音と、生音のロールが入り乱れる、エレクトロアコースティックな曲。
全体的に見て、ヨーロッパから見た異国要素、アフリカやギリシャ、東欧などのイメージがかなり強い。



Aaron Jay Kernis
Air for Violin, Double Concerto for Violin and Guitar, Lament & Prayer

Joshua Bell/Cho-Liang Lin,Vn.  Sharon Isbin,G.
Minnesota Orchestra  The Saint Paul Chamber Orchestra  David Zinman/Hugh Wolff,Con.
1999 Argo  460 226-2

80年代からアメリカで広く評価され、このArgoレーベルを聴く人間なら
だいたいお馴染みの、アーロン・ジェイ・カーニス(1960-)の作品集。
ヴァイオリンソロと管弦楽のための「エアー」は作曲家の妻に捧げられた、
オリジナルはピアノ伴奏の作品。長く長くのびる夢見るような甘い旋律が非常に美しい。
「ヴァイオリンとギターのための二重協奏曲」は3楽章30分の力作。
第1楽章のビッグバンドと絡む古典的な音楽は、ノーブルでありながら雑多でせわしない印象。
第2楽章は長く美しい夜想曲。時に美しく、ある時には暗く独奏が歌い、管弦楽が盛り上げる。
第3楽章は軽快洒脱なロンド。スムースジャズのような流れる旋律に
ボンゴのリズム、古典的な構成、ビッグバンドの断片やポリリズムなどが激しくからみ合う。
「ラメント&プレイヤー」は、第二次世界大戦終結とユダヤ人虐殺50周年に捧げられた曲。
彼のメロディアスな特徴が全開になって現れる、長い長い悲歌。
聴いていて、前2曲が面白かった。やはり聴いていて思うが、
こういうロマン派的な音楽で暗い重い云々を言われても(だから何だ)としか思えない。
そういうのが欲しいならショスタコなりハルトマンなりクリストウなりを聴けばいいのだ。
どうしても美しさが前に出てくる彼の音楽ではそれが弱くなってしまう。
その分、「エアー」みたいな曲は申し分ないと思うんですが。
最も、「ラメント&プレイヤー」にしても展開部以外は普通に綺麗で良かった。



Tristan Keuris
Sinfonia, Violin Concerto, Movements

Rotterdam Philharmonic Orchestra  Edo de Waart,Con.
Joan Berkhemer,Vn.  Netherlands Radio Philharmonic  Elgar Howarth,Con.
Concertgebouw Orchestra  Bernard Haitink,Con.
Donemus/Composer's Voice  CV30

トン・デ=レーウらに師事、米英でも精力的に活動を行った
オランダの作曲家トリスタン・ケウリス(1946-96)のオーケストラ作品集。
「シンフォニア」(1974)は12分の長さではありますが彼の代表作、これで一躍有名になったようです。
ロマン派的な艶めかしい響きをさせつつ、その雑多な旋律がばらばらと自らをふりまいていく
散漫なところなどは(やはり現代ポストモダンな作曲家だな)と思わせる。
解説ではロマン派+ストラヴィンスキー+ドビュッシーと言われてますが、
なるほど旋律の動きは確かに後二人なんかのそれっぽい。
後半のゆったりとした和声の美しさはなんとも言えず心地良いです。
「ヴァイオリン協奏曲」(1983-4)でもストラヴィンスキー風和声は健在。
ただ、ソロの動きはなんだかバルトークやショスタコのそれっぽい。非常に技巧的で詩的。
そういう意味では、彼の作る音楽は近現代の東欧作曲家寄りなんだと思います。
第1楽章の動きや第2楽章の歌など、先述2人のファンだったら喜びそうな音楽。
「ムーヴメンツ(楽章)」(1981)は、この中で一番新古典的な音楽でしょう。
ストラヴィンスキーやオネゲルみたいな動きの第1・4楽章、
どこの「春の祭典」第2部だよと突っ込みたくなる第2楽章、軽妙なスケルツォの第3楽章。
楽しめたけれど、ちょっと押しに弱いのも事実。個人的な趣味では、とりあえず協奏曲が一番楽しかった。
「楽章」は動きの多くが管楽器ですが、どうやら彼は吹奏楽作品も書いているようです、聴いてみたい。
演奏は錚々たる面子、技術的な不安は全くないです。



Otto Ketting
Time Machine, For Moonlight Nights, Symphony for Saxophones and Orchestra, Monumentum

Rotterdam Philharmonic Orchestra  Edo de Waart,Con.
Abbie de Quant,Fl.  Radio Philharmonic Orchestra  Otto Ketting,Con.
Netherlands Saxophone Quartet  Concertgebouw Orchestra  Bernard Haitink,Con.
Ensemble of the Rotterdam Concervatory  Otto Ketting,Con.
Donemus / Composers' Voice  CV 21

ハーグ音楽院でトランペットを学びハーグ管弦楽団で実際に奏者を務めながら
ハルトマンや父ピエトに作曲を学んだオランダの作曲家オットー・ケッティング(1935-2012)の作品集。
「タイム・マシーン」(1972)は6人の木管と10人の金管に3人の打楽器奏者のための、彼の代表作。
冒頭の瞑想的な序奏ののち、金管の刺すような鋭いパルスとスネアの応酬、
低音のどろどろとしたうねりが激しく絡みつく、10音からなる和声的動機を軸にした音楽。
中間の旋律的な淡い音楽もかなり良いのですが、やはりこの爽快にもなれる
ケッティングらしい非常にパワフルな音楽が素晴らしい演奏で聴けるのは非常に良い。
「月明かりの夜に」(1973)はフルートと26楽器のための室内協奏曲作品。
瞑想的な作風はおそらくはケッティング初期にも通ずるものがあるのでしょうか。
が、中間部からそれまで沈黙していた4本ずつの直管群がグロテスクに動きだす。
それを機に楽器が次第に激しさと緊張を増していくあたりはやっぱりかっこいい。
「サクソフォンと管弦楽のための交響曲」(1978)は木管楽器が存在しないあたり彼らしい編成。
もちろん金管は(6-5-4-1)と良い感じに増強されてます。ちなみにコントラバスもなし。約30分。
単一楽章ですが4つの部分からなります。冒頭のサックス四重奏による部分を聴いても分かるとおり、
和声的な音塊を元にした幾分ミニマルにも聞き取れるブロック的な進行をしていく。
そこに金管が次第にパルスのような動きで扇情的に入ってくるあたりは
アンドリーセン作品を聴いているのに似た爽快さがあって本当に痺れる。
アダージョ部分は弦楽とサックス、ピアノによる和声の積み重ねによる瞑想的だけれど
その中に勢いも感じられる音楽。和声進行みたいなものなのにアタックが容赦ないので全く弛緩しない。
第3部は"春の祭典"とした、グロテスクなリズム進行を元にした楽想。
まさにケッティング節炸裂の、勢いと力に満ちた聴き手を激しく揺さぶる動き満載です。
最後は再びアダージョ、これまでの和声要素も現れながら、
サックスが一番旋律的なものを演奏して穏やかに美しく終わる。
オランダ国内で受賞したことがあるだけの、素晴らしい作品でした。
最後に、金管楽器とピアノ、打楽器のための「モニュメンタム」(1983)。
冒頭の淡さを持った分散和声をピアノ主導で響かせるあたりはとても綺麗。
次第に金管のコラール風動機と低いクラスターから、次第に彫像的なイメージを喚起させる盛り上がり。
その頂点で後期ロマン派を思わせる壮大な音楽が爆発します。
が、それは一瞬。ピアノとチューブラーベルによる冒頭を思わせる淡い響きの中に消えていく。
金管楽器を好む人間にはたまらないであろう作品が非常に多くて自分に大ハマリ。
というかそもそも、作曲者の来歴もあるだろうけど編成の時点で金管偏重なあたりが実に良い。



Otto Ketting
Symphony No.3, The Light of the Sun

Jill Gomez,Soprano  Radio Symphony Orchestra  Otto Ketting/Kenneth Montgomery,Cond.
1990 BVHaast  CD9105

オットー・ケッティングの管弦楽作品2つ。
「交響曲第3番」(1990)はラヴェル作品のイディオムを意識した作品。
ラヴェルの和声を想起させる流麗な響きが、ケッティングらしい重厚な作りの作品に組み合わさる。
まさに交響曲と言いたくなるようなポリフォニーの連続と鋭い動きが心地よいです。
そこから時折あらわれる、一気に流麗で壮大な音楽へ変わる瞬間なんかが本当にたまらない。
20分以上の長さを持つ第1楽章は、それだけでも大ボリュームです。
第2楽章はいわゆるアダージョ楽章、弦楽の長い響きにピアノの和音が打ち込まれるのも彼らしい。
そして、その響きは同時にアンドリーセンのそれともやっぱり近似している。
第3楽章は、それまでのコード的進行に第1楽章のような動きが再開され、
それらの共演が高揚した頂点でさっと終わる。
「太陽の光」(1978/83)は古代エジプトの詩をテキストにした、6楽章の大作。
独特の死生観に惹かれたケッティングによる、彼の音楽が持つ躍動感を十二分に生かした作品に仕上がっています。
1曲目の、どこかグロテスクな低音の動きとそこから導かれるオーボエの呪術的なソロはとても印象的。
第2曲では金管が激しい掛け合いをするあたりが、まさに彼の音楽。
第3-4曲は比較的落ち着いた緩徐楽章、第5曲のちょっとアラビックで不可思議な旋律捌きは面白い。
終曲は異常な落ち着きを見せた、死と生を描く音楽のラストには相応しいと思える美しい楽想。
第1,2,5曲の激しさがやっぱり好みには合う。でも、そこで考えても声楽まで含めて面白いと思えたのは凄い。



Wojciech Kilar
Requiem Father Kolbe, Choralvorspiel, Orawa, Mount Koscielec 1909, Krzesany

National Philharmonic Orchestra  Kazimierz Kord,Cond.
Katowice Polish Radio and Television Orchestra  Antoni Wit,Cond.
2003 Jade  MILN 36021

ポーランド出身の有名作曲家ヴォイチェフ・キラール(1932-)作品集。
グレツキやペンデレツキのような作風の流れを汲む方ですね。癖はありますが聴きやすい。
「Requiem Father Kolbe」、ピアノとチェレスタの音がよく響く、レクイエムらしい美しさと暗さに満ちた音楽。
一番構造は簡素ですが、一番聴きやすいでしょう。彼の聴きやすいミニマリストとしての側面も十分味わえます。
「Choralvorspiel(コラール前奏曲)」、構造はレクイエムと同じようなものですが、こちらは響きがより質素で制限されている。
この曲からは中期グレツキと似たものを感じますね。弦楽合奏による、終始p。
「オラヴァ」、彼の作品の中では人気や知名度もあり、演奏頻度も高い方の作品でしょう。弦楽合奏。
民謡的で印象的な短い主題が執拗に反復されながら輪舞のように盛り上がっていく。
キラールの作品では一番良く聴きます。簡素で聴きやすいというところが大きいかも。
このテイクはとくに鬼気迫る演奏。後半はかなりのテンポで飛ばし、最後のトュッティの叫びは恐ろしささえ感じる。
これくらい翳りのある演奏が、この曲・ひいては彼の曲の真髄を見せてくれる気がします。
「コスチェレツ山1909」は明らかにミエチスワフ・カルヴォヴィチ(Mieczyslaw Karlowicz、1876-1909)へ寄せたもの。
遭難で若くして命を落とした彼の交響詩全集もいつかまた聴き返したいなあ・・・
重々しい弦の響き、何度も繰り返される、もやもやした感情のようなコラール。
その頂点で輝かしく響く賛美歌のような部分はたまりません。
その後も受難曲のような楽想が反復しながら何度も盛り上がります。
「クシェサニ」、冒頭の混沌としたクラスター風コラールからさまざまな曲調が入れ替わりやってくる。
音楽が無節操に引っ張り出され、無神経にかき乱される。それでも爽快なのはなぜだろう。
最後、弦による華やかな賛美歌が管楽器の嵐のような音で蹂躙されていく様は印象的。
派手で爆発的なインパクトがある、そういう意味で素晴らしい曲です。
この曲を含む演奏会が日本で開催されたときも、話題はこの曲がかっさらったようなものだったそうですし。
というか、この曲のWikipediaがあることにびっくり。
録音は線が細く優秀なもの、ただそれだけにクルシェザニのダイナミックさは伝わりにくいかも。
演奏、何度も録音してるヴィトだけあってさすが、ただクルシェザニは最初に聴くならNAXOSの方がいいかな。



Uuno Klami
Symphonie enfantine Op.17, Hommage a Haendel Op.21,
Suite for String Orchestra, Suite for Small Orchestra Op.37

Tapiola Sinfonietta  Jean-Jacques Kantorow,Cond.
1997 BIS  BIS-CD-806

フィンランドの作曲家ウーノ・クラミ(1900-1961)の管弦楽作品集。
「子供の交響曲」はウィーン滞在中に書かれた、まだ彼が20代の頃の作品。
シベリウスやマデトヤの流れを汲む、実に素直で美しい音楽。そこにフランス風の洒脱さが降りかかっている感じ。
最初にパリ留学を行い、シュミットやラヴェルの影響を受けたことが、この曲を聴くだけでもよく分かる。
「ヘンデルへのオマージュ」は弦楽合奏とピアノのための作品(1931年)。
エレジーなアダージョに始まり、落ち着いた明るいガヴォット、またエレジー、最後に激しく快活なフィナーレ。
モノフォニックの簡素な構成、どこらへんがヘンデルなのか良く分からないけれど綺麗でメランコリックな所は素晴らしい。
「弦楽オーケストラのための組曲」はいきなりチェロ主導のルバートで開始ですが、
最終楽章のポリリズムな部分以外はごく素直な短い4楽章構成の作品。
「小管弦楽のための組曲」、無邪気でリズミカルな要素が多めのやはり短めの3曲構成。
とにかく甘美、北欧系の美しさを楽しみたいなら一度は耳に入れておいて損はありません。
演奏や録音は流石タピオラ・シンフォニエッタとBIS、北欧ものは安定してます。



Gideon Klein
Chamber Music
Divertimento, Duo, Four Movements, Piano Sonata, Trio

Ensemble Villa Musica
1995 MDG  304 0618-2

チェコはモラヴィアに生まれ、1939年にはプラハ音楽院修士課程を修了するほどの天才だった
ギデオン・クライン(1919-1945)。しかし、世界は第二次大戦へと突き進むヨーロッパ。
ユダヤ人の血をひく彼はやがて活動を厳しく制限され、英国王立音大の許可を得ながらも出国許可すら下りず終い。
時には匿名で活動を続けながらも、ついにテレージエンシュタット収容所に強制収容。
そして幸か不幸か、一流のユダヤ系音楽家が集まったここで彼は文字通り命を振り絞って最後の活躍を行うこととなります。

木管八重奏による「ディヴェルティメント」(1939-40)は新古典主義的な無骨さ。
ぎくしゃくとした旋律がごつごつとしたリズムの上に流れます。
当時の無調的潮流にのりながら、クラシカルな音楽を作っているその構成はそこまで特徴的ではありませんが、
その作り方は確かに20歳の青年が簡単に書けるものではありません。
ヴァイオリンとチェロのための「弦楽二重奏曲」(1941)は未完の作品。
第2楽章が40小節ほど書かれたところで作曲が放棄されています。
内容的にはやはり無骨な輪郭はありますが、かなりラヴェルやコダーイの室内楽曲に近い印象。
溌剌とした楽想が近代的な和声で処理されていく様はとても洗練されていると感じられる。
収容所に送られたのが1941年の12月であることを考えると、断筆された経緯に想像が広がります。
「弦楽四重奏のための四つの楽章」は1936-38年の作品、最初期の曲(作品2)。
が、すでに彼の才能はこの音楽を見事な新古典的近代作品に仕上げています。
「ディヴェルティメント」に似た作りですが、構成はそれよりずっと素直。Bach動機を使いながら、変奏やフーガで組み立てる。
「ピアノ・ソナタ」(1943)は彼の代表作。これまでのような無調的乱暴さの中で不安気に動く美しい旋律、
まるでメシアンやディティユーを近代にしたようなぎりぎりの和声感覚に見える深い影。
テレージエンシュタットの中で書かれたこの作品への作者の緊迫感がにじみ出てくるよう。
特に第2楽章の深さには形容しがたいものがある。
「ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための弦楽三重奏曲」は1944年の、遺作。
完成はアウシュヴィッツへの輸送の9日前。
流れるような民族調の軽快さ・美しさの中に、拭いきれない影がつきまといます。
比較的短い作品ではありますが、妙に後味の残る印象的な作風。
演奏のメリハリ聴いたところも相まって、どの曲も十分に魅力が出ています。
特に、収容後の2作品は聴きのがせない出来。

非常に素晴らしい曲を20代の若さで書いたクライン。
辛くもメンゲレの選別を逃れたもののシレジアのキャンプへ移され、敗走するナチの殲滅で死んだと言われます。
1945年1月27日、連合軍による開放の数時間前とのこと。



Miklos Kocsar
Sequenze,Five Movements, Episodi, Concerto -in memoriam ZH, Elegia

Bela Kovacs,Cl.  Zsuzsa Pertis,Harpsichord
Peter Pongracz,Ob./Eg.Hr.  Ferenc Tarjani,Hr.  Jozsef Vajda,Fg.
Liszt Ferenc Chamber Orchestra,Budapest  Miklos Kocsar,Cond.
1994 Hungaroton  HCD 31188

リスト音楽院でFerenc Farkasに学んだ、合唱や木管を中心とする室内楽を多く発表する
ハンガリーのミクローシュ・コチャール(1933-)の作品集。
弦楽のための「セクエンツ」は14の短い楽章からなる、性格を異にした10分ほどの音楽。
はっきりしたリズム進行が多く、小気味よい印象です。
クラリネット、弦とハープシコードのための「5つの楽章」はアマチュアによく演奏される作品らしい。
確かに、ソロのクラリネット以外はそんな難しくはない。
まあもともとこの人の作風自体が難解でもないのだけれど。
「エピソード」は弦楽とのオーボエ協奏曲の布陣。これは今までとは結構味わいが違う。
単一楽章なのも大きいですが、弦の動きを中心に非拍動的なゆらぎが主体。
音の上をオーボエが自由に旋律を歌い、そこに弦が自由に追随していく。
ホルン協奏曲である「協奏曲 -ZHの追憶に」、ZHは映画監督のZoltan Huszarikから。
コンチェルタンテの形式に則って響く、なかなか現代的感性も見れる曲。
「エレジア」はバスーン協奏曲。暗い冒頭からバスーンが次第に立ち上り、
短調ながらも美しさを出す音楽がソロの動きを優しく支える。
うーん、あまりにも普通というか硬過ぎて、個人的な嗜好に全く引っかからなかった。



Kodaly Zoltan
Hary Janos -The musical numbers of the play

Hungarian Dtate Opera Chorus and Orchestra
Children's Chorus of Hungarian Radio and Television  Janos Ferencsik,Cond.
1982 Hungaroton  HCD 12837~38-2

ゾルターン・コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」が元はオペラだったのをこれ見つけるまですっかり忘れてました。
そもそもこれはハンガリー初の国民的オペラとして成功を収めたくらい。
組曲のスコアを持ってるくらい気に入ってるんだからこれは持っておかなきゃ、と。
もっとも、音楽の性格としてはオペラと言うより(副題からも見れる通り)音楽物語に近いところがある。
正確にカテゴライズするならジングシュピール(音楽付きの芝居)というもの。
冒頭から民族的で熱気伴なう激しく爽快な音楽。
その後続く息の長い旋律などは「「くじゃくは飛んだ」による変奏曲」を思わせ、ああ同じ作曲家なんだなと再認識。
ちなみにこの序曲、後に組曲版が編まれる際に「劇場序曲」という名で独立した作品になっています。
一通り展開しきった後(序曲は16分あります)、おなじみの組曲1曲目「おとぎ話がはじまる」。
その後音楽は本題。第一の冒険はフルートとツィンバロンによる組曲3曲目(に近いパート)で開始。
あの冒頭から、より素朴さと民族調が強調されています。装飾音も増えてる。
自由な民謡らしい、ちょっと諧謔さもある歌をはさみ、3曲目の旋律が今度はバリトン(ヤーノシュ役)らで歌われる。
たぶん組曲はこちらが主な骨格の元でしょう。美しいデュエット。そこから組曲の5曲目「間奏曲」へ。こちらはほぼそのまま。
第二の冒険はウィーンの優雅さを表すかのような、鳥の鳴き声絡むマリー=ルイズの歌。
そして一番有名な組曲2曲目「ウィーンの音楽時計」へ。こちらもそのまま。
メゾソプラノ(オルゼー)による緩急2つの歌の後、物語は第三の冒険へ。
前半では主にヤーノシュが女を次々落としていく様を描いていますが、ここでついに怒り心頭のナポレオンが進撃してきます。
信号ラッパの呼応の後、軍隊の郷愁の歌。そしてそのまま組曲4曲目へ。オリジナルでもやはりサックスを使っていますね。
その音楽を引き継ぎながらバリトン(ナポレオン)のやや滑稽な歌。
ヤーノシュの歌がやたら豪華で勇壮なあたり、このオペラが彼の壮大なほら語りであることを示していて面白い。
さあいよいよ大人物になったヤーノシュ、児童合唱も入りながら女帝やマリー=ルイズに祝福されて
組曲の最後、6曲目へ。熱狂に包まれながら入場し、児童とトランペットによる可愛らしい音楽へ。
と、オルゼーが悲歌を歌い、それにヤーノシュが切なく応える。
3曲目の主題が戻り、「おいらは皇帝にもなれたけれどそれを捨てて愛する人間をえらんだのさ」エンド。
間奏曲の主題へ移り、いかにもな壮大なエンディングから1曲目などの主題へ落ち着きお話はおしまい。

演奏、散漫な感じに激しくてよろしい。やっぱりこれは少々荒いくらいでないと。
ちょっとツィンバロンが遠い所などもありますが、演奏はいかにもハンガリーの響き満載。
声楽陣もなかなか表情豊かに歌っていて、かなり良い。ちと録音バランス強めだけれど。
テンポ設定でかなりゆらしているのが好みの分かれ目でしょうか。
自分は、組曲1、4曲目なんかは良かったんですが「間奏曲」はちょっとしっくりこなかったかなあ。
意外と全体像がつかめる機会の少ない作品だけに、その意味でも聴けてよかった。



Gottfried Michael Koenig
Zwei Klavierstucke, Suite"Materialien zu einem Ballet", Streichquartett,
Terminus X, Funktion Grun, Funktion Gelb, 60 Blatter fur Streichtrio

J. Marc Reichow,P.  LaSalle Quartett  Trio Recherche
Edition RZ  ed.RZ 2003-4

初期にはWDRのスタジオに勤務してカーゲル、エヴァンジェリスティ、リゲティ、シュトックハウゼンなど
錚々たる人物のアシストを行い、ユトレヒトでは長年ソノロジー研究所の監督を務めた、
電子音楽の最重要メンバーとして名高いゴッドフリード・ミヒャエル・ケーニッヒ(1926-)の初期作品集がRZから。
「2つのピアノ小品」(1957)はまだ彼がセリエル技法に特に強く影響されていた頃の作品。
ただ、その構造は累積的というか多層的で、点描的なイメージは薄いです。
響きの重なりが美しくすら感じられて、50年代の現代音楽としてびっくりするくらい面白く聴ける。
「組曲(舞踏のための素材)」はその名の通りダンスのために書かれた作品を少し編集したもの。
振付のAurel von Millossに影響された、実験的な音楽と舞踏の関係を作るための作品。
フィルターを通された淡い60年代の音がじりじりと進み、ストイックに重なりながら空間を埋めていく。
「弦楽四重奏曲」(1959)ではどちらかというと偶発性・自由な進行が主眼に置かれている様子。
もちろんセリエルな音響も健在ですが、すでにかなり離れてきているのがわかる。
「テルミヌスX」など、このシリーズは代表作のひとつとみなされていますね。
この作品も金属質なごりごりした音の痙攣がうごめき爆ぜる、派手な音響。
こういうのを聴いていると、彼が実験音響リスナーによく崇拝されるのがわかる。
「緑のファンクション」(1967)は(個々は無関係ですが)ファンクションシリーズの最初。
非人間的な制御による、虚ろで非常に質的な電子音が神経質に動き回る。
「黄のファンクション」も基本的には構成が変わっていないので同じ印象。
どちらも非常に攻撃的で硬派な電子音楽が聴けて、彼の本懐をうかがえる。
Disc2はまるまる弦楽三重奏のための「60の頁」(1992)。これだけ近作です。
60の単独の楽譜からなり、15ずつそれぞれ変奏から成り立つ。各々の1分に満たない断片が
延々と降り注ぐ、響きは異なっても根底は電子音楽群と通ずるものを感じる作品です。
ケーニッヒの、あまり聴けない器楽作品をまとめて聴ける価値は大きい。
とくに初期作品の持っている外部からの影響をよく概観できる意義はかなりのものがあります。



Rene Koering
Suite Penthesilee, Circles of Regrets, Nur Penthesilea

Michel Portal,Cl.  So-Ock Kim,Vn.  Laura Aikin,S.
Orchestre National de Montpellier Languedoc-Roussillon  Armin Jordan/Alain Atinoglu,Cond.
2008 Accord  480 0791

ブルーノ・マデルナに師事経験のあるアルザス地方出身のルネ・コーリン(1940-)作品集。
「ペンテシレイア組曲」は彼のオペラ「Scenes de chasse」からの断片を抜粋したもの。
静かに抑えられた打楽器のリズムからトランペットが呻き、管弦楽が吠え立てる。
強烈なリズムに基づいた荒々しい音楽が立て続けに響く。
トロイア戦争における女王の名を冠しているので、音楽もやはり
戦争を描写する荒々しい場面と女王の内面を描く内向的な情景を示しているのでしょうか。
ライヴ演奏ですが、確かにこれは生で体感するのが面白そう。
「悲しみの輪」は元々ヴァイオリンとヴィオラをソロにした「交響的協奏曲」がオリジナル。
クラリネット(アルトか何かの特殊管?)とヴァイオリンによる二重奏で始まり、
弦楽の伴奏がやたらと悲劇的な音楽にして盛り上げる。
ダヴィンチに触発されたことからか、音楽は古典派などのクラシカルなイメージをまとった瞬間が多い。
音楽は数世紀前の時代と現代を激しく行きかうように目まぐるしく変化する。
「ペンテシレイアただ一人(Only Penthesilea)」も1曲目と同じオペラがオリジナルですが、これはまずオペラから
「Le cercle Kleist」という管弦楽作品を作ったのちに指揮者のアルミン・ジョルダンの依頼で
現在のソプラノ独唱付きの形態である当作品になったそうです。ややこしい。
音楽は確かに似たようなものですが、歌唱による艶めかしい面が強調されていますね。



Herman D. Koppel
Orchestral Works Vol.1
Symphony No.6 Op.63"Sinfonia breve",Symphony No.7 Op.70, Concerto for Orchestra Op.101

Aalborg Symphony Orchestra  Moshe Atzmon,Cond.
2000 dacapo  8.224135

ニールセンに師事し、ホルンボーとともに戦後デンマークの代表的な作曲家であった
ヘアマン・ダーヴィド・コッペル(1908-98)の管弦楽作品集。
なお、彼はピアニストとしても活躍しています。
「交響曲第6番「シンフォニア・ブレーヴェ」作品63」は「交響曲第5番」の余力を使って
気軽に書き上げたような作品なので、単一楽章15分と小規模。
もやもやとした冒頭から活発な主部が湧き上がり、スケルツォ・フガートで軽やかに舞い、
テンポプリモで主部が回帰して元気よく終わる。
「バルトーク、ショスタコーヴィチや後期ニールセン」のような音楽です。
「交響曲第7番 作品70」は、コペルなりの前衛音楽への歩み寄りの結果らしい。
半音階的なモチーフが前面的に使用され、他の作品に比べ難解な印象。
けれど、形式的にはやはり典型的な近代音楽のそれ。
「管弦楽のための協奏曲 作品101」は音響がさらに前衛より。
バルトークの流れをはっきりと汲んだ、無骨で奇妙な動きがメインの作品。
保守的ではあるものの現代の作曲家ということをはっきり認識できます。
でもニールセン信奉者で、そこに適度にモダニズムを組み込んだ作風は典型的なネオ・クラシカルのそれ。
面白いけれど、国際レベルで有名になるにはたしかに微妙な気も。



Erich Wolfgang Korngold
The Sea Hawk, Symphony in F sharp

The Oregon Symphony  James DePreist,Conductor
1998 Delos  DE 3234

神童として20代にして大活躍しながらもユダヤ系のためオーストリアからアメリカへ亡命、
映画音楽作曲家として晩年は主に活動していたエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)。
「シー・ホーク」(1940)は映画音楽らしい、実に壮大で美しい音楽。快活で細やかな主部、抒情的に歌い上げる弦楽。
幕開けのような感じで次の「交響曲 嬰へ調」へつなげます。習作を除けば唯一の交響曲。
第1楽章、鋭く力のある主題音型が中核となり、彼らしい近代和声を響かせながらも重厚にソナタ形式を作り上げる。
その劇的で聴きごたえのある音楽構成は、さすがはロマン派様式を引き継ぎながら
オペラや映画のための音楽を多く書いた人間だと感心します。
第2楽章のスケルツォ、性急で実に分厚い響き。まるでアメリカ西部の草原を走るような壮大さです。
中間部の怪しげな複調もありますが、一番印象的なのは、このホルンによる2つめの主題。
第3楽章アダージョ(実際にはレントの指示と混在)はマーラー張りの重く張りつめた音楽。
もちろん華々しく爆発する部分もありますが、この楽章はおそらく
被献呈者であるルーズベルトへの葬送音楽なのでしょう。
第4楽章は時折諧謔的な動きも見せながら最初のような熱気ある音楽を溌剌と響かせる。
全体的にコルンゴルトとしては珍しい作風ですが、それでも
そこからは彼の作曲家としての真面目な一面が見れて良かった。



Georg Kroll
Tagebuch fur klavier
Arnan Wiesel,Piano
1989 BVHAAST  CD 9613

B.A.ツィマーマンに師事したダルムシュタットの作曲家
ゲオルク・クレル(1934-)によるピアノソロのための「日記」。
どうやら、最初は特に公開するために書き始めたわけでなく、
ピアニストとして活動しながら次第に書き溜めていったようですね。
とはいえ、そのまま日記のように毎日書き溜めたものの集大成というわけではない様子。
最初はセリエリズムに傾倒した人物らしく、ここではシェーンベルグ風の楽想も見えます。
ただ、内容は本当に曲によって千差万別。前衛的というか実験的なつくりではありますが、
決して聴きずらいわけではなく、むしろ派手な楽想が目まぐるしく表れるので飽きないで聴ける。
長くても2分程度、短いと15秒しかないような断片の集成。
息をのむように美しい曲もあれば、嵐のように荒れ狂う音楽、ミニマル風、
ラッヘンマンを意識したような特殊奏法を使ったものなど幅が広い。
そういう意味でも「日記」というタイトルはふさわしいと思える。



Szymon Kuran
Requiem, Post Mortem, Um Nottina

Collegium Musicum UW  Gregorianum
Orkiestra PSM G. Bacewicz  Andrzej Borzym,Cond.  etc.
2007 Acte Prealable  AP0161

ワルシャワに生まれ、その晩年にはアイスランドに移り住んだシモン・クラン(1955-2005)。
ジャズミュージシャンでもある上ヴァイオリニストとしても管弦楽団で活躍しながら作曲を行っていましたが、
50歳の誕生日を待たず早逝してしまいました。死因が明記されてないところが気になる。
このCDは彼の追悼盤としてリリースされたもの。
「死後」はポーランド革命のきっかけとなるグダニスクでのスト犠牲者に捧げられた、
ヴァイオリンソロと弦楽のための短い作品。葬送行進曲のような落ち着いたリズムをもって進む。
けれど、そこにかきむしるような嘆きの音が入り、純粋に美しい記憶だけで留めないあたりが面白い。
「夜に」は彼の娘によるテキストを使った、女性合唱、ヴァイオリンソロと弦楽のための小品。
悲愴的な美しい音楽の流れる、こちらは素直に綺麗な音楽としても聴けるもの。
代表作「レクイエム」はやや特殊な編成(エレキギターや童声独唱あり)の室内楽のための音楽。
癌で亡くなったbrynhildur sigurdardottirという人物に捧げられています。
男声の重苦しい合唱で始まり、弦楽や数々の打楽器が暗く重く音を奏でる。
エレキギターが痛切な響きを奏で、ヴァイオリンソロは切なく旋律をむせぶ。
荘厳で非常に重く心に突き刺さるような音楽は、ペルトやグレツキを引用したくなる感覚がわかるもの。
「新しい単純性」の音楽の持つ、調性的な響きの重さを存分に楽しめる。
時に打楽器の荒々しい連打で前衛的に、ある時は調性的に美しい音楽で、
全12楽章という従来のレクイエム形式とは違う彼なりの追悼音楽をまとめ上げた、感動的な音楽です。
なお、「レクイエム」はライヴ録音。おそらく追悼演奏会のものと思われます。



ヘルムート・ラッヘンマン
音楽劇「マッチ売りの少女」
Helmut Lachenmann
Das Madchen mit den Schwefelholzern

森川栄子&ニコール・ティッベルス、ソプラノ 宮田まゆみ、笙 ヘルムート・ラッヘンマン、語り
シルヴァン・カンブルラン指揮  バーデン・バーデン&フライブルクSWR交響楽団 ほか
2004 ECM New Series  UCCE-2035/6

特殊奏法を使わせたら右に並ぶものはいないくらいの大家ラッヘンマン(1935-)の代表作。ついに買ったぞ。
アンデルセンの名作を軸に、彼が長年をかけて完成した音楽の姿がおぼろげに浮かび上がる。
暗く寒い大晦日の夜。少女は道行く人々の冷たい感情にさらされる。
激しく分解された自訴主張が、靄のように広がった特殊奏法の海に置かれていく。
街頭のラジオから流れるような、原型を留めない名作の断片や、途切れがちな朗読、オケの衝撃音が響き渡り喧騒を示す
「窓という窓から」は序盤のクライマックス。その中でもがくソプラノによる「Ich(わたし)」の自己主張が印象的。
まさに劇的な、特殊奏法によるマッチを模した音たちを鍵に、第二部は空想が燃え上がる。
眼前に広がる分厚い壁の響き。ダ・ヴィンチや、放火犯でドイツ赤軍メンバーでもあるグドルン・エンスリンの
テキストを挟んだ異世界的な部分を経て、笙による昇天からまた冒頭の寒々しい夜明けに戻り、曲は終わる。
とにかくもう素晴らしいの一言。
かすれたノイズや細かく切断された音たちがふわりと亡霊のように漂う、その音響が鳥肌もの。
東京での演奏会形式演奏を基にした2000年改訂版のため、ダ・ヴィンチの朗読部分はかなり間の多い緊張感に満ちてます。
少女を中心とした作品でありながら彼女を一切排除し、暗示し想像させるに留める構成も音楽に相応しくすばらしい。
最後、笙ソロで示される天国の世界は神々しさにあふれる、非常に印象的な場面。
幻想的でおぼろげ、暗いながらも淡くてとても美しい、まさに名作といえる作品でしょう。
演奏、録音もこの寒々しい音楽に相応しい、繊細なもの。



Helmut Lachenmann
Orchestral Works & Chamber Music
Interieur I, Schwankungen am Rand, Air

Christoph Caskel,Perc.  SWF Symphony Orchestra  Ernest Bour,Con.
Christian Dierstein,Perc.  Staatsorchester Stuttgart  Lothar Zagrosek,Con.
2000 Col legno  collage 11 / WWE 1CD 20511

ラッヘンマン作品集、コル・レーニョから。やっぱりいいね、ラッヘンマン。
「Interieur I」は打楽器ソロのための曲。1966年制作の、彼の独自の作風のものとしては作品1といってもいいもの。
やはりこれだけだと、音響としての楽しみは、管弦楽作品と比べると薄いです。
付加脚色や組み合わせ、そしてそれらの相互作用から生まれる多層的なプロセスを基にした作曲方法らしいですが、
やはり自分としてはより派手な音響的変化の方が面白いと思ってしまう。
「Schwankungen am Rand(Oscillations at the Edge)」(1974/75)は金管楽器と弦楽器のための作品。
こちらの方は、やっぱりノイズ音響全開で楽しいですね。かなりぶっ飛んだ音がそこかしこから聴こえてきます。
聴く限り、編成として題にある金管・弦以外にも打楽器やエレキギターなどが入っていますね。
音とノイズが、やはり何層にも絡み合いながらひそやかに呻いていく、30分以上かかる力作。
「Air」(1968/69)は大編成の管弦楽と打楽器ソロのための音楽。
「洗練された管弦楽の快楽主義」への反論としての性格を持ち、一応4部構成をとっているようです。
初期の作品だから、というわけではないだろうけれど、彼の曲にしてはかなり派手な方です。
打楽器やギター、オケの力のこもった衝撃が、蔓延する薄いノイズを蹴散らしていく。
私にとってはこれくらいノイジーな方がむしろ快感・・・と書くと変態みたいだね、自分。
最後の方に現れる従来の奏法による音の波が、非常に美しく聴こえる。今のところ一番気に入っている曲。
どの曲もライヴ録音というところが、演奏に熱気を与えてくれていて良いです。
ラッヘンマンを聴いていると1時間があっという間に過ぎてしまうから困る。



Marcel Landowski
Symphony No.1"Jean de la Peur", Symphony No.3"Des Espaces", Symphony No.4

Orchestre National de France  Georges Pretre,Cond.
1990 Musifrance / Erato  245 018-2

オネゲルに大きな影響を受け、ディティユーと同じくセリエリズム的な無調とは異なる独自の響きを使った
フランスのマルセル・ランドスキ(ランドウスキ、1915-99)による交響曲。
「交響曲第1番」は1948年作、指揮法の師であるピエール・モントゥーへ献呈。
ふわふわとしたちょっと軽快にも聞こえる木管主体の旋律が絡み合い、そこに次第にいかにもアレグロな
疾走するもう一つの主題が時折ふと現れてかき消していく。
なかなか緊張感と神秘さに満ちたかっこいい第1楽章なのに、第2楽章はさらに激しくなってくる。
その主題のメカニカルにも思える動きは、ともすれば大戦後の東側の共産圏諸国で活動した作曲家の作風を思わせます。
その分、第3楽章は重いコラール風音楽。チューバとかが熱い。
そこから次第に重く悲しくカッコよく盛り上がって、金管が吠えまくって劇的に終わる。あ、これ吹いてみたい。
「交響曲第3番」(1965)ははっきりとロ短調で書いていることを宣言しているあたり清々しい。
前半は近代の"人間的感情を持った"作品群を書いている人たちの作風そっくりな緩徐楽章。ヴィブラフォンが結構おいしい。
第2楽章はここまでの中では一番オネゲルに近いかも。ヒンデミット的とも。
鍵盤打楽器も多く使いピアノもあるので、解説にもあるように、管弦楽のための協奏曲のような形を連想させる。
全2楽章16分少々、二管編成の小規模な作品です。
「交響曲第4番」(1988)も、特殊奏法も現れたりしますが基本的に、本来の交響曲らしい概形を取っています。
5楽章形式で、どの楽章もかなり旋律が込み合った音楽になっていて濃い響き。

ブーレーズといろいろと敵対していたこともあって知名度は微妙な感じですが、
作風は近代の延長で、はっきり言ってディティユーよりずっと聴きやすい。
確かに前衛の目で見れば微妙でしょうが、こういう曲はもっと知名度が上がって良いと思う。
演奏も、フランスとは思えない(偏見)荒々しさが聴ける場面もあって、とても良かった。1番は最高。



Marcel Landowski edition
Piano Concerto No.2, Concerto for ondes Martenot,Strings and percussion,
Concerto for Trumpet and Electro-Acoustic Instruments, Symphony No.1-4,
Le Fantome de l'Opera, Un Enfant appelle, La Prison, La Vieille Maison,
Messe de l'Aurore, 4 Pieces for Trumpet and Organ, Le Fou

Annie d'Arco,P.  Orchestre National de l'O.R.T.F.  Jean Martinon,Con.
Jeanne Loriod,Ondes Martenot  Orchestre de Chambre de Musique contemporaine  Jacques Bondon,Con.
Maurice Andre,Tp.  Orchestre Philharmonique de Strasbourg  Alain Lombard,Con.
Orchestre National de France  Georges Pretre,Con.
David Wilson Johnson,Singer  Michel Bouquet,speaker
Orchestre Philharmonique des Pays de Loire  Marc Soustrot,Con.
Galina Vishnevskaya,S.  Mstislav Rostropovich,Vc./Con.
Choeurs et Maitrise de l'Opera de Nantes  Marcel Landowski,Con.  etc.
Erato / Warner Classics & Jazz  2564 69591-7

勢いに任せて買いました、マルセル・ランドスキのEratoもといワーナー系列に残る録音集成9枚組。
「ピアノ協奏曲第2番」(1963)は妻の独奏で初演されています。
不穏げな序奏からトランペットの強奏が瞬間的に立ち上がる。
それから思いっきり始まる独奏の疾走はオネゲルの機械的な推進力をすごく連想させる。
このごつごつとしたトッカータのような音楽が激しく進む所はすごいかっこいい。
第2楽章は解説曰くラヴェルのピアコンぽいとのことですが、まあ確かに比較的流麗な感じはする。
第3楽章は再び性急な動きに支配された息せき切るような音楽、素晴らしい。
「オンド・マルトノ、弦楽と打楽器のための協奏曲」(1954)はなかなかレアな協奏曲作品。
かなり古典的な響きの出だしからゆっくりとオンドマルトノが旋律を奏でる。
2楽章構成ですが、どちらも非常に神秘的で不可思議な、電子音楽器らしい音を楽しめる作品になっています。
「トランペットとエレクトロ・アコースティック楽器のための協奏曲」(1976)は
要するにエレクトロ音響が管弦楽伴奏に付加されている。モーリス・アンドレのために作曲。
いかにもな音響にのせてトランペットが朗々とソロを吹き、次第に熱気を持っていく様は
アンドレの技巧もあってなかなかクールながらに重く響く。第3楽章とか渋くてかっこいいソロ満載。
ただ、3楽章25分の作品中ずっとこんな調子なので相当に重厚なのを覚悟する必要はある。
あと、電子音響がはっきりと活躍するのは以外にも第3楽章くらいであとは印象が薄め。
…交響曲のCDは以前買った(というかこれ買うきっかけのCD)ので略。
「交響曲第2番」(1962)、D音による不気味なリズムで開始。
それが次第に発展し、緊迫感を持った物々しい音楽が進みます。
後半なんか、ちょっと伊福部昭にも通じそうなレベルの重さを感じるリズム。
第2楽章は妖艶で緊迫感がありながらもちょっとさびしげな響きが、とても内向的な劇的音楽で良い。
第3楽章、ちょっとおどおどした出だしなのに次第に速くなって走り出す扇情感がすごく彼らしい。
ただ、その割にはラストが不思議な終わり方をする。
「オペラの亡霊」からの抜粋は、作者の言の通り比較的すっきりとした分かりやすい音楽の流れ。
音を聴く限り、オペラの情景などさまざまなサンプルを用いながら
かなり具像的な光景が見えるように作られています。映像つきなのかな。
ネズミの楽章なんかは小刻みに動くミニマルな楽想と特殊奏法が印象的。
「幼子の呼び声」はフランス詩人Marie Noelのテキストを元に作られた曲。
映画音楽にでも使えそうな絶妙にかっこいい序奏からヴィシネフスカヤが艶のある声で歌う。
詩的ながらもなかなかにシンフォニックな響きが全体を通して聴けるのが良い。
歌劇的協奏曲との副題がついている「監獄」は先ほどと同じくヴィシネフスカヤとロストロポーヴィチに書かれたもの。
作品の性格やこのメンバーの持つ音色も相まって、ちょっとショスタコーヴィチ風に聴こえなくもない。
楽器編成でシロフォンが出てくるあたり、この時期の彼の作風に似ている。
「古い家」は2幕からなる音楽物語。自身に依るテキスト。
こちらは音楽だけでもドラマ性がはっきり分かるので、聴いていて楽しい。
…ただこの全集だとテキストの収録までしてないので話の筋が分からないのが残念。
「暁のミサ」(1976-77)は交響曲などと並ぶ代表作の一つ。
彼の制作活動の転帰になる曲でもあり、音楽は近代フランスのそれを意識したもの。
荘厳な音楽の響きの中でも、たとえば第3曲のようなところはすごくランドスキらしい勢い。
「トランペットとオルガンのための4つの小品」は暁のミサと同時期、トランペット協奏曲の直後に書かれたもの。
ピッコロトランペットを使った、非常に輝かしくて高い音がオルガンと共に降り注ぐ
妖しくも美しい第1曲、オルガンの不協和の上でソロがリズミカルに舞う第2曲。
第3曲の憂いを持った歌から第4曲のやはり荘厳ながらも華やか極まりない音への変遷。
個人的には、アンドレの演奏も相まって非常に気に入った曲になりました。
「愚か者(The Fool)」は1948-55年の長期にわたって書かれた3幕5場の歌劇。
第2次大戦の中科学者の作った兵器を巡って繰り広げられるリリカルドラマ。
オンドマルトノか何かの持続C音から始まる序曲はそのまま第1幕につながります。
中身は意外と普通に進むので、逆に自分に強く印象が残る部分は少ないのですが、
それでもところどころの情景にメカニカルに動く動機が見えたりする。



David Lang
Child

Sentieri Selvaggi  Carlo Boccadoro,Cond.
2003 Cantaloupe  CA21013

Bang on a Canの創立メンバーであり、そちらの方面を中心にポストミニマルな音楽を作る
デイヴィッド・ラング(1957-)の2002年作品。
ヴァイオリンのパッセージを合図にして、流れるような二音反復の旋律が広がっていく。
同じCantaloupeから出ている「The Passing Measures」みたいなものを想像しただけにその差にびっくり。
こっちはなんだかグラスっぽい響きだなあ。
第2曲は変わってボサノヴァみたいな印象を与える音型の反復。
ふわふわとしたとりとめのなくライトな楽想が心地良い。
第3曲、軽快であるのに加えてアクセントの不規則な変化がちょっと緊張感も与えてくれる。
終始演奏されるピアノの硬いメカニカルなパッセージが印象的。
第4曲、弦楽器の静かなモノローグに打楽器とピアノの粗野なアクセントが乱入。
第5曲はチェロが延々と続く旋律を不規則に揺らぎながら演奏する背後を、
金属質なノイズと残響豊かなピアノの雫のような積み重なりが満たしていく。
ポストミニマルの代表的旗手であることはこれを聴いて確認できましたが、
自分の好みに合うかというとそこまででは・・・



Gyorgy Lang
Concerto Ebraico
Concerto Ebraico, The Death of the Faun, Chanson d'automne,
Love Song of the Cricket, Fleur du delice

Leila Rasonyi,Vn.  Erika Mayer,P.
Budapest Symphony Orchestra  Ury Mayer,Cond.
1998 Hungaroton  HCD 31767

ピアニストとしてそのキャリアをスタートしたものの怪我で断念、
コダーイの作曲クラスで学び、舞台音楽なども積極的に書いていた、
聴衆の立場に立って自分のルーツに即した音楽を描いていたハンガリーの作曲家ジョルジュ・ラーング(1908-76)。
戦時中はユダヤ系ゆえに収容キャンプ行きとなり、戦後も公務員をしながら
夜のバーでピアノを弾くという地味な仕事をつづけ、
晩年にようやく音楽教授職に就けたというなかなか波乱な人生を歩んでいます。
「ユダヤ協奏曲」は彼の代表作の一つ。第二次大戦後に作られた作品です。
ヴァイオリンのヘブライ情緒豊かなソロパッセージと近代的なロマン派風和声で展開する伴奏。
中間からカデンツァを通してラストの合奏に入るあたりはサラサーテやヴィエニャフスキの辺りの
技巧的なパッセージを思わせながら華麗に展開していて面白い。
第2楽章のアラビア風旋律な出だしはこの作品の性格を良く表したもの。
中間部、トロンボーン主導のソロがあったりとユダヤ風の祈りが聴けます。
第3楽章はクレズマーの踊りがそのまま現れたような舞踏音楽。
最終楽章の変化豊かな音楽展開の最後に冒頭の主題に戻って、行進曲風の勢いある音楽で華々しく終わります。
45分かかる重厚な音楽ですが、なかなか面白かったです。
後半には、戦前に書かれたヴァイオリンとピアノのための作品が4つ。
「ファウヌスの死」は10分近くかかるだけあって、この中で一番技巧的。長くゆるやかな旋律。
「秋の唄(落葉)」はちょっと軽妙なリズムが印象的な小品。
「クリケットへのラヴ・ソング」は小気味よいリズムがクリケットを表しているのでしょうか。
けれど、高音がメインのどこかかわいらしい、ヘブライ的旋律が綺麗な音楽。
「優美な花(Graceful Flower)」はサラサーテ風のスペイン色が漂うメロディー。
演奏、ヴァイオリンも十分に楽しめるし、オケは実力申し分なし。



Klaus Lang
Missa Beati Pauperes Spiritu

Pater Gerwig Romirer,Cantor  Natalia Pschenischnikova,Voice
Roland Dahinden,Tbn.  Gunter Meinhart,Perc.  Trio RGB
Thomas Musil,live electronics
2006 Col legno  WWE 1CD 20271

ベアト・フラーらに師事経験あり、ヴァンデルヴァイザー楽派へ入ったこともある
オーストリアの作曲家、クラウス・ラング(1971-)の「幸いなる心の貧しき者へのミサ」。
Musikprotokoll 2005における世界初演の録音です。ただしこれは演奏人数節約のために
エレクトロニクスが用いられており、実際にはもっと大人数が必要なようです。
「入斉唱」で鐘と銅鑼の音が弱弱しく鳴り、「キリエ」へ。
弦楽器のかすれた持続音が重々しく伸び、聖歌が細く細く歌われる。
実際には弦楽器も聖歌の拡大形のはずだと思われるのですが、
あまりにも遅く静かなので聴いている分にはほぼ持続音にしか感じられません。
次第にトロンボーンの倍音も入り、「グロリア」へ。静かながらもおごそかな盛り上がりが提示される。
フォルマントに対応する母音唱法のソプラノが淡く反射し、音がかすかにきらめく。
弦楽の特殊なピッツィカートが印象的な「クレド」、弦のかすれが耳に残る「サンクトゥス」。
「Toccata per l'elevatione」だけ元のミサ曲にはない構成ですね。緩やかな下降グリッサンド。
「アニュス・デイ」、鐘の音が持続音に染み渡り、風の音が寂しく渡る。
「転帰」の鐘の音で、全曲は静かに締めくくられる。
ラングの曲の中ではまだはっきり楽しく聴ける方、という批評がしっくりきます。
確かに、聴いていて旋法的な要素などがあってとても静かで荘厳な雰囲気が充満している。
カッコいいとも表現できるでしょう。たしかにまだ聴きやすい。
Trauermusikenとか、かなりやばかったもんなあ。



Elodie Lauten
Elodie Lauten Piano Works Revisited

2010 Unseen Worlds  UW05

活動初期はアレン・ギンズバーグと共演するくらいだったのが
アーサー・ラッセルと会ったことでポストミニマルにのめり込むことになったアメリカの女流作曲家(1950-)の二枚組。
タイトル曲のCD再発などをはじめ、初出のボーナスなんかも結構はいってます。
「Piano Works」、オルガンの細かなトレモロに乗せてノスタルジックなピアノがミニマルに広がっていく。
爽やかな音楽がころころと流れ、不可思議なBGMを裏にして憂いのある音がゆったりと染み渡る。
常に何かしらの実験的な音響が背後に流れることで、単に聞き流せるような
イージーリスニング感覚を押しとどめ、どこか深みのある瞑想的な音楽に仕上げています。
「Concerto for Piano and Orchestral Memory」になると、その実験音響の対象が管弦楽器に。
ラッセルのチェロやPeter Zummoのトロンボーンなんかが音源に使われてます。
管弦楽器オンリーのドローン風な部分やクラシカル(やガーシュウィン風ジャズ)な場面もあったり。
ただ、「Tempo di Habanera」の部分はハバネラじゃなく、もっと別に近いジャンルがあったような・・・
「Tango(Vocal version)」の方が自分的にはハバネラっぽい(正確にはアルゼンチン・タンゴとのこと)。
ロック形式が云々言っているので、元はロックバンドのために書かれたものを後年ピアノソロ&ヴォーカルに編曲したようです。
ピアノソロ作品の「Variations on the Orange Cycle」は一番ポストミニマル的に聴こえる。
これっぽい作品を他にも聞いた気がしたけれど誰だったっけかなあ。聴きやすいしいいけれど。
すごく即興的ではあるけれど、一応きちんと構造を決められた音楽です。
「Sonate Modale」は95年トロントでのライヴ録音。もやもやとした音響ドローンにセピアなピアノが響く。
この中では一番実験音響やエレクトロニクスの影響が強い音楽。でも内容は素晴らしい。
ラ・モンテ・ヤングなどを研究したこともあるようですが、少なくとも
ここで聞かれる音楽はむしろ他の初期ミニマル御三家(特にライリーとグラス)の影響が非常に強い。
ちょっとポストミニマル特有の安易さもあるけれど、とても楽しめました。



Ton de Leeuw
Antigone

Maartine Mahe,Mezzo-S.  Netherlands Radio Chamber Orchestra  Reinbert de Leeuw,Cond.  etc.
1993 NM Classics  92036

メシアンに師事し、バルトークを敬愛しながら微分音にも興味を示し、
アムステルダムで多くのオランダ若手を育成したトン・デ=レーウ(1926-96)の
ソフォクレスによる「アンティゴネ」を下敷きにした1時間弱の音楽劇。
トロンボーン主導の、ギリシャ的なイメージを連想させる、少々滑稽というか諧謔的な暗さを持つ序奏で開始。
主部は、悲劇らしい重い音楽を展開していますが、なかなか前衛さは薄い。
まあ彼最後のオペラと言える1991年の作品ですし、彼自身そこまで前衛ではなし。
むしろ、程よく刺激的な和声でずっと進行するので、聴いていて音響的にも飽きない。
というか、聴いていて気づいたのですが、編成に弦楽器が極端に少ない。チェロとコントラバスのみ。
二管編成が基本のアンサンブルで低弦が3人のみだったら、そりゃ重厚なウインドアンサンブルサウンドになるな、俺好みの。
と言うかフルートもトランペットもなしでオーボエもアルトオーボエ持ち替えなのでそもそも中低音しか存在しない。
こいつはなかなか熱い編成だ…あと、チェロまで持ち出しやがる昨今の吹奏楽事情を鑑みれば
吹奏楽作品カテゴリに無理やり組み込むのも不可能じゃない気が。
何というか、いかにもオランダらしい…というか管楽器大好きなアンドリーセンみたいな印象も感じる作品でした。
おかげで、この手の作品としては自分的にかなり楽しかった。



Jon Leifs
Geysir and Other Orchestral Works
Gaysir,Op.51 Trilogia Piccola,Op.1 Trois Peintures Abstraites,Op.44
Icelandic Folk Dances,Op.11 Overture to 'Loftr',Op.10 Consolation,Op.66

Iceland Symphony Orchestra  Osmo Vanska,Cond.
1997 BIS  BIS-CD-300830

アイスランドを代表する作曲家ジョン・レイフス(1899-1968)のオケ作品集。
表題曲はどろりとした低音のうねりから、穏やかに、しかし力を持って壮大に展開していく。
金管が吼え声をあげ、トリルを伴いながら最後には絢爛なクライマックスを築き上げます。
やがて曲は静まり返り、興奮が去ったかのようなメロディーが、また低音の中に消えてゆく。
「Trilogia Piccola」は彼がまだ20代前半の頃の作品。
半音階メロディーの印象的な、華やかな第一楽章、より内向的でまだ穏やかなほうの第二楽章、
全音音階に基づいた活動的な第三楽章。その時代の北欧音楽シーンによく合った素直な曲です。
「Trois Peintures Abstraites」は短い3曲が連なる小管弦楽のための作品。
戦後の作品ではありますが、非常に聴きやすく、レイフスの劇的なエッセンスがちんまりと詰まっています。
「Icelandic Folk Dances」はメロディが異常にはっきりしている、彼としては作風が少し異なるもの。
民謡的なテーマが、一部は彼らしいものの、大体はのどかな伴奏にのせて可愛らしく踊る。
伴奏が力強いこと以外はごく普通の民謡編曲、といった風ですね。
「Overture to 'Loftr'」はこれと同時期の作品ですがずっと純音楽的。鐘の鳴る冒頭からせわしない弦・木管と金管が乱舞する。
民族的な主題も出てきますが、あくまで素材といった感じ。彼は民族音楽に対してはこのような姿勢が主体だったようです。
劇的で、美しさと凶暴さが対比するように現れる。1927年の作品としてはなかなかに前衛的です、レイフスっぽい作品だけれど。
「Consolation」は彼の遺作。美しい弦楽合奏で徐々に盛り上がり、あっさりと終わる。
彼らしい乱暴さはないけれど、北欧的な凛とした風景が見える、彼独特の彼岸を表現したような作品です。
オスモ・ヴァンスカ指揮アイスランド交響楽団の演奏は
荒々しさと美しさが別々にうまく出ていて良いのだけれど、ちょっと流石に乱暴すぎるところも。



Daniel Lentz
wolfMASS

Daniel Lentz Group
Rhizome Sketch  RZF1011

独特のディレイシステムを用いた曲で知られるダニエル・レンツの1986-87年大作、「狼のミサ」。
人間と動物、それぞれの優しさと破壊の二面性を題材にしてミサ曲の各曲ごとにアメリカの野生動物を当てはめた作品。
動物の鳴き声を模した声とシンセドラムによる「Preludium」の後、
近作の彼らしいシンセのミニマルさもある伴奏に乗ってジェシカ・カラカーが
ちょっとフォーク・ロックな感じの声で自身によるテキストを次々歌い上げる。
時折、アメリカ国歌を始めとしてなにかパロディのようなものが現れますが、
これは曰く、16世紀の作曲家がよく使った流行りの旋律を盛り込む手法を使っているだけ、とのこと。
レンツ自身がネイティブ・アメリカンの血をひくというルーツはこの曲でも存分に発揮。
民族的ともヒーリングとも言えるような不思議な世界が聴けます。
もちろんポストモダンを通りすぎてチープな感が全開なのは全く否定しませんが。
比較的近年の作品中ではまともな方。



Daniel Lentz
b.e.comings
Song(s) of the Sirens, Midnight White,
Slow Motion Mirror, Butterlfy Blood, b.e.comings

Daniel Lentz Group  Montagnana Trio
Rhizome Sketch  RZF1008

ダニエル・レンツの以前から欲しかったCDをついに入手。70年代の作品がほとんど。
Cold BlueのCDで聴いて以来はまっている「ミッドナイト・ホワイト」とかが収録されています。
「セイレーンの歌」、ピアノと弦楽器の美しい煌めきから、声が次第に重なっていく。
10の部分を順番にループさせ、次第に長いひとつのメロディーが浮かび上がるように設計された、
構成的にも巧みな曲。もちろんその(セイレーンの歌声のような)美しさは格別。
音を重ねてくることで次第に断片から旋律が浮かび上がる点は、ライヒによく似ている。
ここに収録されている「ミッドナイト・ホワイト」、ちょっとコールド・ブルーのテイクとは違いますね。
クレジットでは77年録音のコールド・ブルー音源をそのまま使っているようですが、
(この曲だけ)何十回と聴いた私の耳には全く別物に聴こえます。
こっちのほうがテンポは遅めで個々の動きがはっきりわかる。そして冒頭はこちらの方が長い。
どちらもどちらなりの良さがある。というかどちらも綺麗な曲に変り無いから構いません。
この夢見るような旋律の響きがたまらない。
「スローモーション・ミラー」も上記の曲たちと全く同じ作り方。きらきらと輝くシンセが心地良い。
「バタフライ・ブラッド(蝶の鮮血)」ではテキストの重ね方がより複雑に。
5つのパート(全て別の意味を持つテキストになっています)が少しづつ重なりながら、キーボードのアルペジオも厚みを増して行く。
「ビー・イー・カミングス」は珍しくパーカッシブな冒頭で始まり、そこから始まる音楽も他と毛色が違う。
それもそのはず、この曲だけ90年代の作曲。ポストミニマルなポップさがあるのも理解できる。
でも基本的な構造は今までと変わらず。長いスパンで重なっていきます。
なお、CDにはディレイシステムを使用した結果の部分、つまり
それぞれの曲の最後の部分を抜粋したものが最初に収録されています。
これを聴かされたあとに全曲を聴くと、そのエコーの重なりがどれだけのものかよくわかる。
75年に作られた中3曲はCold Blueのシングル/3CDでも聴けたもの。
この時期のレンツは本当に美しく素晴らしい曲を書いていた。



Peter Tod Lewis
String Quartet No.2"Signs and Circuits", Bricolage, Manestar, Gestes, ...of bells...and time

Columbia String Quartet  Steven Schick,Perc.  members of the Center for New Music Ensemble
John Ferrell,Vn.  James Avery,P.  Peter Tod Lewis,Tape Realization
1992 Composers Recordings Inc.  CRi CD 619

ルーカス・フォス、フォルトナー、ロベルト・ジェラールらに師事したカリフォルニアの作曲家
ピーター・トッド・レウィス(1932-82)作品集。元々ここから出ていたリリース2枚をまとめたもの。
癌で亡くなってますね。どうでもいいですが、姪にハリウッド女優がいるらしい。
「弦楽四重奏曲第2番」は各パートの不合致というか、個々が関係性をできるだけ疎にして響く音楽にしている…のかな。
強烈なグリッサンドで開始し、短いスパンで特殊奏法もふんだんにまみえて鋭い音響を作っていく。
金属的な質感のテープ再生も絡んで、非常に刺激的な音響作品になっています。
最後の、コラール的な進行の調性的な緊迫感ある音楽にノイズが絡んでくるあたりかっこいい。
打楽器とテープのための「Bricolage」、指ではじく鈍い音が幾重にも湧き上がってくる冒頭。
各部ごとに楽器を変えて技巧的に展開する。広漠とした電子音ドローンが絡んでくる中間から面白い。
後半は前半を元にした行進曲が始まります。
テープと7奏者のための「Manester」は元々ピアノ協奏曲として考えられたものなのでピアノが結構メイン。
最初の曲と同様、コラージュ風の構造ではありますが、こちらは25分近い大作ということもあって
音楽の変遷はあちらほど急激なパッチワーク風ではなく、漸次的な印象。
雲のように薄く各楽器や電子音が伸びていくような楽想がメインだからかもしれません。
テープ作品の「Gestes」は電圧調整のみで変化をつけた作品らしいですが
とりあえず結果は電子音が淡々と一定のリズム感覚でぼろぼろと零れ落ちていくシリアスなもの。
最後の作品は「a dialogue for violin an piano」との副題が。
メキシコの街に住んだとき、有名な鐘の音がそこの教会から鳴る様を元に作ったそう。
ピアノのモチーフが確かに鳴り響く反響のようで印象的。

アイオワ大学の電子音楽センターに勤めていただけあって電子音響はお手の物。



Gyorgy Ligeti
Concerto for Piano and Orchestra
Concerto for Violoncello and Orchestra
Concerto for Violin and Orchestra

Pierre-Laurent Aimard,P.  Jean-Guihen Queyras,Vc.  Saschko Gawriloff,Vn.
Ensemble InterContemporain  Pierre Boulez,Cond.
1994 Deutsche Grammophon  439 808-2

リゲティのさまざまな協奏曲3曲。
「ピアノ協奏曲」(1985-88)は「練習曲」の第1曲みたいな激しい不規則リズムの第1楽章で幕を開ける。
やたら明るい木管の旋律などが絡みながら激しく高揚する。
一転して第2楽章は木管主導の非常に瞑想的な、音数少ない楽章。
第3楽章はまた躍動的ですが、今度は幾分メランコリック。
第4楽章でメカニカルに音階が組み立てられた後、第5楽章で元の調子に戻って終了。
ピアノはさすがピエール=ロラン・エマール、硬い音で容赦なく叩いてくれてます。
「チェロ協奏曲」はppppppppのチェロで開始。徐々にドローンが鬱屈していき、緊張がひたすら張り詰められていく。
第2楽章はかなり細かなテキスチャがチェロに現れ不気味に蠢くが、それ以外の楽器はまだ不協和音の伸ばしが多い。
初期(1966)の作品らしい、持続音のテンションに支配された音楽。
「ヴァイオリン協奏曲」(1990-92)は分散和音的なヴァイオリンに始まり、第2楽章からはメロディアスなソロが聴ける。
オカリナが登場したり、それまでからするとかなり異色。晩年の作品らしい、非常に綺麗で内向的な曲です。



Gyorgy Ligeti
A Cappella Choral Works

London Sinfonietta Voices  Terry Edwards,Cond.
1997 Sony  SRCR 1993

彼のアカペラ作品は「2001年宇宙の旅」で「ルクス・エテルナ」が使われたことによって
やたら実験的な側面の印象が強いですが、実際にはハンガリー民謡の影響を受けたものが量的にかなり多い。
5分以下の作品がほとんどですが、それらの多くはハンガリー民謡の編曲か、
それらに基づく自由な創作です(割合的にはオリジナルなものが多め)。
例えば全4曲の「異国の地で」を聴くととても穏健な作品で「民謡編曲だ」と言われれば素直に信じられる出来。
それもそのはず、収録曲の大半はリゲティが祖国ハンガリーからオーストリアへ亡命する1956年以前の作品。
それ以降のものは「ルクス・エテルナ」(1966)、「フリードリヒ・ヘルダーリンによる3つの幻想曲」(1982)、
「ハンガリー・エチュード」(1983)しか(少なくともこのCDには)ありません。
彼が青年時代に合唱を経験し、さらにバルトークやコダーイ、及び民族音楽に関心を持っていたことから
これら大半の作品が作られたのですが、そこからは彼初期の語法の変遷を読み取ることが出来ます。
もちろんその裏には、前衛的な作曲が一切許容されなかった動乱直前の政治情勢もまとわりついている。
40年代の曲は純粋に穏健なのですが、50年代に入ると現代的な和声も現れ(トルミスのよう)
55年の作品(シャーンドル・ヴェレシュの詩による「夜」「朝」など)では後年を予感させる動きが見て取れます。
「ルクス・エテルナ」におけるミクロ・ポリフォニーの技法は今においても斬新性を失いません。
長く伸びていくドローン状の響きの中で、複雑に絡み合う16声部がうごめく。
「ヘルダーリンによる3つの幻想曲」も16声部ですが、こちらははっきりと動きが分離できる通常のポリフォニー。
「ハンガリー・エチュード」はさらに複雑なリズムを生み出すために多くの声部やテンポを用い、
晩年の彼が好んだリズムへの執着が見て取れます。
演奏は彼ららしい透明でまとまったもの。破天荒さはないですが、民謡ものは穏やかで良い。



Lukas Ligeti
Mystery System
Pattern Transformation, Moving Houses,
Independence, New York to Neptune, Delta Space

Amadinda Percussion Group  Ethel
Procede Rodesco-Letort  Kathleen Supove,P.
2004 Tzadik  TZ 7099

リゲティと言えば普通大作曲家のジョルジュが出てきますが、こちらはルーカス・リゲティ(1965-)。
ジョルジュを親に持つウィーン出まれの作曲家。コスモポリタニズムに基づき
ロック、ジャズ、民族音楽などとのクロスオーバーをした音楽を書いて言います。
「Pattern Transformation」はマリンバ2台を4人で叩く、非常にミニマリスティックな作品。
彼最初期の作品ですが、正直(Tzadikだし)エルネスト・マルティネスが始まったのかと思いました。
ウガンダの音楽に影響を受けて制作されたという、4分ほどの小品。
弦楽四重奏のための「Moving Houses」はクロノス・カルテットのために書かれた作品。
西アフリカの音楽構造やルーマニアン・ジプシーのフィドルを音楽に組み込んだ、
限られた音階による主題から様々に発展していく音楽。いろんなジャンルが次々湧き出てきます。
打楽器四重奏の「Independence」はオフビートとオンビートの間をさまよう曲。
アジアやアフリカのドラミングが現れながらも、常にある程度抽象的で独立した動きが保たれています。
そういう意味では一番実験的でかつ響きが面白かったかもしれない。
「New York to Neptune」になると、弦楽四重奏以外に、ついにドラムマシンが。
まあCDのための短い企画作品ですが、この作曲家のなんでもアリな感覚が垣間見れる。
ピアノ独奏とYAMAHAディスクラヴィアのための「Delta Space」はモアレ効果が楽しめる。
独奏と、コンピューター制御された電子楽器の音が幾重にも微妙に重なる様子はまさにヘテロフォニー。
やはりアフリカの音楽から素材を持っていており、基本的な音響はまるでナンカロウ。
後半はサンプラーによる音楽断片が素材となり、さらにいかれてきます。これは楽しい。
父親ともどもナンカロウの影響が強そう。
Tzadikらしい、微妙に無視できない面白さがあるのがいいですね。
とりあえず「Independence」「Delta Space」を聴きましょう。



Magnus Lindberg
Piano Concerto, Kraft

Magnus Lindberg,P.  Toimii Ensemble
Finnish Radio Symphony Orchestra  Esa-Pekka Salonen,Cond.
2004 Ondine  ODE 1017-2

フィンランドの代表格にして50年代生まれの最重鎮の一人、マグヌス・リンドベルイ(1958-)の作品二つ。
「ピアノ協奏曲」(1990-94)は倍音的な和声と半音階和声、旋律と音の蓄積の対比がテーマ。
第1楽章では力がみなぎるかの如く万華鏡のように和声が入り乱れ跳ねまわり
第2楽章のゆるやかな中でもピアノソロは半音階的な、けれど浮遊感のあるソロをひたすら奏でる。
第3楽章、流れるようにリズムが響き、和声が積みあがる様はやっぱりかっこいい。
自作自演のピアノは可もなし不可もなしといったあたり。正直、手放しに賞賛できる技量ではないけど、
本人のやりたいことはたぶんやり尽くしているであろう点から無難なあたりに。
この協奏曲がかなり華麗な印象を受ける一方、その5年以上前の「クラフト」(1985)は
しょっぱなから衝撃的に破裂音が複雑に絡み合う。
こちらの方はとにかく派手で衝撃的な音響がひたすら出てくるので対照的。
初期リンドベリの鋭さが聴ける意味でも代表作と言える。
自分はどちらかというとこっちの音の方が好みだったんですが・・・



周龍(Long Zhou)
「唐の詩」「タイグの韻」「ダ・ク」「炎の未来から」
Poems from Tang, The Rhyme of Taigu, The Future of Fire

Shanghai Quartet  Jonathan Fox,Perc.  Philharmonic Chamber Choir, Singapore
Singapore Symphony Orchestra  Lan Shui,Cond.
2004 BIS  BIS1322

周龍(ジョウ・ロン)は中国出身の作曲家。
「唐の詩」は前衛的要素が比較的強い曲、30分の大作です。ソリストとして弦楽四重奏が参加。
第1楽章、弦楽四重奏の空虚なテクスチャから徐々に旋律がまとまってくる。呟くように断片が浮かんでは消え行く。
第2楽章は弦楽四重奏が中国風の旋律をおずおずと奏で、そこからだんだんと壮大な風景が鮮やかに広がる。
うって変わり第3楽章は妖しげで神秘的な序奏から、急くような荒々しい曲調に。基本的には暗い。
第4楽章は最初は前の雰囲気を引きずっているものの、だんだん躍動的になって疾走する激しい曲に。最後は四重奏が呟き終了。
「タイグの韻」は太鼓と低音のどろどろしたリズムから開始。クラリネットのソロが歌い、激しい土俗世界が繰り広げられる。
これはなかなか楽しい。前衛的要素は比較的薄く、気軽に楽しめます。特に最後は金管が吼えてテンション高い。
「ダ・ク(大曲)」はどこか雅楽を思わせる部分で幕開け。神秘的に進んでいると思ったらいきなり激しい舞踏に。
激しい部分と神秘的な部分が交互に現れます。日本の雅楽の起源である古代中国の音楽に焦点を当てた曲とのこと。
パーカッションとの協奏曲形式、さり気無いところで華を添えてきます。
「炎の未来から」は合唱付きの激しい、けれどちょっと聴きやすい曲。楽しいです。
ちょっと荒々しい映画のオープニングと考えれば、素晴らしい一大絵巻があなたの前に。
全体的に、演奏はなかなか頑張っています。太い音が響いてこないのは単に録音がよくないだけ。これBISの録音の中では外れの方だなあ。



Jose Manuel Lopez Lopez
Concierto para piano y orquesta
Concierto para violin y orquesta
Movimientos para dos pianos y orquesta

Alberto Rosado/Juan Carlos Garvayo(Mov.),P.  Ernst Kovacic,Vn.
Deutsches Symphonie Orchester Berlin  Johannes Kalitzke,Cond.
2010 Kairos  0013022KAI

マドリード出身、ルイス・デ・パブロに見いだされパリ大学で電子音楽などを学び、
IRCAMでミュライユの教えを受けた経歴を持つホセ・マヌエル・ロペス=ロペス(1956-)の協奏曲作品集。
「ピアノとオーケストラのための協奏曲」(2000-05)は第2カデンツァ部分がこの録音のために書きなおされています。
冒頭から、激しい弦をはじく音の雨あられ。まるでレインスティック。
その中から次第に高音のきらめきがこぼれだし、低音の唸りが押し寄せる。
音楽は基本的にソロ楽器を含めて音が激しくまき散らされることで進む、まるでおがくずのようなこぼれっぷり。
音響としては一番爽快で、聴いていてとても楽しいですね。
「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲」(1995)は弦楽のハーモニクスが煌めく冒頭から
音色が目まぐるしく変遷する、実に色彩豊かな音楽がひっきりなしに続く。
このあたりを聴いていると、IRCAMでのスペクトル楽派洗礼を色濃く残しながら
自身のルーツに根差す強いリズミカルさを音楽であらわしているのかな、と考えたくなります。
「2台のピアノとオーケストラのための断章」(1998)は今までに比べると非常に聴きやすい作品。
今まではクラスター音響やトレモロ音型などを不定形に反復させることによって得られる
不明瞭な音の積み重なりが音楽の根幹でしたが、ここでははっきりと普通の音符によるモチーフが使われているため。
淡々と進む様な音列の連なりに入ってくる破裂音の応酬が小気味よい。



Erik Lotichius
Symfonietta, Piano Concerto No.2, Four Songs on Native American Poetry

Jo Vercruysse,Vn.  Eliane Rodrigues,P.  Michelle Mallinger,Mezzo-S.
Rudy Haemers/Karla van Loo/Maria Liekens,Sax.
Prima la Musica  Dirk Vermeulen,Cond.
2009 Brilliant Classics  BRL-9158

ピアニストを目指したものの事故で断念、法律を一時学ぶも音楽を捨てきれず作曲家として
生きることを決意したベルギーのエリク・ロティシウス(1929-)作品集。
なんでBrilliantからこんなCDが出てきたのかびっくりですが、
とりあえずこれが彼の80歳を記念してリリースされたもののようです。
弦楽のための「シンフォニエッタ」は新古典風の形式を持った、舞踏組曲のような体をした作品。
ブルース、ハバネラ風、ジプシー音楽などのスタイルも取り込みながら
優雅にはっきりとリズミカルに音楽が進む、実に落ち着いた楽しい曲。
「ピアノ協奏曲第2番」はピアノ、弦楽の他にサックス奏者が3人というなかなか面白い編成。
しょっぱなからジャズ丸出しなピアノ、サックスもそれに絡んでソロをしてきたりと実に艶めかしい。
第1楽章は後半、完全に緩徐楽章の役割もはたしていて、第2楽章はどちらかというとスケルツォ楽章に当たる。
ちょっとミニマルな軽い間奏曲風音楽。第3楽章はフーガ展開でさらりと。
「ネイティヴアメリカンの詩人による4つの歌」、ロマン的だけれども
どこか映画音楽のようなライトな聴きやすさを持つ管弦楽に乗せてメゾソプラノが歌う。
音楽としてもある程度ネイティヴアメリカンのそれは意識した作風になっているようです。
ただ最後の小気味よい3+3+2リズムが楽しさはともかく、なんかすごい全体の中で浮いている気がするのは気のせいか。

作曲家としての決意の一つにバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴いて、というのがあるそうですが、
音楽の方はそれをほとんど感じさせないライトなもの。
音楽的な興味としてはジャズや軽音楽に強く傾倒しているようです。
もっともそのお陰で、ヨーロッパ前衛の時代では相当に肩身の狭い思いをしていたようですが。
音楽自体は、今の時代に聴くと普通にネオクラシカルな響きで奇異なものは感じませんが
だからこそ現代になってこのようにCDが出たりしているのでしょう、良いことです。



Anton Lubchenko
Karmadon Sonata
The Little Symphony for Strings Op.64,
The Prayer Song (Chamber Concerto for Piano and Orchestra) Op.58,
Quartet No.7 h-moll Op.61

Anton Lubchenko,P.  Conservatorium Quartet
St.Petersburg D.Shostakovich Philharmonic  Aleksandr Titov,Cond.
2008 Bomba-Piter  CDMAN 341-08

サンクトペテルブルグ音楽院で学んだ作曲家・ピアニストのアントン・ルブチェンコ(1985-)作品集。
ああ、ついに自分とほぼ同世代の作曲家が作品集CDのデビューをするようになってきたんだなあ・・・
「弦楽のための小交響曲」は2007年の作曲。
減音程が随所に使われた、強靭なリズム構造に支えられながら進む音楽は実にロシア・クラシックの流れを汲むもの。
ショスタコーヴィチやその同世代の作曲家がそのまま乗り移ったかのような響き。
まあ師のMnatsakanjanはショスタコの弟子ではありますが・・・
第2楽章の憂鬱で透明なヴィオラの歌や、そこからアッタッカで入る第3楽章のフガートとか見ても見事なまでにショスタコーヴィチ。
いや、ショスタコは俺も好きだからこういう曲は好きだけれどさ・・・なんつうかこう・・・
フガートの中から聖歌のようなコラールが響いてくる辺りや
最期のミニマルな盛り上がりはいかにもポストモダンですが良いですね。
「祈祷者の歌(ピアノと管弦楽のための室内協奏曲)」はさらにポストモダン的。
ピアノの静かな音楽から次第に盛り上がり、ティンパニのソロで頂点。
弦楽のそよぐようなパッセージ、強い拍動に乗せて進行する旋律の応酬。
きれいでかっこいい音楽なんだけれど、映画音楽のような表像的印象が拭えない、おかしいなあ。
進行自体はそんな旋律偏重の薄っぺらいものじゃないのに。
「弦楽四重奏曲第7番」も冒頭のシャコンヌからしてショスタコの音楽丸出し。
まあ彼の後期作品ほど枯れた音楽じゃないですが、この独特の暗い熱気は凄く似ている。

なんだろう、こいつはポスト・ショスタコみたいな立場につきたいんだろうか。
前衛の響きは殆どありませんが、ロシアならではのクラシック回帰が聴けるという意味で面白い一枚でした。
最後にトリビア。「シンプソンズ」に同名のキャラがいるらしい。



Alvin Lucier
Sferics, Music for Solo Perfomer

2009 Lovely Music  LCD 5013

ルシエのLP音源をまとめてリイシュー。
「Sferics」はその名の通り、大気中の電磁放電によって引き起こされる磁気テープ中の電位?のこと。
アンテナを使ってその電位の動きを採取し、音に変換したものがこれ。
ちりちりとひたすらノイズが撒かれるだけの様子は、なんだか初期の「Vespers」みたい。
8分程度の作品ですが、この長さで安心するか物足りないかは、俺からは何とも言えない。
「ソロパフォーマーのための音楽」は言わずと知れた彼の代表作。
パフォーマーの発する脳波を楽器に接続して音を出そうという、この異常ともいえる音響実験、
ちゃんとCD音源化されたのは意外にも(たぶん)これが初めて。
ぼこぼこ、くぐもった太鼓の音が響き、そこにシンバルやスネアなどのうなりがじわじわ入ってくる。
終始、テンポとか響きとか、そういった概念を完全に余裕で飛び越えた音たちが
淡々と連なっていくさまは、圧巻を通り越して畏怖すら覚えます。
これを40分ひたすら聴いていると、人間の脳波そのままのはずなのに、
意識がどこかへ飛んで行ってしまうようなアヤシイ気分になってきてしまうから怖い。
でもそれだけ凄いのがわかる、という意味でもこの音源は貴重。



ヴィトルド・ルトスワフスキ
Symphonic Variations
Symphony No.1,2
Musique funebre

Polish Radio National Symphony Orchestra  Witold Lutoslawski,Cond.
1994 EMI  7243 5 65076 2 3

ポーランドの大御所作曲家ルトスワフスキの自作自演音源。彼の比較的初期の作品ばかり。
作風が違うとはいえ、どの曲も彼ならではの堅牢な曲の組み立てが聴けて楽しい。
「交響的変奏曲」は1938年の作品なので、ワルシャワ音楽院を卒業したばかりの頃、かなり初期のもの。
フルートソロで開始される情緒的な序奏に始まり、華麗な変奏が技巧的にちりばめられるクラシカルな曲。
前衛さはあまりなく、彼の初期の音楽性が楽しめる、クラシック好きにはたまらない雰囲気。派手でカッコイイ。
交響曲第1番は1947年に作曲された、まだ後年の作風にいたる前の作品。
第一楽章は、冒頭のトランペットで提示される細かい特徴的な音形の主題をきっかけにして華々しく展開される。
第二楽章は初期の彼らしい、美しいけれど妖しく暗いアダージョ。が、それは弦の動機がきっかけで元気の無い行進曲に変わる。
この中間部はやがて大きく盛り上がり、その頂点に冒頭のメロディが戻ってくる。そしてこの二つの旋律が絡みながらさらに妖しく展開する。
第三楽章のスケルツォは少々グロテスクなメロディーが、金管主導のスタッカートに乗せ現れてくる。
それは金管によってさらにグロテスクさを増していくが、次第に落ち着いていく。
第四楽章はまた動きの激しい曲。金管にも容赦なく細かい音形が要求される。

後半は作風が前衛的に転換してからのもの。「葬送のための音楽」では彼が初めて12音音楽を採用した成果を表しています。
堂々とした、しかしどこか不安げな主題が様々に展開していく。
最初はユニゾンが印象的なコラール風。その後穏やかなマーチ調から徐々に激しさを増し技巧的にテンションを上げていく。
クラスターにまで発展した後それが収束し、穏やかな最後に向かう新たな流れを作り出す。
交響曲第2番は、指揮者のキュー以降は演奏者ごとに様々なテンポ・フレーズ等が繰り広げられるad-lib動律という技法を使ったものの一つ。
第一楽章、がさがさ細かい動きが分離・合体しながら動いていく。盛り上がりの後半には打楽器ソロも挟む。
金管とファゴットのどろどろした動きに挟まれて、そのまま第二楽章へ。
その中から弦の混沌とした動きがおしよせ、それはやがて全管弦楽を巻き込み、そこから動きが生まれ出る。
ここでも細かい動きが現れるが、第一楽章が内向的であるのに対し、ここではとても外交的。
ドローン上の騒々しいパッセージと度々おしよせる爆発の波がどんどんと焦燥感を強めていく。
それは長く展開されてついに頂点に達するが、それはふと中断され低く歌うコントラバスソロで幕を閉じる。
演奏はやや線が細く流れとしては散漫さがあるものの、曲の魅力をきちんと表現できた真摯なもの。
ポーランド特有の無骨さもあって良い感じ。ただちょっと音が遠いでしょうか。



TOP