作曲家別 S-T

姓のアルファベット順。



Esa-pekka Salonen
Foreign Bodies, Wing on Wing, Insomnia

Finnish Radio Symphony Orchestra  Esa-pekka Salonen,Cond.
2005 Deutsche Grammophon  00289 477 5375

フィンランドの指揮者・作曲家、エサ=ペッカ・サロネン(1958-)の、近年の管弦楽作品集。
「Foreign Bodies」は、音楽と肉体の同一性に重きを置いて作られた、非常に直感的な作品。
最初から、活動的で溌剌とした、聴きやすい楽想と重々しいコラールの激しい混合・シャッフル。
非常にわかりやすい、かつ素直に音楽のテンションに浸れる楽しい音楽。
前衛的ではなく、クラシカルな音楽が好きな人や吹奏楽を聴く人にも十分許容できるものだと思います。
「Wing on Wing」は低音の強調された伴奏の上に二人のソプラノがふわふわと浮かぶ。
ちょっとメシアン的な官能さも連想させる冒頭から、華やかな楽想や暖かな木管合奏などが絡む。
「人間と機械の間における統合のsci-fi fantasy(サロネン)」。
透明感のある音楽・演奏で、長いどちらかというと内向的な曲ではありますが素直に聴けます。
「インソムニア」はそれよりもさらに内向的、かつ激しいドラマティックな作品。
メランコリックな楽想が、繊細に、時には力を持って打ち寄せてくる。
全体的にかなり楽しめました。北欧独特の覚めた音が良く似合う音楽。
サロネンのほうは、リンドベリなんかと比べると聴きやすい/穏健な作風ですね。



Ahmed Adnan Saygun
Yunus Emre -Oratory for Soli, Choir and Orchestra
in three parts with an intermezzo after the second part

Birgul Su Aric,S.  Aylin Ates,M-S.  Aydin Ustuk,T.  Tevfik Rodos,B.
Osnabrueck Symphony Orchestra  Osnabrueck Youth Choir  Naci Ozguc,Cond.
2012 dreyer gaido  CD 21074

トルコに生まれダンディらに学び、トルコ西洋音楽の初期世代として活躍した
アフメト・アドナン・サイグン(1907-91)の大作オラトリオ「ユヌス・エムレ」。
中世トルコで活躍した詩人・神秘家であるユヌス・エムレ(1240?-1321?)の
トルコ文化に根差しながら愛と人道主義を説いた創作内容に
当時第二次大戦が始まっていた中のサイグンは共感を感じ取ったようです。
30年代から書き始められ、1943年に完成されたトルコ初のオラトリオが46年初演という流れは
人間性を歌った内容と平和を希求する潮流とがシンクロしていて面白い。

雄大さを感じる冒頭からトルコ民族音楽を強く感じさせるモチーフが現れる。
この作品での重要なテーマの一つに、彼のルーツであるトルコを初めとするムスリム系と
非ムスリムである西洋との共存があり、それはトルコ素材を
西洋オーケストレーションで彩る手法に主にあらわされています。
音楽としては当時の穏健な作風止まりではありますが、そこに潜むトルコの強いリズム感と音階がとても新鮮。
個人的にはAgitatoの部分なんか派手で良かった。
あと、長さも15分を超える主部のようなVivoがやはり聴きどころ。
この部分は(コルサコフのシェエラザード終楽章よろしく)特徴的なリズムが現れ
さまざまな楽想が入り乱れながら絢爛に展開するので一番派手。
その最後で思いっきり終わると思いきや、最後に短いコーダのコラールがついているあたりが
全体のテーマをまた物語っていて良い。
演奏は流石に一流と比べるわけにはいきませんが、
同郷の人物勢のみによる演奏はやっぱり来るものがあります。
ただ、それでもこの曲を超一流のメンバーで聴いてみたい気もする。



Giacinto Scelsi
Chukrum, Quattro Pezzi, Natura Renovatur, Hymnos

SymphonieOrchester des Bayerischen Rundfunks
Elisabeth Zawadke,Organ  Peter Rundel & Hans Zender,Cond.
2008 NEOS  10722

イタリア出身、一つの音について徹底的に考察を行って作曲を行ったことで有名な
ジャチント・シェルシ(1905-1988)の大編成作品集。
ここに収録されている作品はどれも50年後半から60年台にかけての、一番評価されている時期の中では初期の頃の作品。
弦楽のための「チャクラム」を聴くと、明らかにそれがある音を基準にして、その倍音と微分音変化で展開しているのがわかる。
オーケストラのための「Quattro Pezzi」はおそらく彼が始めて一つの音だけに固執して作曲した音楽の一つ(1959年作)。
4楽章のそれぞれに一音ずつ割り当てられ、これが実に微妙な変化をもって響きを変える。
倍音すらなし。完全にその音と音のずれだけ。
11弦楽器のための「Natura Renovatur」は、編成が小さいこともあって薄く儚い響きに聴こえます。
さらに、個々の音の動きを捉えやすく、その上響きの(彼の作品的な)豊かさも感じられる。
「ヒュムノス」はオルガンに2群の管弦楽が加わる大編成。
ヴァイオリンソロの微妙にメロディアスな動きや打楽器を含む巨大な盛り上がりなど、今までにはない要素もちらほら。
繊細なところから暴力的なシーンまであり非常にドラマチックで、この中では一番気に入りました。
ただ、オルガンはそんなに前に出てはきていません。なんだかあくまで一楽器としての参加みたい。
流石はスペクトル学派のプロトタイプ、どの曲も一つの音響に対するこだわりが凄いですね。
彼の大編成作品は初めて聴いたんですが、ピアノ作品に比べて圧倒的に面白かった。
あと、こうして聴くと非常にドローン的。ドローンリスナーも普通に楽しめますね。



Giacinto Scelsi
Pranam I,Anagamin,Quattro pezzi,Quartetto n.4&2,Okanagon

Michiko Hirayama,Vo.  Ensemble 2e2m
Pellegrini Quartett  Berner Streichquartett  etc.
2002 Edition RZ  ed.RZ 1014

ようやくシェルシのEdition RZ盤を買いました。やっぱりここのリリースは外れがない。
「プラナム I」は声と12の楽器、テープのための1972年作品。
平山美智子のかすれた声が揺れ、それに付き添うかのように楽器が呼応する。
テープは濁ったクラスターを響かせ、モノトーンな世界にゆっくりと厚みをつけていく。
なんとまあこの作品、あのJani Christouに献呈されているらしい。
なるほど、確かにこの鬼気迫る恐ろしい感覚は彼の作品に似てなくもない。ていうか交流あったのね。
12の弦楽器のための「アナガミン(不還)」は1965年。やはりこのころの音楽は
一番ダイレクトに微分的な音塊の動きが聴けてインパクトがありますね。弦楽器のうねりが空恐ろしいまでに迫ってくる。
ちなみに、シェルシの曲のタイトルは大体サンスクリット語です。
有名作、管弦楽のための「4つの小品」はアンサンブル2E2Mの演奏を収録しているとか、RZさすがすぎる。
普通の管弦楽による響きとは結構違う感触ですが、彼らによるものならやっぱり不安はない。
「弦楽四重奏曲第4番」は64年作曲。なんでチェロからヴァイオリンまでいるのに同一音域ぽく聞こえるんだろう。
徐々に幅広くなりながらも、錯乱するようでいて中心がはっきりわかる。
「オカナゴン」はハープ、タムタムとコントラバスのための作品。
ハープの特殊奏法によるささくれた音響に、ゴングとコントラバスの低いうねりが徐々にかぶさるあたりやばい。
音響としても凄い勢いなのに、後半いきなりラッヘンマンみたいな特殊音の亡霊になるのも好きです。
個人的には、このCDの中で一番気に入った。
最後の「弦楽四重奏曲第2番」は20分の(この中では)大作。
切羽詰まるような、終始緊張に満ちた音たちが20分をあっという間のものへ変えていく。
「Pranam I」とかは音源の状態があんまりよくないですが、それでも演奏がすごい。
ただ「弦楽四重奏曲第4番」のペレグリーニQだけのんびりした音響なので、
良し悪しはともかく、ほかの鋭い演奏たちの中で結構浮いてましたね。



Giacinto Scelsi
Music for Wind Instruments and Percussion
Ko-Lho, Pwyll, I Riti:Funeral March"The Fueral of Achilles", Ixor, Ruche di Guck, Hyxos, Quattro Pezzi for Trumpet alone

Peter Masseurs,Tp.  Jacques Meertens,Cl.  Rien de Reede,Fl./A.Fl.
Thies Roorda,Fl./Picc.  Jan Spronk,Ob.  Attacca PercussionEnsemble
Attacca  BABEL 9479

シェルシの管楽作品を集めた一枚。「Ko-Lho」(1966)はフルートとクラリネットの二重奏曲。
E音を中心にしながら二人が表情を次第に変えていき、片方がずれれば他方がそれを追う。
その時その時の動きの中心には様々な音がありますが、常にEを意識した一本線が感じられる。
いかにもシェルシ、と言いたくなる作品です。
「Pwyll」(1954)は彼最初の管楽器作品、フルートソロ。
特定の音から派生する音の拡がりを聴いていると、なんだか尺八のメリスマみたいに思えてくる。
こうして聴くとなんか普通の音楽に聴こえるのは、もしかしたらそういう感覚が底にあるんでしょうか。
「I Riti」(1962)は葬送行進曲の副題があるとおり、彼が唯一書いた打楽器アンサンブルの曲としては
びっくりするくらい普通の曲に聴こえる。ヴァレーズ「電離」の静かな場所だけ抜き出した感じ。
クラリネットソロのための「Ixor」(1956)は作品に四分音が初めて出てきたころの作品。
動きと言うか跳躍はそこそこあるけれど、結局一つの線としか感じられないあたりがいかにも。
オーボエとピッコロのための「Ruche di Guck」(1957)も一番シェルシらしい作風。
カノンのように一方が他方を追いかけ、技巧的に凝ったパッセージが音楽の輪郭を彩る。
アルトフルート、ゴングとカウベルのための「Hyxos」(1955)はやっぱり東洋的なフルートに
打楽器のさまざまな叩き方による音響が合いの手を入れる。
本来が固定的な音響しか出せない打楽器をいじることはシェルシの好みに合いそうな気がしますが、
この曲を初め、思ったより演奏されているものはありません。特殊奏法とはベクトルが違うんですよね…
「Quattro Pezzi(4つの小品)」と言えばオケのあれが有名ですが、このトランペットソロのための作品と違うんでしょうか。
あちらは1959年、こっちのソロ作品は1956年ですが、これを下地にしたとかじゃなく無関係なのかな…
内容は、たしかに中核とする音はあるのですが、ちょっとブルージーな演奏もあって
なんともシェルシらしい雰囲気は少ない、ほどよく寂れたソロ作品になっています。
なんからしくない、という感覚も分かるけど、逆にこれは普通にかっこいいと思う。



Norbert J. Schneider (Enjott Schneider)
...so lose im Raume (so loose in space)

Robert Schneider,Speaker  Harald Feller,Org.  Bruno Feldkircher,Tp.
Orpheus Chor Munchen  Luzerner Singknaben  Orpheus Orchester  Gerd Guglhor,Con.
1998 Wergo  WER 6613-2

著作権管理団体であるGEMAの総裁でもある、主に映画音楽を作るドイツの作曲家
ノルベルト・ユルゲン・シュタイナー(1950-)の大作。ペンネームなのか改名したのかよく分かりませんが
本人サイトも含め今はエンヨット・シュナイダーという名前で活動しているようです。
この曲はリルケの「ドゥイノの悲歌」が間接的な契機になっているために副題に「リルケ断章」とつけられているようですが、
実際の音楽モチーフはすべてロベルト・シュナイダーの「眠りの兄弟」に沿っています。
遠くから響いてくるスネアに乗せて、トランペットソロが葬送行進曲を寂しげに奏でる。
次第にそれははっきりと聞こえるようになり、その頂点でオルガンらが暴れる主部に。
とは言っても、作曲者がそれまで書いた映画音楽などもモチーフとして使われているので全体的に非常に聴きやすい。
さらに、ロベルト・シュナイダーがオルガン演奏家でもあり、原作タイトルはバッハのBWV56の5曲目コラールを
元にしているだけあって、音楽もどこかしらバロック音楽のオラトリオを連想させるようなものに仕上がっています。
嵐のような1曲目と対照的に、2曲目はグロッケンなどがきらめく非常に美しい音楽。
3曲目はスネアが響き、ファゴットらの歌が展開。プリミティヴなドラミングで不可思議かつ不気味な音楽が広がる。
長い作者自身の朗読の後の最終曲はまさに混沌。激しいクラスターにまで発展します。
最後は冒頭のモチーフに戻り、合唱がバロック風に歌って淡く締め。
聴きやすいこともあってかなり楽しめた。



Johannes Schollhorn
Der Vorhang geht auf. Das Theater stellt ein Theater vor
Hand-Stucke, Hexagramm, musarion, Les Ombres-Die Schatten, Schlussvignette und Retraiteschuss

Caroline Gautier,Voice Garth Knox,Vla. Christian Dierstein&Francoise Rivalland,Perc.
Caroline Delume&Marie-Therese Ghirardi&Wim Hoogewerf,Guit. Ensemble Recherche  Mark Foster,Cond.
1992 Accord  201622

ヨハネス・シェールホルン(1962-)はKlaus Huber, Emanuel Nunes, Mathias Spalingerに作曲、エトヴェシュに指揮を教わったドイツの作曲家。
「The Curtain Rises. The Theatre presents a Theatre.」は室内アンサンブルと朗読のための作品。
小気味良く動くアンサンブルを背景に、Ludwig Tieckの"Verkehrte Welt"を朗読する。
一応調性的ではあるけれど、さまざまな断片が目まぐるしく入れ替わり、調性があるとは思えない無秩序さ。
「Hand-Pieces」は打楽器ソロの作品。短く連なる4楽章からなり、躍動-静寂-うねりといった緩急が非常に激しい。
「ヘキサグラム」はギター三重奏。前半はダウランドなどのファンタジア形式に基づいた音楽のよう。
リズム・メロディーの切れ端が三方向からぶつぶつと響いてくる。
後半は、それに対して音楽的ルールに則りながらもかなり自由にテンションを形作っていきます。
「ムザリオン」はヴィオラソロ。C.M.Wielandの同名の詩にインスパイアされたもの。
微かなかすれた音が、発音と非発音のはざまを行きかいながら時に技巧的に、あるいはドローンのように流れていく。
打楽器二重奏のための「影」は「同一性と非同一性の狭間のテンションを示そうとした」もの。
グリッサンド-持続音-エコーを伴った音-カデンツァ音、の順に示しながら、双方の相違点を列挙していくような音楽。
「End-vignette and Retreat-shot」は弦楽三重奏(低弦六重奏版もあるらしい)のための短い小品。
終劇のエンドタイトル、あるいは軍隊の退却を表すような題の通り、活動的な音が波のように徐々に引いていく1分半。

どの曲もストーリー性はなくとも、劇作品、あるいはシアターピースのような性格を持っていますね。
かなりの割合で音楽が詩や文学作品と関連性を持っているせいもあるかも。
また、二つの音楽形式の狭間を意識した作曲にこだわっていますね。
聴いていても音響的には飽きが比較的来にくい感じで、そこそこ楽しめました。



Christoph Schonherr
Magnificat, The Groovy Version of OX

Talia Or,Soprano  Internationaler Festivalchor C.H.O.I.R.
Capella Novanta  Christoph Schonherr,Cond.
2005 Carus  27.208/99

あのヘルムート・リリングに師事しハンブルク音楽大学で教鞭を執るという
ドイツ作曲家クリストフ・シェーンヘル(1952-)の「マニフィカト」。
ヴィブラフォンに導かれて始まる、ムードジャズな音楽。
ピアノの華麗な旋律、サックスの艶やかなソロ。あれ、これミサ曲だよね?
合唱は普通だけれど、ソプラノの声は完全にブルースの人。
続く第2曲以降もブルースだったりゴスペル風だったりボサノバだったり。
何より、ここでびっくりするのは音楽がそれらとのフュージョンとかそういうもんじゃなく、
完全に「そちら側」の音楽のノリで進んでいること。
まあ確かに作曲者はかなりポップ・ジャズの音楽に精通した合唱曲を書いているようですが、
ここまでくると果たしてこの曲は普通にクラシックの中で語るべきものなのか
大きな疑問が出てきてしまう、そのレベルの内容。
似た系統の作品ではクラウス・バンツァーの「Missa Popularis」とか
ヘイッキ・サルマントの「New Hope Jazz Mass」とかが自分には思い起こせますが、
この曲は前述2作品とは違い、クラシックの垣根を全力で忌避し飛び越えています。
唯一、4曲目ラストの混沌としたやり方だけは現代音楽の流れを汲んでいると言えなくもないですが…
まあともかく、普通に楽しめました。



Joseph Schwantner
A Sudden Rainbow, Angelfire,
Beyond Autumn, September Canticle

Dallas Symphony Orchestra Andrew Litton,Cond. etc.
hyperion  CDA67493

シュワントナーは現代音楽界よりはむしろ「・・・そしてどこにも山の姿はない」など吹奏楽のほうで知名度の高い作曲家でしょう。
「突然の虹」のみ1986年、つまり初期のほうの作品。打楽器大活躍の、かなりスタンダードな現代音楽。
どうも盛り上がりが微妙な気がする、構成がどうにもよくわかりません。
でもこの曲ケネディセンター・フリードハイム賞3等を取ってるんだよね。ああ俺の耳が悪いだけなのか・・・
もっとも、この人の曲は響きはおいといてどれも統一感は薄いものが多いけれど。
おそらく、詩などの情景をそのまま表すような作曲手法を取っている点が多分に原因でしょうね。
「天使の炎〜増幅ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」。ゴングの強打から始まり、ヴァイオリンの独特のシュワントナー節が展開していく。
ソロを中心にした中高音の動きが目立ちます。鍵盤打楽器の活躍は予想通り。
やっぱり、彼はやるならこういう近作の調整感あるほうが面白いんじゃあないでしょうか。
この曲では、中間部は完全に調性音楽でワルツのようなものが現れます。ここまではしなくて良いと思うけれど。
「秋の前に〜ホルンと管弦楽のための詩」は作曲者自身の詩がインスパイア元。
ホルンのバラードが切なく響く中間部、金管と打楽器が吼える冒頭、コーダの神秘さなど、非常にカッコイイ。ただ前衛さは・・・
めずらしく構成が分かりやすい、アーチ形式ですね。あとドラムのリズムであのテーマを思い出したら負けだよシュワルツネッガー君。
「9月の賛歌〜オルガン、金管、打楽器、増幅ピアノと弦楽のための幻想曲」はオルガンの入った大編成。
9月ときたらあれ、この曲も有名な同時多発テロの犠牲者に捧げられたものです。
荘厳な序奏からオルガンと金管が大々的な賛美歌を挟み、中間以降は瞑想的な祈りの世界がつみあがって頂点へと進みます。

演奏が微妙、かなり健闘しているんだけれど、どうもあと一歩ダイナミックさがほしい。
ただ、それ以上に気になるのが録音。実はハイペリオンの録音、自分は良いと思えたことは今まで一度もありません。
ダイナミックでもないし、かといって繊細なわけでもなくただ音の響きを伝えてくるだけ。
正直別の録音だったらこのレビューはもっと変わる気がするなあ。



Joseph Schwantner
Velocities(moto perpetuo), Concerto for Percussion and Orchestra,
New Morning for the World"Daybreak of Freedom"

Evelyn Glennie,Perc.  Vernon E. Jordan Jr.,Nar.
National Symphony Orchestra  Leonard Slatkin,Cond.
1997 BMG  09026 68692 2

ずっと聴こうと思っていたシュワントナー作品集。
マリンバ独奏のための「ヴェロシティーズ」(1990)は非常に速いパッセージが
ある程度のユニットを元に反復進行に近い形で繰り広げられる作品。
シュワントナー作品の持つ躍動感が単体でも十分に味わえる。
「打楽器と管弦楽のための協奏曲」(1992)はNYフィル150周年のために作られた作品。
「リヴァラン」でピュリッツァー賞を取ったステファン・アルバートに献呈されています。
第1楽章は爆発するような非常に激しい冒頭から、マリンバの爽快な動きが現れて走り出す。
第2楽章ではヴィブラフォンのアラームから暗く妖しい悲歌が始まる。
鮮烈なリズムは変わらず保ちながら、鼓動のような重い拍動の中で不気味に唸る。
第3楽章はオスティナートのリズムがじわじわと熱気を盛り立てる。
強烈で鮮やかな楽想はそのままカデンツァにも引き継がれ、そのままに音楽を終える。
「新たなる時代への黎明「自由への夜明け」」はマーティン・ルーサー・キングのテキストを使ったナレーターつき作品。
いかにも彼らしいアルペジオを使ったドラマティックな冒頭は本当にかっこいい。
断片的なモチーフを反復して組み立てていく手法なのがはっきりとわかる、ということは
彼の作品の中ではかなりわかりやすい方の構造をしていて、つまり耳に馴染みやすく聴きやすい。
この前半の部分はシュワントナーの魅力的な響きが存分に詰まっている。
中間部は弦楽に導かれたエレジー。静かなる忍耐を示す、近代的な響きの美しい楽想。
そこから次第に力を持って立ち上がる、金管楽器の勇壮なコラールのカッコよさはたまらない。
最後の5分はエレジーから受け継いだ、牧師の一番有名な文章が話される穏やかな音楽。
儚く響くコラールと印象的なアルペジオが繰り返されながら淡く消えていく。
Nikk Pilatoによる吹奏楽編曲版もあり、そこそこに日本でも知名度がある作品。
まあこの構造なら例の「…そしてどこにも山の姿はない」よりは演奏しやすそう。

演奏、とても素晴らしい。グレニーの打楽器も申し分なし。シュワントナーを聴くなら外せない一枚。



Kurt Schwertsik
Sinfonia-Sinfonietta Op.73, Konzert fur Violine und Orchester No.2 Op.81 "Albayzin & Sacromonte",
Schrumpf-Symphonie Op.80, Goldlockchen Op.74

Christian Altenburger,Vn.  Vienna Radio Symphony Orchestra  Dennis Russel Davis/Kurt Schwertsik,Cond.
2004 OEHMS  OC 342

ダルムシュタットでシュトックハウゼンに学び、教鞭の傍らウィーン交響楽団でホルンを吹いたり、
チェルハを招いてアンサンブルを設立したりと、現代の音楽に結構貢献していながら
知名度はぜんぜんないオーストリアの作曲家クルト・シュヴェルトシク(1935-)の作品集。
近年の管弦楽作品をまとめて収録しています。
「5楽章のシンフォニア-シンフォニエッタ」、迫力ある冒頭の咆哮からいかにも近代シンフォニストのようなかっこいい展開。
第2曲はやたら描写的でのんきな風景だったり、第3曲は近代ごった煮の無国籍風だし
なかなか楽章ごとに雰囲気は離れているけど、けっこう派手というかリズムが躍動的なあたりは一本通っている。
最終楽章のノリは、特にトロンボーンのばりばりくるあたりが良いですね。果てしなく近代ドイツの響き。
「ヴァイオリン協奏曲第2番「アルバイシンとサクロモンテ」」、題はグラナダ市の区域から。
どうやらグラナダの印象を音楽に組み込んでいるようですね。副題に"Two movements & Tango-Intermezzo"とあるように
カデンツァとしての微妙なタンゴ風が間に入っています。これ、後半のほうがタンゴっぽいよな…
前半は夜明けのような落ち着いた中に熱気がある楽想でしたが、後半はごりごり攻めてきていて心地よい。
「縮小された交響曲」はその名の通り、4楽章で6分ほどしかないミニチュア交響曲。
ちょっと小品集みたいな感は確かに否めないですが、不思議な深さは持っている分「マッチ箱交響曲」に相応しい。
劇音楽「ゴルディロックス」はロアルド・ダールの原作だそう。
ここでは作曲者自身の朗読と共に重厚な音で場面を描写してくれる。
長めなだけにお腹いっぱいになれますね。話の筋がわかれば面白そう。



Salvatore Sciarrino
Le Stagioni artificiali, Centauro marino, Studi per l'intonazione del mare

Marco Rogliano,Vn.  Ciro Longobardi,P.  Daniel Gloger,Vo.
Lost Cloud Quartet  Jonathan Faralli,Perc.  Ensemble Algoritmo  Marco Angius,Con.  etc.
Stradivarius  STR 33917

シャリーノの協奏曲作品集。
「人工四季」は2006年に作られたヴァイオリン協奏曲。
ソロの甲高いかすれに始まり、アンサンブルのかすかな雲の向こうからわななきを響かせる。
タイトルからも分かるように彼なりの自然賛美的な思いを込めた音楽なのでしょう。
ただ、音楽はそもそもがよほど注意深く聴かないとノイズでしかないので描写的なものを期待するのはお門違い。
次第に静かな中でもソロのうねりが強くなり、ブローイングやキークラップが増えてくる。
木管楽器の鳴き声みたいな奏法が支配するラストはもの悲しさを妙に感じさせます。
五重奏のための「海のケンタウル」はこの中では初期の方。
弦のトレモロに乗ってピアノが点描的にアルペジオ風音型を奏でる。
ピアノの激しいクラスターのような叩きつけも多く、短い曲ですが凄く爽快で派手です。これは気楽に楽しめる。
「海の音調への練習曲」はカウンターテナー、フルート四重奏、サクソフォン四重奏、パーカッションに
100本のフルート、100本のサクソフォンが加わることで知名度がありますね。日本での演奏を気が付いたら逃してた。
これも「人工四季」と同じく自然をモチーフにしたテキストをカウンターテナーが歌い、
フルートとサックスそれぞれの四重奏が特殊奏法の風を吹き鳴らす。
そこに異常編成のアンサンブルがいきなりクラスターをかましてくるから衝撃的。
第2曲以降は落ち着いてきますが、逆にこのあたりの不気味な感じが静けさを強調する。
第3曲中間、この編成を作るきっかけになったアンサンブル全員でのキークラップのモアレ的な音響の雨だれ効果は圧巻。



Stephen Scott
Minerva's Web/The Tears of Niobe

1990 New Albion

ピアノの弦を弾き、専用のブラシで擦ることで、独特のやわらかい/切ない音を得た2曲の作品集。
一台のピアノを数人がかりで演奏することによって、機能的のみならず大きなひろがりを感じさせます。
一曲目、「ミネルヴァの網」。
非常にゆったりしたドローンが幅をひろげ、やがては聞き手を圧倒するまでゆっくり成長していきます。
後半は細かいリズムも現れ躍動的な面も見られますが、瞑想的な雰囲気が終始支配する曲調。
後半出てくる掻き毟られるような切なさは印象的です。時折入る弦をつまびく音にははっとさせられます。
二曲目、「ニオベの涙」。
瞑想的な曲調は変わりませんが、先ほどとは違いベースがリズム要素として入ってきます。
ミニマル音楽の匂いを漂わせ、不思議な世界が何度もまとまってはほどけていく。
緩やかなリズムパターンとドローン、中・高音のきらめくような爪弾きが溶け合った至福の25分。
ドローンを基調とした秀逸なミニマル的作品。
ライヒやホルトのミニマル好きからドローンリスナーまで、この曲は是非聴いてほしいものです。



Stephen Scott
New Music for Bowed Piano
Rainbows I & II, Music One & Three for Bowed Strings
Resonant Resources, Arcs

The Colorado College New Music Ensemble
1999 New Albion  NA 107 CD

スティーヴン・スコットのボウド・ピアノ作品集。彼の曲は私の中では相当上位に来るほど気に入っています。
グランドピアノの蓋を取り、そこの弦を数人がかりでブラシを使い弾き擦る様子は圧巻。
「虹I」は活動的な場面が分厚い輝きを持った緩除部分を挟んで広がっていく。
「虹II」の方はIの中間部のようなぎらぎらした輝きから規則的なリズムが現れ、徐々に落ち着いていく。
「ボウド・ストリングスのための音楽3」は変拍子のリズムに乗せてミニマルなメロディーが聞こえてくる。
そこからやがてドローンに変貌し、その狭間に冒頭のリズムが垣間見え終わる。
「ボウド・ストリングスのための音楽1」はドローンから始まり、そこから徐々にはっきりしたリズムを刻みだす。
それがまたドローンに戻り、興奮を増していく。
「Resonant Resources」はふわりとした淡いドローンから、やはりゆらめくような柔らかいメロディーが浮かび上がる。
珍しく普通の奏法による鋭い音も交えながら、メランコリックに消えていく。他の曲とかなり雰囲気が違う。
「弧」は穏やかな暗めのドローンで開始。徐々に盛り上がったと思うとリズムが始まる。
ドローンと絡み合いながら穏やかに進んでいく音楽は優美としか言いようが無い。
どの曲もミニマルで、どこか切なさを持った美しい作品。
ピアノの豊かな響きを聴きたいと言う人、ミニマル好きな方は是非。
余談ですが、同姓同名のジャズ奏者がいるのでお間違えないよう。



Steohen Scott
Vikings of the Sunrise -Fantasy on the Polynesian Star Path Navigators

The Bowed Piano Ensemble
1996 New Albion  NA084CD

この曲は、マオリ族の神話に伝わる海の神キワの伝説や、大西洋を又にかけたクック船長などヨーロッパの探検家など、
海にまつわる伝説・歴史をいくつかオマージュし、ミックスして一つの作品にちりばめたもの。
曲は、重々しい低音のドローンにピアノらしい音のきらめきがちりばめられる冒頭で開始。
やがていつものようなリズムにのせメロディーが始まりますが、今回はテーマもあってなかなか元気の良い場面が多い。
単純に弦を弾くだけでなく、本体の様々な部品を叩き、実に多種多様な打音を用いて
インドネシアのバイキングの雄々しさを再現しています。
とはいえ、ノスタルジックなメロディーは健在。荒々しい音楽ではなく、絵画を見ているような美しさ。
スコットの作品のなかでも、色彩感が特に豊かで素晴らしい出来の曲/アルバムだと思います。



Jose Serebrier
Symphony No.1, Nueve: Double Bass Concerto, Violin Concerto'Winter',
Tango en Azul(Tango in Blue), Casi un Tango(Almost a Tango),
They Rode into the Sunset -music for an Imaginary Film

Gary Karr,Bass  Simon Callow,Narrator  Philippe Quint,Vn.
Bournemouth Symphony Chorus  Bournemouth Symphony Orchestra  Jose Serebrier,Cond.
2010 Naxos  8.559648

ウルグアイ出身、11歳にして同国初のユースオケを結成するなどの神童ぶりで
コープランドらに師事し、現在指揮者・作曲家として活躍するホセ・セレブリエール(1938-)の作品集。
「交響曲第1番」は1956年、18歳の作曲。弦楽器の冒頭から次第に管楽器のフーガ風旋律が現れたりと
当時彼が興味を持っていたものの影響がはっきり表れたいかにも若書きらしい散文調ですが、
当時講義を受けていたヴァージル・トムソンの音楽に
バッハやチャイコフスキーが紛れ込んだような不思議で派手な作風は面白い。
コントラバス協奏曲「ヌーヴ」はゲーリー・カーのために書かれた13分の作品。
弦楽器の細かな動きが主体なのはアメリカ前衛の響きそのものですが、中盤の動きはジャズが主導。
ヴァイオリン協奏曲「冬」はグラズノフやハイドン、チャイコフスキーの記憶がよぎる
混沌とした中でなかなかシンフォニックな響きが強い楽想。こういうのが良いかもしれん。
「タンゴ・イン・ブルー」「ほとんどタンゴ」の二作は作者も語るとおり
クルト・ヴァイルとガーデの名作「ジェラシー」の影響が非常に強い。
後者はただ、クラシカルな印象が強すぎて、まあまあかそこそこしかタンゴじゃないと思う。
「日没に彼らは道をゆく」はタイトル副題の通り、映画のために作ったものの結局使うことがなかった作品。

ヴァイオリン協奏曲が一番面白かったかな。演奏自体は自作自演だし立派なもので文句なし。



Harold Shapero
Nine-Minute Overture, Symphony for Classical Orchestra

Los Angeles Philharmonic Orchestra  Andre Previn,Cond.
1988 New World Records  NW 373-2

マサチューセッツ出身、スロニムスキー、クレネック、ヒンデミットのほか主にピストンに師事して
初期の生徒にはストラヴィンスキーもいるハロルド・シャペロ(1920-2013)の作品集。
「9分序曲」(1940)は彼最初の管弦楽作品。ネオクラシカルな作風な中に師の音楽を意識しています。
非常にリズミカルで小気味よい冒頭から強靭な推進力が絶えず音楽を突き動かしていく、
鮮烈ながらもアメリカらしい古典的作風で、かっこいい曲です。
「古典的管弦楽のための交響曲」(1947)は彼の代表作の一つ。コープランドが褒めているのもよく分かる、
非常に明快な新古典主義の上で成り立っている作品です。ベートーヴェンみたいな響きもかなり多い。
そこに戦後アメリカらしい和声と溌剌なリズムがひっかかり、不思議な音楽になっています。
ありがちなオマージュではなくシャペロ独自の音楽をはっきりと示せているのに
気になるところどころを聴くとどう考えてもベートーヴェンのパロディ。
第2楽章はまだ比較的その影響は薄い、綺麗な響きの中にリズムが響く音楽ですが、
第3楽章のスケルツォの溌剌さはどちら由来なのかもはや不可分。
第4楽章は堂々たる、完全に回顧的な音楽。全力でベートーヴェンの時代に戻っています。
好みではなかったけど、なかなか面白い音楽なのは分かった。
演奏は良い感じだけれど、おそらく録音が微妙。ライヴ故の仕方なさもあるけど。



Rodion Shchedrin
The Sealed Angel
-Choral Music after N. Leskov for Mixed Choir a capella and Shepherd's Pipe (Flute)

Lolita Semenina/Natalia Belova,Soprano  Tatiana Zhdanova,Mezzo-Sop.
Alaxei Alexeyev,Tr.  Andrei Azovsky,Descant  Alexander Illarionov,Alto  Alexander Golyshev,Fl.
The Moscow Chamber Choir  The USSR Russian Choir  Vladimir Minin,Cond.
1989 Melodiya  SUCD 10-00004

ロジオン・シチェドリン(1932-)は悪名高いソヴィエト作曲家同盟の議長を務めていただけに非常に批判が多い作曲家ですが、
その音楽はなかなかに面白いものがたくさんあります。聴きやすく楽しい物も多い。
「封印された天使」は1988年に作曲された、ペレストロイカの流れを受けて作られた宗教作品。
旧体制の下では、宗教音楽はそれだけで禁じられた音楽の一つでしたが、
それまでの厳しい弾圧のなくなった状態で、自らの本当に書きたい音楽を求めた結果、
彼の代表作の一つとも言われるこの全9楽章60分の大作ができあがりました。
師であるショスタコーヴィチも使っていた、レスコフの同名作品を元にしながら、ロシア正教の聖歌を引用した、
ロシアのキリスト教化1000年を記念した作品です。
まさに天界のような美しさを感じさせる淡い合唱に、ふとフルートの素朴な旋律が入ってくる。
次第に音楽は盛り上がりながらも、常に祈りの姿勢を忘れることなく敬虔に響き続ける。
実に美しい、夢見るような世界。宗教的な観念を抜きにしても実に素晴らしいです。
演奏もロシア勢による素晴らしい物。



Rodion Shchedrin
Orchestra Works

Maiden's Round Dance from the ballet"Humpbacked Horse",
Solemn Overture, Naughty Limericks, The Carmen Ballet

ソビエト国立交響楽団 Evgeny Svetlanov/Vladimir Spivakov,Cond.
2005 Venetia  CDVE 03226

現代ロシアの代表格ロディオン・シチェドリン(1932-)の作品集。
「乙女たちの円舞」、彼の代表作のバレエ「せむしの仔馬」からの抜粋。
木管楽器によるロシア的な憂いのあるメロディーが静かに開始され、美しく伸びやかに盛り上がっていく。
実に素朴でいいです。一方「祝典序曲」は勇壮なファンファーレ風の楽想で幕を開け、
ちょっと土俗的な太鼓の上でリズミカルなダンスが凛々しく展開する。
ちょっとチャイコフスキーみたいなロシアならではの派手さが全開で聴ける楽しい曲。
管弦楽のための協奏曲「お茶目なチャストゥーシュカ」は
ジャズの臭いが非常に強い、けれど何だかマーチにもカントリーにも感じが似てる不思議な曲。
まあショスタコの「ジャズ組曲第1番」とか聴いてても思うけれど、
ロシアの堅実な作曲家がジャジーな楽想を書くとだいたいこんな感じになるのかもしれない。
でも、とりあえず曲自体はノリが良いし、聴いててハチャメチャ感が凄く楽しいです。
「カルメン組曲」はご存知ビゼーの傑作を元に彼がアレンジを行ったもの。
というか、内容的に「アレンジ」とも何とも形容しがたいもの。
原曲のバレエを基本にしながら他作品の旋律などを引用したり、
打楽器をいれまくり、さらに音楽自体もかなり改変している。
45分ほどかかる大作ですが、彼の平易な方面の作風の魅力をしっかり伝えてくれるもの。
それでいて、一応ではあるけれどもビゼーの音楽にもなっている。
とりあえず、弦のドローンを背後にチャイムがハバネラの断片を叩く序奏が非常に綺麗。
ちなみにこれ、聴いたあとに「弦楽と打楽器4人」という編成を知るとそのあまりの(珍奇な)派手さにびっくり。
ただまあ、そこまでいくのはもしかしたらスヴェトラ&スピヴァコフ+国立管だからなのかなあ。
とりあえずロシアな管楽器と打楽器。前半のスヴェトラ指揮のは金管強烈で大好きです。



Bright Sheng
Red Silk Dance, Tibetan Swing, The Phoenix, H'un(Lacerations):In Memoriam 1966-1976

Bright Sheng,P.  Shana Blake Hill,S.  Seattle Symphony  Gerard Schwarz,Cond.
2009 Naxos  8.559610

上海出身の中国系アメリカ人ブライト・シェン(盛宗亮、1955-)の作品集。
「赤い絹の踊り」はシルクロードを構想の元にしたピアノ協奏曲作品。
ピアノとティンパニによるパーカッシブで強靭な旋律が動き、
中国風の響きを元にしながら異常なまでに興奮の渦を大きく巻いていく。
笛の音をイメージしたピアノの中間部ののち、音楽はそれらが混じりあって熱狂的に終わる。
「チベタン・スウィング」は先ほどと同様、中央アジアのリズムを元に作られた作品。
打楽器の静かなリズムから、低音を中心にじわじわと寄ってくる。
どんどんと混迷を増しながらもビートを坦々と叩き続ける音楽は倒錯的。
「不死鳥」はその名の通り不死鳥伝説を元にしたソプラノ独唱つき作品。
その狂詩曲風にもとれる内容は金管楽器がかなり活躍する重厚なもの。気に入りました。
「H'un(引き裂かれた)」は文化大革命をモチーフにした、この中では初期に入る作品。
厳しい緊張が紡がれる暴力的な音楽は、近作のような旋律的なものではなく、かなり断片的でパルス的。
後半は、一転して静的な不気味さが広がる、違う緊張感が満ちた音楽。
最後の方、弦の甲高い悲鳴の中低弦がうめくところはかなりカッコいい。
どの曲もかなり自分好みで良かったです。
演奏、ちょっと粗いけど金管主導の場面が多いこれらの曲を派手に演奏してくれている。



ドミートリー・ショスタコーヴィチ
ヴィオラ・ソナタ 作品147

Yuri Bashmet,Viola  Mikhail Muntian,Piano
1992 RCA  09026 61273 2

Feodor Druzhinin,Viola  Mikhail Muntian,Piano
2006 Venezia  CDVE 44241

ショスタコの中で一、二を争う名曲だと思っているのがこのヴィオラ・ソナタ。
彼の遺作であり、全曲を通してf以上にならない落ち着いた、とても澄んだ音楽です。
この曲こそ真に「感動的」と言えるものでしょう。
音楽聴いて泣くことなんかほぼ無い、といって良いほど少ない私ですが、この曲だけは例外。
この曲の逸話や構成は他の方に任せるとして・・・
私が聞いた中ではこの、バシュメットによるものか初演者によるものが一番いいです。
バシュメットは歌います。内省的な、それでいて伸びやかなメロディーがゆったりと広がる。
非常にゆっくりしたテンポですが、それが自然であるかのように圧倒的な演技力。流石ですね。
初演者のドルジーニンは反対に歌うようなところはありませんね。
しかし、落ち着いてこの曲を弾いているところからは、そこはかとない深みを感じさせます。
決して技巧的ではないが、彼岸の世界を見せてくれるような渋い味わい。

そこらのベタなバラードなんかこの曲の前では全く無意味です。
ここまで心を揺さぶる曲は今までなかったし、これからもないでしょう。
ドルジーニンによる初演時の様子を伝える文章を読みながら聴くとさらに味わいが増します。
(千葉潤 著、音楽之友社「ショスタコーヴィチ」等に日本語訳あり)



ドミートリー・ショスタコーヴィチ

交響曲第12番「1917年」

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1961年10月
2004 Melodiya  MEL CD 10 00775

ショスタコーヴィチは一時期気の狂ったように集めてました。明らかに某サイトの影響ですね。出版おめでとうございます。
好きな曲は多々ありますが、今日は交響曲の12番目を。
これは最初に聴いたのがムラヴィンスキーのスタジオ録音版だったのが明らかな理由でしょう。
未だにこの録音が一番、というかこれ以外聴く気がしません。まあライヴのほうは聴いたことないので分かりませんが。
変拍子だらけの展開が特異なこの曲を一気呵成に有無を言わさず突進させます。
特に第一楽章はこれ以上はないようなハイテンションになれますね。彼の5番なんか目じゃないぜ!
ちなみに私の持ってるCDはムラヴィンスキー生誕100周年記念盤です。
11番と15番が2枚組みでカップリングされてますが、それはまた別の機会に・・・てか他の録音が個人的ベストなので。



Dmitri Shostakovich
Manuscript of Different Years
Scherzo Op.1, Theme and Variations Op.3, Scherzo Op.7, Vocal Cycle -Spanish Songs Op.100,
"The Adventures of Korzinkina"Op.59, "Alone"Op.26, Incidental Music to Balzac's "La Comedie Humaine"Op.37

Artur Eisen,B.  A.Bogdanova,P.  USSR Ministry of Culture Symphony Orchestra
Gennadi Rozhdestvensky,Cond.  The Leningrad Chamber Orchestra  Eduard Serov,Cond. etc.
Melodiya  MCD 194

メロディアのCDを見ると、つい買ってしまいたくなる病気です。
作品1と7の「スケルツォ」に「主題と変奏」作品3のこのテイクはいろんな盤にあるので意外とメジャーかも。
どの曲もまだ素朴なロシア音楽で、ショスタコらしくはないけれどとても良い曲。
「スペインの歌」はここではバス独唱とピアノ。確かに暗い曲調には合ってる。
ちょっともっさりした演奏&録音だけれども、音楽は美しく素晴らしいし、いい感じ。
映画音楽「コルジンキナの冒険」からの組曲からはショスタコの軽快音楽が全開。
というか、ここらからは後年編まれた「ジャズ組曲」や「バレエ組曲」の原曲がてんこ盛りだったりします。
「マーチ」は「ジャズ組曲第2番」の1曲目ですね。こっちはさすがロジェヴェン、アクが強い良い音。
それ以外ではとりあえず、この作品ではピアノ2台による「チェイス」の疾走感が凄い。
「女ひとり」作品26からの組曲は、これロジェヴェンによる抜粋だったり。
ちょっとオリジナル(70分越え)を聴いてないので何とも言えないですが、まあまあおいしいとこを掴んでるとは思う。
劇音楽「人間喜劇」は殆ど上記の組曲に入ってる曲だなあ・・・
なので、ほかにもいろいろ良い演奏がある今となっては、これは微妙な方になってしまうのが残念。
まあこの曲だけロジェヴェンの指揮じゃないしねえ。



Valentin Silvestrov
Dedication -Symphony for violin and orchesra, Post Scriptum -Sonata for violin and orchestra

Gidon Kremer,Vn.  Vadim Sacharov,P.  Munchner Philharmoniker  Roman Kofman,Con.
2007 apex  2564 69896-3

キエフ出身のヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937-)作品集。
単独のCDは何気に初めて聴く。96年にTeldecから出ていたCDの廉価再発盤。
ヴァイオリンと管弦楽のための交響曲「献呈」(1990-91)。
印象的な和声に則った、緊張感を持った単音の応酬。その中からヴァイオリンが受け継ぐように立ち上がる。
旋律はゆるやかに音楽をモデラートへと受け継ぎ、前半のテーマを奏でるヴァイオリンと共に調性的な音楽が静かに広がる。
第2楽章は橋渡しのような、ヴァイオリンを主軸とした不穏げな動きを最初見せますが、
その後のアンダンティーノの穏やかなまどろみに移り変わる。ただこの楽章は短め。
第3楽章の低いリズムに裏打ちされた、ヴァイオリンの切羽詰まる動きが鋭く浮き上がるアレグレットが長い。
金管楽器がようやく出てきたら頂点、音楽は次第に最後の歌うアンダンテに入る。
トランペットも交えて壮大な調性と無調の入り混じる音楽はクライマックス。
が、そこはシルヴェストロフ、最後のモデラートは(武満みたいな動きも見せながら)消えゆくようにして終わる。
ヴァイオリンとピアノのための「ポスト・スクリプトゥム」は前の曲と同年の作曲。
モーツァルトへの敬意を込めた作品なので、モチーフはすべてモーツァルトかそれ風。
どの楽章もそれぞれに淡くモーツァルトの幻影が浮かぶ、美しい音楽です。
特に第2楽章は短いながら調性音楽の響きを活かしたもので前衛が苦手な人も間違いなくOKのレベル。



Thorkell Sigurbjornsson
Liongate, Calais, Columbine, Euridice

Manuela Wiesler,Fl.  Southern Jutland Symphony Orchestra  Tamas Veto,Con.
BIS  BIS-CD-709

アイスランドの重鎮作曲家ソルケトル・シーグルビョルンソン(1938-)のフルート作品集。
フルート、弦楽と打楽器のための「獅子門」はRobert Aitkenのために書かれた協奏曲。
ミケーネの獅子門をモチーフにして描かれた、構成主義的ながらもどこか
ギリシャ劇にも通ずるような音楽性を持って響くあたり、聴きやすい。
神秘的な雰囲気の中でソロが中音域でやわらかく舞い、弦楽と打楽器は静かにアクセントを添える。
この曲は生演奏で聴けたらすごくぐっとくるような音楽になると思える、繊細に歌う音楽。
「カライス」はギリシャ神話における北風の神ボレアスの息子のかたわれ。
16世紀オランダの地図ではアイスランドの地に彼が描かれていたことから愛着を持っているようです。
フルートらしい息の音をメインに利用した9分近いフルートソロ作品。
ちなみにこれも、ロバート・エイトケンのための曲。後半2曲がウィースラーのために書かれています。
「コロンビーナ」はイタリアの即興劇コンメディア・デッラルテに出てくる女性の名。
弦楽とフルートによる、軽快な音楽を示すために、奔放な女性役の名前を冠したそう。
またその由来は、6年前に劇音楽として書いた「ヴェニスの商人」の断片を使用しているためでもあります。
18世紀ヴェニスを題材としていただけあって、音楽は非常にストレートに聴きやすい。
主題と伴奏が綺麗に役割分担して古典的な構成をほぼはみ出ません。
第3曲の舞曲も良いですが、第2曲のあのシチリアーナもどきな旋律とか出るのも面白い。聴きやすくて楽しいです。
最後はフルートと管弦楽のための「エウリディーチェ」、この人ほんと神話とか好きだな。
立ち上るような動きと金管の破裂にフルートがゆらりと入ってくる。
そこから音楽は、オルフェウスとエウリディーチェの物語のごとく、なかなか緊張感を持って動き出す。
様々な楽想で場面転換する、同様の長さの単一楽章構成な「獅子門」とは対比的な作品。

アイスランドらしいと言いたくなる、独特の透明感を持った響きはやっぱり好み。
演奏もユトランドのオケですが非常に良好。



ウルマス・シサスク
主の祈り(混声合唱のための24の詩篇)、マニフィカト
Urmas Sisask
Gloria Patri...(24 Hymns for Mixed Choir), Magnificat

エストニア・プロジェクト室内合唱団  アンネ=リース・トレイマン指揮
The Chamber Choir Eesti Projekt  Anne-Liis Treimann,Con.
1994 Finlandia  WPCS-4967/8

シサスク(1960-)は独特の音楽活動を行うことで知られるエストニアの作曲家。
天体や宇宙に強い関心を示し、作品の多くはそれに関するもの。代表作(?)も「銀河巡礼」という名のピアノ組曲。
そんな彼が音楽院を卒業して数年後に作曲した「主の祈り」。
これでも作曲者は使用しているペンタトニックを「宇宙の音階」と呼んでます。どんだけ好きなんだ。
はっきりと宗教音楽の様相を帯びた、派手ではないけれど美しい、そしてシサスク流の暗い妖しさを持った音楽。
特に後半は深淵を垣間見せてくれる、静かでダークな美しさを持った曲がそろってます。
「マニフィカト」は、旋法で音に制限をかけているためか、いくらか一般的な宗教曲に近い響き。
もちろんシサスクのテクニックが詰まった曲ではありますが、少し純朴さがあります。
展開も変拍子などを使った激しいものが多い。
妖しい美しさを持った彼の曲が宗教音楽という場で見せる、素晴らしい響きが聞ける2枚組。
ただ、彼の傑作は何か訊かれたら、自分は迷わず「銀河巡礼」と答えるけど。



Haskell Small
Lullaby of War, Renoir's Feast, Three Etudes in Sound

Martin Rayner,Narrator  Soheil Nasseri,Piano
2011 Naxos  8.559649

ワシントンDCをずっと拠点にした、パーシケッティらに学んだ
作曲家・ピアニストのハスケル・スモール(1948-)作品集。
「戦争の子守歌」は市民戦争や世界大戦をモチーフにした詩を
テキストにした朗読とピアノのための30分近い作品。
朗読は基本的にピアノとかぶらず、分離して演奏される。
それは言葉の一つ一つをそのまま聴き手にしみこませ、その情景を
聴き手が思い起こすのに合わせるようにしてピアノが入ってくる。
音楽はひらすらにエレジー的。劇的で重い音楽が広がります。
音楽趣味としては19-20世紀前半のピアノ作品が好きそうな作曲者らしい響きです。
「ルノワールの祝宴」は彼の「舟遊びの昼食」が再発見された際に
フィリップス・コレクション美術館から委嘱されたもの。
場面ごとに短い音楽が連なるものですが、それでも積もれば30分。
こちらの方が音楽そのものの近代趣味が直接聴けて、明るめな曲調も相まって聴きやすい。
「音の三つの練習曲」は純音楽的な素材の組み立てに徹底した小品集。
音の層が重なり合う1曲目、リズムの鮮烈な2曲目、サスティンペダル活躍な3曲目。



Chas Smith
Nakadai

2008 Cold Blue  CB0029

ペダル・スチール・ギターを始めとした、数々の創作ギターで独特の活動を行うチャス・スミスの作品集。
リリースは2000年代後半ですが、トラック1-4は80年代後半の録音です。
タイトル曲、ペダル・スチール・ギターのふわふわとした捉え所のないドローンがマルチトラック処理で重なっていく。
美しくかぶりあっては瓦解して、印象がゆっくりと変わっていく実体感のない響き。
「Hollister」はペダル・スチール・ギターのソロ作品。ソロということもあって、
狭い音の幅でじわじわと不協和で暗い響きが主体になります。それでもどこか美しい辺り、彼らしい。
「A Judas Within Seduction」はヴィブラフォン、マリンバやダルシマーなどといった楽器との幻想的な共演。
あーでも第2曲は幻想的というよりは神秘的で非現実的だなあ。ちょっと不気味な感じかも。
「Ghosts on the Windows」、ギターを複数使用した、一番空間の広がりを意識できる鋭い作品。
暗くもなく明るくもなく、ただひたすらに自分の実体をつくろうとするような淡い音の応酬です。
スチールギターによる「Joaquin Murphey」が一番美しく、音による幻想の世界が作られています。
長くはない曲ですが、最後に相応しい倒錯的な心地良い響き。
この人はやっぱり安定した心地良さが楽しめて良いですね。



Hale Smith
Dialogues & Commentaries, Variations a due, Innerflexions, The Valley Wind,
Toussaint L'Ouverture 1803, Evocation, In Memoriam -Beryl Rubinstein

Boston Musica Viva  Timothy W. Holley,Vc.  Ira Wiggins,Sax.
Slovenic Symphony Orchestra  Anton Nanut,Cond.  Natalie Hinderas,P.
Kulas Choir and Chamber orchestra  Robert Shaw,Con.  etc.
2000 Composers Recordings Inc.  CRi CD 860

クリーヴランド出身、クラシック以外にジャズの手ほどきも受けた
アフリカ系アメリカ人ヘイル・スミス(1925-2009)の作品集。
「Dialogues & Commentaries」(1990-91)は室内アンサンブル作品。
冒頭のクラリネットによるモチーフからして、どこか黒人ルーツの音楽らしいノリが伺える。
音楽としては断片的で暗いものなのですが、そこに時折あらわれるジャズなどの影響が
その輪郭を柔らかくしてくれている。聴いてて不思議な感覚が味わえるのが良い。
「Variations a due」(1984)はチェロとサックスのための作品。
ただ、冒頭聴いても分かるようにチェロはむしろジャズのベースかギターであるかのような
振る舞いが作中でよく要求されている。音楽もかなりジャズに影響を受けたもの。
第2楽章なんかほぼ完全にボサノバ系のノリになってて心地よい。
管弦楽のための「インナーフレクションズ」(1977)はそれを思うとわりと実験的な作品。
音楽の各要素を分解しながら対比させる、いかにも前衛の手法で書いており
聴いた感じもなかなかかっこいいのですが完全に近現代の物。
歌曲集「谷の風」(1955)は割と初期作品。近代的な和声とジャズのそれが混じりあったような不思議な綺麗さがある。
合唱とピアノのための「Toussaint L'Ouverture 1803」(1979)はハイチの英雄への賛歌として書かれた。
こちらは現代合唱曲らしい響きが比較的強い気が。
ピアノ独奏のための「Evocation」(1966)はジャズのイディオムを持ちながらも
比較的前衛的な作品に仕上げられた、スミスの手腕を見れる短い曲。
「In Memoriam -Beryl Rubinstein」(1953)は友人に捧げられた初期シリーズの一つ。
アメリカの黒人詩人達のテキストを使った作品。
正直最初の3曲だけで自分には十分だった。
「Variations a due」2曲目の突き抜けた聴きやすさが時折聴きたくなる。



Leland Smith
Chamber Music
Sonatina for Violin and Piano, Four Etudes, Suite for Solo Viola, Intermezzo and Capriccio,
Sonata for Viola and Piano, Six Bagatelles, Piano Sonata, Concert Piece for Violin and Piano

Jeffery Grossman,P.  Sarah Darling,Vn.&Vla.
2008 Naxos  8.559351

アメリカのリーランド・スミス(1925-)は記譜ソフト「Score」の開発者だったり
コンピューター生成する音楽を作ってたりと言ったイメージですが、
ここに収録されている曲は主にそれ以前、1950年代の室内楽作品。
John Chowningとかに絡まれてスタンフォードに研究所を設立したり
IRCAMに入ったりするのは1960年以後の話ですから、それ以前の普通な作曲方法をしていたものが殆ど。
だからピアノとヴァイオリンのための「ソナチネ」やピアノの「4つの練習曲」
ピアノのための「間奏曲とカプリッチョ」などを聴いていても、
普通に技巧的な近代の室内楽であって異常な感覚はちっともなし。
ソロ・ヴィオラのための「組曲」(1948)なんてフォークダンスの性格も帯びた実に素朴なもの。
「間奏曲とカプリッチョ」の後半はなかなかリズムがいかれていていい感じ。
ヴィオラとピアノのためのソナタは元々ヘッケルフォーンのために書かれたもの。
ピアノのための「6つのバガテル」のみ1960年代。これはSCOREを使った最初の作品であり、
コンピューターによる作曲作品の最初期のものの一つです。
なるほど音楽としてはまだまだ普通だけれどもどこか不思議な感じ。
「ピアノソナタ」は彼初期の力作、技巧的に絡み合った音楽。
最後はヴァイオリンとピアノのための「演奏会用小品」で締め。



Martial Solal
Concerto pour Claviers et Orchestre "Nuit Etoilee",
Concerto pour Piano et Orchestre

Martial Solal,P.  Francois Laizeau,Perc.  Michel Benita,Bass
Orchestre Philharmonique de Monte-Carlo  Marius Constant,Direc.
1990 Erato  2292-45495-2

アルジェリア出身のフレンチ・ジャズ・ピアニストとして有名なマーシャル・ソラール(1927-)。
彼のクラシカルな作曲作品を二つ収録した、なかなかマイナーなCD。
1曲目はキーボードと管弦楽のための協奏曲「星降る夜」(1987-88)。
近代的な込み入った序奏の後、ピアノが颯爽と登場。強いモダンジャズの香りを吹き込みながら
徐々に熱を帯びて展開していく。音楽はどんどんとブルーノートに支配されていきます。
ブギウギなアップライトピアノやシンセサイザーの独特な音も交えながら、幾分即興的に音楽は進む。
ちなみにシンセの音選択はパーカッションにブラス、電子音といろいろ。なかなか面白い使い方してます。
「ピアノ協奏曲」(1980)は3楽章35分の力作。神秘的に幕を開け、ジャズかぶれのピアノソロでゆったり幕開け。
ドラムが入ってビートが入ると、少しづつ音楽はジャズ寄りに、そして高揚感を増して行く。
モダンジャズのモードにクラシカルな構成、現代音楽の音響が少しづつブレンドされて、やがて淡く消えていく。
第2楽章で交じるジャズはもっと軽快に、ビッグバンド風。
いい感じにテンション高い。中間部は逆に、まどろむようなブルース。
第3楽章はそれまでの楽想も思い起こさせながらぐちゃぐちゃと音楽が混ざり合っていく。

全体にフランスらしいアンニュイな雰囲気も漂う、じつに洒脱な作品たちです。
そこそこ現代的ではありますが、現代フランスのジャズピアニストらしい曲。
ピアニストの技量に音楽の如何がかかりすぎている点は否めませんが、
少なくともこうして自作自演で聴く限りはとても楽しいです。
試みとしてはなんの新鮮さもないけれど、本人がやりたいことをやって楽しめているのは
録音から伝わってくるのが好感でした。



Kaikhosru Shaprji Sorabji
Opus Clavicembalisticum

John Ogdon,Piano
2004 Altarus  AIR-CD-9075

カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ(1892-1988)の代表作、「オプス・クラヴィチェンバリスティクム」をついに聴く。
ややドラマティックな気もある単音テーマで「イントロイト」の開始。
「前奏曲-コラール」、美しくも近代的な和声の上で輝かしく、ブゾーニ風の主題が変奏される。
4声の「フーガ」はそれが落ち着いたところから開始、ショスタコーヴィチのそれと比べても
ずっと近代的な和声とリズムで伸びていくところが壮観です。
主題はどんどんとその装飾を増やし、頂点では疾走するように激しい速さで音が飛びまわる。
第2部はコラール風の半音階下降を伴った、印象的な美しさの「第1間奏曲」主題で幕開け。
幻想的な旋律は49もの変奏でじわじわと展開していき、寄せてはひいて大きな波のようにうねり進む。
夢見るような変奏が終わると「カデンツァI」でそれを蹴散らすように激しいパッセージの応酬。
そしてその後はまた「(第3)フーガ」。近代和声に基づく脆く美しい主題が45分かけて延々と反復発展していく。
第3部は長い「第2間奏曲」で開始、ここだけで70分以上あります。
最初の「イントロイト」と「カデンツァ」を混合させたような激しい「トッカータ」、まさに作曲者の言のような
和声の硝酸がじりじりと焼き付け、絶え間なく突き刺さるリズムが不協和声を強調します。
「アダージョ」、神秘的な上昇音階はベルグの音楽を連想させ、終始mpからpppの中で淡く広がっていきます。
そして音楽は肝の部分、ソラブジが最も得意とする「パッサカリア」へ。
やはり単純とも言える音型が反復を重ねるごとに少しづつ肥大化、
時に非西洋音楽の影響も匂わせる展開を見せながらも81もの変奏をかけて巨大に成長します。
特に最後の変奏は白眉の出来。これでもかと降り注ぐ音の雨。全曲における頂点の一つです。
「カデンツァII」はテンポこそ落ち着いてはいますがこれまでの爆発を受けついだような派手さ。
「第4フーガ」はこれまでの展開に比べたらまだおとなしく慎重に積み上げている印象。
もちろんその分、後半になればなるほどじわじわ攻めてくる。鋭い音型が鮮明です。
そしてそこからノンストップで最後、「コーダ-ストレッタ」へ畳み掛ける。
これまでの主題も現れまさに壮大な音楽の末に現れる結尾、まさに感動的の言葉に尽きる。

長かった、5枚組は伊達じゃない。けれど予想以上に好みの音楽で良かった。
独学で音楽を学びながらもブゾーニに見出された上、彼の「対位法的幻想曲」をオマージュしたらしいこともあり、
聴いていてブゾーニの流れをよく汲んだ後期ロマン派の音楽。ロマン派の終着点と言われるだけある。
非常に厳しい和声と極度の技巧は、聴いていて全く飽きさせません。
ジョン・オグドンのピアノも爽快でかつしっかりしたもの。評判がいいのもうなづける。
あとは、これが彼初期の集大成的な位置づけなので(1930年作)、これ以後のウルトラ長大な作品群を
だれか早く録音してくれないかなあと思うことしきり。ウレーンあたりに期待するしかないかな・・・



Mauricio Sotelo
Wall of Light -Music for Sean Scully
Chalan, Como Llora el Agua, Wall of Light black -Music for Sean Scully, Night

Trilok Gurtu,tabra & perc.  Juan Manuel Canizares,flamenco Gui.
Marcus Weiss,Sax.  Miquel Bernat,Perc.  musikFabrik
Stefan Asbury/Brad Lubman/Mauricio Sotelo,Cond.
2008 Kairos  0012832KAI

ラマティやノーノへの師事経験があるスペインはマドリード出身の作曲家、マウリシオ・ソテロ(1961-)の作品集。
「Chalan」はヒンドゥー教の概念をもとに作曲された作品。
混沌とした爆発からタブラの規則的なリズムが浮かび上がる。
南インドの音楽に根をはった土俗的な感覚が音楽に強烈な推進力を与えます。
後半繰り広げられる声と打楽器の共鳴は圧巻です。非常にかっこいい。
「彼は水のように泣く」はフラメンコ・ギターのソロのために書かれた作品。こんなところはスペイン作曲家らしい。
C-G-D-G#-B-D#のスコルダトゥーラによる音楽は、非常にスパニッシュ。
フラメンコの音楽に強い影響を受けた、非常に聴きやすい曲。
「Wall of Light black」では夜想曲のような深いイメージから、強い力が浮かび上がる。
フラメンコの一形式Tonaから導き出された歌うような音型をサックスソロが中心になって用い、
時に師のノーノを思わせるような、あるいは別に土俗的な民族音楽を強く匂わせる。
「夜」も同じ夜想曲のような感覚ですが、こちらは冒頭からマリンバがリズムを刻むなどして
スペインのフラメンコ音楽の影響がかなり顕著です。
打楽器ソロが幻想的にフラメンコの影を躍らせて、アンサンブルの輪郭が追随する。
ここまでくると、レブエルタスかそこらの人間を師に持ってんじゃないの、というような出来。
マリンバ、ティンパニなど伝統的西洋打楽器にタブラやスチールパンなど混じってすごい世界です。
基本的には民族主義な方なのでしょう、どの曲もとても楽しめました。
正直言って、Kairosでこんな曲が聴けると思ってなかった。



Bernadette Speach
Reflections
Trio des Trois III, When it Rains,Lleuve, Chosen Voices,
Les ondes pour quatre, Angels in the Snow, Woman without Adornment, Viola

Anthony de Mare,P.  Lois Martin/Rozanna,Vla.  David Heiss,Vc.
Jeffrey Schanzer,G.  The Arditti Quartet  Bernadette Speach,Toy P./P./Con.  etc.
2002 mode  105

ニューヨーク州出身、フェルドマンとレジャレン・ヒラーに作曲を学んだ
女性作曲家ベルナドット・スピーチ(1948-)の室内楽作品集。
「Trio des Trois III」ではピアノのややエキゾチックな趣もある伴奏音型に乗って
ヴィオラとチェロが息の長い旋律を奏でる。短いユニットの反復を基本に音楽を作っていくやり方は、
師のフェルドマンをすごく髣髴とさせる。ただし響きは完全に調性的でとても聴きやすい。
「When it Rains,Lleuve」はイヴァ・ミカショフの思い出に捧げられています。
プエルトリコを旅行した時の印象をベースにしているため、音楽構造も
ラテンのリズムと旋律がベースになっている。素朴で反復的な、美しいピアノソロ曲。
冒頭では本体を叩いたり、後半は奏者が歌ったりと、演奏は意外とせわしない。
プリペアド・ギターとトイ・ピアノのための「Chosen Voices」はジョン・ケージに献呈。
なるほどケージ作品でよく聴くような音響でスピーチ作品が演奏されてる。なお、ギター奏者は亭主さんとのこと。
「Les ondes pour quatre」はアルディッティの委嘱作品。
だからというわけではないでしょうが珍しく半音階的な音楽構造を基につくられています。
「雪の中の天使」はこの後の作品への前奏曲のようなものとして作られた付随的作品。
淡い冒頭から次第に輪郭がはっきりしていく、ジャズナンバーにも聴こえる流麗な曲。
その「飾らない女性」は、ここでも語りをしているThulani Davisの小説をテキストにした作品。
フュージョンジャズを意識した編成と音楽は、聴いていてサロンかどこかの音楽みたい。
ただ、その独特の反復的構造と簡素な響きは彼女の作風にしっかりと組み上げている。
後半は特に淡さの引き立つ曲が多い。個人的には、3曲目のベースがメインになる音楽が好き。
「ヴィオラ」は楽器であると同時に、捧げられている母の名前でもあります。
瞑想的な雰囲気も持つ、スピーチなりのロマン的作風ともいえそうな作品。

基本的にはポストミニマルに近い作風と言える。
演奏、悪くないけれどもうちょっとな感じ。録音もmodeの中では微妙な方かも。



Ernstalbrecht Stiebler
Three in One
Three in One, Trio '89, Sequenz II

Eberhard Brum,Bass Fl.  Marianne Schroeder,P.
Robyn Schulkowsky,Perc.  Frances-Marie Uitti,Vc.
1996 Hat hut  hat ART CD 6169

ダルムシュタット講習に参加経験もあるドイツの作曲家エルンシュタルブレヒト・シュティーブラー(1934-)の作品集。
「Im Klang」の方の作品集は後の方のリリースだからか時折見かけますが、こっちはまず見ない気がする。
「スリー・イン・ワン」(1992)はバス・フルートと、テープ録音の2本による計3パートの作品。
まず低くD音を伸ばし、これが基音となって、次第にオクターブ音が入りだす。
次第に少しづつ微分的なずれを見せながら、ゆっくりと倍音のうねりを変えていく。
「トリオ '89」はチェロ、ピアノ、打楽器の編成。Asの音で開始。
チェロのドローンを中核としながら、ピアノは2つの音しか使わずに合いの手を添える。
チェロは意外と場面ごとで音は変わるのに、ピアノは一定なあたりが面白い。
打楽器は様々な金属打楽器を用いていますが、大半は弓でこすり持続音を出しています。
そこに挟まるクロタルとピアノのきらめきが印象的。
「セクエンツ II」(1984)はチェロとテープ(2パート)のための作品。
僅か2つのコードを弾くだけ、そのリズム的な変化がじわじわとつくだけのなかなかハードコアな作品。
ただ、和声は微分音みたくないだけに、まだ聴きやすいかもしれない。

どの曲を聴いていてもはっきり分かる、ケージからフェルドマンを通しての
ヴァンデルヴァイザー楽派に接近するような静謐な音楽の系統。
それと同時に、ラ・モンテ・ヤングから始まるミニマリズム・ドローンの大きな影響。
音楽的な印象はフィル・ニブロックに非常に近い。というか、やってることはほとんど同じ。
まあだからこそ、安心してCDを買うことができるわけですが。



William Grant Still
Piano Music
Three Visions, Seven Traceries, The Blues(from the Ballet'Lenox Avenue'),
A Deserted Plantation, Africa(Verna Arvey,arr.)

Mark Boozer,Piano
2005 Naxos  8.559210

アメリカで活躍した黒人系作曲家の代表旗手、ウィリアム・グラント・スティル(1895-1978)のピアノ作品集。
「3つのヴィジョン」は彼の音楽をよくあらわしていると思う。
1曲目「闇の騎手」のごつごつしながらもクリスピーなリズム進行は黒人ルーツを髣髴とさせるし、
続く「サマーランド」はジャズの響きをうまく活かしたブルージーな音楽。
「7つのトレーサリー」は小曲集であることもあってか、ブルースの影響が強い気がする。
神秘的な音楽性が前面に現れた、小洒落た音楽が聴けます。
「ブルース」は20年代NYハーレムの音楽をインスパイアした、まさに王道ブルース。
「荒れ果てた農園」はポール・ホワイトマン・オーケストラのために書かれたのがオリジナル。
ここらなんかはリズムの強い曲もあったりして、なかなか展開豊かに聴くことができる。
「アフリカ」(1928)はまだ師であるヴァレーズ(!)の影響が抜けていなかった時期らしい。
オリジナルの管弦楽版を聴けばそこらの判別がしやすいでしょうが、
このピアノ版を聴く限りだと、そこまで大きくはぶれていない。ちなみに編曲者は奥さんです。
とはいえ、その音楽はいろいろと場面がはっきりと入れ替わるので楽しい。
もっとも20分を超える作品ですからそれも当然と言えばそうなのですが、このCDの中ではそれが鮮やかに聴こえる。

やっぱりこの人は、良くも悪くもブルースを基本理念に作っていた人なのが分かる。
アメリカの中でそれを定礎に1920年代から活躍していた功績なんかは大きいけれど、
それを今聴くと何とも時代がかった音楽に聴こえてしまうのがちょっとさびしい。
まあ、ブルースとかのジャズを好きな耳で聴けばいろいろと発見はあるはずですが。
そもそも収録曲は殆ど30年代の作曲。後年になると、確かまた違う響きも聴けた気が・・・
「3つのヴィジョン」「ブルース」あたりが手軽に聴けるし印象に残った。
演奏は、ナクソスの平均的なレベルのピアノ。



カールハインツ・シュトックハウゼン
Karlheinz Stockhausen
「七つの日より」から、「太陽に向かって帆を上げよ」「結合」
Fais Voile Vers le Soleil, Liaison  from "Aus den Sieben Tagen"

アンサンブル・ミュジック・ヴィヴァント
Ensemble Musique Vivante
1988 harmonia mundi  HMA 190795

ブーレーズ監修による、シュトックハウゼンの大作抜粋録音。作曲者の即興演奏仲間が多数参加してます。
まず、作曲者の言葉。
「私は(私の)音楽を作るのではなく、私が捕らえた振動を伝えるのである。
・・・おまえは私によって、我々を通して音楽的振動に溢れる、尽きることない泉に結びつくのだ。
・・・それを頭で分かろうとするな。」
(シュトックハウゼン、篠原真 訳)
この2曲は言葉による指示しか書かれていない楽譜を持ちます。つまりはある種のインプロみたいなもの。
ただ(作曲者いわく)インプロと違うのは、インプロヴィゼーションではそれが依存すべき型や様式があるのに対し、
これらの曲(直感音楽と作曲者は呼ぶ)では示された文章以外にはいかなる枠も存在しないという点だそうです。
この文章を通じて演奏者に統一感を与え、それによる個々の集中と音楽能力がユニークなものを作る・・・という考え。
確かに、2曲とも聴こえてくる音はいわゆるインプロとは全く異質の音楽。
フリーな要素があることは間違いないことなのに、まるで厳密に構成されたような現代音楽であるかのように錯覚してくる。
シュトックハウゼンの言わんことを良く具現化できている演奏だと思います。
ただ、1969年の録音なので生楽器はともかくエレクトロニクスの音がそれ相応の音。古典作品に通ずるノスタルジーを感じました。
にしても、こういうこと考えてるから神秘主義に突っ込んでいったんでしょうね。
もうちょっと現実的かつ即物的で良いじゃないですか。そういうわけで昼飯おごって、今パスタをソースなしで食べてるんだ。



Karlheinz Stockhausen
Elektronische Musik 1952-1960

Stockhausen 3

シュトックハウゼンの、自身のレーベルからのCDは、いつ見ても高すぎる。
中古で、ようやく代表作のこれだけゲットしました。それでも、そこらの新品CDと大差ない値段。
直接買えばいくらか安くなるけれど、それでもなあ・・・
詳しい解説なんか書かないよ、検索すれば日本語でもすごいページがあるから。やっぱりあくまで自分の備忘録的な文だけ。
「Etude」はミュージック・コンクレート作品。ごりごりぶちぶちした音が転げまわる。1952年制作の、古さを感じさせる音です。
「Studie I」は、音をかなり細かく決定しているのが聴いているだけでもわかる。サイン波を使用した最初の作品。
「Studie II」も傾向は同じ。完全に抑制された音の使い方。
スコアを見ると、書き方がかなり簡略化され、より洗練されたものになっています。
「Gesang der Junglinge」は電子音響と歌の音響を融合させる試み。
今までとは違って、さまざまな音を駆使して、両者を近づけようとしていますね。
ころころ転がり変容する電子音と声が印象的。
「コンタクテ」はバージョンがありますが、ここはオリジナルの電子音のみ。



Karlheinz Stockhausen
Plus-Minus
Refrain, Kreuzspiel, Plus-Minus

Ives Ensemble
2010 Hat hut  hat[now]ART 178

シュトックハウゼンの作品集がHat hutから出てました。
「ルフラン(リフレイン)」は一種の図形的描画を用いて作曲された作品。
かなり即興性が高く、しかしそれは回帰するモチーフによってはっきりと統制されます。
ヴィブラフォンやピアノの音がきらめく、この演奏はなかなか美しさも感じるものに仕上がってますね。
エレクトロ=アコースティックを用いた68年の改訂版もあるようですが、
この演奏は、曲の長さから見ても明らかにそれ以前の59年のバージョン。
「クロイツシュピール」はこの中でも有名な作品でしょう。最初期の出世作。
ピアノや打楽器、バスクラやオーボエによる、極端な音高と強弱の交差。
どこかリズミカルで、非常に緊張感を感じさせる印象の響き。
そしてどう考えてもこのCDの目玉、「プルス・ミーヌス(プラス・マイナス)」の初録音。
ただ、正確にはピアノ独奏版がすでに以前Classicoから出ていたようです。
7ページからなる53のシンボル断片と、さらにもう7ページの演奏方法の注釈からなる、
この60年代の作曲らしい演奏者の自己生成が非常に重要になってくる作品。
ここでは14人の大アンサンブルで演奏しています。
さまざまな要素がどろどろと絡みつき、時折あらわれるパルス的なリズムがやたら切迫させる。
この倒錯的な緊張感はまさにシュトックハウゼンの音楽ですね。
これが50分間も続くから、いろいろとたまらない。
音響的には、演奏や録音も含めてなかなか楽しめた一枚でした。



Willy Stolarczyk
Symphony for 96 Pianos & Percussion -Jord/Luft/Ild/Vand

Jose Ribera,Cond. etc.(ensemble)
1996 Danica Records  DCD 1996

文字通り、96台のピアノと4人の打楽器からなるとんでもない大編成の音楽。
作曲家(1945-)はデンマーク出身の兼ピアニスト。
ピアノの中は4分音調律されたものやプリペアドピアノなども含んでます。もちろん特殊奏法ありあり。
地球Earth、大気Air、火Fire、水Waterの4部に分かれ、それぞれが3部分からなる12楽章制とでもいう構成。
音楽は混沌とした中から次第に旋律が浮かび上がり、時には普通の音楽にも変化する。
打楽器のプリミティヴなビートにピアノが吠え(march)、綺麗に聴こえなくもないけど混沌とした部分(nocturne)、
そこにいきなり電子効果音が入ったり(storm)、火の部分ではタンゴのリズムが乱入して踊りの性格を強調したり(tango)。
30分少々の曲ですが、なかなか曲としては悪くはなかった。ネタ曲の一言で片づけるのも惜しい。
最後の水の部分では人魚シリーズが続いて、混沌とした中にも軽やかさと優雅さが感じられます。
最後は冒頭にも現れたテーマを提示して、これまでの再現部を経て盛り上がった後静かに終わる。
アップライト的な軽い音がほとんどなので、96台あるわりには薄っぺらい響きなのが残念。
これでも十分面白くはあるのですが、多分実演のインパクトの方がはるかに大きいと思う。



Igor Stravinsky
Le Sacre du Printemps, Four Etudes for Orchestra

Orchestre National de L'O.R.T.F.  Pierre Boulez,Cond.
1985 Denon  28C37-20

自分も大好きなストラヴィンスキーの超名作「春の祭典」。
もういくつも音源を持っているけれど、やっぱりブーレーズを聴かなきゃ、と。
そして彼なら冷たく硬い音が一番、とわざわざ古いCDの旧音源を探してくる。
本当はクリーヴランド管との旧録が一番欲しかったんだけれど、たまたま安く見つけたので。
うん、やっぱり彼の指揮は素晴らしいの一言。クールな出だし、冷徹なリズムにたぎる管楽器。
もちろん録音は今に比べれば良くないし(ADDの中でかなりひどい方)、演奏も微妙な点が結構ある。
けれど、やっぱりこのバーバリスティックの見本みたいな音楽には
根底として些細なことなんかあっという間に吹き飛ばすくらいの力がないと意味が無いと思う。
それこそ、(ブーレーズは嫌がるかもしれないが)クセナキスの音楽のような。
解説にもあるように、この中には相当な難度を持った複雑な技巧だらけなのだけれども、
それを踏まえた上での高度な暴力性こそが本当に興奮できる唯一の演奏ではないでしょうか。
カップリングに「管弦楽のための四つのエチュード」を収録。
「春の祭典」と同時期の小品を管弦楽配置&まとめたもので、
当時の彼らしいちょっと癖のあるリズムが跳ねる楽しい曲。



Viktor Suslin
Midnight Music,Crossing Beyond,Trio Sonata
Dawm Music,Sonata capricciosa,Le deuil blanc

Alexei Lubimov,Harpsichord  Alexander Martynov,Guit.  Alexander Suslin,Double B. etc.
1999 Olympia  OCD 678

ロシアの40年代生まれの作曲家、ススリンの室内楽作品集。
「Midnight Music」はG音の印象的な、静かな妖しい夜想曲。「Trio Sonata」の編成はフルート、ギター、チェロと変則的。
「Crossing Beyond」もトリオですが、編成的にはヴィオラ、チェロ、コントラバスとあと一歩(何が)。
急くような上昇型パッセージと細やかな緩叙部の移り変わりが激しい曲。
「Dawn Music」はコントラバス・ソロ。これが一番面白かった。
葬送行進曲風序奏から暴力的パッセージ、特殊奏法の瞑想的部分などなど特定の楽想が長続きしない。
一つの楽器で幅の広い音楽が楽しめる一曲でした。
ヴィオラとハープシコードの「Sonata capricciosa」は序奏と後半は何時もどおりですが、カプリッチョらしい華やかな展開がメイン。
バスフルート、ギター、チェロと打楽器のための「Le deuil blanc」はこの中で一番内省的。
終始それぞれの楽器が小さく対話を続けていきます。

同じ和音を何度も繰り返すパターンが多い。あと妙な調性感。ただ、決して単調ではなく、絶えず要素は微妙に形を変えていきます。
特殊奏法を使う曲が多く、使う場合ははっきりと区別して使用する点もポイントでしょう。
どれも静謐な雰囲気を持った曲でした。



Tibor Szemzo
The Other Shore, Symultan, Gull

The Golden Knot Company  The Moyzes Quartet  Peter Szalai,Tabla
1999 LEO / Bahia  CD LR 281 / CDB 058

ハンガリーはブダペスト出身の、ポスト・ミニマル系の作曲家ティボール・セムゾー(1955-)の作品集。
アンサンブル・グループ180の創設メンバーであり、日本ではHungarotonからのリリースで知られてる程度でしょうか。
タイトル曲でもある「The Other Shore」は妙法蓮華経の読経に乗せて、切なげなストリングスと、控えめなビートが奏でられる。
観音経の信仰についての老人の語りを控えめにカット・ループしながら、ドラムやベースを加えて
音楽は徐々に、緊張感のある静けさの中で盛り上がりを見せていく。
「Symultan」は男性・女性の話し声が延々と絡み続く中から、また徐々にリズムが顔を出してくる。
「Gull」弦楽のコラールから始まり、そこにタブラの落ち着いたリズムがアクセントを添える。
終始緩やかな流れで進む、まさに副題どおりのコラール変奏曲。変奏、というほど雰囲気は変わってないが。
どの曲を聴いていても、はっきりいって非常に地味。
落ち着いた音楽構成の中に、ひたすらさりげなく、けれどはっきりした指向を持って曲が進められていく。
東欧やアジアの影響を持った人間による、ポストミニマルの数ある亜流の一つ、ということで片付いてしまう音楽ではあります。
けれど、地味な音楽の中に、決して無視できない独特の世界を聴くことができる。
これだからマイナー作曲家の発掘は楽しくてやめられない。



The Music of Germaine Tailleferre
Images, Quatuor, Forlane, Chansons populaires francaises, Sonate pour Harpe, Deux Valses, Galliarde

Porter String Quartet  Leta Miller,Fl.  Irene Herrmann/Michael McGuishin,P.  Patrice Maginnis,S.
Jennifer Cass,Hp.  Karen Baccaro,Tp.  Nicole A. Paiement,Con.  and assisting artists
1996 Helicon Records  HE 1008

ウィドール、ケクランやラヴェルに師事。フランス六人組の紅一点として有名な
ジェルメーヌ・タイユフェール(1892-1983)の室内楽作品集。
「映像」はフルート、クラリネット、チェレスタ、ピアノに弦楽四重奏の編成。
1918年なのでかなり初期、ラヴェルやケクランに師事する前の作品。
でも、師らの影響も見える、芳醇な和声に乗せてゆったりと流れていく旋律が艶めかしい。
「弦楽四重奏曲」(1917-19)も同様の、非常に古典的な構成の作品ですが、
主に和声面でさらに進化を遂げているのがわかる、繊細なものになっています。
終楽章の華麗ながらも勢いのあるあたりは彼女の性格を反映しているみたいで面白い。
フルートとピアノのための「フォルラーヌ」(1972)は一気に晩年の作品。
この名前で思い浮かべるのはラヴェルの「クープランの墓」第3曲辺りしかないですが、やっぱりそれを意識しているんでしょうか。
音楽もそれらしい、ただしオリジナルの舞踏曲を強く意識した小品。
室内楽伴奏の「フランスの大衆歌」(1952-55)はフランス風のフォークな旋律に近代的な和声を付加した
聴きやすくも美しい、この中では一番彼女の作風を豊かな音で味わえる作品。
「ハープのためのソナタ」(1957)は古典的な構成にスカルラッティのようなスペイン色を混ぜた、
非常にハープの音色が引き立つ素晴らしい音楽。近代和声の素晴らしさがよく分かる。
2台ピアノのための「二つのワルツ」(1962)、対照的で簡素な音楽ゆえに、旋律の綺麗な響きが楽しめる。
トランペットとピアノのための「ガリアード」(1972)、「フォルラーヌ」と同年の舞踏形式シリーズですが
元々の音楽形式の差もあって、かなり洗練された溌剌とした音楽小品になっています。

師の音楽の持つ華麗な和声と旋律裁きを持った、とても綺麗な音楽ばかりで大満足。演奏も、落ち着いたもので十分。
余談。ここでのアンサンブルは特に名称がついていないようなので'and assisting artists'で記述を濁しましたが、
その面子にホルン奏者でGordon Mummaの名前があって驚愕。これホルンだしマジであのゴードン・ムンマなのか…?
彼が教授をしているカリフォルニア大学サンタクルーズ校で収録しているので、本人でほぼ間違いないでしょう。
あの電子音楽の重鎮がこんなところで室内楽参加しているとは、固定観念からは全く想像がつかないですねえ。



Tan Dun live in Japan
On Taoism, Orchestral Theatre I:Xun, Orchestral Theatre II:Re

Tan Dun,Voice & Con.  Akiyama Kazuhiko・Iwaki hiroyuki,Con. The Tokyo Symphony etc.
Fontec  FOCD3276

中国の作曲家、譚盾(タン・ドゥン、1957-)の比較的初期のオーケストラ作品集。
「オン・タオイズム」譚盾自身のボーカルパフォーマンスに導かれ、ファゴットを初めとするどろりとした、神秘的な儀式が行われる。
突如、管弦楽は乱れ、そこから妖しく秘教感あふれる、けれどどこか民間的な緊張に包み込まれる。
「オーケストラル・シアターI:Xun」は、11のセラミックとオーケストラ、声のための作品。
民族楽器の不気味な音色から始まり、中国的な、非西洋的で曖昧な音の響きを持って展開する。
作曲者の意図する、オーケストラにおける非クラシックな東洋感覚の表出が良く分かる音楽。
声の直接使用だけでなく、トロンボーンの強奏など、ボーカル的要素を思わせる構造も目立つ。
「オーケストラル・シアターII:Re」は聴衆を囲む配置のオケを振る2人の指揮者とバスの声楽ソロ、それに聴衆も参加する。
最初にリハーサルの様子が入ってます。レの音のハミングとチベット語的な造語を唱えるように
作曲家から指導されてます。面白いなあこういう雰囲気。
音楽は、声による、低いレの音のチベット的ボーカルパフォーマンスから始まる。つまりドローン。
そこにボーカルがいつもの調子で入ってくる。この独特の叫びが音楽的にも良いアクセント。
管の東洋的特殊奏法が始まったら次の部分の開始。
ボーカルが「ホン・ミ・ラ・ガ・イ・ゴ」という擬似チベット経文を唱えだし、オーケストラがやはりレの音を中核にしながら興奮していく。
最終的には聴衆も加わって頂点を形成し、突如沈黙に取って代わられる。
そしてボーカルが老子の言葉(最もすばらしい音は沈黙においてしか聴こえない)を歌い、強打一発で幕。
やっぱり、この時期が一番脂のってたなあ。譚盾の音楽が堪能できる素晴らしい一枚。
まあこれ以降のシアターピースやオペラも悪くないと思うけれど。



ボリス・チャイコフスキー
Boris Tchaikovsky
Chamber Symphony, Signs of The Zodiac
Four Preludes, Concerto for Clarinet and Chamber Orchestra

St.Petersburg Chamber Orchestra  Edward Serov,Cond.
Margarita Miroshnikova,Sop. Grigory Korchmar,Cem. Adil Feodorov,Cl.
2003 Nothern Flowers  NF/PMA 9918

ロシア国内ではかなりの人気を誇る作曲家、ボリス・チャイコフスキーの大編成室内楽作品集。
室内交響曲は、今までの音楽シーンの形式をまとめたような形式。楽章ごとにソナタとかコラールとかマーチが現れる。
そういった曲の性格上もあって、曲風は思い切り擬古典主義。
チェンバロが印象に残る、和声のモダンさを抜きにすれば古典的クラシックファンでもまあまあ素直に聞ける作品。
ただマーチだけは全力でグロテスク方面なので、そこは気をつけて。
カンタータ「黄道十二宮」は編成が弦楽オーケストラにチェンバロ、ソプラノとカンタータのイメージからはかなり落ち着いています。
傾向は室内交響曲と同様。最初の10分に及ぶ序奏が聴きもの。
クラシックとモダンの間を切なげに揺れ動く、彼の作風が(少なくともこのCD中で)最もよく現れているものでしょう。
ソプラノが入ってきてからは随分落ち着きます、普通の近代歌曲みたい。叙情的でとても聴きやすいです。こういうのも好き。
「室内管弦楽のための四つの前奏曲」もメランコリックな曲調は健在ですが、かなりグロテスクさが強い。
このどこかもがき苦しんでいるような構造は緊張感があって面白いです。
「クラリネット協奏曲」は1957年なので初期のほうの作品でしょう。
第1楽章、古典的で情緒たっぷりの甘く切ない曲です。第2楽章は急くような短いスケルツォ。
そこからアッタッカで第3楽章、かなり普通のロシア風アレグロで素直に盛り上がれます。

彼の曲は初めてこれでまともに聴きましたが、なかなか面白い作りこみをする人ですね、気に入りました。
ちょっとこれからチェックするようにしよう。



James Tenny
Selected Works 1961-1969

1992 Artifact recordings  FP 001/ART 1007

テニーが60年代に作成した電子音楽の音源をまとめたもの。
彼は1934年生まれですから30に差し掛かった頃のものばかりになりますね。収録順がそのまま作曲順。
「Collage #1」はプレスリーのナンバーがぐちゃぐちゃに引っ掻き回される典型的コラージュ。
ナンカロウとも親交があったために、この時期から「Music for Player Piano」という曲を書いてます、が。
内容はナンカロウのそれとは全く違います。パートの出自の違いに焦点が置かれているようで、ナンカロウ的リズムは感じられません。
ケージに捧げられた「Ergodos II」は18分に及ぶ大作。
終始絞られた音たちががさごそ動き回ります。ケージの禅思想によるものが大きいでしょう。
また「Fabric for Che」における音の振る舞いはクセナキスのそれを思わせます。
他の曲からも様々な作曲家からの影響が見て取れますが、初期の作品としてはなかなかの内容だと思います。



Avet Terterian
Symphony No.3,No.4

Armenian Philharmonic Oerchestra  Loris Tjeknavorian,Cond.
1997 ASV  CD DCA 986

アーヴェト・テルテリャーン(1929-94)の、チェクナボリアン指揮による有名な一枚。
「交響曲第3番」ティンパニを初めとする各打楽器による、荒々しいリズムがひたすら叩かれる。
トロンボーンの不気味なつぶやき、民族楽器とホルンの雄叫び。
ただ、録音が良いので構造が分かりやすいのは良いんですが、
残念ながらMichael Helmrath指揮のライヴ盤と比べるとかなり分が悪いと思います。
何しろあちらの演奏のインパクトが凄すぎる。こちらも悪くないんですが、
あれを聴いた後だとどうにも迫力が足りなくて・・・
注目の第3楽章、こちらで聴くとなかなか狂気が強調されていてやばい。
迫力はやっぱり足りませんが、これはこれで面白いです。
「交響曲第4番」はその翌年作られた一楽章構成の作品。
鐘が鳴り、チェンバロがバロックの破片を奏でる。弦楽器のひきつる持続音が鳴り、クラスターが不安をあおる。
次第に全楽器が混沌とした空間を形作り、瓦解してはなおその体を持ち直す。
それがひたすら伸びる中、突如打楽器の一打で爆発が始まる。
その鼓動のリズムはゆるやかに静まり、やがて静寂の中へ溶け込んでゆく。
うん、曲としてのインパクトは確かに3番の方が上だなあ。



Randall Thompson
The Testament of Freedom, Frostiana

Manhattan Chamber Orchestra  New York Choral Society  Richard Auldon Clark,Cond.
1995 Koch  3-7283-2 H1

NY出身、ハーバード大でバーンスタインに教えていたこともあるランドル・トンプソン(1899-1984)。
ここでは43年と59年の合唱付き管弦楽作品を2つ収録。
「自由の証」(とでも訳すのか)はトーマス・ジェファーソンの文をテキストに。
冒頭から実に壮大で流麗な序奏。まさに、自由の国アメリカですと宣言しているような音楽。
続く音楽も、実にストレートにアメリカのステレオタイプを行く楽想ばかり。
最後のフィナーレまで、実に爽快に鳴らしてくれます。
作られた時期を鑑みると、第二次大戦への戦意高揚みたいな意図も無関係ではない気が。
ただし、初演時は管弦楽作品で、合唱はその後に付け加えられたもののようです。
「フロスティアーナ」はロバート・フロストのテキストを使っているが所以の題。
同じアメリカンドリームな音楽であることには変わりはないけれど、
こちらは基本的には田園風景と言うか、のんびりとした穏やかな音楽がメイン。
5曲目とかを除けばだいたい緩徐楽章です。まあその5曲目とかが好きですが。
演奏、悪くはないけれど「自由の証」では録音の微妙さも相まってどうにも煮え切らない。
もっと良い演奏も出来ると思うんですが…



Ernst Toch
Complete Symphonies Nos.1-7

Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin  Alun Francis,Cond.
2006 cpo  777 191-2

ウィーン出身、独学で学びモダニズムゆえにナチスを逃れアメリカへ移住した
エルンスト・トッホ(1887-1964)の交響曲全集。
名前は知っていましたし全く聴いていないわけではないですが、まともに作品を聴くのは初めて。
「交響曲第1番」作品72は、番号から見ても分かるように1950年とかなり後の物。
トッホの交響曲は、その晩年に集中的に書かれているのが特徴の一つ。
非常に神秘的でひそやかな第1楽章は後半に躍動感ある音楽を挟み、
第2楽章ではようやくはっきりわかりやすいモチーフがスケルツォのように動く。
そんなはっきりとした正確の対照になるように第3楽章は曖昧で半音階的な動きがゆっくりとうねる。
トランペットのファンファーレが主題で始まる第4楽章は重厚に進みます、
ここまで難解に進んでいただけあって、ここはかなり分かりやすく聴こえます。
というか、ラストはティンパニ含めてかなりカッコいい締め方。
「交響曲第4番」は彼が非常に親しく、この作曲中に亡くなったマリアン・マクダウェル
(作曲家Edward McDowellの妻)に捧げられたもの。テキスト朗読あり。
弦楽の非常に長い旋律が展開する、序奏のような部分の長い第1楽章。
一転して動きのある短い第2楽章を挟み、第3楽章は非常に重みのあるいかにも彼の真骨頂な音楽。
最後はヴァイオリンの淡い旋律に消えていきますが、その重みは良い感じ。
「交響曲第2番」はかなりリズミカルというか、ヒンデミットやバルトークにかぶれたのかと思うような楽想。
もちろん高度に組み上げられた作風自体はいつものものなのですが、どうも趣が違う。
第2楽章のピアノやハープは細かいリズム伴奏を繰り広げる。
最終楽章が一番彼らしいどろどろした展開だったかもしれません。でもやっぱり爽快さ3割増し。
ちなみに、ティンパニソロで全曲が終わるというのも珍しい。
「交響曲第3番」はピューリッツァー賞も貰った作品ですが、
ハモンドオルガンやグラスボールを初めとして不可思議な楽器を多く使った異色な音響の曲。
確かに聴きやすい展開もありますが、どちらかというと目まぐるしく移り変わるあたりも含めて
ジョージ・アンタイルに通じるような何かを考えてしまう。第1楽章とか変に陽気な旋律も出てくる。
第2楽章のほのぼのしたフルートに始まる旋律は癒される。
重い展開は第3楽章でようやく出てくるんですが、それもすぐに入れ替わる。
ただ、そのお陰もあって、聴いていて飽きない、とても面白い作品でした。彼の重厚さはあまり味わえませんが。
「交響曲第5番」は「イェフタ -狂想詩」の副題がついています。リオン・フォイヒトヴァンガーの小説が基。
弦の神秘的なトレモロから管楽器の旋律が浮かび上がるあたり凄く描写的に感じる。
その後の展開はようやく彼らしい重さ(に強烈なリズム)ですが、はっきりした場面展開があるのが面白い。
物語的だからというわけでもないでしょうが、重厚な音楽がリズムに乗せて躍動感ある展開なのが聴きごたえある。
「交響曲第6番」あたりになってくると、作風はかなり軽くなってきているのが分かる。
というか、もしかしてこれくらいの方が本来の作風なんじゃないかと思ってくるくらい。
どの楽章も早めのテンポがメインになるのはこれが初めて。第3楽章なんかモダニズムはすごく薄い。
「交響曲第7番」は死の年に作られたもの。しかし、聴く限り一番簡素。
彼は60年代にして前衛に見切りでもつけたんでしょうか。
もちろん音楽は素直に重厚なものなのですが、CD1の2曲にあったような複雑さと陰鬱さはない。
そういう意味では、一番近代的な音楽と言えるものかもしれません。



Richard Toensing
Concerto for Flutes and Wind Ensemble,
Fantasia (of Angels and Shepherds), Concerto for Flutes and Orchestra

Leone Buyse,Fl.  Carol Ou,Vc.  John Kinzie/Scott Higgins,Perc.
National Symphony Orchestra of Ukraine  Theodre Kuchar,Cond.
2001 Composers Recordings Inc.  CRI CD 883

レスリー・バセットらに師事したアメリカの作曲家リチャード・トーンシング(1940-2014)の作品集。
比較的晩年は正教会にわりと傾倒していたようで、それ関連の作品が多い様子。
「フルートとウインド・アンサンブルのための協奏曲」、
フルートの神秘的ながらもひらめくようなソロから次第に楽器群に動きが伝播していく。
7つの部分からなりますが、ピッコロを持ち替えながら音楽は絶えず緊張感を増しながら動いていきます。
最後は薄くなっていって締め。緊張感と構成は悪くない。
打楽器とチェロのための「ファンタジア」はロシア正教で歌われる聖歌とコラールを題材にした作品。
弓引きビブラフォンの非常に淡い響きに乗せて、チェロが聖歌の変形が歌われる。
そこからマレット楽器と独奏の動きの派手ながら輝かしい一節など
全てで6つの部分からなりますが、全編通して散文的ですが聴きやすく、とても綺麗な音楽。
最後はバロックの舞踏曲を意識した音楽が現れて終わる。
「フルートと管弦楽のための協奏曲」もロシア正教などの殉教者に捧げられたもの。
フルートの輝くような動機が現れる第1楽章も悪くないですが、
オスティナート音型に支えられた重くも美しい第2楽章が個人的には素晴らしいと思う。
第3楽章は管弦楽の重いマーチ風のリズムを奏でながら非常に綺麗な音楽を踏襲する。
特に後半2曲は想像以上に綺麗な音楽が聴けて良かった。
演奏も初期〜中期ナクソスでは抜群にトップレベルだったコンビ。まるで問題なし。



Michael Torke
Javelin -the music of Michael Torke

Atlanta Symphony Orchestra  Yoel Levi,Con.   Philharmonia Orchestra  Michael Torke,Con.
London Sinfonietta  Kent Nagano,Con. Lother Zagrosek,Con.
Baltimore Symphony Orchestra  David Zinman,Con.
1996 argo  452 101-2

マイケル・トーク(1961-)はミルウォーキー出身の作曲家。
「Javelin」は木管の速いパッセージから金管の発散、弦の歌まで、実に素直な聴きやすい音楽。
動きの細かい、華やかな曲。以前この曲の吹奏楽版を見かけたことありますが、確かにそれも似合いそう。
「December」小気味良いフーガが印象的な、叙情的な弦楽合奏の曲。ここでは作曲者の指揮。
「Run」はせわしなくノスタルジック、「Adjustable Wrench」はのどかなムード音楽みたいに。
彼の音楽は共通して、非常に平易で分かりやすい。TVのBGMと言えば素直に信じられる勢いかも。
はっきり言って、チープ。安っぽさとシリアスの境界を余裕で超えてます。
シリアスな現代音楽を考えながらこの人の曲を聴くと、もう「論外」の一言しか出てきません。
けれど、再考。そういう考え抜きで、単純にムード音楽として聴けばいいじゃない。
そこらのイージーリスニングなんか目じゃない、立派な物語性・構築がある素晴らしい軽音楽。
そこは流石、シュワントナーやドラックマンに師事しているだけありますね。
一般的なエンターテイメント性を見れば、ドアティやモランよりずっと有用性があるでしょう。
だから、要は彼の音楽が持つ雰囲気を個々で気に入るかどうか。私は曲によりました。
「Green」「Bright Blue Music」の、彼を代表する色系列の作品はあんまり。
反対に、残りの「Music on the Floor (II)」含め、それ以外はだいたい楽しめました。



デイヴィッド・デル・トレディチ
夏の日の思い出(少女アリス 第1部)
David Del Tredici
In Memory of a Summer Day

フィリス・ブリン=ジュルソン、ソプラノ
レナード・スラトキン指揮、セントルイス交響楽団

1996 Nonesuch  WPCS-5172

このCDをはじめて聴いたときはかなりの衝撃を受けました。調性的でかつ非常に独特な個性がある。
幻想的で儚げ、そしてどこか可愛らしい曲想はキャロルのアリス・シリーズに素晴らしくマッチしています。
彼の主な作品はキャロルのものを題材にしたものが多いのもうなづけてしまいます。
この「夏の日の思い出」は全2部構成の「少女アリス」の第1部であり、これだけで1時間かかる大作。
ソプラノで歌われる印象的なメロディーが全曲を支配します。非常に技巧的で全く飽きません。
デル・トレディチはセリエリスム出自の作曲家であるので前衛的語法も手馴れたもの。
そのため、この作品では前衛技巧と古典技法はうまく交じり合い素晴らしい緊張感も生み出します。
現在は入手困難なのが残念。その代わり出世作の「ファイナル・アリス」が最近タワーレコードから出されたので是非。



David del Tredici
I hear an Army, Night Conjure-Verse, Syzygy, Scherzo

Phylis Bryn-Julson/Benita Valente,Soprano  Mary Burgess,Mezzo S.
Composers Quartet  Players from the Morlboro Festival
Richard Dufallo,Cond.  Robert Helps,P.  David del Tredici,P. & Cond.
1995 Composers Recording Inc.  CRi CD 689

今ではアリスシリーズを初め聴きやすい作風で知られるデイヴィッド・デル・トレディチの初期作品集。
「I hear an Army」は、ジョイスのチェンバー・ミュージックをテキストに用いた、3年の沈黙を破って発表した作品。
ちなみに、このCD収録の初期作品はすべてジョイスがテキスト。いくらなんでも好きすぎるだろ・・・
弦楽四重奏の半音階的な長い序奏ののち、ソプラノの歌も交えて
ポスト・ウェーベルン風の強烈な十二音音楽風の構造が、いくぶんカノン風な掛け合いも混ぜながら激しく絡み合う。
歌唱後はまた弦楽による後奏曲がつく、3部形式的な構成です。
「Night Conjure-Verse」はその翌年、1965年の作曲。ソプラノと、その反映であるメゾソプラノが編成に記述されています。
弦楽四重奏と管楽七重奏の伴奏含め、音楽的な構造は先ほどと大差はありません。
が、そのテキストと音楽の重ね方はのちの出世作「ファイナル・アリス」につながるものがある様子。
その音の重ね方は、構造に反して非常に抑揚的で、人間的な感情が見え隠れする。
それを見ると、彼がアリス・シリーズを経て現在ロマン派な音楽を作っていることは必然だった気がしてしまいます。
「Syzygy」はさらに少し編成が拡大した室内楽とソプラノのための作品(1966)。
最初からコントラファゴットとピッコロの極端な響き。
チューブラーベルとホルンに導かれてソプラノがまたジョイスの詩を歌う。
前の作品でも試みられた複雑なテキストと音の動機は一層推し進められ、
音楽の性格はより、断片を様々に積み重ねていくような構造に。長大な第2楽章は対称性もキーです。
ちなみにこの3年後、彼はアリス・シリーズ最初の作品「An Alice Symphony」を発表することになります。
最後、ピアノ連弾のための「スケルツォ」は1960年、まだ修士とかそこらのころの作品。
トッカータのようなごつごつした輪郭から中間部には「舟歌のような」旋律も出たりと
なかなか極端な楽想の差が、凶暴な印象を植え付けます。
全体を通して聴くと、変遷が分かってとても面白い。
特に、テキストをジョイスに絞っているあたり彼の言葉へのこだわりが垣間見えます。
非常に独特な言い回しを持つ文章をどのようにして強調し、表現するかといったこれらの試みが
後年のアリス・シリーズで結実することが理解できる、という意味でもとても貴重な一枚。



Veljo Tormis
Forgotten Peoples
ヴェリヨ・トルミス
忘れられた民族たち

トヌ・カリユステ指揮
エストニア・フィルハーモニック室内合唱団
1992 ECM New Series  POCC-1010/1

トルミスの曲はどれも美しい。民謡の編纂や、それを基とした曲作りが素朴な印象を与えてくれます。
ここで聴けるメロディーはさまざまな少数民族の消えかけた歌たち。
トルミスが実に20年をかけて纏め上げた、彼の音楽家としての活動の集大成の一つといえるものです。
それぞれの民族の言語で歌われる、さまざまな感情・史実がとてもノスタルジックに我々の耳には聴こえます。
少ないものはもはや数十人しかいないこれらの民族。この曲を聴くときには作曲者の言葉が重く響きます。
「バルト・フィン人たちは皆悲劇的な歴史を経験した。
彼らは・・・大戦中にいわゆる解放者によって東からも西からも踏みにじられた。
・・・今日までにはすべてのリボニアとボートとイジョールの歌い手たちはすでに故人となってしまった。
・・・しかしながら私はこれらの人々のどの民族に対しても最後の鎮魂の歌は歌いたくない。」
(トルミス、ライナーノーツより抜粋)

私たちはこれを聴くことによって彼らのことを理解し、賛助をしてあげるべきだと作曲者は言っており、私もまたそう思うのです。
個人的なお気に入りは「鳥たちの起床」「お開きの歌」「ヴィルの農奴」あたりですね。
2時間の大曲ですが、ECMならではの澄んだ録音でとても美麗な声に浸れます。



Mark-Anthony Turnage
Drowned Out, Kai, Three Screaming Popes, Momentum

Ulrich Heinen,Vc.  Birmingham Comtemporary Music Group
City of Birmingham Symphony Orchestra  Sir Simon Rattle,Cond.
1998 EMI  TOCE-55001

ヘンツェ、ナッセン、ガンサー・シュラーらに師事した
イギリス出身の作曲家マーク=アントニー・ターネジ(1960-)の管弦楽作品集。
「水に溺れて」は、冒頭の一打から暗く重い、緊張に満ちた音楽が紡がれる。
まさに緻密の一言に相応しい様々にからみ合う楽器群が、音楽を慎重に盛り上げていく。
「カイ」はアンサンブル・モデルンのチェリスト・カイ・シェフラーを悼んでのもの。
ジャズの影響が非常に強い、大アンサンブル作品。
「3人の絶叫する教皇」はターネジの代表作にして出世作。
フランシス・ベーコンの作品を元にした、暴力的で美しい、錯乱的な15分の作品。
「モメンタム」はこの中で唯一具体的な性格を持たない音楽。
ですが、その内容はまったくいつも通り。むしろ、音楽的な性格が浮き彫りになったために
ターネジの音楽的な性格がよくわかる音楽になっています。
作風自体は、完全にクラシカルなそれ。そこに前衛的和声と
ジャズなどの取り入れを行う辺り、典型的なポストモダンの現代作曲家と言えるでしょう。
気に入ったのは出世作くらいでしょうか。世界的に知名度のある作曲家ですし技量も申し分ない。
おまけに聴きやすいのに、あんまり自分にはしっくりこなかったなあ。
ちなみに、彼のオケ作品編成でサックスは当たり前。ユーフォニアムが入ってることも。
演奏は密接な関係を持つラトル&バーミンガム市交響楽団。
初演もやっているだけあるし、解釈に不安は全く感じられません。



エルッキ=スヴェン・トゥール
アーキテクトニクス

Erkki-Sven Tuur
Architectonics I〜VII

ニュード・アンサンブル
The Nyyd-Ensemble
1996 Finlandia 0630-14908-2(WPCS-5656)

トゥールはエストニアの作曲家の中でかなり知名度のあるほうでしょう。
ロック出自の、ラーツやスメラに師事といった経歴がうなずけるとても個性的な作風ですね。
ちょっと聴いてすぐ彼の曲とわかる。
彼の代表作であるこのアーキテクトニクス・シリーズは非常に多岐にわたる様式を持つ、彼の入門としてもふさわしいもの。
8番までありますが、その編成を見ただけでも木管五重奏(I)からピアノとエレキギターのデュオ(V)まで様々。
アーキテクトニクスIVなんかの極端な対比構造とか聴いてて衝撃がきますね。
個人的にはI、III、Vがお気に入り。特に1番は彼独特の北欧的で切なげな音が良いです。
IとVはAbsoluteEnsemble(CCn'C 01812)の方が良いかな、冷たいエコーのかかった録音具合が。



Erkki-Sven Tuur
Symphony No.4 'Magma', Inquietude du Fini,
Igavik(Eternity), The Path and the Traces

Dame Evelyn Glennie,Perc.  Estonian Philharmonic Chamber Choir
Estonian National Male Choir  Estonian National Symphony Orchestra  Paavo Jarvi,Cond.
2007 Virgin  0946 3 85785 2 9

最近はかなりメジャーになってきた、エルッキ=スヴェン・トゥール(1959-)の
近年(「Inquietude du Fini」以外は2000年代)の大編成作品集。
俺が初めて知ったのはようやく知名度が高くなってきたころだったけれど、今や売れっ子ですね。
「交響曲第4番「マグマ」」は、かのエヴェリン・グレニーの要請を受けて作曲された、打楽器協奏曲形式。
単一楽章ではありますが、音楽上は大きく4部分に分けることが出来ます。
ヴィブラフォンを初めとする金属質打楽器主導 - ロックやジャズに影響されたトムやドラム -
木製打楽器メインの緩やかな部分 - コンガ主導の舞踏的な音楽とコーダ、といった具合。
トゥールお得意の細かく振れる音たちの中から、次第に力を持った強靭な音楽が湧き上がる様はまさにマグマ。
いつものトゥール以上に派手で爽快、テンション高くて激しい曲です。彼の曲中で、かなり上位のお気に入り。
「Inquietude du Fini(Concern that it is over)」は、友人の詩人Tonu Onnepaluのテキストを用いた、混成合唱つき。
いつものように細かくリズミカルな構造が激しく絡み合い、どこかセンチメンタルなメロディーが浮かび上がる。
「Igavik(Eternity)」は、友人でありエストニア初の外務大臣であったLennart Meriの追悼のために作られました。
男声合唱と管弦楽による、重く深く響きが突き刺さる、印象的で心に残る短い作品。
「The Path and the Traces」は、クレタ島の教会で得た構想を基にした、ペルトへ捧げられた曲。
弦楽合奏による厳格な響きが楽しめます。
やっぱり、トゥールは面白い。演奏はパーヴォ・ヤルヴィ指揮、悪いはずがありません。



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