作曲家別 M-O
姓のアルファベット順。
Jose Maceda
Drone and Melody
Strata, Sujeichon, Music for Two Pianos and Four Percussion Groups
UP Contemporary Music Players Ramon P. Santos,Cond.
The Miles Performing Group Steed Cowart,Cond. etc.
2007 Tzadik TZ 8043
ホセ・マセダ(1917-2004)はフィリピンが生んだ、東南アジアの中でもトップクラスの作曲家。
パリやサン・フランシスコに留学して音楽を学びながら、ヴァレーズやクセナキスに影響を受けた彼の音楽は非常に独創的。
アジアの民族音楽を大胆に取り入れながら、聴衆参加型のパフォーマンス音楽を開いたりと話を聴くだけでも凄い。
そういった音楽の大部分は編成やコンセプト上録音もまともにできないものが多く、さらに自国で活動を続けたこともあり
近年までは殆ど知られておらず、音源を聴くこともままなりませんでした。
高橋悠治やレーベルのALM、そしてこのTzadikなどによって彼の曲が聴けるようになって嬉しい限りですね。
「Strata」はこの中では唯一の大編成のための音楽。
bamboo Buzzerのびよんびよんした合奏からはじまり、木片や鐘などの民族楽器が始原的な音色を響かせる。
その上に、フルートやチェロ、ギターが伸びやかで民族的な音階をミニマルに奏で、際限なく多層に折り重なっていく。
大編成の彼の作品ならではの、混沌とした新しい世界が素晴らしい。
このトランス感覚に持ち込まれるような、強烈な色彩と、どこか開放的な伸びやかさは彼にしか作れません。
「Sujeichon」はアジア、特に韓国の民族音楽をベースにして作られた、ピアノ4台のための音楽。
どこか伸びやかな明るいメロディーがピアノで対話され、流麗に重ねられていく。
中間部は音楽はやや激しくなり、ずっとリズミカルに。その後も基本的には強い調子。
音楽の基底リズムは韓国のChanggo太鼓に基づくもので、4+4+3+3のサイクル、らしい。
とにかく聴きやすく、聴いていてのびのびできる曲。晩年の作品はこういう聴きやすい曲が多いですね。
「2台のピアノと4つの打楽器群のための音楽」は打楽器の激しいリズムと、ピアノのノスタルジック/リズミカルなメロディーの荒々しい応酬。
生命的なものと機械的なもの、息吹や自然空間と幾何学的人造物の対比を象徴するような曲。
ただそう考えると、自然の役割を人工的に作られたピアノが、幾何学の提示を自然発生的な打楽器が担当しているのが面白い。
とりあえずだまされたと思って彼の曲を一回聴いてみましょう。今までに無い音楽が聴けること間違いなしです。
録音状態は1曲目だけやや怪しいですが、演奏はどれも真摯なもの。音楽への意気が伝わってきます。
Jose Maceda
Ugnayan
2009 Tzadik TZ8068
なんてこった、ホセ・マセダのトンデモ傑作「20のラジオ局のための「ウグナヤン」」の音源が出てきやがった!
1974年の元旦にただ一度きり演奏されたこの曲の音源が発見されて、このたび奇跡のCD化。
午後6時ジャストにマニラ都市郡のラジオ局20箇所で同時に演奏を始め、それをその局から流す。
どの周波数にしてもこの演奏が聴こえてくる情景は、なかなかくるものがありますね。
今回、その20局の音源をミックスした全51分の音源が聴けます。
kolitong(zitherの一種)がぼろぼろと鳴り、Bamboo buzzerがびよびよと入る。
Bungbung(竹製のホルン)が虚ろに低音を伸ばし、音楽的には非常に瞑想的かつノイジー。
後半合唱が入ってくると、もはやサイケ音楽のドラッギーさ以上のものが味わえる。
タガログ語で「Interlinking(結びつけ、連結)」を意味する題は、
フィリピン地方文化の都市環境への具現化、フィリピン民族楽器によるミュージック・コンクレートの再現、
アヴァンギャルドにおける民族音楽的な形式の組み込みなど、
この音楽におけるさまざまな試みの全てを包有するものです。
独裁政権が進みつつあったフィリピンでこのような音楽が大々的に演奏されたことは
まさに奇跡的と言えたかもしれません(マルコス政権との詳しい経緯はライナーノーツが語ってくれてます)。
いやはや、音楽的思想、政治・文化的意味合い、純粋な音楽内容、どれをとっても
近年まで全く海外に対し無名状態だった作曲家だったことが信じられません。
ちなみに演奏人数、350人は優に超えてます。ああ、そんな試みができるっていいね・・・
マセダを語る上で外せない名盤。
ジェームズ・マクミラン
イソベル・ゴーディーの告白、交響曲第3番「沈黙」
James MacMillan
The Confession of Isobel Gowdie, Symphony No.3 'Silence'
BBC Philharmonic James MacMillan,Cond.
2005 Chandos CHAN 10275
「〜告白」はマクミラン作品の中で最も気に入っているだけでなく、90年代の現代音楽界の作品の中でも一番好きな作品の一つです。
まるで映画のように情景が思い浮かぶ。
最初の弦を聴いたときの衝撃は凄かった。はっきりした旋律線は無いけれど、とてもメロディアスで、でもどこかモダンな和音。
そこから金管に導かれて壮大な幕開け。だが、その明るい雰囲気はやがて崩されていき、饗宴が幕を開ける。
中間は金管と打楽器大活躍。特にホルンとトロンボーンは吼えたり休みなく動機の一つを吹かされたり大変そう。
楽器を様々に変え恐ろしいサバトが繰り広げられ、それが頂点に達したとき、ふと静まり返る。
リフレインのように熱狂が静寂をはさむようにしながら、鋭い鐘とスネアに導かれて、やがて冒頭が回帰してくる。
それも静まりかえり終わるかと思いきや、収束したCの音が膨らみを増して・・・やがて暴力的なまでになって緊張が頂点に達した瞬間曲は終わる。
いくつか録音を持っていますが、この自作自演盤が一番。
弦の豊かな音色が最初などの曲想にマッチしていて、感動すら覚えます。
中間部の重々しさも随一、打楽器を中心に統率の取れ、かつ興奮した音。録音も残響を適度に入れていて良い。
正直、後半の交響曲の印象は全くなし。単独で聴いてみると、これはこれで彼らしい悪くない曲でしたが。
あと、「遠藤周作の思い出に」と副題まで添えられてるので、日本人としてはしっかり聴いておかないと(笑)
ちょっと東洋的な雰囲気を作っているのは流石にいらない気もしましたが。蛇足、遠藤氏はエッセイも面白かったですね。
Works by Ivan Madarasz
Concerto F(L)A, Embroidered Sounds, Echo,
Speeds for Two Flutes, Chapters of a Story
Bartok Youth Symphony Orchestra Miskolic Symphony Orchestra
Laszlo Tihanyi/Tibor Szabo/Laszlo Kovacs,Con. etc.
1997 Hungaroton HCD 31671
1949年ブダペスト生まれ、Endre Szervanszkyの元で学んだ作曲家の作品集。
「Concerto F(L)A」のF(L)Aとは、フルートのことと、曲の中核となるFとA(faとla)の二つを指します。
ミニマルな管弦楽のリズム進行の中で、フルートが特殊奏法をばりばり交えながら不思議なメロディーを歌う。
ひたすら行進のようなビートで突き進む音楽構造はとてもドラッギー。
「Embroidered Sounds」、ヴァイオリン、フルート、打楽器、シンセに女声のアンサンブル。
生楽器がころころ微妙なリズムを演奏しながら、その周りを
ふわふわと声が飛び、シンセが包み込む。やべえ、すっげえ微妙。
管弦楽による「エコー」は、四人からなる「エコー・グループ」と言われるパートが管弦楽から離れて位置しています。要はバンダ。
ドローン的に伸びる管弦楽に、細かな震える構造がじわじわと重なってくる。
モアレ効果のような、雲の渦巻きを思わせる混沌とした音楽が、盛り上がっては崩壊していく。
最後の方に現れる、輝かしい和音に金管のモアレが絡みつく場面が感動的。これいいなあ。
「Speeds for Two Flutes」はまさにフィリップ・グラス。フルート二重奏による、細かく素早いアルペジオの繰り返しです。
二人の間で必ず位相ずれみたいな関係があるのはライヒっぽいですが、音の響きがグラス。
最後の「Chapters of a Story」はソロモン王とベルキスの物語を元にしているようです。
音楽は・・・ぐっちゃぐちゃ。方向的には「エコー」と似てるかな。
混沌とした楽想の中に、攻撃的な断片や妖艶な場面がミニマルに差し挟まれる。
まあ、全体的に悪くはなかったです。ぐっとくるようなものもなかったけれど。
ミニマル系が好きな人は聴いてみてはいかがでしょう。
演奏は、まあこんなもん。粗をなんとなくごまかせてはいる感じなので聴けます。
Bruno Maderna
Juilliard Serenade(Tempo Libero II), Music of Gaity dal 'Fitzwilliam Virginal Book', Grande Aulodia
Severino Gazzelloni,Fl. Lothar Faber,Ob.
Orchestra Sinfonica della RAI di Roma Bruno Maderuna,Cond.
Stradivarius STR 57010
ブルーノ・マデルナ(1920-1973)の自作自演作品集。
「ジュリアード・セレナーデ」はその名の通り、ジュリアード音楽院の委託によるもの。
テープを使用する大規模な作品ですが、このテープは直前に作られた「Tempo Libero(テンポ・リベロ)」
というコンクレート作品を使っているそうです。おそらく、そのための括弧内タイトルでは。
テープを含め、奏者は用意された断片を自由に演奏することが許可されています。
ただし、指揮者はその裁量を任されており、どのタイミングで断片を演奏するかなど、
実際の音楽の流れは指揮者が構成していると言えます。
ここでは、混沌とした流れの中でテープと管弦楽が交互に入れ替わるような流れ。
ちなみに、初演のライヴ録音と思われる。
「「フィッツウィリアム・ヴァージナルブック」による陽気な音楽」は普通に聴くとびびる。
何しろ内容は完全なバロック音楽。不協和音のふの字もない。
まあそれもそのはず、この作品は16-17世紀のバロック作曲家による鍵盤作品を編曲したもの。
ウィリアム・バード、ファーナビーといった大家の作品が豪華な音で蘇ります。
これももしかしたら初演の音源なのかな?でなくともそれに近いもの。
「グランデ・アウロディア」は、彼の理解者で友人であるフルート奏者のセヴェッロ・ガッツェローニと
オーボエ奏者のローター・ファバーのために書かれた最後の作品。
長めの調性的でメランコリックなソロを曲の両端に、混沌としたゆるやかな響きの蓄積と掛け合う。
そこから音の動きが節操無く積み重なっていく辺り、生涯不確定要素を中核的に作曲していた人間なんだなあと感じる。
この音源は間違いなく初演音源です。たぶん全部初演でいいんじゃないかと思うんだけど。
録音がどれもよろしくないのが残念ですが、まあ致し方ないか。
Jef Maes
Symphony No.2 in A Major, Viola Concerto,
Ouverture Concertante, Arabesque and Scherzo for Flute and Orchestra
Leo De Neve,Vla. Frank Vanhove,Fl.
Royal Flanders Philharmonic Orchestra Gerard Oskamp,Cond.
1996 Naxos 8.554124
Karel Candaelに師事し、ベルギーのアントウェルペンで終生を過ごしたジェフ・マース(1905-96)の作品集。
「交響曲第2番」(1965)は同窓の指揮者アンドレ・クリュイタンスに捧げられています。
第1楽章、ファゴットの踊るようなリズムから、堂々としつつも軽快な音楽が舞い上がる。
第2楽章では悲嘆にくれるような音楽が激しく揺れ動きながら叫ばれる。
第3楽章、非常に躍動的で、どこか初期芥川也寸志やオネゲルを連想させるようなメカニカルな動き。
20分ほどの交響曲にしては小さな規模ですが、それに見合った比較的動きの軽い内容です。
ヴィオラ奏者でもあった彼が「ヴィオラ協奏曲」を描くのは納得。
音楽、びっくりするくらいロマン主義へ回帰してます。
もちろん現代的な影響を感じる場面もありますが、基本すっきりしてる。
「協奏的序曲」は偶発的な作品のようではありますが、トランペットの技巧的なファンファーレから
細かい動きを伴う溌剌とした音楽は派手です。ただこれ、金管にはきつい動きじゃ・・・
フルートと管弦楽のための「アラベスクとスケルツォ」は半音階など近代和声に富んだ美しさが聴けます。
後半はスケルツォというよりワルツに近いような優雅さが素朴で素晴らしい。
交響曲はけっこうこの時期の近代と現代の狭間を行くような音楽だけど、
それ以外はロマン派だったり印象派かぶれだったりと節操無い、というかつかみどころがない作風。
交響曲の終楽章と「協奏的序曲」が良い感じかなあ。演奏はまあまあ。
Milosz Magin
Orchestral and Piano Music
Stabat Mater, Musique des morts, Piano Concerto No.3,
Polish Miniatures, Sonatina, Polish Triptych, Polka
Milosz Magin,P. Lodz Philharmonic Orchestra Wojciech Czepiel,Cond.
1992 Polskie Nagrania PNCD 129
シコルスキらに作曲を学びながら、ショパン国際ピアノ・コンクールや
ロン=ティボー国際コンクールで入賞経験もあるピアニスト兼作曲家ミロシュ・マギン(1929-99)の作品集。
「スターバト・マーテル」、弦楽の美しい祈るような音楽から次第に
ティンパニの重いリズムも入って荘厳に盛り上がっていく。
「死者の音楽」は、彼が自動車事故で病院搬送された出来事を元に作曲したもの。
鐘の音が鳴り響き、重苦しい中から次第に打楽器が引きずるような行進を始める。
ヴァイオリンのソロが高みに上っていく結部まで7分ほど、なかなか印象的な作品です。
「ピアノ協奏曲第3番」は他の盤でも音源化されたりしてるみたいなので、まだ知名度があるか。
いきなりピアノの激しいカデンツァで始まり、重い弦楽のレントに続く。
第2楽章のアレグロからようやく共演、ソナタ形式の軽快な音楽が続きます。
第3楽章はさらに加速して打楽器の絡む、スケルツォに相当するプレスト。いかにもポーランドらしい。
第4楽章は弦楽器による情熱的なアダージョ、最終楽章は再現部のような短いラスト。
経歴的にもショパンを踏襲している彼の、音楽の本領が一番楽しめる作品でしょう。
「ポーランドのミニアチュア」(所持してる日本語帯は「細密画集」と訳してました)は
ピアノのための文字通りな小品集。初心者向けの簡素な構成で綴られた、
それぞれにポーランド民謡を使った各曲1分たらずの曲。
「ソナチナ」は本人も「クラシカルなスタイルで書いた」としている通り古典的な音楽。
ショパンみたいな中に近代ポーランドらしい響きもする、7分ほどの3楽章作品。
「ポーランド3部作」と書くと大作みたいですが、実際には全8分足らずのピアノソロ作品。
こちらはショパンも意識しつつ非常に技巧的で、それぞれ伝統的な舞踏形式を冠した印象的な音楽に仕上げています。
最後の「ポルカ」は彼が18歳の時に書いたバレエ音楽から抜粋編曲したもの。
ちょっと諧謔的で先進的ながらも、素朴な輪郭は損なっていない、印象的な小品。
Roderik de Man
Five New Pieces
Gramvousa, Distant Mirror, Nuit de L'Enfer, Dhawa Cendak, Leonardo's Flying Machine
Het Trio Annelie de Man/Silvia Marquez,clavecimbel Basho Ensemble Jurrien Sligter,Con.
Marcel Beekman,T. Gamelan Ensemble Gending Rutger van Leyden,Con. Brisk Blokfluitkwartet
Attacca Records BABEL 9989
オランダのロデリック・デ・マン(1941-)の90年代作品集。テープかエレクトロニクス付き。
トリオにテープの加わる「Gramvousa」は個人的なこの編成のイメージそのまま。
各楽器が対話のように動きを交差して、ホワイトノイズ系のテープ音がそこに入る。
名前はクレタ島近くの小島でギリシャ神話に基づいた話が展開されているみたい、知らんけど。
チェンバロ2台とデジタルプロセッサによる「ディスタント・ミラー」、
一つのモチーフが元となって次第に熱気を持って展開する、なかなかにかっこいい作品。
テノール、室内管弦楽と電子音のための「Nuit de L'Enfer」はテノールの刺さるような独白が印象的。
そこに管弦楽が緩急持って畳み掛けてくる緊張感がかなり良い感じ。
「Dhawa Cendak」はガムランアンサンブルとテープのための作品。
こちらは良い感じにリズム偏重なので、自分の好みに近くて嬉しい限り。
最後はブロックフルートの四重奏とテープのための「レオナルドの空飛ぶ機械」、ダ・ヴィンチのあれですね。
お得意の楽想の中から後半、背後から牧歌風な音楽が寄ってきて同居するあたりは凄く倒錯的。
Tomas Marco
Symphony No.5"Moledos de Universo", Symphony No.4"Espacio Quebrado"
Orquesta Filharmonica Checa Jiri Belohlavek,Con.
Orquesta Sinfonica de Tenerife Victor Pabro Perez,Con.
1991 Col Legno/aurophon AU 31812 CD
マドリード出身。ダルムシュタット夏期講習にも参加しマデルナ、ブーレーズ、シュトックハウゼンを初めとする
錚々たる顔ぶれに師事したこともありWalter Marchettiらフルクサス作家とも関わりがあった
トマス・マルコ(1942-)の交響曲2つ。スペイン音楽を組み込んだ独自の作風。
交響曲第5番「宇宙モデル」はその名の通りの宇宙への思いを、初演地であるカナリア諸島への
オマージュと同時に組み込んだ作品。諸島と宇宙モデルとをシンクロさせているようです。
ティンパニの象徴的なリズムと共に、ファンファーレにも似た単一音の展開がひたすら押し寄せる。
第2楽章はその流れを受け継ぎ、持続的な和声による緊張の受け渡し。
第3楽章はいかにもスペインを感じさせる響きの反復リズムによって展開。
第4楽章は初めて旋律的な音楽が現れて比較的情緒豊かに展開しますが、
第5・6楽章もまたとてもリズミカルでプリミティヴなイメージ。
最後第7楽章は流れるような少々ミニマルさを感じさせる旋律に打楽器らのリズムが強烈に裏付けされて行く。
スペイン音楽のリズムをうまく使いながらオスティナートを重点的に使っていく、
なかなかミニマル好きとしても見逃せない内容でした。
交響曲第4番「崩壊した空間」では音空間の対比による「崩壊」を描いたものだそう。
冒頭の錯乱したような細かいモチーフの反復が重なる様子は、けれどとてもきらきらして綺麗です。
第2楽章は持続的なクラスターに近い混然とした響きがメイン。
第3楽章は「ほとんどロック(Almost a Rock)」とあるようにドラム風の打楽器を交えた重低音も大活躍する音楽。
第4楽章、旋律がさまざまに交錯しつつ、「ツァラトゥストラ」冒頭みたいな動機も使って盛り上げます。
なんだかミニマリズムにはまってるんじゃないかと思う位にオスティナートが全曲を支配している。
そういう意味では好みでしたが、一応音楽の骨子にはスペイン情緒が深くかかわっている。
演奏はなかなかいい具合にまとまっていますが、この作品内容だと
もっとノリノリかつ爆演にしたらかなり強烈で凄いものに化けそうな気がする。
Istvan Marta
Sound In, Sound Out(Kapolcs Alarm)
Amadinda Percussion Ensemble Mandel Quartet
Budapest WYX String Quartet Wyximphonic Group Istvan Marta,Con. etc.
1998 Hungaroton HCD 31829
ハンガリーの作曲家イシュトヴァーン・マールタの作品集。
「The Wind rises」「Kapolcs Alarm」「The Glass-blower's 7th Dream」という3作品が収録されていますが、
最初の2曲はよく区切りが分からず曖昧。連続した続編的な作品なんでしょうか。
というかこの2曲、そもそも解説には歌詞しか書いてないので作曲背景が全く分かりません。
ただ、冒頭にハンガリー北西部の村人の声が使われ、音楽も民族的であるばかりか
実際に採集した民謡音源も使っているので、彼のスタンダードな作曲技法
(民謡採集およびその現代への投影・・・と言えばいいか)で作られたもののよう。
作者自身のシンセサイザーも何時もどおり駆使しながら、アンサンブルによって奏される
プリミティヴでありながら現代の音楽と混然となった民謡が現れる。
ジャジーなサックスのソロ、人々の肉声、ツィンバロンやパイプ楽器の素朴な音楽、などなど。
「The Glass-blower's 7th Dream」はもともとクロノス・カルテットのために書いた音楽。
切迫したパルスの上で刻まれる時間の夢。というかマルタさん、詩的なこと言ってないでもうちょっと分かりやすく解説してよ。
全体を通してシンセのチープさが比較的目に付かず、独特の緊迫した音楽世界が味わえる上に
あの「運命、嘆息」と似たような趣も感じられる場面があるので、
クロノスの「ブラック・エンジェルス」でこの作曲家に興味を持った人が次に買うのに良いのでは。
演奏、アマディンダが参加してたり、さりげなくTibor Szemzo
(やはり東欧系ポストミニマルの流れを汲んだ作曲家)が演奏者にいたりして地味に豪華。
残響が悪い意味でちょっときつい場面などあってHungarotonらしい録音ではありますが、
このすすけた微妙さがマルタの音楽にはあっている気がするから不思議。
Philip Martin
Piano Concerto No.2, Beato Angelico, Harp Concerto
Philip Martin,P. Andreja Malir,Hp.
National Symphony Orchestra of Ireland Kasper de Roo,Cond.
1998 Marco Polo 8.223834
ダブリン出身のピアニスト兼作曲家であるフィリップ・マーティン(1947-)の作品集。
「ピアノ協奏曲第2番」は故郷ダブリンをインスピレーション元にしています。
憂い気のあるピアノのカデンツァで開始。それが次第に発展していって管弦楽も交えたスケルツォに突入する。
オスティナートも多くみられるこの部分は都市の喧噪を表しているよう。
エレジーではオーボエが奏でる特徴的な旋律を元にリズム的な印象があたえられ、
コラールではグレゴリオ聖歌のようなものも。後半ティンパニが大活躍。
そして最後、唯一5分以上の長さの踊り〜フィナーレへ。スケルツォ風の音楽から
次第に音楽は眠りにつくように静かにチェレスタの音に収束していく。
「ベアト・アンジェリコ」は室内楽のような雰囲気を持った淡い作品。
ルネサンス期のフィレンツェ画家フラ・アンジェリコをモチーフにした、
荘厳ながらも断片的な、前衛さと美しさの同居した8分少々の音楽。これ気に入った。
「ハープ協奏曲」はドビュッシーの音楽に触発されている様子。
淡い序奏とハープの2和音に支えられた物憂げな音楽はとても優雅。
第2楽章の、リズミカルなロンドでありながら5音音階を重視した音楽はかなり自分の好み。
後半はまた最初の楽想に戻りつつ、長めの第3楽章では落ち着いた舞曲のような気品漂う音楽に。
後半2曲がかなりいい具合に印象主義かぶれな音楽で面白かったです。
演奏も、線が細いものの曲目とマッチした響きが出ていて良い感じ。
Ernesto Martinez
Mutaciones
Micro Ritmia(Juan Mercado Rangel/Alejandro Huerta Rojas,marimba
Ernesto Martinez,P.&Composed Gui.)
2004 Tzadik TZ 7096
メキシコ出身の作曲家エルネスト・マルティネス(1953-)の、自身が率いるアンサンブルによる作品集。
「Tolantongo Son(Mutacion)」、冒頭の痙攣するようなリズムが次第に埋まっていって
メキシコのソンをベースにしたメロディーが絶えることなく流れていく。
「Adiciones(Additions)」、旋法的な短い音型が重なりあいながら変化するさまはまさにミニマル。
「Ya Te Vi Lupe Yaa Te Vi(I saw you lupe I saw you)」、マリンバで叩かれる音型がかなり長くなっただけ。
ちょっとするとピアノも参加してきて、さらに倒錯感が3倍増しくらいになります。
「Mutaciones Basadas en el Canon de Pachelbel」、ピアノによるセンチメンタルで
ややクラシカルな和音音型が提示された後、それが次第に旋律的に変化していく。
たしかにタイトル通りパッヘルベルのカノンみたいな展開に聴こえなくもない。
でも、冒頭過ぎたらあとはまた前の曲と似た展開になるからなあ・・・
・・・いや、いい悪いじゃなく、似てるかどうかの意味で。曲自体はこの中でたぶん一番好き。
「Estudios Micro Ritmicos a 4 Partes(Four Part Microrhythmic Studies)」「Duometrica」
あたりにくるとだんだん曲を見分ける方法が音色になってきました。
帯ではナンカロウとガムラン音楽が引き合いに出されていましたが、
たしかにそれらの音楽と似たもの(リズム構造など)を感じなくもないか。
どの曲も爽快に音型を絶え間なくたたき出してくれるので、ミニマル好きとしては聴いていて非常に心地良い。
まあ見事なまでにミニマルの傍流で片付けられてしまう音楽ではありますが、
初期ミニマルの感覚をそのまま引き継いで作曲してくれているところは安心して聴けます。
ただ、これだけだととても知名度が高くなるような作曲家とは思えない・・・
ミニマルが好きな方にこっそりと聴いてみてもらいたい一枚。
Rolf Martinsson
Open Mind
Open Mind, Cello Concerto No.1, Expose,Concerto Fantasy, Shimmering Blue -Flute Concerto No.1
Swedish Radio Orchestra Manfred Honeck,Con. Mats Lidstrom,Vc. Magnus Bage,Fl.
Norrkoping Symphony Orchestra Malmo Symphony Orchestra Mats Rondin,Con.
2007 Daphne Records 1029
ファーニホウやスヴェン=ダヴィド・サンドストレムらに師事した、
現代スウェーデンを代表する作曲家ロルフ・マルティンソン(1956-)の作品集。
「オープン・マインド」、非常に華やかで細やかな動きが幾重にも重なり交替して目まぐるしい動きをする。
コンサート序曲のような性格を持った、北欧らしいスマートさに華やかさと重厚さを備えた逸品。初演音源。
その強固な意志を感じさせる颯爽とした流れからはタイトルも想起できる。
「チェロ協奏曲第1番」はここで演奏しているマッツ・リンドストレムによる依頼。
重い序奏からチェロのソリスティックな歌が熱っぽく歌い盛り上がっていく。
そこから次第に打楽器を含む鋭い打音が挟まり、音楽は緊張感を次第に高めていく。
長いカデンツァ部分を経て、ラスト部分は実に壮大。冒頭の雰囲気を残しつつ細やかに動きを変えてラストへ突き進む。
これは、生演奏で聴いたら間違いなくしびれますね。たまりません。
「エクスポーズ,演奏会用幻想曲」は協奏曲のカデンツァ部分を基にした独奏用の作品。
8分近くもある、独奏曲としては異常なまでに聴きごたえのある音楽です。
「揺らめく青(フルート協奏曲第1番)」は作曲家が考える北欧的な音楽への考えが現れているそう。
ジャズのブルーノートを思わせ、揺らめきを表現するかのようなグリッサンド音型が特徴的。
ただ、この中間部みたいな吹き方はともすると日本人には尺八のオマージュにも聴こえてくるなあ。
最後5分間の重いけれども性急で速い流れは、聴いてて本当にしびれる。
前半2曲がかなりツボでした。聴いてて退屈しない、豊かな響きを演奏も十二分に発揮しています。
Steve Martland
Horses of Instruction
The Steve Martland Band
2001 Black Box BBM1033
スティーヴ・マートランドはイギリスの、現代音楽作曲家・・・だと思う、一応。
1曲目の表題曲からいきなりロック。ムーディーなロック音楽とどこが違うと問われたらちょっと詰まる。
何しろ、編成がピアノ、サックス、ベースにギター、マリンバといった具合なので出てくる音がまさにそれ。
ただ、ビートはかなりの変拍子です。そのためもあり、聴いている時の感覚はかなり独特。そこはマートランド節とも言えるか。
とりあえずブレイクコア好きの自分としては実に心地よい不規則さ。
長い曲はメドレー風に音楽が変わっていきます。
kickはやたら民族調、ヴァイオリンのメロディーが変拍子に飲み込まれていく。
Beat the Retreatは、パッヘルベルのカノンみたいなコード進行の音楽。
あと、このPrincipiaはCatalystから出ているものとは別のテイク。
それ以外、全体的に同じ感じ。自分の肌にはけっこう合いましたが、とりあえず現代音楽というのは厳しいかも。
Alireza Mashayekhi
Symphony No.2 "Tehran Symphony"
Concerto for Violin and Orchestra
Nous ne verrons jamais les jardins de Nishapour
2003 Mahoor Institute of Culture and Art M.CD-145
Mashayekhiは現代音楽シーンでは知名度が低いですが、その音の性格上一部の音響ファンなんかには知られてるようです。
イランの初期現代音楽界の第一人者で、Hans JelinekとKarl Schiskeに作曲を、Gottfried Michael Konigに電子音楽を学びました。
どの曲も爆発力がすごい。クセナキスの音の運動とはまた違う、まさに混沌とした空間。
特に「テヘラン交響曲」はその世界観がクセナキスと初期ペンデレツキを足しっぱなしにした感じ。
70年代後半にしてはかなり悪い、くぐもった録音が余計な暗黒さを引き立てます。
「ヴァイオリン協奏曲」は唯一最近の録音で音質が結構良い。幾分クラシカルな趣が強いかなあ。
ただ強奏部とかは期待通りの爆発ぶり。金管がずいぶんやりたい放題ですね。
「Nous ne verrons〜」は訳したら「We will never see the gardens of Nishapour」、
「我々は二度とニシャプールの庭を見ることはないだろう」みたいな感じでしょうか。
ニシャプールはササン朝シャープール2世が建設した、イラン北東部の古都。
9〜10世紀には栄えましたが、汗王国に蹂躙されて無残な姿をさらしたそうです。現在も同名の小都市あり。
ノーマルなピアノとプリペアド・ピアノによる2重協奏曲になるんでしょうか。
ごりごりしたプリペアドピアノと痙攣したピアノの呟きが不気味な、緊張感ある曲。一番このCDの中で気に入っています。
前の2曲と違い爆発する瞬間は少ないですが、西洋風とも東洋風ともつかない音形がごそごそのたうつ様はカッコイイ。
演奏者による発声・拍手も絡むシリアスな現代音楽。録音は一番悪いですが、現代音楽ファンはこれから聴くと良いかも。
イラン盤、英語とアラビア語による表記。アラビア語のライナーノーツはいつ見ても凄い・・・
彼は現代作曲界において幅広い音楽スタイルで作曲をすべきと考えているようで、曲によってはイラン風なものもあるようす。
他の曲も聴いてみたいなあ。とりあえずsub rosaの「PERSIAN ELECTRONIC MUSIC」は注文中。
馬水龍
[木邦]笛協奏曲、交響詩「孔雀東南飛」
徐頌仁指揮、読売日本交響楽団 ほか
1984 RCA 8.260501
馬水龍(Ma Shui-long)は1939年生まれ、台湾の代表的な作曲家の一人です。
「[木邦]笛協奏曲」は1981年の作品、全2楽章構成。題は[]部分で一字です。
壮大な序奏で開始、それが落ち着くといかにもな明るい主題がソロで奏でられる。
それがやがて華々しく展開していき、カデンツァを挟んで堂々と第1楽章終了。
第2楽章は弦主体の、メランコリーで壮大な楽想。それが盛り上がった後に最初の主題が回帰して華々しく終わる。
絵に描いたような王道展開で、恥ずかしくなるくらいに素直ですが、全曲で見られるのどかな素朴さが素晴らしい。
可愛らしい笛の音がのどかな曲調とマッチしてとても心地よいです。
「孔雀東南飛(孔雀東南に飛び)」は長い同名の漢詩の情景を描いた交響詩。大きく2つの部分(楽章?)からなります。
不安げな序奏から大きく盛り上がり、それが落ち着くとフルートを主人公にしたモノローグ・・・
場面展開がはっきりしていて、聴いていて分かりやすいですが、
先ほどとは違い近代的・前衛的な手法も使いきちんとした作曲技量があることをうかがうことが出来ます。
最後は合唱まで盛り込んだ、なかなか劇的な曲です。
演奏は粗もありますがしっかりしたもの。日本での録音なので香港盤としてはかなり良い音なんじゃないでしょうか。
Rytis Mazulis
Cum Essem Parvulus
Canon Solus, Sybilla, Cum Essem Parvulus, Ajapajapam
Latvian Radio Chamber Singers Chordos Quartet
2004 Megadisc MDC 7810
その独特な作風で注目を浴びているリトアニアの作曲家リーティス・マジュリス(1961-)の合唱作品集。
尊敬する作曲家としてジョスカン・デ・プレと一緒にナンカロウやシェルシやルシエが書いてある時点でどう考えてもおかしい。
カノン構造や音響作曲的なものにでも興味を持っているんでしょうか。
ただ、彼の作品はマイクロトーナル、つまり微分音を使った音楽を使ったものが主です。
そう言われれば、確かに大体の傾向がわかる。あとこの人はバロック以前の作曲家も大好きね。
「Canon Solus」はヒリアード・アンサンブルのために書かれた、ちょっと異色の作品。
瞑想的で宗教的、というか多分に教会音楽的な響きが充満しています。
まるでオケゲムでも聴いているような、普通に綺麗な曲。
「Sybilla」はサチュリコンのテキストを用いた12声部のための曲。
微妙にずらされながら書かれているスコアのように、8分音符単位で
様々にずれて響いてくるパートは、やがてカオティックな音響を生み出していきます。
うーん、根幹の技法はさっきの曲と大きな差異まではないのに、組合せ次第でここまでいかれてしまうとは。
タイトル曲「Cum Essem Parvulus」、きましたね微分音作品。
パルス状にひたすら合唱がテキストを歌い、次第にゆっくりと音程がずれてくる。
解説も「おそらくもっとも自伝的な作品ではないか」と言っているだけあって、彼の作風概観が丸わかり。
収録時間の半分以上を占める大作「Ajapajapam」は12の声と弦楽四重奏、エレクトロニクスのための作品。
マントラそのものを用いないマントラの暗唱、を意味するタイトル(サンスクリット語)の通り、
音響としてはもはやドローンを通り越してサイケデリック。
合唱と弦楽のモノトーンなドローンがひたすら伸び、次第にその中でマイクロカノンや
微分音程に基づいた動きの増大がゆっくりと増幅されていく。
おおう、35分ひたすらこれはきっついぞ・・・マジで異世界に意識が飛びかねません。
これじゃあ異端と言われても仕方ないなあ。
Rytis Mazulis
Form is Emptiness -Microtonal Music
Canon Mensurabilis, Sans Pause, Monad, Form is Emptiness
Chordos String Quartet Sergejus Okeusko,P. Dainius Sverdiolas,Harpsichord
Latvian Radio Chamber Singers Julius Cernius,Cl. Valentinas Gelgotas,Fl.
2007 Megadiscs MDC 7800
リーティス・マジュリスの室内楽作品集。ついにタイトルにマイクロトーナルの冠が。
「計量カノン」は12音音列を用いながらも、どこか悲しみをにじませる淡い音楽。
ピアノが一定のパルスを刻みながら微分音で各楽器が妖しげな和音を作っていく。
弦や管の長い単旋律は、聴いていると官能的にさえ思えてくる。この倒錯的な音響がたまりません。
弦楽四重奏のための「休みなしで」、いかにもミニマリスティックな旋律が重なる冒頭から
次第に音像がずれていってお得意の錯乱状態と収束を繰り返す。
さっきの曲と同様、カノン形式をベースにしながらいかれたミニマル音楽を聴かせてくれるのがすごい。
リズミカルな分、売り文句のライヒにつられて買っても外れにはならない・・・かなあ。
「モナド」はあのコンピューター・ピアノ作品集に収録されていた「Clavier of Pure Reason」を改作し、
オリジナルの48パートから選択された9パートをハープシコードに直して編集したもの。
音響はよりえげつなくなった分、あの雲のような混沌さは薄れていますね。
うーん、これならオリジナルの方が聴いてて楽しいかな。ただ構造は終始わかりやすい。
まあおそらく、だからこそタイトルがモナド(単子)なんでしょうね。
最後は25分かかるタイトル曲「形は空虚である」。12人の合唱とチェロ、オルガン風のエレクトロニクスが
微分音の重なりの中でゆっくりと曼荼羅を描き、聴き手を瞑想の彼方へ吹き飛ばしてしまう。
現代音楽でたとえるなら明らかにミニマルな初期リゲティ。
彼の長い曲はだいたいこんな感じみたいね。ほとんどハードドローンの世界。
というか、「Ajapajapam」といい仏教的な世界観が意外と支配的です。
Richard Meale
Incredible Floridas, String Quartet No.2
The Australia Ensemble
1996 Tall Poppies TPO48
リチャード・ミール(1932-)は、作曲の勉強を大半は独学で行った、オーストラリアはシドニー生まれの作曲家。
「Incredible Floridas」は、詩人であるArthur Rimbaudの詩に由来するもの。
静寂の中から微かに始まり、ピアノや弦がぽつぽつとつぶやいていく。
そこに突如、強烈な一打をきっかけにして、点描的で暴力的な楽句が挟まれる。
徐々に音たちは活発になっていくが、それらは必ず持続音要素に絡み付けられ、それに収束していく。
「弦楽四重奏曲第2番」は、前の曲に比べるとびっくりする位穏健。つまり、古典的。
1楽章はメロディアスなモチーフの合間にピッツィカートの部分が交互に現れる。
2,4楽章の激しいスケルツォに挟まれ、3楽章では悲歌を切々と歌う。
5楽章なんか、普通に綺麗な弦楽の歌。1曲目で現代音楽やってたとは思えません。
演奏はしっかりしている上、作曲者立会いの下での録音なので、意図されていることもきちんと表現できているでしょう。
ただ、曲は自分の感性にはあまり合いませんでした。ちょっと微妙。
「フロリダ」の方は詩との関連性が低く、何がしたいのかよくわからないし。
アールネ・メルネス
Arne Mellnas
Nocturnes, Rendez-Vous 1, L'infinito, Transparence
Maria Hoglind,Mezzo Sop. Jan Risberg,Cond. Kjell-Inge Stevensson,Cl. Harry Sparnaay,Bass Cl.
The Swedish Radio Choir Eric Ericson,Cond. The Swedish Radio Symphony Orchestra Stig Westerberg,Cond.
1988 Phono Suecia PS CD 22
メルネスは1933年生まれ、スウェーデンの作曲家。Erland von Koch, Lars-Erik Larsson(ラーション)とかの面々に師事しています。
「夜想曲」は休みなく続く「Serenite」「Eros」「Visions」の3楽章から成ります。メゾソプラノ、フルート、クラ、ヴァイオリン、チェロとピアノ。
第一楽章は透明感をもった、前衛的ではあるけれど非常に美しい響きを持った曲。
まさに夜想曲のよう落ち着きを持ち、どこか妖艶さも感じさせます。第二楽章はやや律動的で激しい。
第三楽章はクラリネットなどで微分音など特殊奏法を用いながらさらに旋律が舞う。ただ激しい感じではないです。
クラリネット、バスクラリネットのための「ランデヴー1」は序奏の後に様々な性格を持つ6つのパートが示されていく。
最後はそれら6つがいろいろ組み合わされて終わり。結構ユニゾンになることがありはっとします。ロンド形式・・・なのかなあ。
長い曲ではないので各部分が短く、飽くことは無いです。
ただ構成的にはだからどうした、って感じを流石に感じてしまいました。どうも繋がりの意図がよく分からない。
合唱のための「無限」は、19世紀のイタリア詩人ジャコモ・レオパルディの詩にインスパイアされたもの。
広がりを持った、このCDの中では一番前衛的ではない曲。和音は込み入っていますが汚くは無く、むしろ緊張感をもって凛と響きます。
レオパルディの深い、嫌世感漂う独特の世界を表現した、渋い曲です。
オーケストラのための「透明」は、作曲者独特の透き通った音の魅力が楽しめる作品。一番気に入りました。
細かで呟くような弦を中心とした音の動きが、緻密さを感じさせる。録音も相まって、細かな構造の動きが綺麗に対比して映えます。
録音の、音の細かい動きを的確に捉えている点が、作曲者の透明な音楽に実に良くマッチしています。
演奏も堅実でしっかりしたもの。
Wim Mertens
Maximizing the Audience
1985 Crepuscule / 1988 Victor VDP-5152
メルテン初期の長い音楽をメインに収録した、名盤。
「Circles」、クラリネットの2音からなるミニマルな旋律が次第に全容を現しながら重なっていく。
そこにソプラノサックスの音がエコーにくるまれて長い旋律を奏でる。一番ミニマル的な音楽。
「Lir」、まさに叙情的という言葉が相応しい、美しい旋律の音楽。
「Maximizing the Audience」、アップライトピアノとベースの簡素なビートを感じさせる伴奏。
ハイハットやサックス、ヴァイオリンもはいりながら、声が主題的なメロディ断片を歌い上げる。
グラスやアダムスに近いミニマルを連想する。
「The Fosse」は前2曲を混合したような、このアルバム中唯一の短い曲。
「Whisper Me」、チェロとヴィオラ、ホルンによる、クラシックの暗い響き。
そこにメルテン自身の裏声が物悲しく歌われる。時折入るピアノの音が良いアクセント。
最後5分、重々しいリズムが消え弦の持続音にピアノが入る場面とかたまらない。
メルテンを聴くなら、ミニマルの影響を色濃く残しながら特有の暗さを味わえる、このアルバムが絶対に一番。
Parcoから出ている某本にも「滅入った時にはこの曲を」なんて書かれるくらい、憂鬱で美しい曲たち。
オリヴィエ・メシアン
トゥランガリラ交響曲
イヴォンヌ・ロリオ、ピアノ ジャンヌ・ロリオ、オンド・マルトノ
パリ・バスティーユ管弦楽団 チョン・ミュンフン指揮
1995 Deutsche Grammophon POCG-7111
戦後現代音楽を代表する作曲家の代表作、いまさら説明不要の名曲です。一時期第5楽章がN響アワーのOPを華々しく飾っていましたね。
キリスト教の考えに基づいた官能的な世界が管弦楽の手により豪華絢爛に描かれる。
電子楽器オンド・マルトノの響きも非常に個性的で重要な音響作りの役割を果たしていますね。
高2のとき知人からこのスコアを一時的に借りて、時間を惜しんで何回も見ながら聴いたのも懐かしい思い出。
録音は数多くありますが、その中ではこのチョン・ミュンフンの指揮をおそらく一番よく聴いています。
美しさ、鋭さ、官能さ、荒々しさといったこの曲の持つ表現がダイナミックに現れた、それでいて綺麗に纏まった演奏だと思いますね。
第5楽章などの速い部分ではあと少し迫力が足りない感じですが、緩やかな部分の音色は逸品。
重みのある低音と華々しい高音、この曲が内包するエキゾティシズムを表現するのにぴったりの音です。
指揮者が東洋人であることも意外と見逃せないかも。そういえばケント・ナガノ指揮のものもこれと甲乙つけがたい演奏でした。
ピアノとオンド・マルトノのソロに不満は全くなし。流石はメシアン演奏の第一人者たちです。
オリヴィエ・メシアン
クロノクロミー、天より来りし都、われ死者の復活を待ち望む
ピエール・ブーレーズ指揮、クリーヴランド管弦楽団
1995 Deutsche Grammophon POCG-1862
説明不要の有名な現代音楽作曲家、メシアン。「クロノクロミー」は1960年に作られた、彼の代表作の一つ。
セリーに基づいた部分と鳥の歌声を採譜した部分、自然音を基にした部分が目まぐるしく入れ替わる。
まさに「時の色彩(クロノクロミー)」の名にふさわしい楽想です。それまでに彼が考えてきた技法の全てが見られる、非常に密度ある曲。
彼の曲を評する際によく言われる「音による色彩」を最もよく感じられる曲の一つでしょう。
とくに、その色彩がぐちゃぐちゃとド派手な色合いを帯びている。「トゥーランガリラ交響曲」だと、もっと単一色を志向してるんですけど。
「天より来りし都」は1987年、メシアン晩年の作品。さりげなくウインドバンド編成。
天国を示すような、妖しく煌びやかな旋律や鳥の歌が交錯します。
最盛期のような先鋭さは感じられませんが、これはこれでメシアンなりの丸さがあって聴きやすい。にしてもサイケな音響だ。
「われ死者の復活を待ち望む」は大戦の犠牲者を追悼するために作曲された作品。
低音のどろりとした音からモチーフが提示され、そこから全曲に渡って、重く暗い、鎮魂の歌が歌われていく。
東洋リズムの使用、さしはさまれる沈黙による緊張感、鳥たちの旋律、それらが
メシアンの神秘的な宗教感と合体して素晴らしい、グロテスクな、けれどシリアスな音楽を作り上げています。
なお、各楽章にある聖書からの引用文がだいたいの音楽内容を示唆しています。
それにしてもこの強烈な世界観はキリスト教ならではでしょうね、仏教とか神道だけではこんな肉質的で極彩色な音楽は出てこなかったはず。
このキリスト教土壌があった上で東洋の精神で飾り付けしたからこそ、彼にしか出せない宗教世界が描けたんでしょう。
ブーレーズの指揮は上手く冷徹にこんな世界を現しています。特に「われ死者の〜」はこの録音が一番好き。曲も好きだし。
Hommage a Olivier Messiaen -The Official 80th Birthday Concert
Sept Haikai, Couleurs de la Cite Celeste, Un Vitrail et des Oiseaux, Oiseaux Exotiques
Yvonne Loriod,P. Ensemble InterContemporain Pierre Boulez,Cond.
1988 Disques Montaigne
オリヴィエ・メシアン80歳を記念しての演奏会、ライヴ録音。ファンなら持っておくべき一枚みたい。
実は、このアルバムに収録された曲殆どが、自分ははじめてまともに聴くもの。
よって聴き比べ不可能、やっちまった。まあメシアンはそこまで意識的には沢山CD集めてなかったからなあ。
「七つの俳諧」は日本滞在の印象を元に書いた、鳥の歌声を存分に用いているシリーズの一。
細やかに歌う日本の鳥たち、こうして聴くとなじみのある部分も聴き取れますね。
「雅楽」と題された楽章は、鳥の歌に混じって笙などの音色をもじった音響が出てきます。
「天国の色彩」は七つの俳諧の翌年、1962年の作品。よって製作技法はかなり類似しています。
金管主体の、発散的な音色が印象的な音楽ですが、実際この曲は
トロンボーンとシロフォンが主体であることが委嘱先の要望だったそう。
「ステンドグラスと鳥たち」は1986年の作品、この演奏会の時点では最新作。
こうして聴くと、晩年は和音音塊の多用が目立つ。その分音響の複雑さは
薄れているので、一部の人からは「堕ちた」と言われるのでしょう。
自分は・・・嫌いじゃないけれど、単純に複雑な方が圧倒感があって楽しいかな。
「異国の鳥たち」は一気に年をさかのぼり55−56年の作品。鳥の鳴き声を積極的に使い出した頃の曲です。
歌の一つ一つがきれいに紹介されているのでわかりやすく楽しい。
演奏は、聴き比べは前記の理由で出来ないものの確かに素晴らしい。
まあメシアン演奏の第一人者が集まったようなものですからねえ。
ただ選曲は鳥系の作品ばかり、しかも「俳諧」以外は全て管楽アンサンブルがメイン。
これはこれでいいけれど、外の初期作品とか1曲くらい混ぜても良いんじゃないかなあ。
Piero Milesi
The Nuclear Observatory of Mr.Nanof
1992 Cuneiform Records RUNE 7
イタリアはミラノ出身の作曲家ピエロ・ミレジ(1953-)の映画音楽のセレクション。
実験音楽系からフォーク系プログレあたりの界隈をメインに活動しているようですが、
電子音楽も勉強しただけあって中身はシンセなどが大活躍。
ミニマル系の影響を持った進行で、のびやかに草原を想起させるようなメロディーが進む。
長尺のトラック1などを聴くと「テリー・ライリー風」と評していた売り文句にも納得。
ただ、短いトラック(2分以下のものが多い)はむしろどう聴いてもフィリップ・グラス。
伴奏の音型なんかが彼のオペラにそのまま出てきても違和感がありません。
なので全体的な印象としてはグラスの下地にライリー風の民族調をふりかけ、曲調をのびのび系に固定した感じ。
悪くはないんだけれど、私は15分で飽きました。
でもトラック10、12はテンポが速めだから印象には残った。
Darius Milhaud
Symphony No.3"Te Deum"Op.271,
The Bells -Symphonic Suite after Edgar Allan Poe Op.259,
from Saudades do Brasil Op.67
Russian State Symphony Orchestra Cappella Gennady Rozhdestvensky,Cond.
1996 Olympia OCD 452
フランス6人組時代しか有名ではないダリウス・ミヨー(1892-1974)の、主に戦後の作品集。
「交響曲第3番「テ・デウム」」は1946年の作品。これが初録音らしい。
初期オネゲルみたいなごつごつした推進力にあふれた第1楽章も悪く無いですが、
敬虔な教会音楽にしか聴こえない第2楽章の美しさが格別です。
母音唱法による合唱が、後期の彼のロマンティシズムをよく表しています。
第3楽章のパストラーレはいかにも彼らしい軽快さを持ったメロディー。
合唱が再び加わり、彼らしくも壮大に展開する第4楽章は爽快です。
同時期に作られた「交響的組曲「鐘」」はポーの同名の詩をもとにしたバレエ音楽。
実は、このバレエに作曲する際最初はジョン・ケージにお話が来たらしい。
ただ彼はプリペアドピアノ2台の音楽を書きたがったため破談、ミヨーになったとのこと。そりゃそうだろ・・・
彼初期の「フランス組曲」「プロヴァンス組曲」みたいな軽快さに
ロマン的な気品が混じった独特の様を楽しめる6曲の小品集。
「ブラジルの旅愁」は1920-21年に書かれた、前2曲よりは有名な出世作の一つ。
全12曲の小品から4曲抜粋。ブラジルらしさが出た軽い音楽です。
今回いちばんまずかったのが意外にも演奏。なぜこんなにしょっぱいのだ、ロジェヴェンなのに。
ロシア国立管&ロジェストヴェンスキーならもっと熱くぶっぱなしてくれてるはずだろうに、
どうにも煮え切らない中途半端な場面ばかり。これじゃあせっかくの初録音も台無しですぜ。それとも録音かな。
どちらにせよ、このコンビとしては想像をはるかに下回る出来で残念仕切り。
これがどマイナーなオケとかだったらまだ納得するんだが・・・
Georgi Minchev
Concerto Works for Orchestra
Contrasts -Music for orchestra, Monodia & Concerto Grosso, Concert Music for Orchestra
Bulgarian National Radio Symphony Orchestra
Dimitar Penkov,Vla. Rossen Milanov/Plamen Djouroff/Vassil Stefanov,Cond.
2009 GEGA New GD 344
シチェドリンやハチャトゥリアンに師事した現代ブルガリアの代表的作曲家
ゲオルギ・ミンチェフ(1939-)の管弦楽作品を集めた一枚、ブルガリアのレーベルから。
「コントラスツ 〜管弦楽のための音楽」(2002)、鐘とヴィブラフォンの響く神秘的な冒頭から、淡い色彩の音楽が静々と立ち上る。
やがて打楽器のパッセージを機にしてハイハットが軽快にリズムを刻む早い音楽へ。
このあたりからグロテスクな色合いも帯びてきて、音楽はクラシカルな音響と展開でいながら
ジャズなどの音楽を異形に組み込んだ饗宴へと進んでいきます。
最期はまた冒頭のような重くたゆたう弦楽に戻って、鐘の余韻の中に消えていく。
「モノディアとコンチェルト・グロッソ」(2006)はヴィオラ、チェンバロ、打楽器と弦楽のための作品。
ヴィオラによるモダニズムと民族音楽が合わさったような長い「モノディア」部分のソロ。
チェンバロとヴィブラフォンの合いの手が入り次第に激しく倒錯的に高揚するとコンチェルト・グロッソの開始。
ここの展開は気に入った。でも実はここが音楽の頂点。
中間部の鬱屈した趣もあるグロテスクで落ち着いた音楽から最期はソロが消え入るように終わる。
「管弦楽のための演奏会用音楽」は1976年と初期の作品。
冒頭の幾重にも重なっていく木管の音型はどこか(当時同僚であった)メシアンの鳥のさえずりに似ている気がする。
そこから細かな断片が切迫しながら混沌と渦巻くさまは、当時の前衛をそのまま表現しています。
どこかジャズ風なイディオムが出てくるオーバージャンル的な試みも含めて、実に70年代の現代音楽。
面白いんだけれど、凄いと実感できる曲はないのが残念。
演奏は悪くないんだけれど、録音がちょっと微妙。とくに3曲目。
Meredith Monk
Volcano Songs
1997 ECM New Series POCC-1042
メレディス・モンクのボイス・パフォーマンスは、他に類を見ない、非常に独特なもの。
彼女自身、自分のことを「アメリカの一匹狼の伝統の一部」と表現するように、彼女の音楽を聴くと必ず
彼女独自のものである音楽言語で曲が作られているのが実感できます。
この「火山の歌」は90年代前半の小品を集めたアルバム。
ソロ、デュエットといった簡素な編成で、これ以前のアルバムと同じような不思議な世界を聴かせてくれる。
もっとも、この前なんかには大規模な作品がいくつもありますが。
叫び、息、ハミング、さまざまな発声法が、彼女の柔らかな声色によって、形容しがたい深みを持つ。
「火山の歌」はデュエットとソロの2バージョンありますが、全く別ものの曲。
素朴な歌の旋律がベースになりながら、その簡素な構成を持ったまま彼女(ら)のパフォーマンスが加わる。
「ニューヨーク・レクイエム」はかなりしっかりした構成のピアノの上で、モンクが自由に声を表現する。
「サンクト・ペテルブルグ・ワルツ」は珍しくピアノソロ作品。
いつもの音楽をピアノ一台で表現した感じですが、彼女にしては、右手の部分が穏健。
「3つの天国と地獄」は20分かかる、アルバム中では大作。
珍しくスコアを書いたというだけあって、かなり型にはまっている感じ。見通しはいいけれど、過激なパフォーマンスは多くは無い。
「ささやかな歌」からの抜粋で、簡素にアルバムは終了。
一度は彼女のアルバムを、どれか一つでいいから聴くと良いですね。
Robart Moran
Desert of Roses/Ten Miles High over Albania/Open Veins
ロバート・モラン
「薔薇の砂漠」より、アルバニア上空10マイル、ひらかれた静脈
Robart Moran&Craig Smith,Cond. Piano Circus Band
Alexander Balanescu,Violin Jayne West,Sop. Mario Falcao,Harp
1992 argo POCL-1320
「39台の自動車のための39分」をはじめとするマルチメディア・イベントでも有名な彼ですが
ワルツ・プロジェクトの発起人の一人とは知りませんでした・・・
いや以前このプロジェクトの抜粋CD買ってたんですが、彼の作品入ってなかったやつ(Albany TRIY689)だったんで気づきませんでした。
このCDに入ってるAnthony CornicelloのPostModern Waltzはけっこう好きです・・・って話がずれましたね。
比較的初期は図形楽譜なんかも手がけてたみたいですが、紹介CDにあるものは近年の「共有される体験」という考えに基づくものです。
どの曲も聴きやすいもので、特に完全に記譜されている「薔薇の砂漠」はほとんど普通の音楽です。
他二曲は、雰囲気こそ正反対ながら元の手法はかなり似たもので、演奏者と作曲者の間での創造体験の共有が容易に認められる作品です。
マルチイベント的要素を用いる点は今も昔も変わらないようで。
Robert Moran
Dracula Diary -An Opera in one act
Houston Grand Opera Ward Holmquist,Cond. etc.
1995 Catalyst BVCT-1511
ロバート・モランの一幕オペラ「ドラキュラ・ダイアリー」、脚本はジェームズ・スコフィールド。
プロローグのミサ曲、綺麗な中に現代的な伴奏による重みが少しづつ入ってくるあたり好み。
次第に、シンセオルガンによる修道院での二重唱に盛り上がる。
基本的にシンセが伴奏の中核を作っているので、オペラにしては何ともこじんまりした音楽。
ただ、その響きがむしろモランらしいので、個人的には良かった。
もちろんオペラとしての聴き方じゃないですが、そもそも自分がオペラの鑑賞法を身に着けてないからこれで良いんです。
はっきり言って、モラン独特の平易な旋律歌い回しが合わない人間にはこれほどまでにつまらない曲はないと思う。
ただ、逆にカーニスやトークのような人物よりモランが良いと思える人には間違いなく楽しめる。
最後に来る物語のカタストロフィ部分とか、この微妙にかっこいいけどこじんまりしてる所が逆に良いですよね。
たぶん、フルオーケストラでやったら最後はかなり映えるんじゃないでしょうか。
バリトンはジョン・アダムスのオペラでもよく出てくるジェームズ・マッダレーナ。
ああ、道理で聴いたことがある感覚だったんだな…
ところで自分、日本語解説あるのを中古で買ったんですがこれ、そこそこにレア盤じゃ?
Alexandr Mosolov
Soldiers Songs, Music of Machines Zavod/The Iron Foundry,
Concerto No.1 for Piano and Orchestra, "Elegy"Concerto No.2 for Cello and Orchestra
Osipov Russian Folk Orchestra Vitaly Gnutov,Con.
The USSR Symphony Orchestra Evgeni Svelanov,Con.
Rusudan Khuntsaria,P. Vladimir Kozhukar,Con.
Ivan Monighetti,Vc. The Moscow Symphony Orchestra Veronica Dudarova,Con.
2009 Venetia CDVE 04374
グリエールとミャスコフスキーに師事したアレクサンドル・モソロフ(1900-73)の作品集。
この人は強制労働に8年間ぶち込まれる1930年後半の前後で結構作風が違う。
組曲「兵士の歌」、スネアのリズムに導かれ、バンドネオンやバンジョーによる
いかにもロシア民謡的な旋律が美しく盛り上がる。
民族楽器オーケストラののどかでひろびろとした響きは実に素朴。
強制労働後の彼後期の作品らしい、民謡をベースにした音楽作品の代表格。
バレエ音楽「鉄鋼」からとられた「鉄工場」は彼の文句なしに代表作。
管弦楽が一体となって押し寄せる騒音の洪水。その上を押しのけて叫ばれるホルンやトランペットの金切り声。
自分も大好きなこの作品、ここではスヴェトラーノフが爆裂してくれます。
録音はかなり悪いですが、3分きっかりに収めてしまうほどの快速演奏。
「ピアノ協奏曲第1番」は「鉄鋼」と同じ1927年の作品。
緊張感溢れる力のこもった序奏にピアノが同期し、やがて奔流のごとく楽想が入れ替わり出す。
基本的には強面の姿勢を崩してないため、どこかおどけたというよりは狂気を見せるような感じ。
ひとつの旋律が全く長続きしないまま、不協和音も絡めながらごりごりと進行していく。
破茶滅茶ではありますが、彼初期のアヴァンギャルドさを知り
彼の音楽の持っている力強さを存分に味わえる傑作だと思います。
「鉄工場」で知った人が次に聴くのにいいんじゃないだろうか。
「チェロ協奏曲第2番「エレジー」」(1946)はその名の通り、むせぶような序奏の後に
チェロが憂いを込めた情緒豊かな旋律を歌い上げる。
こちらも楽想はけっこう移ろいますが、その中身は先ほどとはうって変わり軽やかで素朴なもの。
やはり国民楽派的なものを想定したんでしょうか。
初期の先鋭的なものから後期の民族的な作品まで、クラシカルではありますが非常に楽しい作品ばかり。
演奏はロシアらしくごつごつとしながら癖のある美しさ。録音もまあロシアものの通常通り。
Nico Muhly
I Drink the Air Before Me
Alex Sopp,Fl. Seth Baer,Bsn. Michael Clayville,Tbn.
Nico Muhly,P. Nadia Sirota,Vla. Logan Coale,Bass
Young People's Chorus of New York Francisco Nunes,Cond.
2010 Decca B0014742-02
アメリカの若手作曲家/ピアニストのニコ・ミューリー(1981-)。ビョークやフィリップ・グラス、
ルー・リードといった幅広い面々と関わりがあるようです。ジュリアード音楽院首席。
この「I Drink the Air Before Me」はStephen Petronioの
ダンス・カンパニー結成25周年の作品のために作られた音楽。
ファゴットや弦、ピアノの重い衝撃音が打ち鳴らされ、フルートの排気音がアクセントを添える。
合唱とヴィオラが長く儚い旋律を歌い、ピアノやフルートをきっかけに動きのある旋律が回りだす。
ピアノの低音を中核とした打撃音は、音楽に推進力とビート感を与え、
その上で踊る旋律たちはどこかミニマリスティックに淡い情景を形作ります。
そういった構造的にはポストミニマル、というか師のような存在でもあるグラスの影響が濃いと思う。
トラック4の録音と共演するヴィオラソロや続くフルートを聴いていても、
アメリカの本家ミニマルを思わせるような部分がぱらぱら見受けられます。
そこから鑑みても、彼はポストクラシカルな音楽の書き手だといえるでしょう。
美しくノスタルジックな響きも多く、面白い音楽だったんですが、
どこか物足りない感じもはっきり感じたのは、モダンダンスがないからなんでしょうか。
もっとも、まだ30歳でここまで評価される程度には十分実力はあるとは思います。
元祖ミニマル御三家+スティーヴ・マートランド÷2、って感じでしょうか。
Conlon Nancarrow: Orchestral and Chamber Music
Piece No.1 and 2 for small orchestra, Toccata for Violin and Player Piano
Prelude and Blues, Study No.15, Tango?, Sonatina, Trio Movement, String Quartet No.1
Continuum Cheryl Seltzer/Joel Sachs,Cond.
2005 Naxos 8.559196
自動演奏ピアノ馬鹿のコンロン・ナンカロウ(1912-97)が書いた生身の人間のための作品集。
基本的に、彼が自動演奏ピアノにはまる前の作品が殆ど。大半は1945年までに作曲されています。
そのため、楽想は初期の彼らしいジャズに強く影響を受けたものばかり。
例えば「小オーケストラのための小品第1番」は非常に古典的な構成に様々なジャズが絡みつく。
普通に聴いてしまうと、とても「スタディ」の40番台を書いた人間と同じとは思えません。
「ヴァイオリンと自動ピアノのためのトッカータ」も構成は古典的ですが、伴奏のえげつなさが目立つ。
物凄い速さでたたき出される音の洪水。良く見たら80年代に編曲してる、すごく納得。
1分半の短い曲ですが、個人的にはその疾走感が凄く気に入った。
「前奏曲とブルース」、本当にそのままジャズ風のナンバー。1935年作。
「スタディ第15番」はイヴァ・ミカショフの編曲版。時代はかなり遅いですがそれでも50年代作。
ただ、その無節操な音の積み重ね具合は今までの曲とかなり異なる。
「タンゴ?」は1984年作。かなり有名な曲。この引きつったリズム感覚が、このアルバムでは奇異に
(つまり普通の感覚に)聴くことが出きる。いや、いい曲ですよ。
ピアノのための「ソナチナ(1941)」、ジャズを取り入れたまだ普通の作りだけれど、
そのリズムの取り入れ方がどこかおかしくなってきている。複雑で、どこかぎくしゃくした、けれどノリノリな音楽。
「トリオの楽章」、クラ・ピアノ・バスーンの溌剌とした音楽。1942年作。
「弦楽四重奏曲第1番」はクロノス・カルテットも録音していて有名。こうして聴くと
作曲年(1945)のわりにはかなり普通の音楽に聴こえる。もちろん良く聴くとおかしいけれど。
「小オーケストラのための小品第2番」は1986年の作品。晩年になって再び生身作品を書いた結果はお聴きの通り。
かなり落ち着いてはいるものの、崩壊具合、もとい錯乱的な音響がばっちり聴こえます。
ナンカロウのたどった足跡を見るにはこの上ないCD。
逆に、彼の後期の作品のようなものを聴きたい人間には「トッカータ」以外全くお薦めしない。
やたらクラシカルで残響の多い演奏&録音がそれに拍車をかけている。
Alberto Nepomuceno
Piano Works
Suite Antiga Op.11, Nocturne Nos.1 & 2(for the left hand), Nocturne Op.33, Improviso Op.27-2,
Sonata in F minor Op.9, Galhofeira Op.13-4, Cinco pequenas pecas (for the left hand)
Maria Ines Guimaraes,Piano
1994 Marco Polo 8.223548
ヴァイオリニストの父の下に生まれ、ローマやベルリンへ留学後自国ブラジルで音楽学校校長を務め
当時はなかなか高い地位にあったであろうアルベルト・ネポムセーニョ(1864-1920)。
グリーグとも親交が厚く、初期ブラジル音楽の代表格とも言えたろうに、今ではほぼ無名の位置に。
「古風な組曲」は1893年作曲ですでに古典の視点なので、バロックの形式をそのまま使っています。
前奏曲、メヌエット、エアー、リゴードンからなる簡素で美しい音楽です。
この曲、弦楽版もあったりして彼の作品では比較的メジャーな位置にあったようですね。
「左手のための夜想曲」は彼の娘Sigridのために作曲されたもの。
どうやら先天性の原因で彼女には右手がなかったためにこういった作品が多く残されているようす。
ハ長調の1番とト長調の2番、どちらも気品あふれる美しい曲。
「夜想曲 作品33」のほうも両手のための作品というだけで印象は大差ない。
「即興曲」、まあシューマンあたりのそれを考えれば良いような感じの小品。
「ピアノ・ソナタ ヘ長調」はこのような形式で初めて書かれたブラジル作曲家の作品とのこと。
1893年のこの曲、内容はごく素直なロマン派の音楽なんですがね。
「ガロフェイラ(おふざけ屋さん)」は「4つの叙情曲」のラストを飾る、彼の代表作。
彼にしては珍しく、ブラジルのリズムの影響が感じられる非常に軽快で転調も多い楽しい曲。
左手のための「5つの小さな小品」はやはり娘のために作った作品。
技術的には「夜想曲」よりも簡単で初心者でもできそうな感じ。
でも聴きごたえはちゃんとあるのがなんとも良いですね。5曲10分足らずの小品集。
全体的に、ブラームスやシューマンの影響が非常に強く、ブラジル臭がほぼ全くありません。
まあそういったこともあって、当時はパイオニアの一人でありながら現在ではこんなマイナー作曲家になっているのでしょう。
演奏は同郷の女性ピアニスト。やや重くしっとりしたタッチで、音楽に合っていると思う。
Olga Neuwirth
Clinamen/Nodus, Construction in Space
London Symphony Orchestra Pierre Boulez,Cond.
Klangforum Wien Emilio Pomarico,Cond. etc.
2002 KAIROS 0012302KAI
オーストリア・グラーツ出身、ウィーン国立音楽大学で作曲を学び
IRCAMでトリスタン・ミュライユに師事したオルガ・ノイヴィルト(1968-)の作品集。
ブックレットの写真だけだとぶっちゃけ性別不詳な出で立ち(失礼すぎますが)ですが、名前のとおり女性です。
巨大な混沌の渦で始まる「クリナメン/ノドゥス(斜傾運動/もつれ)」、それが収まると微分音のうねりから切迫するようなリズムと
ギターや金属質の異質な唸り、打楽器のヴァレーズを思わせるようなメカニカルな動きが絡み合う。
チェレスタなどの煌めき、弦楽器やギターの喘ぎ、非現実的な浮遊感の結尾。
マーラーの音楽の断片を用いながら彼風の葬送行進曲の骸骨を見せ、
まさに似非リアルなどろどろともつれた音楽世界を描き出しています。
演奏はブーレーズによる指揮、流石手馴れている。
「空間の構築」はそのブーレーズ75歳を記念して作曲された音楽。
ロシアの前衛的美術家ナウム・ガボ(Naum Gabo)による同名の作品から影響を受けているようです。
しょっぱなから思い切りソリスト/アンサンブルたちによるぎくしゃくした動きの饗宴。
ライヴ・エレクトロニクスがそれに乱入することで、さらにカオスな動きを強調する。
やがて金管のおおきなうねりをバーにして持続的なのっぺりした音楽も姿を表す。
その後(大まかに言って)二つの楽想が激しく動き回りながら緊張と爆発を繰り返す。
どちらの曲も、混沌とした音響の中からのぞかせる鋭い動きの切れ味にびびります。
なんというか、旋律的な動きの力の性質をよく分かっているというか、いかれているというか・・・
まあ響きとしては過激な感じで楽しかったから良いんじゃないのかな。
ルイジ・ノーノ
力と光の波のように、墓碑銘第1、3曲
ヘルベルト・ケーゲル指揮 ライプツィヒ放送交響楽団 他
1994 Tokuma Japan TKCC-70290
ノーノ(Luiji Nono)の代表作の、名盤といえる録音。
蚊のような録音の声と、うねるようなオーケストラの上で、ソプラノが妖艶に跳ねる。
衝撃的なピアノに、オーケストラが強くのしかかる。
一切の緩みを許さない、その徹底的な厳しさは、ケーゲルの指揮と素晴らしい相性を見せてくれます。
彼の作る渋く枯れたような響きは、ノーノの暗い前衛さに影の深みをつけてくれる。
「力と光の波のように」は、まさに彼の代表作と言うにふさわしい音楽です。
一方、「墓碑銘」のシリーズでは、「力と光の〜」とは違った、とても調性的な世界が見られます。
どちらも1952-3年の作曲、まだ初期の作品です。セリエル技法を比較的そのまま使っているころ。
後年に繋がる、ストイックな音使いの上に、スペインの香りを感じさせる妖しげな音楽が、
シェーンベルグを思わせる音楽構造から聴こえてくる。
また、第3曲は太鼓の扇動的リズムと穏やかなロマンス風音楽など展開し、最後には激しい結尾から合唱のみで静かに終わる。
この2曲は政治的要素が強いこともあってか、非常に聴きやすいですね。
毛色こそ違いますが、素晴らしい曲・演奏であることは間違いなし。
Per Norgard
Orchestral Works
Violin Concerto No.2 "Borderlines",Dream Play, Voyage into the Golden Screen
Rebecca Hirsch,Vn. Copenhagen Philharmonic Orchestra Giordano Bellincampi,Con.
2003 Dacapo 8.226014
ホルンボーに師事し、いまや北欧を代表する作曲家、ペア・ノアゴー(1932-)の作品集。
「ヴァイオリン協奏曲第2番「ボーダーライン」」は2002年の新作(当時)。
感情的に激しく揺れ動く、弦楽器主体の透明感を持った音楽。
ソリスティックで艶かしいヴァイオリン独奏は、きつい前衛音響や美しいメロディなど様々な様相を見せる
オーケストラの「境界線」となって音楽に自分を印象づけます。
「ドリーム・プレイ」は1975年の作品。彼のロマン派的作風が存分に味わえる曲です。
幻想的でゆったりと踊るような、穏やかな音楽。もちろん
さまざまな異なるメロディが泡のように浮かび消える楽想は現代のそれ。
「黄金の幕への航海」は1968年、比較的初期の頃の作品。
弦による淡さを感じるメロディーが管弦楽の重苦しいリズムに支配されていく。
中心音によるトーン・クラスターを使った、「ミニマルやポストモダニズム」な音楽。
というか、ぶっちゃけ音楽の流れだけ言えばシェルシっぽい。当時の彼なりの前衛への試みだったのでしょう。
第2楽章の怪しくも美しい音楽は気に入りました。
演奏は、弦楽器をメインに据えた響きの繊細なもの。デンマークの団体らしい微妙な野暮ったさ。
録音は、ダカーポにしてはもっさりしてなくていいんじゃないの。
Ib Norholm
Americana, MacMoon Songs III Op.154,
Sjaelfuld Sommer Op.146, Three Songs, Fuglene Op.129
Vocal Group Ars Nova Danish Chamber Orchestra Tamas Veto,Cond.
2000 dacapo 8.224168
イブ・ネアホルム(1931-)はデンマークの作曲家。18歳にして室内オペラでデビューし
ホルンボー(Vagn Holmboe)を初めとしたデンマークの錚々たるメンバーに師事しています。
現代デンマークの大御所的な、そんな彼の合唱曲作品集をこのたび安価で入手。
「アメリカーナ」は彼がアメリカの詩を収めた本を読み、それが気に入ったことから作られたようです。
近代的な和声はばりばり使っていますが、前衛さは皆無。
「マックムーンの歌」は器楽アンサンブルが加わることによってさらに近代性が加わります。
「Soulful Summer」はそのCDの中で最も穏健な作風。非常に美しい無伴奏合唱が聞けます。
それ以降の2曲も大差なし。どうやらこの作曲家は前衛には興味を示さずクラシックな道を歩んできたようですね。
まあ「Soulful Summer」とかをはじめ悪くなかったですが、とりあえず1時間聴くと飽きる。
自分みたいに合唱に疎い人間とかじゃなければまた評価も変わるでしょうが。
たぶん和声学に長けた人なんかが聴いたらかなり高い評価では。でも自分は微妙。
エマニュエル・ヌネス
Emmanuel Nunes
Musik der Fruhe, Esquisses
ペーター・エトヴェシュ指揮、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、アルディッティ弦楽四重奏団
1990 Erato ECD 75551
ヌネスは1941年リスボンに生まれた作曲家。プスールやシュトックハウゼンといった大御所に師事していますね。
初期は当時の流行だったセリー様式を使っていたそうですが、その後いろいろ変遷を経て近年はドローンが目立つ作風のようです。
「Musik der Fruhe」冒頭、緊張感をはらんだドローンの中からだんだんと動きが分離してきます。
同音を初めとした、狭い音域での動きが基本なために、跳躍のある動きが非常に鮮明で映える。
調性があるわけではないのだけれど、正面からぶつかり合う音が少ないので、聴いていて透明な印象を受けます。
曲が進むほど、跳躍と持続音は干渉しあって互いを侵食していきます。
漸次的に相互作用を起こし、ドローンという膜の中で自身が持つエネルギーを高めていく。
音色や音響の使い方がとても優れていると感じましたね。逆に、曲の組み立て方はちょっと怪しい気が、曲の性格上もあるけれど。
「Esquisses」も傾向は似た感じ。それぞれの奏者が違う音価で連符を重ねていきます。
Knut Nystedt
Kristnikvede
Kristnikvede(Canticles of Praise), A Song as in the Night
Bergen Cathedral Choir Magnar Mangersnes,Cond.
1999 Simax Classics PSC 1190
オスロ出身、コープランドらに師事し教会のオルガニストとして働きながら
作曲家のみならずオルガン奏者としても世界的な活動をしているクヌート・ニーステッド(1915-)の作品集。
この人、まだ生きているのか。もうそろそろ100年になる長寿の方らしい。
「賛美のカンティクル」はノルウェー王オーラヴ1世の即位1000年を記念して書かれた作品。
バロック以前の音楽を模した旋律が合唱で歌われ、それが複雑に入り組んでいく。
やがて男声の朗読が語りだし、オルガンも加わった物語が始まります。
時に荒々しく、時には荘厳さを持って響く、前衛さもある程度持ちながら
基本的には近代音楽の耳でも十分に楽しめる作品です。
各曲ごとに盛り上がりが設定されていて、聴いていてとても描写的というか物語的。
「A Song as in the Night」は旧約聖書に出てくる預言書イザヤをモチーフ、テキストにした作品。
こちらの方はオケが弦楽合奏になっているので個人的な好みはちょっと薄め。
でも、これはこれで十分にストーリー性を感じる音楽は聴きやすくていい。
演奏、悪くはないけれども特に後半でのオケで微妙な所も多いかな。
Maurice Ohana
Tombeau de Claude Debussy, Silenciaire, Chiffres de Clavecin
Sylvie Sulle,Sop. Christian Ivaldi,P. Laure Morabito,Cithare Elisabeth Chojnacka,Clavecin
Orchestre Philharmonique du Luxembourg Arturo Tamayo,Cond.
2008 Timpani 1C1147
モロッコはカサブランカ出身、カゼッラらに師事したモーリス・オアナ(1913-1992)の作品集。
このタマヨ/ルクセンブルクフィルによる音源は最も有名なものの一つでしょう。
「クロード・ドビュッシーの墓」はアンリ・ディティユーに捧げられた作品。これが初録音。
ドビュッシーを思わせる、美しく脆い響きがシタールやピアノなどで演奏され、
ソプラノや小編成(変則的な1管)のオーケストラがふわりと(ドビュッシー作品のコラージュを含めた)淡い旋律を浮かびあげる。
構造としてはごつごつとした暴力的な場面も多く(バルトークのオマージュあり)、
そこに絶妙な和声が響くことで印象としては美しく静謐で緊張感あるものに仕上がっています。
どこかメシアン的な響きも感じられるところに、ドビュッシーからオアナまでの官能的な和声の系譜を想像することができて楽しい。
そして、ツィターの平均律を意図的に外した調律による、非現実的で浮いた音響がとてもオアナらしい。
「沈黙者」は、一応は打楽器と弦楽の協奏曲編成。その名前に相応しい沈黙的な静けさが美しい曲。
6人の打楽器奏者による多様でいてかつ繊細な音楽は、その根底にはっきりと
出自である地中海的な民族音楽の残滓を感じ取ることが出来ます。
「クラヴサンのための暗号」は(やっぱり)ホイナツカのために書かれたもの。
どこかジャズや地中海音楽を思わせる動きを含む管弦楽にはっきりとした重いクラヴサンが入る。
多彩な音楽語法を使用したことでも、音の響きが非常にバラエティあるものになっています。
やはり「ドビュッシーの墓」の出来がこの中では飛び抜けている。
繊細なディティユーばりの和声と彼独特の地中海音楽ルーツ、そして粗野な楽想が巧く一体化しています。
もうちょっと音にクリスピーさが欲しい時は「暗号」、音の煌きが欲しければ「沈黙者」か。
この2作品も十分いい出来なんですが、ちょっと分が悪かった。
演奏は同レーベルのクセナキスで実力把握済み。ホイナツカもいつもどおり。
Gyorgy Orban
Missa No.6, Missa No.9, Stabat Mater in B
Angelica Girl's Choir Zsuzsanna Graf,Cond. etc.
2005 Hungaroton HCD 32306
トランシルヴァニア出身、リスト音楽院で教授職に就いていましたがジョン・ラターに紹介されたことで
一気に知名度が上がったジェルジュ・オルバーン(1947-)の宗教曲作品集。
彼は1990年以降に、いきなりこの手の曲を作り出しているそうです。ミサ曲11にスターバトマーテル3つとかどんだけ作る気だよ。
「ミサ第6番」(1991)はピアノ伴奏のみ。ピアノの流麗なアルペジオで開始、女声合唱が旋律を歌うも面白い響き。
なんというか、宗教合唱の旋律をアンビエントとジャズで包み込んだ感じ。
続く第2曲以降も、音楽としてはかなりネオクラシカル。
和声は程よく手が込んでいるので悪くはない。和声的には1920-30年代のあたりのそれらしい(by解説)。
ピアノ伴奏のみなのが、個人的にはプラスです。気楽に聴ける綺麗さ。
「ミサ第9番」(1999)はどうやら日本の合唱指揮者でもある松下耕のために書かれた作品のようです。
この方のお蔭もあって、日本の合唱界でもオルバーンはけっこうメジャーな名前になっているんだとか。
こちらはさらに時代が遡り、音楽的な印象はもろにロマン派。
「スターバト・マーテル ロ調」(2003)はバッハの受難曲をベースにしているらしく音楽はバロック風。
でもそこに妙にロマン派とかの作風が加わってる感じですねこれ。
うーん、演奏は特に問題ないし音楽も悪くないけど、趣味じゃないなあ。
近代の匂いが強かった6番ミサ曲は楽しめたんだけれども。
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