作曲家別 あ-さ

姓のあいうえお順。



芥川也寸志
芥川也寸志の芸術1 蜘蛛の糸-管弦楽作品集
舞踏組曲「蜘蛛の糸」、交響管弦楽のための音楽、弦楽のための三楽章、赤穂浪士のテーマ

日本フィルハーモニー交響楽団  本名徹次、指揮
1999 King  KICC 246

芥川龍之介の三男であり、生前音楽以外でも様々な活躍を見せた芥川也寸志(1925-89)の作品集。
「蜘蛛の糸」は彼が自身なりの前衛技法から、以前のオスティナートなどの
技法も並立して作曲に使用するようになったころの作品。
激しいクラスターなどによる血の池の表現、荒々しいオスティナートの暴力、美しい天界のきらめき、
それらが溌剌とした芥川の音楽世界で巧みに表現されている。
この録音までまともな演奏会上演も少なかった作品ですが、非常に優れた作品だと思います。
「交響管弦楽のための音楽」は團の「交響曲」と共にNHKの懸賞で特賞を得て出世作になったもの。
このリズミカルな楽想がやはり彼の原点であり、また快活さから広い支持を得ているのは同意できる。
演奏、結構ためて歌ってます。第二楽章も落ち着いて心地よく鳴らしている。これはこれで素晴らしい。
まあ第二楽章は終始トロンボーンが大活躍以上によく聴こえてくる演奏だから気に入っているのもあるけど。
「弦楽のための三楽章(トリプティーク)」は私が芥川作品の中で最も気に入っているもの。
憂いを帯びながらも溌剌とした楽想で聴かせる、初期代表作の一つ。
甘く夢見るような第二楽章「子守歌」も素晴らしいです。
演奏は・・・第一楽章、悪くないけれど特に冒頭もっさりしすぎ。そのくせ第二楽章は妙にあっさりしている。
技術は申し分ないものだけれど、表現しているものは新響&自作自演のほうがはるかに良い。
最後は「赤穂浪士のテーマ」で。64年の大河ドラマ、フルオケ編成でテーマ曲が書かれるようになる前年のものです。
そのため編成は実はけっこう凄い。ギターやチェンバロあり、金管なし。
鞭の絶えず響く一打が印象的な、重く響くオスティナート音楽。
演奏はゆったり重いもので熱気はありませんが、今まで聴けなかった細かい動き(特にギターとか)
もはっきりわかり、さらに落ち着いた風格はあるのでこれはこれで気に入った。
全体的に見て、悪くない演奏でした。並べられたら自作自演盤を取るとは思うけれど。



Ashikawa Satoshi
Still Way
Prelude, Landscape of Wheels, Still Park, Still Sky, Image under the Tree, Wrinkle

薗智子、P. 高田みどり/荒瀬順子、Vb. 内海裕子、Hp. 芦川まさみ、Fl.
1999 Crescent  CRESCD-006

実験音楽の活動を通し、ミニマリズムや環境音楽に大きく傾倒していきながらも、
30歳という若さで早逝してしまった芦川聡(1953-83)唯一のアルバム、「スティル・ウェイ」。
わずか1分半の「前奏曲」は、それでもこのCDの言わんことをすべて伝えてくれる。
「車輪の風景」はハープによるミニマルな瞬間の連続。
淡い、どこが区切りかも曖昧な、ふわふわした箏のような響き。
「スティル・パーク」はアルバムタイトルにも通ずるこのアルバムの要。
「スティル・パーク・アンサンブル」、ピアノ、ヴィブラフォン、ハープによる三重奏。
切なくも綺麗に響きあう三者の音がたまらなく心地よい。
なお、クレジットはピアノの代わりにヴィブラフォン二人になってます。
「スティル・パーク・ピアノ・ソロ」、同じ音型を今度はピアノソロで滔々と歌う。
それなのにこれだけ切なく聴かせられる手腕に脱帽します。
そして、そここそ芦川がイーノの音から学んだものなんだと実感させられる。
「スティル・スカイ」はフルートの多重録音によるもの。
残響を多く残す中でゆっくりと長い旋律が絡む。録音状態の悪さがそこにさらに変調を加え
フルートとは異質な音に変貌させて、幻想的な空間にさらに手をかけていく。
「木陰の映像」を聴くと、その音響の理想はイーノのような環境音楽を嗜好していたことがよくわかる。
ほとんど電子音にも聴こえるフルートの動きが、ピアノとヴィブラフォンの滴りに揺れ動く。
「リンクル」、演奏者すら不明のホワイトノイズがかかる録音ですが、
音楽の東洋的なイメージを保ちつつ、ふわふわと背景に漂うミニマルさは変わらない。

たまらなく淡い、ミニマリズムやアンビエントを好む人間には絶対に知っておいてほしい一枚。
なのに、オリジナルLP・再発CDともに入手は絶望的な状況なのが残念でなりません。
高校からの友人であった藤枝守が解説に寄稿しています。
藤枝の音楽が持つ独特の淡さ・美しさは、もしかしたらこの芦川との交流によるものかもしれない、
そんなことも思わせる傑作。

「地と図」の関係が曖昧になった静かな音の風景。
その音の風景に耳をかたむけていると、その背後から、
芦川の音に対する謙虚さと繊細さが浮かび上がっている。
それは、自我の無効化という手続きをとりながらも、
結果として生み出された芦川自身の自我なのかもしれない。(藤枝守)




響きの現在II 石井眞木作品集
Black Intention III Op.31, Nachtklang Op.82, Hiten-Seido II Op.55,
A Gream of Time Op.53, Lost Sounds I Version B Op.32

Aki Takahashi,P.  Akiko Suwanai,Vn.  Mutsuko Fujii,Marimba  Nachiko Maekane,Marimba&perc.
Ayako Shinosaki,Hp.  Isako Shinosaki,Vn.  Yasunori Yamaguchi,Perc.
Fontec  FOCD3111

フォンテックの石井眞木シリーズその2。
「ブラック・インテンションIII」は高橋アキのために作曲された、
最大4声の違うテンポをもった動きを同時に演奏しなければならない難曲。
聴いた印象では非常に美しい旋律的な作品ではあるけれど、そのリズムは奇妙にゆらぎがある。
ヴァイオリンソロのための「夜の響き」は第4回日本国際音楽コンクールの課題曲。
西洋的な構成の中に、どこか東洋的なものを感じ取れる旋律線。
マリンバ二重奏のための「飛天生動II」は石井のお気に入りの飛天を描く壁画に感銘を受けたシリーズ。
力を思わせながらも優雅さを損なわないように作られた、トレモロの印象的な曲。
ハープのための「ア・グリーム・オブ・タイム」では、彼が自由に
ハープのための新しい技法を用いながら独自の世界を築いているのがわかる。
新しい調性、非連続的な音楽、引用の影から浮かぶ、古代的な音の変形です。
ヴァイオリン、ピアノ、2x打楽器のための「失われた響き」では、
タイトルの示す調性と前衛が融合することで新たな音楽空間を作れないかという試み。
ヴァイオリンの延々続く無限旋律と、旋律群・音響群が静かに絡み合う。
ブラック・インテンションIIIが一番楽しかった。まあリズミカルだものね。



伊福部昭 -作曲家の個展
シンフォニア・タプカーラ、管弦楽のための「日本組曲」

井上道義指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団
録音:1991年9月17日
Fontec  FOCD3292

自分が伊福部昭のCDの中で一番聴いているもの。
「タプカーラ交響曲」は代表作だけあって録音も多いですが、これが一番聴きやすいと思います。
熱狂的ですがそれでもきちんと纏まっていて、冷静な鑑賞状態でもきちんと聴ける。
独特のもの悲しげなメロディー、聴き手の心をゆさぶるオスティナートのリズム感覚、どれも逸品。
「日本組曲」は初演のライヴ録音ですが、これ以上に端正かつ熱狂的な演奏はないと思いますね。
チェレプニンと趣を同じく1曲目、盆踊が特にお気に入り。彼独自の強烈なリズムに管弦楽が図太く踊りを舞うのが凄まじい。
というか、トロンボーンに5連符で伴奏をごりごり吹かせる伊福部の感性が凄すぎる。
この演奏が全体的に一番打楽器とトロンボーンの吼え方が良いです。しっかりと主張しながらオケの一部に混じっている。
どの楽章も自然な流れで聴き手を興奮させてくれます。佞武多の後半、執拗なオスティナートなんか熱狂しすぎて涙出そう。
編曲とはいえ最初から伊福部は伊福部だったんですね。
伊福部を聴きたいならまずはこれ。伊福部を語るならまずはこれ。伊福部にはまりたいならまずはこれ。



伊福部昭の芸術5 楽

ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲
ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲

館野泉、ピアノ 徳永二男、ヴァイオリン
大友直人(交響曲)・広上淳一、指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
1997 Firebird  KICC 179

伊福部昭を最初に意識したのがこのCD収録の協奏風狂詩曲と「ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ」でした。
その強烈なリズムともの悲しげな民族調に魅せられ、それ以来何かと意識する作曲家です。
彼の作風は言わずもがな強烈な個性を放っています。最初期の「ピアノ組曲」からしてもう丸分かり。
その中でこの曲はちょっと違った雰囲気を持っているように思います。
冒頭のあたりなどは特に、静けさをこの曲から私は感じ取るんですね。
まるで夜、一人で高台の平原にいるような、そんな凛とした感覚。
だからこそ、私は流星群を見るときはよくこの曲をBGMにしています。こんなの俺だけだな、きっと。
ゴジラの元ネタ、という印象はあんまりありません。(あ、出てきたな)って程度。
協奏風交響曲も面白い曲。ガチガチした趣の、やっぱりパーカッシヴなピアノの協奏作品です。



伊福部昭の芸術 6  亜 -交響的エグログ
バレエ音楽「日本の太鼓」ジャコモコ・ジャンコ
二十絃筝とオーケストラのための「交響的エグログ」
フィリピンに贈る祝典序曲

本名徹次指揮、日本フィルハーモニー交響楽団 野坂惠子、二十絃筝
2003 King Records  KICC439

キングレコードの伊福部作品集第6弾。
「ジャコモコ・ジャンコ」はメジャーな曲ではないですが、なかなかどうして良い作品。
ここでもやっぱり彼らしさ全開。1曲目は重々しい舞曲、2曲目は緩やかな楽想と重厚な行進の交差。
3曲目は荒々しい太鼓と素朴なクラリネットのメロディー。4曲目は1曲目の雰囲気と大体同じ。
伊福部氏の映画音楽が好きな方は是非聴いてみてください。ゴジラ系の音楽とも印象の似た音楽ですから。
自作自演盤よりは結構早い。ただ、これはこれで盛り上がれる・・・というか自作自演が遅すぎる。
曲の概観がすっきり見通せる格好のいい演奏です。熱気は無いけれど整理された興奮があって楽しい。
「交響的エグログ」も30分近い単一楽章の大作。急緩交互に現れますが、どちらも独特の高尚さが心地よい。
この録音はメリハリが効いている上に綺麗に落ち着いた纏まりで素晴らしいです。惜しいのは最後の盛り上がりが弱いくらいかな。
EMIはユーメックスから出ていた井上道義指揮京都市響の演奏もダイナミックな録音で素晴らしい演奏だが、個人的にはこれに軍配。
「フィリピンに贈る祝典序曲」は最近になって楽譜が見つかった蘇演作品の一つ。
ピアノが重要な役割を占める、この時期の伊福部らしいメランコリックさを持った曲。
演奏は落ち着いたものだが上手く纏まっていてとても上手い。ダイナミックさも卆寿記念のライヴより良い感じ。



伊福部昭
日本狂詩曲・交響譚詩・古代日本旋法による蹈歌

阿部保夫、ギター  東京交響楽団  山田和男、指揮
東芝EMI  CZ30-9017

昭和37年が初版なLPの復刻版CDを入手。1962年録音。
確かに録音具合は今に比べたら分が悪いけれど、そんな大した不具合はないです。
「日本狂詩曲」の演奏は同じ演者でもFontecのライヴが圧倒的に有名で
確かにぶっ飛ぶくらい激しいけれど、こちらも負けず劣らずかっこいい。
落ち着いた(というか地に足着いた)テンポで見事に聴かせてくれます。
この音の一つ一つに熱気がこもったような、(録音にも由来する)硬い音が実にすばらしいです。
「交響譚詩」も初演者コンビなだけあって手慣れているというか、魅力をしっかり押さえた演奏です。
溌剌としながらもどこか俯き加減な悲しさを感じる第1楽章とか、演奏はシンプルですが力があって良い。
ちょっと演奏者個人の力量は怪しいところもありますが、それでも魅力のある録音。
「古代日本旋法による蹈歌」はあんまり知名度がない曲ですが、
この演奏は録音も近くなかなかダイナミックに聴けるのがうれしい。
いかにも昔の録音らしい演奏と状態ですが、とても楽しめました。



Hiroshi Ohguri
Violin Concerto, Fantasy on Osaka Folk Tunes,
Legend for Orchestra -after the Tale of Ama-no-Iwayado, Rhapsody on Osaka Nursery Rhymes

高木和弘、Vn.  大阪フィルハーモニー交響楽団  下野竜也、指揮
2002 Naxos  8.555321J

大阪の作曲家といえば大栗裕(1918-82)。「大阪のバルトーク」たるエネルギッシュな音楽は時折聴きたくなる。
「ヴァイオリン協奏曲」、第1楽章は祭囃子を思わせる小太鼓といかにも日本的な主題の掛け合い。
中間部のカンタービレ以外は音楽の要所が太鼓のリズムで展開する、民謡的で精力的な音楽。
古い大阪のわらべ歌を主題にした第2楽章、阿波踊りのリズムを下地にした活気ある第3楽章。
特にこの第3楽章のような民族的な祭典の音楽がいいです。
「大阪俗謡による幻想曲」は親友でもあった朝比奈隆の持ち曲としても有名な曲。
彼の海外公演のために作曲されただけあって、かなり明快。
神道かなにかの儀式を思わせる序奏からだんじり囃子の騒々しいアレグロへ。
獅子舞踊りの旋律も絡み、間に休憩のようなオーボエのパッセージが入りながらも
ひたすらに土俗的な日本・大阪のお祭り風景が繰り広げられます。
うん、これなら外山の「ラプソディ」ばりに海外受けするだろうなあ。
なお、「神話」は吹奏楽版が最初ですが、この曲は管弦楽版のほうが先。
「管弦楽のための神話 -天の岩屋戸の物語による」は上記と並んで彼の代表作と言えるでしょう。
アマテラスが隠れ闇に包まれた世界から始まり、神々が物々しく相談を始める。
その盛り上がりの末鶏鳴(トランペット)が鳴り響き、アマノウズメを踊り手とした激しい饗宴が始まる。
この5拍子の粗野なリズムに乗せた展開が否が応にも盛り上がります。
中間部、隠れたオモイカネが外を訝しむ木管のモノローグをはさみ、宴会は最高潮に達する。
それに我慢できなくなったアマテラスが岩屋戸に隙間を開けた瞬間、タヂカラオが思い切りこじ開け世界に光が戻り終曲となる。
個人的には大栗作品で一番好きなんですが、吹奏楽では「大阪俗謡」とかのほうが圧倒的によく演奏されるので寂しい。
「大阪のわらべうたによる狂詩曲」、西洋的な祝祭ファンファーレと土俗的な神道的音楽で幕をあけ、
わらべうたが軽快に跳ねる主部になる。子守歌の優しく歌う中間部を経て、
土俗的な音楽と西洋的な洗練された楽想が一体になってコーダへと向かう。
演奏はちょっと物足りないところも多いけれど、まずまずの出来。



権代敦彦
薔薇色の肖像
Father Forgive, Rosario, Agnus Dei/Anus Mundi I&II

新日本フィル&小松和彦  向井山朋子、ピアノ  東京混声合唱団 ほか
Fontec  FOCD2543

クラウス・フーバー、フィリップ・マヌリ、サルヴァトーレ・シャリーノらに師事、IRCAM在籍。
カトリック教徒で、教会のオルガニストでもある権代敦彦(1965-)の作品集。
管弦楽曲「Father Forgive〜The Litany of Reconciliation〜 + In Paradisum」では
鐘が打ち鳴らされ、金管の咆哮に朗読がイエスの最後の言葉を叫ぶ。
緊張感を持った半音階の上昇とフルスタ。ピアノの切実な祈り。強烈な力を持ったバスドラム。
「Rosario〜薔薇の形をした詩による祈りの花環」はテープを伴った室内楽。
ピアノのパルス的な反復にチェロの半音階を中心とした動き。
テープの声の神秘的な響きに乗せて、メゾソプラノがシェイクスピアのソネットを歌う。
「Agnus Dei/Anus Mundi I&II」は混声合唱、ピアノ、打楽器のための作品。
ピアノの重苦しい足音に乗せ、合唱がパウル・ツェランの詩を歌う。
執拗なまでの同音連打と、ツェランの戦争体験に基づいた詩が共鳴して響き渡る。

どの曲も、非常に緊張感が高く、音がそれ自体に激しさを持っている。
さらにその反復を基調とした作風は、とても自分の好みに合いました。
まるで神に対しての救いを求める叫びのような、そんな独特の宗教的世界観を持った音楽たち。
彼の曲をまともに聴いたのはこれが初めてですが、かなり気に入りました。



権代敦彦
きらめく光のとき -祈り
When the Light Shines -a prayer  a collection of Works by Atsuhiko Gondai
Via Crucis/Via Lucis, Crazily,Crazily,I too aspire to Light, Via Crucis,
Fuga/Stretta, Vom Himmel hoch, da komm'ich her, Twillight Zone

Kaori Nakajima,Piano
2004 ALM  ALCD-63/64

2枚組のピアノ作品集。権代敦彦(1965-)ももう随分有名になってきた。
「十字架の道/光への道」は7音からなる上昇音階をテーマにして拡大と収束を繰り返す。
きらめくようなその音の動きが飛び回り、果てなく続くかのように進んでいく。
なんていうか、いい意味でメシアンみたいな和声を連想する。
「狂ったように、狂ったように、私も光を求める」は韓国のカトリック詩人金芝河の言葉を
インスパイアして作られた作品。タイトルも彼の言葉をもとにしています。
こちらもやはり上昇音階を基本構造にして作っているので聴いた感じは大差ない。
中間部のパルスに収束する部分はいかにも彼らしい。
調性的で美しい、祈り叫ぶようなコーダで締めるあたり、メッセージ性を強く追及しているのがよくわかる。
「十字架の道」は権代初めてのピアノ作品。重苦しい冒頭から始まり、
声や打撃音も多く混ぜながら終始低音の中でもがき苦しむ様子が続く。激しい内部奏法などは
暴力と血、暗い世界の中の混沌を示し、そこから必死に救済を叫ぶように
「フーガ/ストレッタ」はパウル・ツェランの詩を表出したような作品とのこと。
それだけに、こちらは随分音楽の変化が(フーガとあるとはいえ)劇的で場面転換のような移り変わり。
数字を唱えたり半音階の進行はこの時期の作品の特徴、というか
同作家の詩を使っている点も含めて「Agnus Dei/Anus Mundi I&II」に近い。
「高き天より我は来たれり」は同名のバッハの作品をもとにした変奏曲。
言われればそんな気もするけれど、やっぱりお得意の7音の音階をベースにした展開なので
他の曲とそこまで印象は違いません。でも、天から降り注ぐようなきらきらした音は美しい。
「青の彼方へ」は青色の持つ象徴性をもとにして作られた作品。
高音トリルと低音打撃の交差する神秘的で美しい曲。この中で一番気に入ったかもしれない。
衝撃的な展開や調性的で美しい瞬間などが溶け合い、彼我の世界を曖昧にする。
やっぱり権代の曲は自分の趣味に合っていて好きですね。聴いていてとても楽しい。



佐藤聰明
日-月

皎月、燦陽、風の曲

中村明一、尺八  宮下伸、箏・十七絃
FONTEC  FOCD3189

佐藤聰明は結果として聴きやすい現代音楽を書いている一人でしょう。
これの帯にグレツキやペルトが引き合いに出されてましたが、その感覚もうなづけます。
曲がかもす独特の感覚は、上記作曲家たちのような西欧とは異質のルーツが基ですね。
そこがヨーロッパ、あるいはアメリカの人々にある種の瞑想感覚、さらにはエキゾチシズムをもたらすのでしょう。
個人的には、聞こえてくる音はグレツキあたりと全然違うと思うんですけれどね。
彼の曲は、少人数編成の方が気に入っています。
オケとかの曲もいいんですが、どうも和音が単純すぎてややチープさが出てきている感じ。
このCDではその面、間を強く意識した鋭い作品たちが収録されています。特に1曲目、「皎月」が素晴らしい。
ゆったりと舞を踊るかのような尺八に、花びらが落ちるかのようにそっと箏が添えられる。
聴いていて、(ああ、自分はやはり日本に根を持つ人間なのだな)と思いますね。
オケ作品とか聴いてるとどうも西欧風味が鑑賞の邪魔をしてしまう気がする。
あれはあれで良い作品だとは思うんですけれどねえ。
あと初期作品の再発とかしてほしいな、曼荼羅の三部作とか。



佐藤聡明
沈黙の淵より、炎える瞑想、峡谷、季節

ヤナーチェク・フィルハーモニック Petr Kotik,Cond.
2004 mode  mode 135

佐藤の管弦楽作品集。
「From the Depth of Silence」は鐘の響きがオーケストラを超えて聴こえてくるその感覚が心地よい。あまり出番無いけど。
「Burning Meditation」は低い音が主体になっている上、いつもよりほんの僅かに動きがある分緊張感あって好き。
「峡谷」は間が比較的多い。音が重なる瞬間が少ない分透明度が増します。
「季節」の和音を聞いていると、内部が単純ではなく、精緻に編みこまれた和音であることが実感できますね。
この人のオケ作品はオケと言いながら金管がまず登場しない。してもトランペットだけ。まあ当然とは思うが。
綺麗な東洋的瞑想を体現化している良い作品だとは思うけれど、どうも弛緩した響きが気に入らないです。
なぜどうしても自分が緊張を保てないのか、自分でも不思議な思い。



佐藤聰明
リタニア
The Heavenly spheres are illuminated by lights,
Birds in Warped Time II, Incarnation II, A Gate into the Stars, Litania

Margaret Leng Tan,P. Lise Messier,Sop. Michael Pugliese,Perc. Frank Almond,Vn.
1988 New Albion  NA 008 CD

「宇宙(そら)は光に満ちている」はピアノと打楽器が伴奏のソプラノ歌曲。このメロディアスさはちょっと吉松隆的。
長く伸びていく、仏教歌を歌うソプラノにピアノのアルペジオが絡み、特殊な打楽器がメインとなり華を添える。
これはかなり良いですね、なかなか劇的ですし。
次の「歪んだ時の鳥たち II」もヴァイオリンとピアノで似たようなことを行った感じ。
特にピアノはトレモロのような音形をひたすらふわふわと奏し続けています。
「宇宙は〜」よりは終始落ち着いているので落ち着いて聴けます。ただ自分には逆にきつい。
「化身 II」は穏やかなピアノのトレモロで開始。それがディレイされた音と同時に奏でられる。
実際の音とディレイされた音は混ざりながら、決して判別不能になることはなく並立して進んでいく。
ただひたすら同じ音形で繰り広げられる和音の盛衰。ストイックでどこかノスタルジックな響きが素晴らしいです。
「星の門」はディレイのような加工無しのピアノソロ。非常に音数少ない、広さを感じさせる綺麗な作品。
フィンクや、ピーター・ガーランドの初期作品みたいな簡素さで気持ち良い。
「リタニア」の冒頭は「化身 II」と同様ですが、これはそれよりずっと内向的で暗く力を持っている。
それがだんだんとクラスターに発展し、暴力的な音響となって聴き手に襲いかかります。
ペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」が解説で引き合いに出されていますが、たしかに分かる。
佐藤のイメージとはちょっと違う力強い曲。でも端々で”らしい”部分は見られます。
最初に彼が書いた作品、これはこれで素晴らしい音の世界でした。これがあんなゆったりした音に変化するんだなあ・・・



佐藤聰明
Mantra, Stabat Mater

Jane Thorngren,Sop.  Pro Arte Chorale  George Manahan,Cond.
1988 New Albion  NA 016CD

「マントラ」、砂のようなさらさらした電子音がかすかにゆらめいて近づいてくる。
佐藤自身の声によって、さらに音が薄くかぶさっていく。
その穏やかな、ささやくような声の伸びは、とてもストイックに、しかしその限られた中でバラエティを見せてくる。
ゆったりと起伏を持ってうねりをつけてくる持続音たちに、聴き手はいつしか果てない瞑想にとらえられるような錯覚を覚えます。
まるでEliane Radigueの音楽でも聴いているような、あの神々しい空間が広がります。
「スターバト・マーテル」も、編成は合唱とソロですが、傾向は似た音楽。
ただし、こちらは不協和音や強奏部分を用いて、かなり緊迫した雰囲気を作り出しています。
そこには、作曲者がイメージしたアフリカの飢饉にあえぐ母子の姿の投影が見えます。
やがて現れるソプラノ独唱は、孤独にその声を響かせる。
こういう厳しい作品は好きです。佐藤はこういう音楽の方が良かった・・・かも。



佐藤聰明
太陽讃歌
Litania, Mirror, Hymn for the Sun

Somei Satoh,Piano
2009 ALM  ALCD-11

今や大作曲家となった佐藤聰明の初期作品集、ようやくのCD再販でリリース。
「リタニア」のほうは、すでにNew Albionからのリリースで有名ですね。
美しくも力のある、そして激しさと無常さをもってひたすらに鳴り響く。
ここでの自作自演は、マーガレット・レン=タンの混沌としたものと異なり非常に粒がはっきりと聴こえてくる。
もちろん録音環境の違いも大きいけれど、この硬い音からは彼がこの音楽に託した「宇宙の真諦」を
感じ取り、また当時(オリジナルLPは1976年)の無名さからの脱却を予感させるものをはっきりと感じ取れます。
「鏡」は3パートの多重録音による作品。はっきりと記譜されている2パートと、それらに反応して自由に変化しうるパート。
E音を明確に中心としたフリギア旋法により、美しくゆらめくピアノたち。
切り詰められた響きは、このCDの中では音響的には比較的後年に近い感じでしょうか。
「太陽讃歌」の技法は、基本的に「リタニア」と同じ。トレモロの多重録音。
ただ、「リタニア」がFメジャーを核としていたのに対し、こちらは旋法を元にした開放的な響き。
「太陽のコロナのような」その音のゆらめきは、近年の作品を十分に予感させるもの。
彼の音楽性における旋法の重要さを改めて実感しました。
それにしてもこの素晴らしい作品がCDで聴けるようになって本当に良かった。
この勢いで、他のLPも再発して欲しいなあ・・・
ライナーノーツは76年のものを転載していますが、それを読むと当時と現在の
佐藤に対する捉え方の変化が非常に良くわかって面白い。
反復が根底にあるのは大きく変わらないけれど、なにしろ今の新作で「暴力的な音響への嗜好」なんて考えられない。
もちろん語法的・思想的には一貫しているけれど、ずいぶんとその表現方法を変えたものだなあと感じいります。



Mieko Shiomi
The World of Sounds and Words
If We Were a Pentagonal Memory Devaice, A Trick of Time Part II,
Billiards on the Piano, An Incidental Story on the Night of a Lunar Eclipse #1

Collegium Vocale Koln  Aki Takahashi,P. etc.
fontec  FOCD2568

フルクサス日本勢としての印象が強い塩見允枝子の作品集。
「もし我々が五角形の記憶装置であったなら」は、5人の歌手がそれぞれ5つの母音を持つ英単語を
記憶装置のごとく歌っていくことからのタイトル。
後半には質疑応答やアリア歌唱なんかも混じってストーリー性を作り過激的な世界の拡がりを意図しているそう。
ただ、なんも考えなしに聴いていると、逆に脈絡ない感じがしてしまって奇異。
もちろん、聴いていてリズミカルな楽しさもあって面白いですが。
「時の戯れ Part II -高橋アキに捧げる」はピアノ2台とバリトン、チェロによる作品。
二つのメトロノームが刻むリズムにしたがってピアノが入り乱れ、バリトンが様々な言語・内容をばらばらに話す。
第2楽章はショパンのエチュードがばらばらに分解変形されていく中バリトンがさらに過激にテキストを歌う。
第3楽章はバリトン主導の場面もいろいろ見受けられながら、さらに音楽の流れが曖昧で意味が分からないものになっていく。
なかなかスリリングで音響的にも派手で楽しい音楽です。
「ピアノの上のビリヤード」は藤枝守の技術協力による作品。
ピアノの弦上にビー玉を敷き詰め、鍵盤はすべて1度ずつ叩かれる。
そこに合図でビー玉をキューではじくパフォーマーがいて、さらに音をはじけさせていく。
ビー玉が偏った場合はビームと空操作で実際のビリヤードの音が流れるあたり面白い配慮。
音の配置は十二音技法だけに、シューマンの引用があるあたりは皮肉。
「月食の夜の偶話 第一話」はバッハのパルティータ第4番をベースにしたものがたり。
テキストが出来事に沿った内容を話、クラリネットが道化の役割として端々で割って入る。
ピアノは原曲を時にはかなり崩し変化をつけながら話を引っ張っていく。

なるほど、劇的な要素強いものばかりですが、フルクサス作曲家というのは偏見でしたね。
特に、高橋アキに献呈された2曲目は非常に面白かったです。



Hihumi Shimoyama
Saikyo(Chromophony),Wave,Concerto for Violoncello,Zone

Hideki Kitamoto,Vc.  Misen Loge String Ensemble  Kunitaka Kokaji,Cond.
Tokyo Philharmonic Orchestra  Hideomi Kuroiwa/Shunji Aratani/Kazuhito Komatsu,Cond.
Vienna Modern Masters  VMM 3033

青森は弘前出身、松平頼則に師事した下山一二三(1930-)の作品集。主に70年代の作曲。
ヴァン・デ・ベート主宰のレーベルから「Music from Six Continents」の1995年シリーズとして登場したもの。
管弦楽のための「彩響」、むちの一打を合図に、重々しく荘厳に音の重なりが広げられる。
カンディンスキー、スーラージュやアルトゥングといった画家の作品の影響を受けたというように、
彼の作品にみられる色彩的なきらびやかさがよく見て取れる作品。
音色と、音の持つ緊張感のバランスに特に注意が置かれています。
チェロ、弦楽器、打楽器、ハープとピアノのための「WAVE」はB.A.ツィマーマンのチェロ協奏曲が
きっかけの一つとして書かれた、チェロ協奏曲に位置づけられる作品。
弦楽器の甲高いわななきから、独奏の、津軽三味線を思わせるかのような激しい響きが生まれ出る。
この弦楽器と打楽器によるモノクロームな世界は、津軽の冷たい水しぶきのよう。
一方、その12年後に書かれた「チェロと管弦楽のための協奏曲」は編成が大オーケストラになり、
色彩を豊かにしたかわりに響きが丸くなって、結構伝統的な音楽語法が見えるようになります。
「Wave」にあった、あの荒びきった身を切るような感触はなくなり、
対照的に旋律的な動機がいくつも現れて流れていく。たしかに「耳あたりがいい」。
ただ、個人的には以前の方が凄みを感じる。聴いてて楽しかったとも思うけれど。
16弦楽器のための「ゾーン」は1970年作なので、けっこう初期にあたるもの。
このCD中で一番小編成で短い作品ではありますが、その音響の激しさと攻撃性、緊張感はほかと全く聴き劣りしないもの。
中編成独特の響きが、この作品に不思議な暗さと空間性を見せてくれる。
下山作品は、同い年の武満とアプローチは反対の方角を向いているようでいて、
結果聴くことができる音響の豊かさとそこから得られる楽しさは同じものの気がする。



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