作曲家別 た-

姓のあいうえお順。



高橋裕
シンフォニック・カルマ -高橋裕 管弦楽作品集
Sinfonia Liturgica, Prajna-naya Symphony
Symphonic Karma, Furai for Sho and Orchestra, Piano Concerto

Jerzy Swoboda,Con.  The Silesian State Philharmonic Orchestra
Koh Ishikawa,Sho  Akiko Ebi,P. New Japan Philharmonic etc.
1997 Denon  COCO-80778~9

東京芸大卒、池内友二郎、松村禎三、黛敏郎に師事した高橋裕(1953-)の管弦楽作品2枚組み。
「シンフォニア・リトゥルジカ」は大学院卒業のときに書かれた初期の作品。デビュー作。
冒頭の金管による、ユニゾン主題の力強い咆哮。異国風の旋法と反復性に基づいた、東洋宗教的な緩徐部分。
強烈なリズム・オスティナート性と、ほぼ大体ユニゾンで進む旋律。
確かに、神秘性・宗教性を感じはしますが、まだきちんとした古典的な音楽の範疇に収まっている気がする。
そのため、素直な気持ちで30分の大曲を楽しむことができました。
「般若理趣交響曲」は、黛の「涅槃交響曲」からの系譜に位置づけられる、合唱つきの作品。
ただ、経文はあくまで内容重視、音楽性はあくまで比較的スタンダードな合唱つきの交響曲。
先ほどよりも旋律の美しさが強調された、極彩色の音楽。
世界仏教音楽祭のコンクールで1位をとっただけのことはある。
「シンフォニック・カルマ」は第1回芥川作曲賞を受賞した、作者の代表作品。
似た方向性ではあるものの、前2曲に比べ音の練り方が格段に上がっています。
単純に、ポリフォニーを多く使っているという点もありますが、音一つに対する意識や、その重みが違う。
笙と管弦楽のための「風籟」では、彼の曲の美しさ、瞑想性が堪能できる。
笙の静かなソロに始まり、徐々に楽器群が加わって厚みを増していく。
次第に力を持って、打楽器を含め山を作った後、また静かに笙の独奏へ戻っていく。
「ピアノ・コンチェルト」は、梵鐘や太鼓の一打の余韻の様な、瞬間と間を意識した作品。
ピアノのクラスターが構造の中心となり、めずらしくシリアスな倒錯感で音楽が進行する。
全体を通して、秘教・神道の影響が濃い、けれどカタストロフィのある盛り上がりのある作風。
確かに表題曲の出来が一番良い気がする。他もピアノ協奏曲以外は大体気に入りました。
演奏は、シレジアン・フィルが荒いものの、一番音の豊かさを確認できてよかった。
日本のオケは、綺麗に纏まっているけれどこういう曲を派手に聴かせられないのが残念。



武満徹全集

(曲目、演奏者等省略)
2002 小学館

ついに買ってしまったこの全集。これだけで自分の狭い部屋の空間が思いっきり圧迫されます。
まずは第1巻の管弦楽作品。
CD1。「弦楽のためのレクイエム」は岩城宏之とオーケストラ・アンサンブル金沢によるもの。
艶めかしく豊かな響きに鋭い和声が内包された、実に素晴らしい演奏。
その翌年、「黒い絵画」は林光・入野義朗とのオムニバス作品のパートですが、
秋山邦晴の詩による朗読がかぶさるこの初演音源で聴くと、実に初期ラジオ作品風。
あのオメガ・ポイントからリリースされている一連の作品みたいな独特の世界。
クラヴィオリンという電子楽器が使われている点も、その印象を強調する。
「ソリチュード・ソノール」も初演音源ですが、さすがにこれは近年の方がいいかな・・・
鐘の響きを想像して作られた音楽だから、その内包する世界とは別にそのタケミツトーンを重厚に満喫したい。
「シーン」、全集にも情報がないくらいマイナーな曲。でもその自由なチェロ独奏のゆらめきは十分に素晴らしいと思うんですがねえ。
「樹の曲」は唯一、大江健三郎と関係ない、タイトルに「樹」がつく作品。
点描的な瞬間のかがやきが幾重にも折り重なる楽想は非常に好みです。
「環礁」はこうして聴くと、前衛的・点描的で非旋律的な動きが多くなりだした頃の曲なんだ。
けれどその音の蓄積は傑作と言って問題ないもの。じつに幻惑的な響きです。
その後に「弦楽器のためのコロナII」で武満の音への実験性を体感したら
「アーク」の第4曲とされる「テクスチュアズ」で繊細な響きの頂点へ。この個人から生まれる
些細な響きの違いによる緊張感が武満独特の和音と同期する瞬間、たまらない。
「地平線のドーリア」、この旋法と東洋世界、そして武満の音楽を組み合わせた作品も初期の傑作。
個人的には一番好きです。ビブラートなしで奏される、うつろいゆく幻想的な音達。
CD2。「弧(アーク)」は彼のそれまでの集大成として内部にまた別の曲をいくつも孕んだ大作。
不確定性と記譜音楽の同居する、実に長いスパンのまさにアークのような作品。
そしてフォルテとリズムに満ちた武満の音楽が聞ける(リフレクション)珍しい作品でもある。
「グリーン」の印象主義に想いを寄せた官能的な動きは、同時期の「ノヴェンバー・ステップス」と対比的。
でもこういう旋律的な美しさは後期の予兆のよう。コーダが非常に印象的。
そしてその「ノヴェンバー・ステップス」。小澤征爾&サイトウキネンの89年音源。
武満を世界のタケミツたらしめた有名作。この演奏は非常に安定しています。
「アステリズム」は、個人的にはタイトルからケージの「コンステレーション」の考えを想起させます。
無関係ではないけれどはっきりと繋がっていない曖昧で微妙な絡み合い。
そこから与えられる非現実的な時間・空間の感覚が同質であることを示唆するような音楽。
初演の高橋悠治のピアノ含め、緊張感に満ちた演奏で素晴らしい。内容も珍しくクラスター全開の部分もある。
CD3。「クロッシング」はExpo'70のための音楽。第1部と題されていますが、以降が作られることはありませんでした。
こういう2群のオーケストラとかを使う曲は、生演奏のような音響効果がそのまま聞けないのが残念すぎる。
「ユーカリプスI」になると、また響きが印象主義的なマイルドさが顔をのぞかせる。樹のシリーズだから、というのは関係ないか。
ホリガーに限らず、たしかにオーボエはささくれたノイズになるけれど、これが見事に柔らかく聴こえる。
「カシオペア」のシアターピース的な側面を見れないのも残念ですが、初演者であり
演奏を念頭に置かれたツトム・ヤマシタの音源が収録されていてその内容も素晴らしい。暴力的なのにどこか神秘的。
メシアンさえ呻らせるオーケストレーション、「冬(ウィンター)」。短くても、本当に美しいとしかいえない響きが聴ける。
「秋」でも、編成としては「ノヴェンバー・ステップス」の続編であるものの内容は相当に豊かな響きに重きが。
構成、音響ともに独特の雰囲気を持った作品。

CD4。「ジティマルヤ」、「旋律の花束」という意の通り、メシアンを思わせるような音列が武満和音の草原の上に咲く。
色彩がさまざまに塗り重ねられる、マリンバソロのある音楽とは思えない水のような流動性。
「秋庭歌一具」、この時間を止めるような木鉦の冒頭から笙が入ってくるあたりですでに神秘的すぎる。
先に作られた「秋庭歌」の見せる世界は特に素晴らしい。これが晩年の「セレモニアル」に繋がるんだ・・・
「カトレーン」、初演後はアメリカで随分とブームだったらしいですが、たしかに厳しい美しさは圧巻。
CD5。「マージナリア」における独特の打楽器の響きがたまらなく魅惑的。
ここらから前衛性と豊かな響きを同時に聴ける、武満の円熟期作品が続きます。
「鳥は星形の庭に降りる」のダイナミックで5音音階に支配された音楽はまさに圧巻。
「遠い呼び声の彼方へ!」は何故某クラシック漫画でさらりと記述があったのか未だに理解出来ない。
ベルクのような雰囲気が特に強い、内省する傾向が特に高い曲。
海外での批評は辛口が比較的多いようですが、そんな悪い曲ではないと思うんだがなあ。
「ア・ウェイ・ア・ローンII」は前作と同じく「フィネガンズ・ウェイク」からの引用。
弦楽合奏版だと、そのゆらぎもだえるような和音がとても妖艶です。ただ、これだけ海外の演奏者なのも聴いてすぐわかる。
「海へII」、自分的に武満室内楽のベスト作品の弦楽オケ伴奏。
こうして豊かな響きで聴けると、本当に幻想的で時間があっという間に過ぎてしまう。
CD6。「夢の時」は短い旋律が幾重にも折り重なり、情景的な移り変わりをはっきり見せる。
「雨ぞふる」、その和声の繊細さはドビュッシーを強く想起させ、アルトフルートの活躍する楽想は夜の海を見ているよう。
「星・島(スター・アイル)」、不協和音の主題が夢見るような楽想に溶けて立ち上る。
5度音程の印象的な「夢の縁へ」、こういうのは個人的に凄くいい。スペイン的音楽の暗示、ラヴェル風音響、武満独特の黄昏感覚。
「虹へ向かって、パルマ」はその対をなす作品。当然もっと好き。ギターとダモーレの音がもうたまらない。
三連音の動きの独特な民謡的演出も相まって、非常に美しい夢のような音が聴ける。
CD7。「オリオンとプレアデス」、チェロ独奏が非常に活躍する、協奏曲的な対比がわかりやすい音楽。
「リヴァラン」、アメリカ初演とドイツ再演の批評の温度差を見ると、いかに武満の音楽は理解が難しいか分かる。
構造的な面から見ていくと、実に曖昧すぎてなんら展開的な要素もない。劇的でもない。
この音楽が持つ、淡い夜の静けさを描いたような絵画的な特性をどうとらえるか。あとこのピアノ、ちょっとジャジー&クラシカル。
「夢窓」、内と外の混在を図る、ハープやギターなどの減衰音が美しくきらめく音楽。
アメリカで喝采を浴びるのもうなずけるゆらめき。
CD8。「ジェモー」、武満がそれまでの「甘ったるい音楽」への反省としてこの作品を書いたのは
この曲の第1部が15年前に作曲されながら発表できなかったことからか。
たしかにその音の厳しさは60-70年代の作品のようなものも忍ばせるけれど、やっぱりもうこのころは豊かな響きの方が多い。
「ウォーター・ドリーミング」は「夢の時」に続いてオーストラリア原住民をインスピレーション元にした曲。
彼のフルートさばきがよく味わえる、という意味では非常に彼らしい作品。
「ノスタルジア」、タルコフスキーに捧げるにふさわしい哀愁を帯びたヴァイオリン。
「トゥイル・バイ・トワイライト」、フェルドマンに捧げられたこの曲は、前の曲の性格をさらに強くしている。
そして構造的に限定的なユニットを「あや織り」のように組むことで、フェルドマンのような響きも取り入れている。
どちらも好きな自分にとってはそれこそ夢のような作品。お気に入りです。

CD9。「トゥリー・ライン」、室内オーケストラのための作品なのでこうして聴くとやたら内向的に感じる。
最も、実際あまり華やかな細かい動きは少ない印象。
「ア・ストリング・アラウンド・オータム」の妖艶な響きは、まさしくドビュッシーやメシアンに繋がるもの。
早くこの音源以外の演奏を聴きたい物。まあそこまで血眼になって探してないのが原因だが。
「ヴィジョンズ」、淡い濃淡を刻む2つの楽章。不協和が快感になるまで、この曲から入ると大変かも。でもいい曲。
「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」はそれと比べると実に甘くとろけるような、やわらかい響き。
イギリスの人が好んで比較するディーリアスにも非常に近い音楽だと思える。
C10。「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」、チベタンベルの遥かな響きとホルンや木管の歌が
風の様にたなびき、5人の打楽器独奏が絶妙に混じり合いながらチベット世界と武満の音を融合させていく。
様々にその姿を変える、異世界へ誘うような30分の大作。
「ファンタズマ/カントス」、ストルツマンの音が艶めかしく漂うところは実に曲想にマッチする。
そして、彼の音で聴くことによる、エリントンの影響を感じることの容易さ。
「夢の引用」、2台ピアノとドビュッシーのゆらめくような共演。特に武満の綺麗な響きが聴きたい時に最適。
CD11。「ハウ・スロー・ザ・ウインド」の抑制された響きの中の美しさは自分好み。
そこで「セレモニアル」にくるのがたまりません。個人的には断トツベストの曲。
5年前に初めて聴いて以来、何回聴いたかわからないこの音源。旋律的で美しく、幻想的。
ここからの「系図」というのがまたやばい。子どものための作品というコンセプトで書かれた
非常に旋律的で、武満作品の美しさが一番凝縮された音楽。とろけそうに甘く優しい。
「群島S.」の美しさは、是非オリジナルの5群に分けられた空間の中で溺れてみたい。
CD12。「ファンタズマ/カントスII」でかすかに聴こえるディキシーの記憶は
「理屈抜きの、純粋に感覚的な」音楽を書こうとする武満の、今と昔をつなぐものの象徴。
「精霊の庭」、メシアン的に感じるのはその独特のセリー構成か、旋律の多さからか。
「スペクトラル・カンティクル」、ギターとヴァイオリンが瞑想的で穏やかな音楽を歌い、
オーケストラが優しく呼応する武満最後の管弦楽曲。
「3つの映画音楽」は過去の自作編曲ですが、これを含めればこれが本当に最後のオケ作品。
リズミカルでいながらもどこか浮いたような地に足つかない非現実的感覚がたまらなく武満。

本当に武満徹の管弦楽作品は豊かな響きが美しい。
冬の布団のように、いつまでもその中に埋れていたい気持ちです。



武満徹全集 第2集

(曲目、演奏者等省略)
2002 小学館

CD13からは室内楽。
ピアノ独奏の「ロマンス」は18歳のときの処女作。はっきりとした調性(それもペンタトニックな響きが強い)
の中で歌われる、陰鬱な音楽の響きは、すでに武満の個性がにじみ出ています。
「2つのレント」は彼のデビュー作。「音楽以前」の評が有名ですが、この厳しい美しさは自分は好き。
そしてメシアンを知った後のレント2が、1と随分に違う構造なのもよくわかる。
ピアノとヴァイオリンのための「妖精の距離」、旋律的な美しさと和声の妙が実に初期の武満。近代的な耳でも聴ける。
ピアノの「遮られない休息」、より官能的な世界になり、第3曲の絵画的な美しさが印象的。
弦楽八重奏のための「ソン・カリグラフィ」、12音音楽の厳しさを武満世界に持ってきたような音楽。
このモノクロームな響きは、けれど実に「レクイエム」に近い音響を持っているように感じる。
フルート2本の「マスク」による曖昧な響きと時間の流れは、実に彼の世界にマッチする。
弦楽四重奏曲「ランドスケープ」の硬く冷たい響きは、中期の活動につながるもの。
「ピアノ・ディスタンス」のゆるやかで厳しい音の動きは、かなり前衛的です。珍しく点描的なイメージを持たせる曲。
CD14。「環(リング)」は初めて彼が図形楽譜を用いた作品。フルート、リュート、テルツ・ギター。
五線と図形を並列して用意し、強弱などの発想記号を演奏者が読み取っていく。
そして「ピアニストのためのコロナ」で彼の図形楽譜への探求は頂点を極めます。
杉浦康平との共作で創り上げた5枚のグラフィック・シートで、(この録音では)4台のピアノが長い共演を行う。
「犠牲(サクリファイス)」、アルトフルート、リュート、アンティーク・シンバルを伴うヴィブラフォンのための。
非常に内向的でありながら美しい楽想は、この時からすでにカナダで「ムード音楽」評がされるなど
武満作品の美しさが現れた作品となっています。
フルート二本、ヴァイオリン、チェロ、ギター、バンドネオン二台のための「ソナント」、初演放送の音源。
どこか散文的な動きにバンドネオンが持続的な流れを作り、新たな動きを作りだす。
ヴァイオリンとピアノのための「悲歌」は「遮られない休息」第3曲から発展したもの。
その表情は似つかないものだけれど、構造の暗示するものはどこか同じ根を持っている気がする。
尺八と琵琶のための「エクリプス(触)」、独特の図形楽譜を用いて書かれた、代表的な現代邦楽作品。
この長く暗く美しい空間は実にすばらしい。実は「ノヴェンバー・ステップス」よりこっちの方が好き。
「クロス・トーク」、バンドネオン2台による音の掛け合いに、テープによる鐘のようなエコーが入ってくる。
CD15。「スタンザI」、「クロッシング」第1部の独奏パートと言われた作品。
武満の言うように時間構造複雑に多様化し、そこにヴィトゲンシュタインの言葉が舞う。
「ヴァレリア」は「ソナント」の改作。ですがかなり変わっていて、基本構造を使用した程度と言えそう。
打楽器4パートによる「四季」、金属打楽器が互いに呼応しあい、静かでありながら実に緊迫した空間を作る。
図形楽譜の構造が演奏配置にも絡む、ぜひとも生で聞いてみたい曲。
不特定の打楽器奏者のための「ムナーリ・バイ・ムナーリ」、芸術家のブルーノ・ムナーリから贈られた
「Invisible Book」を下地にそのまま図形楽譜にしてしまった、色彩を非常に重要視した作品。
「声(ヴォイス)」、フルート独奏のための室内楽有名作。特殊奏法や同時発声は当時画期的なものでした。
オーボエ、フルート、ハープのための「ユーカリプスII」では、今度はオーボエの難しい技巧が存分に聴けます。
ハープとテープのための「スタンザII」、F#のドローンや鳥の声を背後にハープが舞う。
CD16。オーボエ(と笙)のための「ディスタンス」、笙の持続的な音の連なりは非常に電子ドローン的。
ピアノの為の「フォー・アウェイ」、初期の鬱屈さを持ちながらもさらにドビュッシー的に響く。
3面の琵琶のための「旅」、寂れた琵琶の対話が響く空間に感動できる日本人であることが素晴らしいと思えます。
低い弦の響きが空気と音楽を揺さぶる、静かでいて実に濃厚な15分の曲。
「ガーデン・レイン」は金管合奏でありながら極度に弱音しか使われていないことで微妙に有名ですね。
11歳の少女による幻想的な詩に基づいた、淡く繊細な緊張感に満ちた美しい音楽が広がる。
5度音程が広がっていく場面なんて、鳥肌が立ちそうなくらいに幻惑的。
ギターによる「フォリオス」、意外にもここでようやくギター独奏のための作品が初めて作られている。
3つの小品が組み合わさっった、最後には(武満が最期にも聴いていた)「マタイ受難曲」の引用もある曲。
CD17。フルートが指揮の役割を果たす「ブライス」、特殊奏法や特殊楽器が非常に多く使われ、とても幽玄な響き。
クラリネット、ホルン、トロンボーン2台とバスドラムの「波(ウェイヴズ)」の暗い海のうねりのような音楽は
武満には珍しいシリアスな音楽の様相を見せてくれます。これはこれでかっこいい。
「カトレーンII」はやはりメシアンの「時の終わりの〜」の影響がよくわかる。それに対して
「ウォーターウェイズ」は近い編成(どちらも初演にタッシが関与)でありながら広がり方が全く違う。
こちらはまさに水の流れが様々に渦巻くような、複合的な動きが多い。
「閉じた眼」、オディオン・ルドンの絵と瀧口修造の言葉に寄せた、きらめく音の追悼歌。
その後に時系列を排除してあえて「閉じた眼II」をいれている辺り、この全集は分かっている。
CD18。「ア・ウェイ・ア・ローン」は武満の弦楽四重奏曲として知られている曲。
古典的な響きを保ちつつ、新ウィーン楽派のような美しさを聞かせてくれる。
「海へ」はやっぱりこのオリジナルの編成が一番聴いていて落ち着きます。
「雨の樹」、クロタルやヴィブラフォンの音色が透き通って響く、実に幻想的な打楽器三重奏。てかこの演奏早いね。
「雨の呪文」のフランス的な美しさは実に良い。ピアノの低音がうねる冒頭も好き。
「雨の樹 素描」や「雨の樹 素描II」も含めて、武満は大江健三郎の宇宙樹の概念が気に入っていたようです。
特にIIはメシアンに捧げられているだけあり、彼の世界観がそこに結びついた深遠な世界を表現しています。
CD19。「クロス・ハッチ」、岩城宏之の演奏のためにとか、なんというか面白い作曲経緯ですね。
4度音程がほぼ全曲に現れる、簡素でいながらどこか武満らしい響きの、55秒の小品。
「揺れる鏡の夜明け」、ヴァイオリン二重奏による、簡素で枯れた、けれどその中に繊細な浮遊感を持つ曲。
「十一月の霧と菊の彼方から」もそうですが、本当に武満は大岡信が好きだ。
課題曲として作られたにはあまりにも音楽の色彩感やムードを表現するのが重要すぎるような美しい曲。
チェロとピアノのための「オリオン(犂)」の低く落ち着いた、透き通った響きは実に素晴らしい。
演奏評も絶賛しているものが多い。たまに響く特殊奏法がさらに世界を押し広げてくれる、幻想的な音楽。
「アントゥル=タン」、弦楽四重奏の美しくも削ぎ落とされた響きにオーボエが艶めかしく入ってくる。
ホイナツカに献呈されている「夢見る雨」もかなりマイナーな作品では。
アボリジニ絵画に触発された、雨シリーズ。美しい冒頭と5連符の連なる雨の滴り。
CD20。「シグナルズ・フロム・ヘヴン」、副題にあるようなアンティフォニーの手法が
移ろいゆく、珍しく明るく開放的な美しさをより幻想的に響かせる。メシアン的なブロック・コードの、短い2つのファンファーレ。
「すべては薄明のなかで」、クレーの絵画を元にした、内省的で非常にゆったりとした武満らしい作品。
「海へIII」は伴奏がギターからハープに。より繊細で曖昧な響きに。
イサム・ノグチの追憶に作られた「巡り」、暗く移ろう、他のフルート独奏曲に比べると内に響くような、特に旋律的な曲。
「2つのレント」を改作した「リタニ」を聴くと、彼の音楽の根底にあるものに近づける気がしてしまう。
それぐらい、初期の曲のようでいて晩年のような音楽でもある。
「ギターのための小品 -シルヴァーノ・ブソッティの60歳の誕生日に」もなかなか私家作品に近い物。
ふわふわとした、短く美しい一品。
後期ドビュッシーのソナタを念頭においた「そして、それが風であることを知った」の美しさは円熟したもの。
CD21。「エキノクス」、ミロの絵画に触発された、旋法的でたゆたう薄暮の世界。
「ビトゥイーン・タイズ」ピアノ三重奏による、メシアン的でありながらその音階構造の点描に感じる美しさから、
ドビュッシーとフェルドマンを足したような快楽が味わえる。
「径 -ウィトルド・ルトスワフスキの追憶に」は、トランペット独奏という武満にしては変わった編成。
まあ当然ミュートが多いですが。「庭の小径のよう」な、微妙な変化の陰影。
「鳥が道に降りてきた」、20年も昔の「鳥は星形の庭に降りる」の主題にあるあの研ぎ澄まされた美しさが
ヴィオラとピアノで柔らかく捉え所のない曖昧さで広げられる。
「森のなかで -ギターのための3つの小品」、最晩年のギター独奏からは途方もなく甘く美しい景色が聴ける。
遺作「エア」、まさに重みから解放されたような形のない印象を見せる主題がゆったりと形を変えていく。
Aの音へと回帰していく旋律が果てしなく伸びていく、寂寞とした武満世界の向こうです。
CD22はギター編曲集など。「不良少年」の音楽を佐藤紀雄が編曲したものは例えるならスパニッシュで武満。
「こどものためのピアノ小品」、短い2曲ですが、子供向けにしてはなかなかレベルが高い気が・・・
そして、こうして聴くと、彼の曲は実にドビュッシー的な印象派の音楽。
「ヒロシマという名の少年」も編曲(こちらは本人編曲)。
サティの「星たちの息子 -天職」編曲は、今ではもはやわからないオリジナル編成を想像してのもの。
サティの神秘主義的感性と武満の芳醇な世界が合わさった、不思議な音響です。
「ギターのための12の歌」、有名なナンバーを編曲した、武満の聴きやすくて演奏されやすい代表作ですね。
自分も大好きです。ロンドンデリー、ビートルズ、オーバー・ザ・レインボーといった
名曲の旋律が甘く幻想的な和声に導かれて淡く踊る。
ただ最近楽譜を手に入れて感じたのは、この全集の演奏はかなり(楽譜からの逸脱も含め)自由に演奏していること。
ただ、この曲に込められた演者・荘村氏への思いを考えるとそれでいいのだと思わされる。
フンパーディンクのナンバー「ラスト・ワルツ」の編曲は一晩で書いたそうで。
「ゴールデン・スランバー」編曲はもう持ってるけれど、改めて全集で聴くと、本当にビートルズ好きなのがわかる。
「秋のうた」はチャイコフスキーの「四季」からの編曲。秋も大好きです。音楽の艶めかしさが増えているのはさすがとしか。
CD23は合唱曲集。「風の馬」は1960年代に書いた、いろいろと試行錯誤していた曲のようす。
けれど、そこから聴こえる響きは、西洋・東洋楽器から聴こえるロマンチシズムとは又違う艶めかしさを感じられます。
「芝生」は結局依頼団体が初演できなかったほど難しいそうです。
それはともかく、解説の楽譜冒頭と実際の演奏が全く違うのはどういうことなんでしょうか。
 追記;やっぱり違う曲。全集4巻に、お詫びと再プレスした正しいCDが挿入されてました。
確かにこれなら和声も美しく込み合う、武満らしい演奏が難しそうな曲。
「手作り諺 -四つのポップ・ソング」はキングズ・シンガースのための甘い合唱。
非常に短い4曲ですが、いかにも彼らに献呈されそうな美しい曲です。
混声合唱のための「うた」、日本古謡や自らの映画音楽などを編曲した、彼の合唱曲代表作。
合唱の持つ美しさが十二分に発揮された、そして彼の音楽の持つ旋律性が存分に現れた素晴らしい曲です。



Yuji Plays Yuji
Yuji Takahashi; Three Poems of Mao Tse-tung, Rosace II, Bridges I, Meander

Yuji Takahashi,Piano
Tower Records  PROA-39

高橋悠治のピアノソロ作品、自作自演集。タワレコからの廉価再発。
「毛沢東 詞三首」は、そっけない感じの小品3つ。
1曲目はペダルを使わず、ぽつぽつごろごろした感触なのに、2曲目は余韻があって美しい。
3曲目は両者の特徴を併せたみたいに、ペダルを使った音の多い音楽。
「ローザス II」は特別な調律を行ったピアノによる音楽。
「メロディ構成原理のための実験のひとつ」とのことですが、確かに独特。
彼の音楽にこういう非平均律の調律がまじると、なんだかねじがゆるんだ音楽に聴こえてしまう。
「橋 I」は、オイラーのグラフ理論をきっかけにして作った曲。
キーボードによる、ぽろぽろとこぼれ落ちていく音たち。そこにシンセの持続音が。
「メアンデル」は、アジアの迷路図に着想を得た作品。キーボード演奏。
どこかアジア的な旋律が形を変え、どんどんと絡み合っては姿を変えていく。
演奏者の声も交えながら、混迷とした、不思議な空間。しかも、音からしてちょっとチープ感も。



橋本國彦
交響曲第1番 ニ調、交響組曲「天女と漁夫」

東京都交響楽団  沼尻竜典指揮
2002 Naxos  8.555881J

橋本國彦は戦前・戦中を代表する作曲家の一人。40代にしてがんで亡くなっています。
交響曲第1番は皇紀2600年奉祝のために作られた音楽。
第1楽章、実に日本的で神秘的な序奏から、美しい雄大な音の山が築かれていく。
やがて、冒頭のような、寂しさを持つ第二主題から始まる展開部は、モダニストとアカデミストの両面を持った彼らしい、
実に様々な楽想が一つの概念の元に繰り広げられ、素晴らしい色彩を放ちます。
その後、チェレスタが印象的な経過句をはさみつつ今までの主題が堂々と再現、音楽は元の霧の中に消え行きます。
第2楽章はダブルリードの沖縄音階に基づく主題から始まり、それが展開せずに繰り返されながら盛り上がる。
中間は日本のはやし歌のような陽気さを持った快活な音楽。
一通り騒いだ後は前半の南方主題が帰ってきて、大きく盛り上がった状態で幕を閉じる。
第3楽章は「紀元節」の歌を主題にした変奏曲とフーガ。優雅な前半の変奏から軽快な舞曲、
荘厳な間奏から最後の壮麗で感動的なフーガまで、まったく退屈しない濃さがあります。
「天女と漁夫」は、彼が当時のモダニズムな風潮の日本舞踊のために書いた音楽を組曲にしたもの。
茫洋とした重厚な和音で幕は開け、夜明けの海が描写される。
やがて漁師たちが起きだして軽快に動く踊りの曲が代わる代わる提示されます。
落ち着くとファゴットが一人残り、羽衣を見つけた漁夫を表現、天女を模すヴァイオリンも入り音楽は激しくなります。
そこから天の舞を踊れば羽衣を返すといわれた天女の舞、優雅で神秘的な音楽が独奏中心で奏でられる。
それに感銘した漁夫が羽衣を返し、音楽は大きく盛り上がって終了。
どの場面でも非常にメロディアスで簡素平明。けれど内容も非常に充実した素晴らしいものです。
こんな音楽がこれで初録音という埋もれ様、残念なものですね。作られた契機に関わらず、もっと広まって欲しい。
演奏は大人しめではありますが、十分音楽の素晴らしさを伝えてきてくれます。



早坂文雄

ピアノ協奏曲
左方の舞と右方の舞
序曲 ニ調

岡田博美、ピアノ
ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
2005 NAXOS  8.557819J

彼の「左方の〜」は以前から知っていましたが、それ以外の二曲もなかなかの逸品。
特に「序曲 ニ調」はマーチ風の曲調が10分かけて次第に盛り上がりを見せていく、楽しい曲です。
ああ、日本の曲だな、と思えるメロディーがなお良し。
ピアノ協奏曲はそれよりはっきりした西洋風ですが、やっぱりどこか日本の曲を匂わせてしまうのが面白い。
そこに彼の言う「新しい東洋音楽」への試みを容易に感じ取ることができました。
早坂文雄ってこういう曲普通に書いていたんだなあ、とあまり知らなかっただけに新しいものでしたね。
演奏はまずまずの手堅いものですが、十分楽しめるレベル。
にしても、ナクソスの日本シリーズは解説が本当に凄い量・・・勉強になります。



Noriko Hisada
Prognostication
Prognostication,Progression,
Landscape, Continuance, Prime α

Ensemble Fur Neue Musik Zurich
2006 Hat hut  hat[now]ART 163

東京音大で学び三枝成彰や湯浅譲二に師事した久田典子(1963-)の作品集。
「Prognostication」はフルート(picc.持替)とヴァイオリン*2、コントラバスにピアノとちょっと極端な編成。
シグナルのように鋭く光る、性急なパッセージの塊と、緊張感をはらんだ持続的なパートが重なる。
これが最初期の作品のようですが、その前衛的な構成の中から響く切迫するような響きは
真に迫るものがあってとても迫力がある。きらめき弾ける高音とうなり震える低音。
「Progression」はピアノソロ。作曲者の言では「ミニッツ・ワルツ(Minute Waltz)」。
なるほど、確かにだいたい1分くらいで曲調はがらりとかわる、2分ほどの短い作品。
前半のウェーベルンみたいな音楽から後半の強烈なベースのオスティナートの流れが実に爽快。
「Landscape」は彼女なりの、雅楽や序破急形式を意識して作った作品の様子。
グリッサンドが構成の重要な要素となって織り込まれた、リズミカルなものが
強い推進力と日本の伝統的なサウンドを連想させる音楽です。
「Continuance」はヴァイオリンとチェロの二重奏。
ヴァイオリンの低音とチェロの高音が交差する冒頭から、
重音奏法やハーモニクスを交え淡く美しい印象を抱かせる長い音楽を聞かせてくる。
中間部ではそれが発展して激しく交錯しますが、個人的には初めと最後の楽想だけでも十分だったように思えてしまう。
「Prime α」は微分音的なグリッサンドのずれから始まり、個々のソロや二重奏を中核とした流れ。
比較的最近の後半2曲を聴くと、この人もだんだん聴きやすい作風になってはいますが、
彼女の場合、正直言って最初のほうが明らかに面白かったと思う。
印象的だったのは明らかに最初の2曲。



Hirokazu Hiraishi
Prismatic Eye
Time Turning, Aquare, Prismatic Eye, As the Time Passes by

Yutaka Tanaka/Toshihiko Sakai,Vn.  Yoshinao Higashi,Vla.  Keiko Matsunami,Vc.
Musica Practica Ensemble  Norio Sato,Cond.
Fontec  FOCD3193

独学で学び、ミニマリズムを作風の基本にしている平石博一(1948-)作品集。
「回転する時間」はサンプリングされたサイン波・具体音の両素材をコンピューター出力していく電子音楽作品。
第1曲はサイン波のみを使った、ちょっとテクノみたいなものも連想させるころころとした小気味よい音楽。
なかなか長い楽章ですが、リヴァーヴの中で動くサンプルたちを聴いているのが凄く心地よい。
第2曲もサイン波のみですが、対照的にアタックの曖昧なふわふわした音が浮かんで消える。
第3曲は水音のみをサンプルにしているあたり武満の「水の音楽」と比較したくなりますが
こちらは淡々と一定の要素内の変化しか現れないメカニカルな感触が全く違う印象に出てくる。
第4曲はようやく具体音を使ったものに。けど、その内容はシェフェールやアンリが書いたような
ミュージック・コンクレート風ではなく、クリックテクノみたいな鋭い音とループ。
なお、NHKスタジオで制作した関係もあって、サンプルはすべて局内から。
第5曲は音楽をサンプルとしたラストの曲。第1曲のモチーフと絡めながら
テンポよく動き回る、カール・ストーンかAkufenばりの世界が繰り広げられる。
全曲通して彼のミニマリズム傾倒ぶりがよくわかると同時にとても楽しめる作品でした。
弦楽四重奏のための「スクエア」は4の数字を基にシステマティックに作られた作品。
5つの短い楽章にちりばめられた音楽は、けれど非常に絵画的な美しさ。
真ん中のみ、異質なものとしてピッツィカートで構成に縛られずに存在しています。
弦楽四重奏と4本のトロンボーンのための「プリズマティック・アイ」は
作者の「音によるカレイドスコープ」という表現がやはり一番わかりやすい。
冒頭に聴こえる和声の要素を弦楽器が淡く引き伸ばしながら、そこにトロンボーンが自由な長さで音を周期的に発していく。
まるでライヒの「6台のオルガン」を和風にしたようなゆったりした時間が拡がります。
あちらは次第に時間停止するような感覚になりますが、こちらは逆に
グリッサンド変形などが多く入りだし、より動的になっていきます。
室内管弦楽のための「時が過ぎゆくように」も似たような傾向の音楽。
ただし、こちらはいくつものモチーフが現れ少しづつ変化をしていく点から変化が多く見える。
時折ふわりと出てくる素早い動きにはっとさせられるあたり、庭園を見ながらまどろむよう。
特に両端の作品は素晴らしかったです。何故いままでマークしてなかったのか不思議なレベル。



松下功
時の糸II,III、グラン・アトール、飛天遊

東京フィルハーモニー交響楽団 山下一史指揮
キャトルロゾー・サクソフォーンEns. 林英哲、和太鼓 ほか
Fontec  FOCD2518

黛、南弘明、尹伊桑に師事した松下功(1951-)の作品集。
オーケストラのための「時の糸III」は仏教思想の五蘊に基づいて表現されています。
現代社会における無常感を表現した、5部構成の激しくも柔らかな輪郭の音楽。
美しい絵画を表現したような、豊かな和声と旋律的動機が混じり合う。
サクソフォーン四重奏とオーケストラのための「グラン・アトール」は
地球に生きる命(サックス)とそれを取り巻く環境(オケ)を想定して書かれた作品。
流れはよくある提示・発展・破壊・鎮静の4部構成ですが、最後は復興ではなく
終焉の叫びで終わっている辺り、何に彼がこの曲を捧げたかよくわかる。
ピアノとオーケストラのための「時の糸II」はIIIと同じく五蘊思想によるものですが、
先程のようなマイルドな響きは薄く、ピアノや弦楽器などが切実な響きを奏でる。
これは作曲の背景に西ベルリンでの居住で感じた印象が強く影響しているのでしょう。
和太鼓協奏曲「飛天遊」では、和太鼓の自由な感性に基づく動きと
管弦楽の論理的な構成世界の融合が試みられた作品。
徐々に力が覚醒して強いリズムに音楽が飲み込まれて行く。
そんな気に入ったわけではないけれど、十分聴いた甲斐はあった。



黛敏郎
シンフォニック・ムード、バレエ音楽「舞楽」
曼荼羅交響曲、ルンバ・ラプソディ

ニュージーランド交響楽団 湯浅卓雄指揮
2005 Naxos  8.557693J

黛の比較的初期の音源が多いオケ作品集。「シンフォニック・ムード」は黛が最初に発表した管弦楽作品。
第1楽章、最初は印象派のような繊細さに南国音楽みたいな空気を盛り込んだ、初期ヒナステラとかが印象派にかぶれたような曲。
それが落ち着くと、スネアの小気味良いリズムに乗って音楽が次第に高揚していく。
そこでは東南アジアのモードにしたがって、ミニマルさも伴う楽想がひたすら歓喜の歌を歌います。
第2楽章はファゴットやバスクラのどろどろした半音階的主題からサンバの始まり。
原始主義的にさまざまな音楽の転換が行われた後大々的に終わる・・・
と思いきや冒頭の印象派が逆戻り、今までの熱帯音楽の余韻を残して大きく盛り上がりながら、ふっと音楽が終わります。
「BUGAKU(舞楽)」はNYシティオペラのための荒々しいバレエ音楽。2部構成。
1部はヴァイオリンの笙のような音から始まり、そこから徐々にぐちゃぐちゃと絡んできて日本独特の5音音階が支配していきます。
金管がその中からメロディーを主張しだして、舞の壮大な開始に。
メシアンの鳥みたいなピアノが絡みつつ相互が干渉しあって混沌かつ屹立とした音楽が展開します。冒頭と筝のような音で舞は終了。
第2部は打楽器の落ち着いたリズムで開始。オーボエから始まる篳篥と、鳥か虫のような伴奏。
左舞の「蘭陵王」からとられたメロディーのカノンがどんどん激しく強くなっていき、その頂点で第1部が舞い戻って華やかに閉じる。
「曼荼羅交響曲」は、代表作である「涅槃交響曲」の後継的な作品。
第1楽章、点描的な動きで梵鐘の和音などの要素が奏でられます。
その中から、次第にメシアンのような宗教的な楽想が広がり、そこからチェレスタなどの神秘的な響きへと収束します。
第2楽章、如来の後光のごとく穏やかな梵鐘のコードに包まれていた音楽は次第に動きを見せていく。
輝かしく動く音たちは、やがて心理を得たかのように力を持って重く歩くようになるけれど、最後はまた茫洋とした冒頭に戻っていく。
「ルンバ・ラプソディ」は黛が「シンフォニック・ムード」の前に書いていたがお蔵入りになってしまった管弦楽曲。
冒頭こそ「シンフォニック・ムード」みたいですが、ルンバになってからはもろにストラヴィンスキー風。
彼のバレエ三部作とハチャトゥリアンを混ぜてルンバにデコレートしたみたい。構造は簡素なほうだし、聴いてて面白いです。
演奏はちょっと散漫ではありますが、きちんと欲しいところを聴かせてくれる佳演。



現代の日本音楽 7
水野修孝
鼓の合気・鼓身・天の鼓、地の鼓

太鼓音楽集団 鼓韻の会  横田年昭、笛
Japan Arts Council  90047

さあとうとう買っちゃったぞ、国立劇場の文化振興会監修のCDつき楽譜。
彼の「交響的変容」が手に入らないからと、やけになってこちらを購入。
国立劇場から委嘱された最初の曲、「鼓の合気」。
静と動、広い間とそれを突き破る一発、各々が自由なテンポを刻むカオス空間と
激しい和太鼓リズム、そこに絡む長く複雑なポリリズム。
その後の2曲に比べると短い(それでも14分)曲ですが、基本的な技法はだいたいもう出てきています。
序・破・急の後にポリリズム部分と結がつく、一本道で盛り上がる構成。
演奏、最後の決めがびっしり決まっていて爽快。
「鼓身」はその翌年、1985年の作品。
最初のロールで盛り上がったら勢い良くカオスで始まり、風鈴と松虫の煌く間を挟み軽快なリズムが跳ね回る。
中間の笛による長い変奏を経て、後半は笛の祭囃子をきっかけに全楽器がオスティナートで盛り上がって終了。
「鼓の合気」よりも一つ一つのターンが長く、じっくり浸れます。
特に前半、ソロ回しの複雑な変拍子をテンション高く叩くさまは爽快。
「天の鼓、地の鼓」では、演奏者である鼓韻の会のメンバーそれぞれの特徴にあわせた、掛け合いやソロ中心の作品。
全員のユニゾンから激しいリズムの応酬、こりゃ凄い。リズム好きにはたまりません。
一旦銅鑼で打ち切って笛が入る頃にはもう10分過ぎてます。
後半、途中に作曲者の出身でもある徳島の阿波踊りのリズムも入りながらどんどん盛り上がる。
最後は太鼓のみでひたすら乱打、クレッシェンドの果てに唐突に終わる。
作曲者はこの作品群の出来ばえにはそこまで満足していない(「もう少し東アジアのリズムを意識すべきだった」と述べている)
ようですが、自分としてはここまで豊かなリズムのバリエーションが聞けて満足です。
それよりも演奏が・・・楽譜を見ながら聴けるせいもあって、間違えがもろバレ。
もっとも、勢いはあるし、それを気にさせなくしてくれる日本的な即興演奏の背景がありますが。
むしろ、思いっきり間違えているところからして、あくまで楽譜最優先なのではなく合奏を最優先にしているのがわかる。
こういう感覚は、音楽演奏者としては根幹にあるべきですよね。まあ間違いの帳消しにはなりませんが。
総体的に見て、やっぱり買ってよかったと思いました。



水野修孝
交響曲第1番、マリンバ協奏曲、
カリンバの音源を持つシンセサイザーのためのソナチネ「時の魔術」、除夜のためのエチュード

外山雄三、指揮 東京交響楽団 高橋美智子、マリンバ 岡部裕美、ピアノ  他
fontec  FOCD2572

「交響曲第1番」は世界初演の音源。
弦楽の序奏は次第にクラスター状になり、音楽は少しづつ混沌としていく。
金管の点描的な激しいパッセージ、全楽器の錯乱的な暴走、
そこから生まれる二つ目の主題が激しく盛り上がり、その頂点で第1楽章は終わる。
第2楽章は弦楽器によるゆるやかな音楽が、やはりグリッサンドのカオスに変貌していく。
第3楽章はお得意のリズム楽章。変拍子の踊る囃子が管弦楽全体を巻き込んで熱狂する。
最後は第1楽章の再現。最後は巨大なクラスターの壁となって襲い掛かり、淡く消えていく。
「マリンバ協奏曲」は風鈴に始まる無拍な空間から次第にリズムがばらけて現れ出し
次第にジャズの匂いもするビートにまみれた水野節の熱狂音楽へ。
最後はさっと冒頭に戻って終わる、短いけれどなかなか派手で楽しい曲。
「時の魔術」はカリンバ音源なだけあって、ほとんど民族的即興音楽のよう。
水野のリズム的嗜好がそのまま素朴に出てきた音楽です。
「除夜のためのエチュード」はディレイ加工を用いることで、水野が好むもう一つの音響空間である
鐘の響きを模した音楽に仕立て上げたもの。残響に存分溺れることができます。



箕作秋吉の遺産 1895〜1971
ピアノと室内管弦楽のための小協奏曲、日本古謡を主題とする管弦楽のための3楽章より
芭蕉紀行集、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ、マヅルカ、タランテラ、、身はたとい武蔵の野辺に、世界をつなげ花の輪に

山田一雄、指揮 東京フィルハーモニー交響楽団  江文也、バリトン 日本ビクター室内管弦楽団
巖本眞理、ヴァイオリン  草間加寿子、ピアノ 藤田晴子、ピアノ 他
1992 WING  WCD-5

物理化学と音楽を同時に学んだ箕作秋吉(1895-1971)の、たぶん唯一の作品集。
31歳にして作品1を書くという遅いデビューですが、
その5度和声理論など東洋和声の利用が彼独自の純粋で美しい音楽を生み出しています。
「ピアノと室内管弦楽のための小協奏曲」、これ冒頭はまんま「芭蕉紀行集」の7曲目ですね。
他にも過去の作品からの素材引用が多い、どちらかというと彼後期の作品(1953年)、作品27-1。
NHKからの委託作品&放送初演されたもので、当然音源は初演のものです。
「日本古謡を〜」はNHKの「全国音楽めぐり」と言う番組内で放送されたものからの音源。1,3楽章のみ。
「さくらさくら」「春のやよい」をモチーフにした、作曲者自身は「第2交響曲」としている作品。
2つの楽章で10分ちょっとではありますが、かなり聞き応えのある内容です。
「芭蕉紀行集」は箕作の代表作・・・なんでしょうか。ビクターからCDで出ていたので知ってる人も多いのでは。
自分もそれで氏を知った口です。彼らしい音楽がさっと短く通り過ぎていく、不思議な作品。
この音源ではバリトンと九重奏による作品8-2の版。ちなみにビクターの方は作品8-3の、管弦楽版です。
「ソナタ」(作品15-1)も主題が「芭蕉紀行集」から取られているあたり、この曲への思い入れが伺えます。
このソナタは間宮芳生が賛辞した通り、純和風な音楽風景を聴き手にしみじみと感じさせる良作。
マヅルカとタランテラは「ローマン組曲 作品3」のそれぞれ1,4曲目。
まだ初期の習作といった趣で、箕作らしさは全くありません。ショパンみたいな感じ。
を含む「小曲集」(作品6)は作曲者が計画したミュージカルのための音楽が元。
これもやはり、まだ初期の作品であることがわかる荒削り感。
「三つの悲歌」(作品17)からの「身はたとい武蔵の野辺に」は戦時中(1943年作曲)の考えらしい、
日本音楽文化協会などからの薦めによるもの。
また「働く人のために」(作品19)の4曲目である「世界をつなげ花の輪に」はメーデーのために作曲したもの。
どちらも大衆歌らしい簡素さ、というか単純な歌曲・合唱曲。
なお、「芭蕉紀行集」以下は全て歴史的LPからの復刻のため、ノイズが著しい。
上記2曲もNHK音源とはいえ、オープンテープ音源でいい物では決してない。
ただ、資料としてはもちろん貴重なものであるし、音源の少ない箕作の曲を纏めて聴けるだけでも素晴らしいです。



Masahiro Miwa
Rotkappchen-Begleiter
Rotkappchen-Begleiter,Dithyrambe,Trodelmarkt der Traume -Vorspiel und Lied-,
Lasst uns singen und die Pachamama anflehn!

Angela Hommes,Sop.  Helen Junstall,Harp  Masayuki Honda,Cond.  etc.
1995 Rhizome Sketch  RZF1010

ユン・イサンらに師事。ロックバンドを音楽経験のはじめとし、
コンピューター音楽を活動の中心として個性的な活動を行う三輪眞弘(1958-)の作品集。
「赤ずきんちゃん伴奏器」は私が初めて聴いた、というか興味を持ったきっかけの作品。
歌手が発声する音の高さや強弱をパラメーターとしてコンピューターが読み取り、
プログラム処理された自動演奏ピアノがリアルタイムに伴奏をつけていくもの。
電子音楽や実験音響ではおなじみのフィードバック効果的なものですが、
この曲の面白いところは、プログラムのおかげでちぐはぐでとりとめないながらも
どこかうまくマッチしている(気がする)音楽が聴けるところにあると思う。
実際にはテキスト自体がランダムに断片化されたものなのですが、
どこかストーリーのような流れを連想してしまう音楽に仕上がっています。
「Dithyrambe」は能の「高砂」と作曲者夫婦の声をサンプルにしてコンピュータ生成されたテープ?作品。
サンプルが次第に細分化されながらカオティックに湧き上がってきて、
次第にそれがまとまりながら合唱のようになっていく展開は実に秀逸。
このあたり、プログラム制御の滑らかさを実感できます。
にしても、友人の結婚祝いなのにタイトルの元はギリシャ悲劇の源になる合唱曲を指すとかどういうことなの。
ハープとコンピューターのための「夢のガラクタ市 -前奏曲とリート-」、
ハープによる美しい冒頭から、街頭の雑多なフィールド音を織り交ぜて夢見心地に移ろいゆく。
こちらはびっくりするくらい穏やかで心地よい。
メゾソプラノによるエンデの詩(これがタイトルの元)の朗読が入るあたりから後半のリート。
華やかに6/8と2/4の旋律が混ざり合って、さらに音素材の響きがのびやかに干渉していく。
「歌えよ、そしてパチャママに祈れ」は2楽章30分弱の大作。テープ録音されたボリビアの民謡を
音高分析、コンピュータープログラムによる八重奏編成への楽譜の打ち出しを行ったもの。
その楽譜を演奏しながら、さらにオリジナルを背後で常に再生しています。
散文的な点描と穏やかな持続音の重なり。どこかメランコリックな印象の
和声になっているのはオリジナルの民謡の特徴がうまく出ています。
第2楽章は構造的なものは当然おなじですが、やはり動きが出てきてラストへと盛り上げる。
うん、これは純粋に現代音楽として面白かった。
基本はコンピュータープログラミング一筋ですが、その出力結果が個性的すぎる。



Misato Mochizuki
Si bleu, Si calme
Si bleu, Si calme , All that is including me ,
Chimera , Intermezzi I , La chambre claire

Marino Formenti,P.  Eva Furrer,Fl.  Sophie Schafleitner,Vn.
Bernhard Zachhuber,Cl.  Klangforum Wien  Johannes Kalitzke,Cond.
2003 Kairos  0012402KAI

間宮芳生、ヌネス、ファーニホウやミュライユらに師事した
今の日本を代表する作曲家、望月京(1969-)の室内楽作品集。
「シ・ブル、シ・カルム」(1997)は秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルの委嘱作品。
Bleuは大気や水、Calmeは空間や沈黙を表すように、どこか調性的な響きの衝撃音に
リズミカルな動きが加わりうねる、自然なものを示す動きが目立つ。
特に最後に代表されるように、混沌の中でも躍動的な音楽が聴けるところがあるのは彼女の作品の特徴。
「私を含む全ての存在」(1996)は立花隆の言葉を基に作曲したもの。
バスフルート、クラリネットとヴァイオリンによる掛け声を伴った音楽は
望月が雅楽の構造を彼女なりに参照した結果であり、それは前年日本音楽コンクールで
クラウス・フーバーから指摘された事柄を踏まえての反応なのがわかる。
「キメーラ」(2000)はこの中でも一番知名度のある代表作の一と言えるでしょう。
ボンゴのビートを基底に激しく音楽が揺れ、リズムを中核にしてまさに細胞融合のように
音楽がくっつきあって新しいものを生み出していく。
キメラという単語が持つ複数の意味(原語、発生学、テクノ用語としての)を盛り込んだ
彼女らしい他ジャンルの影響が感じられる面白い作品です。
ウッドベースのリズムやテクノのビートが感じられるあたりすごく楽しい。
フルートとピアノのための「インテルメッツィ I」(1998)はロラン・バルトの著書からの影響。
特殊奏法の結果の響きは、この収録作品のなかで、けれど一番スペクトル楽派に似た音響を感じ取れる。
7つの断片が集まった、時にリズミカルであるいは金切音な音楽。
「明るい部屋」(1998)もやっぱりロラン・バルトの著作から。
ヴァイオリンの規則的なパルスをベースに音楽がもつれ絡み増殖する。
やっぱり彼女の作品は聴いていて楽しいから好きです。この中では後3つが個人的には特に良かったかな。



矢代秋雄;ピアノ協奏曲

中村紘子、ピアノ
若杉弘指揮、東京都交響楽団
外山雄三指揮、NHK交響楽団
1988 CBS/Sony  28DC 5068

若くして世を去ってしまった黙作作曲家、矢代秋雄(1929-1976)の代表作。
同曲の別テイクを2ついれた、聴き比べできるCD。ただし、ピアノはどちらも初演者。
打楽器的だがどこかピアノ的でもある第1楽章、
単音の連なりによる、暗く妖しい、けれど非常に美しい第2楽章。そして躍動的で激しい第3楽章。
第2楽章、聴いててラヴェルの「断頭台(夜のガスパール)」思い出したのは私だけでしょうか。
決して前衛的ではなく、12音技法など大戦前後の音楽が聴ければまあまあ素直に聴けます。
さて聴き比べ、ピアノはまあ大きな違いはありません。
オケが結構違う雰囲気でしょう。というか、それぞれの団体らしい音。
どちらかというと、都響のほうが、クリアな音でアグレッシブ。
N響は、爆発力はあるけれど、特にゆるやかな部分は音の輪郭の曖昧さがコツ。
N響の方はライヴ。どちらも素晴らしい演奏であることは言うまでもなし。



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