電子音楽 コンピレーション

電子音楽のうち、作曲家やアーティストで括られていないもののみこちらへ。




Aritmia
Miklos Sugar; Fanfare
Zoltan Pongracz; Madrigal
Ivan Patachich; Ballad
Laszlo Dubrovay; Suite for Piano and Synthetiser
Bela Farago; ...sub galli cantum...
Janos Decsenyi; Song
Istvan Szigeti; Twins in the Mirror
Xenia Stollar; Magic Round

1995 Hungaroton  HCD 31624

H'EAR(The Electroacoustic Music Studio of the Hungarian Radio)で制作された
エレクトロ・アコースティック作品集。大体の曲は90年代に入ってから作られたもの。
ミクローシュ・シュガール(1952-)の「ファンファーレ」トランペットが小気味よい旋律を重ねあい、
全6部からなる反響の絡み合いを楽しむ様な作品。こういうのは明快で良い。
コダーイの元で学んだゾルターン・ポングラーツ(1912-2007)の「マドリガル」は詩と音楽の関連を意識した曲。
朗読音声が加工されていき、そこに加工された合唱の和声と具体音みたいな絡みが入る。
和声がなかなか綺麗な感じで、思ったより面白い。
イヴァン・パタチッチ(1922-93)の「バラード」、
ハンガリーのバラードやそのテキスト朗読をマテリアルに電子音との加工を進めていく。
ラースロー・ドゥブロヴァイ(1943-)「ピアノとシンセサイザーのための組曲」は
G音と12音列を元にした呪術的な「牧歌」、そこから歪んで発展する「機械的な踊り」や
「怒りの日」「トッカータ」と次第に音楽は盛り上がり、音加工もひずみが激しくなっていく。
Hungarotonでよく名前を見るべーラ・ファラゴー(1961-)の「…雄鶏が鳴くとき…」は
トランペットとテープのための3楽章作品。ピアノのアタックに電子音の小刻みなわななき。
トランペットの十二音旋律、幾分ミニマルなシンセの絡み。特に第3楽章のペンタトニックな和声もあって
不思議な印象の音楽ですが、どこか惹かれてしまう面白い音楽でした。
ヤーノシュ・デチェーニ(1927-)「歌」はP.B.Shelleyのテキストをぽつぽつと話す虚ろなサウンドスケープ。
イシュトヴァーン・シゲティ(1952-)の「鏡の中の双子」は幼い双子姉妹が発するしぐさの音や歌を
マテリアルにして組み上げられた、どこかリズミカルで作曲者のユーモアが現れた気楽な作品。
ゼーニア・シュトラール(1970-)の「マジック・ラウンド」はクラリネットの旋律に
テープ録音が掛け合いながら加工音が入ってくる真っ当なエレクトロアコースティック。
シュガールとファラゴー、シゲティ作品が好みだった。



OHM+:The Early Gurus of Electronic Music 1948-80
(アーティスト多すぎるので省略)

2005 Ellipsis Arts  CD3690

ついに電子音楽の歴史をひとまとめにした決定的な3CDコンピの、DVD付きバージョンを入手。
CD1は最初期から60年代まで。ロックムーアはテルミン演奏。チャイコフスキーの「感傷的なワルツ」。
メシアン初のオンドマルトノ作品(1937)は、非常に淡くも彼らしい妖しさに満ちた曲。
シェフェールの電子音楽作品は、汽車のようにも聴こえる、音色を加工しまくったコンクレート小品。
ジョン・ケージの「ウィリアムス・ミックス」、ラジオで聞いて以来ずっと欲しかった初演の音源。
音楽のぐちゃぐちゃさも凄いけれど、終曲後の聴衆の混乱ぶりも凄い。
アイメルトの作品、プリミティヴなツールを使い、短い作品を長い年月で作り出す結果がこの独特な音密度。
ルーニング作品は、フルートの音をマテリアルにした、ふわふわした作品。
Le Caineの曲、間違いなく以前聴いたことがある・・・どこでだか全く思い出せん!
いや思い出した、アンリの作品にマテリアルで使われてたんだった。ころころした不思議な小品。
Barronの曲は、史上始めて総電子音楽サントラだった映画のメインテーマ。
ザラの曲は、やはりどこか古典的・オーケストラ的な構造。ヒンデミットらと交友が深かっただけある、聴きやすくも不思議な音楽。
ヴァレーズ、言うこと無しの超有名作。マックスフィールド作品はサイン波のみを使ったふわふわ系音楽。
ドックステーダーの曲はドアのきしみを加工した「怒りの日」のイメージ。シュトックハウゼン「コンタクテ」も超名作。ここでは6分に超短縮。
ウサチェフスキー作品はさまざまなシグナルを用いた刺激的なパルスと「パルジファル」が儚く絡む。
バビットの64年作品になると、かなり表現が増えてきてかつデジタリックに。
CD1の最後がMEVとかある意味ヤバイ。ノイズまみれの異常な即興演奏。
CD2、レイモンド・スコットはリズミカルな、あの代表作シリーズに似た聴きやすい曲。
ライヒの「振り子の音楽」、なんで一番おどろおどろしいSonic Youthのやつを使うかなあ。これはこれで好きだけど。
オリヴェロスも名作を。最初期のリアルタイム・パフォーマンス作品。
この中で唯一の日本勢、湯浅譲二からは「ホワイトノイズのためのプロジェクション・エセムプラスティク」。
「イコン」の方じゃないのね。その前に作られている分、ぶっちゃけ練成度はイコンの方が・・・
スボトニックは冒頭部分だけを収録。ここだけ聴くと普通のあやしい電子音楽な人だよなあ。
チュードアも抜粋。熱帯雨林の鳴き声みたいなパルスが絡み合う、やっぱり激しい作品。
ライリーも元は40分以上楽にあるのを7分に。重いドローンとサイケ音響な、個人的に大好きな曲。
確かにホルガー・シュカイも、考えてみたらこの系列に入っておかしくないね。民族調な歌と暗いドローン。
フェラーリは「ミュージック・プロムナード」。プレスク・リアンとかじゃないのね。似た感じだけれど。
バイル、これだけじゃ何とも言えない・・・もうちょっと収録させてあげてください。というか別の曲を。
リセ、オルゴール風の電子音が徐々に変調される。最後の方(Editだけど)の上昇音はベタだけど良い。
クセナキス、こんな編集じゃ微妙じゃないかと考える自分はクセナキス好きでしたね。
遂にきたラ・モンテ・ヤング、たった2種のサイン波で30分ドローンさせてくれます。7分の抜粋で良かった。
CD3はドッジから。音声合成システムによる短い奇天烈なコラージュ風味。
ランスキーも合成音声みたいですが、こちらは非常に幻想的でふわふわした音響&音楽。
シュピーゲルのコンピュータを使用した最初期の作品は非常にミニマル的。
リアルタイムで作っていくような、ある意味DJ的な展開操作がこのようになるんでしょう。ちょっとライリー風。
パルメジアーニの、バイルに捧げられた短い爽快なパルス作品の後は
バーマンの木管アンサンブルと電子音が心地よく絡まる彼らしい音楽。
Chowningの「Stria」、これだけで聴いても金属的な不協和音の面白い作品だけど、絶対DVD見た方がいい。
Amacherはインスタレーションの音源。緊張感を持った実験ドローン音楽として普通に素晴らしい。
アシュレーは元の持ってるから略。カランは声とシンセがモアレのように細かく絡んだトリップできる音楽。
ルシエの最高傑作も持ってるから良いや。シュルツ、ロックで簡素なリズムとフリーなヴァイオリン&メロディー。
ハッセルもなんかシュルツに似た音楽・・・よりミニマル的で重いリズムだけれど。
最後はイーノ、彼らしいふわふわしたアンビエント作品。

DVD 2時間半ちかい大ボリューム。
ロックムーアは彼女とムーグへのインタビューとJoseph Arhronの「Hebrew Melody」演奏を収録。
ケージ、彼へのインタビューを元に制作された作品「From Zero」の抜粋。
リセ「mutation」の映像があったことにびっくり。シンクロしてるか微妙だが。
ライヒ「スリー・テイルズ」からの「ドリー」抜粋、これ一応電子音楽じゃないよ!マルチメディア展開の一環として組み込んだだけじゃ・・・
スボトニックは、Tony Martinのスライドグラスを用いた摩訶不思議な色つきミクロ世界映像。
シュカイ、奇妙にマッチした花火の映像。Bebe Baronの女史へのインタビュー。
ランスキー、Grady Kleinと製作のアニメーション。実に楽しいアメコミ。これは普通の人にも楽しめる。
そのランスキーさんが、次の映像ではテルミン氏にテルミンの演奏を指導されてます。
グリンカの曲を直接指導する91年の映像。これはなかなか貴重だ。
クセナキス、「Bohor」のサウンドリアライゼーション。もっと複雑だけど、WMPの視覚効果みたい。
バビットもインタビュー、この人早口で自分の意見をまくし立てます。お陰で私には何言ってるか完全に理解不能。
シュピーゲルは実際の演奏風景。機材も凄いし演奏も凄いけれど、若かりし頃の女史であることにびっくり。
バーマンも演奏風景ですが、自作機材を使い白昼のミルス・カレッジでの演奏のため、ちょっと見にくい。
バーマンの活動初期の音源なので、まだ実験色がかなり強いですね。
Chowningのは「Stria」の構造解説。黄金分割やフィボナッチ数列を交えながら作る様を分かりやすく図示してます。
アシュレーはワシントンの仮装した映像の上を、その経歴が流れていく。マシューズ、全身タイツ?のダンサー4人によるモダンダンス。
オリヴェロスは2005年に行われたTony Martinの映像付きライヴの様子。幻想的で良い舞台です。
実は今回の大本命、ルシエ「ソロ・パフォーマーのための音楽」、大仰に電極を取り付けるところから映像は始まり、
ことこととじわじわ音が発生しだします。ひたすらぼこぼこちりちり言っているだけ、やはりこの曲はいかれていた。
Mother Mallardのサイケミニマルな演奏風景&インタビューの後、最後はムーグのドキュメンタリー映画の抜粋で締め。
いやはや、やはりとんでもない内容でした。電子音楽を聴くなら持っていて全く損なし。



University of Melbourne  Electronic Music
Gary Wright; Impulse
Chris Wyatt; Conversations 1
Paul Turner; Panels V
Greg Riddel; Dedicated to a Perceptive Experience
Ken Gunter; Mirrors
Peter Tahourdin; Three Mobiles

2006 creel pone  #44

メルボルン大学エレクトロニクス研究所の人間による70年代の電子音楽作品集。
アナログ・メガモジュール・シンセSYNTHI 100が導入された初期の、実験的な曲ばかりを収録。
Creel Poneだと、もうこんなマニアックなリリースが普通に思えてくる。
カナダはモントリオール出身のWright(1956-)の曲、ホワイトノイズ系の音がリズムよくパルスを打ち、
いくつもの時間軸のパルスによるシンコペーションが軽快に走りまわる短い音楽。
メルボルン出身Chris Wyatt(1955-)の曲、ヴァイオリンと声を元に加工した、じりじりと長い音が変化していく。
遠くから響いてくるような音の変形に、この人がアコースティック素材の音響加工にのみ関心を払っているのが分かる。
音響は楽しいけれど、構成がそんな上手いとは・・・
Paul Turner(1948-)はヴィクトリア州出身の作曲家。「Panels V」は
電子音がぽろぽろとこぼれ落ちては虚ろに響き、スピーチが不規則に聴こえてくる。こっちの方が面白いな。
Greg Riddel(1957-)もメルボルンの作曲家。落ち着いた低いドローンからじわじわと高周波の音が混じりだし、
頂点でぎゅるりと音がひっくり返る。後半は甲高い音がちりちりと動くだけなど、とてもゆっくりとした展開。
ただ、この中では一番自分の好みだった気がする。
ニュー・サウス・ウェールズ出身のKen Gunter(1951-)はフィルムやダンスなどマルチメディアな活動の作品が主らしい。
「Mirrors」、くぐもった音の動きが次第にはっきりと輪郭を帯び、そのどろどろした動きを見せるようになる。
音楽は常に変化し、おどろおどろしい動きを常に新しく見せてきます。
Peter Tahourdin(1928-2009)はこの中ではまだメジャーな方でしょうか。
メルボルン大学で教授職に就いていた人物なだけあって、作品も14分と断トツで長い。
音楽の方も、じつに見事な初期コンクレート作品ばりのの音響構成。
激しく音が現れては消え行き、抽象的な点描が荒漠と広がっていく。
後半3曲が実にいい内容でした。Gunterの曲とかなかなか濃い内容で良い。



New Computer Music
Paul Lansky; Idle Chatter
Curtis Roads; nscor
James Dashow; Sequence Symbols
Michel Waisvisz; The Hands
Clarence Barlow; Relationships for Melody
Stephen Kaske; Transition Nr.2

1987 Wergo  WER 2010-50

Wergoのコンピューター音楽のコンピを安価で購入。最後2曲はエレクトロ・アコースティック。
ポール・ランスキーの曲は一見すると女声を加工したように聴こえますが、
実際には全てコンピュータ生成した音。それがリズミカルに分厚く重なりながら
その中からコラール的な動機が浮かび上がり、非現実的な美しさを演出する。
カーティス・ロードの曲はいかにもな電子音が細かく加工されていく、ミュージック・コンクレート的な作品。
いい曲ですが、地味。60年代のあの響きをそのままコンピュータに持ち込んだ感じ。渋い。
Dashowの曲は実に不可思議な和音がころころとどんどん出てきて入れ替わる、ミステリアスなイメージ。
音響的に大きくいじっている点が少ないのが残念。おかげで出来とは別に、より古い感じの音楽に。
Waisviszはリモートコントロールされたヤマハのシンセを使った作品。
まるで接触不良のような激しい音の切り替え。かと思えば後半はふわふわした音の点描。
前半は面白かったんだかなあ。ちなみに録音エンジニアはカーティス・ロード担当。
Barlowの曲、ドラムセットの小気味良いリズムにビビっていると、微妙にギターみたいな電子音が
ばりばり乱入してきます。そこにバスクラがごりごりインプロしだすからたまらない。
一応2種の六音音階をベースにしてリズム構造をある程度予め決めた即興演奏に近いものですが、
そのロックなようでいて訳がわからないけれどノリノリな音楽は無茶苦茶楽しいです。
最後Kaskeの曲はミクロな音響が蓄積しながらゆらぎ、そこに激しいプリペアド・ピアノが挿入される。
ピアノパートは4つの長さで書かれた52のモジュールを選択して電子音に絡めるという、典型的エレクトロアコースティック。
印象は文句なしにランスキーとBarlowしか残らなかった。



Svend Christiansen & Fuzzy
Urvarte - Noir - Blau

2006 creel pone  #29

オリジナルは"Electronic Music Produced In Aarhus"と題されて74年にリリースされたLP。
オリジナルのA面はスヴェン・クリスティアンセン(1954-)が担当。
どちらも74年制作。「Urvarte」、衝撃音のようなセピアな音響が鳴り響く。
虚ろな音を幾重にもちりばめて、古典的ながらもじつにシリアスでかっこいい空間を作ってくる。
「Noir」の方はじりじりした電子音がうごめき、地味ながらもじわじわと迫ってくる。
地味だけれどなかなか良い電子音楽を作ってくれる。「Urvarte」の方が好みかな。
オリジナルで言うB面、Fuzzyは好きな作曲家にノアゴーやらライリーやらシュトックハウゼンやらあげてますね。
「Blau」、ばねがたわむような音をぽつぽつと配置し、
それが激しく重なる中から電子音による(ちょっとクラウトロックみたいな)ビートのある音楽が出てくる。
フルートのふわふわ漂う楽想や、ぼこぼこした音からシンセミニマルな倒錯音響が出てきたり、
こちらのほうは同じ電子音楽ルーツでも実にオルタナ的。正統派のA面とは全く別次元です。



CCMIX
Iannis Xenakis; Mycenae Alpha, Polytope de Cluny
Brigitte Robindore; The Atlar of Loss and of Transformation
Jean-Claude Risset; Saxatile
Nicola Cisternino; Xoomij
Julio Estrada; eua-on, eua-on-ome
Daniel Terrugi; Gestes de l'ecrit
Takehiko Shimazu; Illusions in Desolate Fields
Curtis Roads; Purity, Sonal Atoms
Gerard Pape; Le Fleuve du Desir III
2001 mode  98/99

クセナキスが作り出した、絵画的素材を元に音を生成するシステム、UPIC
を使って作られた曲たちをまとめて収録した、modeの有名な二枚組。
まずは本家、クセナキスの「ミケーネ・アルファ」から。クラスターのささくれた枯野のような電子音が重々しくうなりを上げる。
初めてUPICのみを使われて作曲された、UPICの代名詞とも言えるまさに傑作。
濃密な雲海にぶち当たっていくかのような激しい力の音たちはまさにクセナキス。
Brigitte Robindoreはトン・デ・レーウやJulio Estradaに学んだ女性作曲家。
「The Atlar of Loss and of Transformation」はUPIC作品。細かいじりじりしたノイズ音がゆっくりと積っていく。
「As Strangers and Pilgrims on the Earth」は二人の打楽器奏者が共演。
金属・膜質打楽器の執拗なロールにさりげなく電子音の金属的な欠片が降り注ぐ。
IRCAM電子音楽の代表格リセの「Saxatile」はクセナキス70歳の誕生日を記念して。
「メタスタシス」のスコアを元にUPICパートを作るなど本格的です。お陰でなかなか奇怪な電子音とサックスの同期が聴ける。
Nicola Cisterninoの曲、低い振動から音が沸き上がり、バスのうめきが同調する。
アボリジニを題材に用いた、ディジュリドゥみたいな濁った低い響きの音楽。
Robindoreの師匠フリオ・エストラーダの曲はなかなか過激。「ミケーネ・アルファ」みたいな音をばんばんとテンポよく垂れ流す。
良いノイズっぷり。「eua-on-ome」はそのオケ版。とんでもないカオス音響。
構造はともかく、音の派手さ、ひいては「過激な運動」が存分に楽しめる。
太字で「この2作品は最大音量で聴くこと」と書いてあるのが納得できるぐちゃぐちゃさ。
さてDisc2、クセナキスの「クリュニーのポリトープ」はEdition RZでおなじみ。
実験音響ノイズの先駆け的な名曲。RZよりクリアというか、粒が聞き分けやすい気がする。
アルゼンチン出身Ina-GRMメンバーのTerrugiもUPICで作曲してます。
彼の曲、構成はよく練られてるんだけれど、自分の趣味には何故か合わないんだよなあ・・・
島津武仁の作品は、芭蕉の句を元にした、三弦とUPICのための作品。
邦楽的な響きの中にノイズ(こうして聴くと激しいところはちょっとジャパノイズ的)が挟まれる。
Curtis Roadsの曲はどちらも大きな曲から楽章の抜粋。空ろな音がふわりふわりと流れていく。
最後はパペの曲。弦楽四重奏と電子音がこちょこちょ絡み合う、まさに欲望が湧き出てくるような楽想。
うーん、他の感想を見てもそうだったが、たしかにクセナキスの前じゃ誰も分が悪い。
(その出来が云々でなく)他に面白そうだと思えたのはエストラーダしかいなかったし・・・



Carrefour - Musique Electro-Acoustique
Otto Joachim; 5.9
Paul Pedersen; For Margaret, Motherhood and Mendelssohn
Micheline Coulombe Saint-Marcoux; Zones
Peter Huse; Space Play
Michel Longtin; La mort du Pierrot
Hugh LeCaine; Mobile
David Paul; Eruption

2005 creel pone  #14

カナダ国営放送局絡みのレーベルから出ていたマニアックなLPのブート再発。
カナダのマイナー作曲家の作品が7曲コンピレーションされてます。
「5.9」は4チャンネルの中で時代を感じさせる電子音がきゅるきゅると跳ね回る。
タイトルの由来は曲の長さから。30分を4チャンネルに均等に割り当て、残りをキーボードのセットアップ時間に。
Paul Pedersenの曲はメンデルスゾーンの楽曲(結婚行進曲の電子音楽再生)を元にしながら
それを激しく破壊して、そこにパルスなどを加えて行く。なかなかいかれた音響に仕上がっています。
ミシュラン・コロンビー・サン=マルクー(1938-85)はモントリオール出身、
Groupe international de musique electroacoustique de Paris(GIMEP)の創設メンバー。
「Zones」は不協和音に支えられた電子音の「帯」からさまざまに音要素が飛び出し
素晴らしい緊張感とともにどろどろと突き進んで行く。
容赦ない音の圧迫と攻撃が特に印象的で、このCDの中でも一際目立った出来です。
バンクーバー在住Peter Huseの曲は空間と全ての音の音楽へのかかわり合いを念頭において書かれた作品。
間の多い構造でノイジーな音が点描的に駆け回る。
Michel Longtin作品は、彼がスペリオル湖に旅したとき出会ったパントマイマーに印象を受けたもの。
持続音が水音のように姿を変えて行く、おそらく一番地味でドローン的な作品。
Hugh LeCaine(1914-77)はあのコンピ「OHM」にも入っているのでこの中では一番知名度があるでしょう。
ころころと音たちが楽しく転げ回る、短いゲーム音楽みたいな小品。
最後のDavid Paulは劇的な音の密度を念頭に作曲された、多様なグリッサンドからなる作品。
相変わらずのレコードノイズぶりだけれど、なかなか面白い作品が多くて良かった。これだからCreel Poneはやめられない。



Century XXI USA 1 - Electronics
Carl Stone; Kamiya Bar(Excerpts)
Ben Neill; 678 Streams
Mikel Rouse; Autorequiem
Kyle Gann; Ghost Town
Nicolas Collins; Devil's Music(remixed version)

1994 New Tone  nt 6730 / 129806730 2

アメリカ近年の、伝統的?な方面の作曲家による電子音楽コンピレーション。多分有名なのはカール・ストーンくらい。
その彼は、「カミヤ・バー」からの抜粋。
冒頭、競りの声から大きな鈴の音が鳴らされる。そこから微かに太鼓が聴こえてきたと思ったら、いきなり変態リズムの幕開け。
競りの声が見事にラップ化してぐちゃぐちゃにコラージュされます。
それだけても十分とんでもないのに、さらにそこから珍奇なベースラインが乱入、もっとわけわからない音楽に。こりゃやべえ。
「678 Streams」はミュータントランペットと電子音のための作品。6/7/8度を基にしながら、アンビエントなフリージャズ風味の冒頭。
そこからおずおずとドラムを模した音が入り、やがてそれははっきりした骨を持つようになり、音楽のなだらかな山を作ります。
ドラムのリズムは微妙に変化をつけながら緩急付け、伴奏も一定のドローンのようで微妙に肉付けが変化している。
爽快な感じの、広々とした曲で気持ちよく聴けます。ちなみに作曲者はよくDavid Behrmanとコラボしてる人物。
「オートレクイエム」は、どうやらオペラ断片から作られているようですね。朗読のようなヴォーカルとキーボードによるミニマルな対話。
叙情的な、聴きやすい曲です。というか、重なって聴こえてくる声にトリップさせられる。
カイル・ガンの「ゴースト・タウン」で聴ける、気の抜けた、へなへなでチープな音の数々。
そんな音がフォークともカントリーともつかぬ奇妙な、けれどどこかノスタルジックな音楽を奏でていく。
ただ良く聴くと、そのだらけた音のリズムは厳しく統率されていて、微妙な揺らぎの上に建っているらしいことが分かる。
ニコラス・コリンズの「悪魔の音楽」は一言で言うなら変態サンプリングミュージック・チープ版。
この腰の砕けたビート具合は、ブレイクビーツの感覚で聴いたほうが早い。それでしかも音が安っぽい。
特定のサンプルが短く不規則に繰り返されていきます。こりゃストーン並みに頭がおかしいや。



Christian Clozier and Jacques Lejeune
Perspectives Musicales

2007 creel pone  #73

大本はLes Industries Musicales Et Electriques Pathe Marconiという長名のレーベルから
1970年に出ていたLP。このたびめでたくcreel poneの毒牙?にかかることとなりました。
Christian Clozier(1945-)はGRMで働き、Alain Savouretとの共同作業も行ったことのある人物。
ブルージュ電子音楽スタジオの創設メンバーでもあります。
「Lettre a une Demoiselle」(1969)はバロック風の音楽と電子的なサイン波ノイズ、
曖昧な具体音や朗読などがからむミュージック・コンクレート作品。
「Dichotomie」(1970)はパイプを叩くような音と口笛がざわめく4分ほどの作品。
一方Jacques Lejeune(ジャック・ルジューヌ、1940-)はピエール・シェフェールや
フランソワ・バイルらに学んだINA-GRMメインの作曲家。おそらく彼の方が知名度は高いでしょう。
「Petite Suite(小組曲)」(1970)はチューン・アップや人の呻き、アンビエントな音楽などに
ポップ・ミュージックが絡む、派手ないかれた展開の短い5曲構成。
なんというかシェフェールやその同僚のピエール・アンリをちょっと思わせる作風です。
「D'Une Multitude En Fete」(1969)は18分の大作ですが、展開の過激さはちっとも薄れず
かつ展開を積み上げて行くような高内容。素材の幅広さも変わらず。
ドラムの嵐のようなソロと電子ドローン、エコーだらけの朗読や拍手・ブーイングなどが激しく絡みます。
フランス最初期の電子音楽の様相がわかる素晴らしい一枚。
展開が派手な分ルジューヌが有名なのはわかりますが、クロツィエールも引けをとらない作り込みです。
ちなみに、これのモアレ効果のジャケットにピンときたらあなたはSonic Youth好き。
彼らのプライベートレーベルのジャケットの元ネタでもあります。
いつも通り限定100。



Electroacoustic Music from Latin America
Eduardo Reck Miranda; Electroacoustic Samba X
Elsa Justel; Fy Mor
Nicolas Suarez Eyzaguirre; Chica Aruma
Alfredo del Monaco; Syntagma(A)
Antonio Russek; Ohtzalan
Sergio Claros & Oscar Garcia; Es Zas
Alejandro Jose; Todo Es Uno
Richardo Dal Farra; Ashram

1998 OO Discs  oo45

南米のエレクトロアコースティック音楽を集めたマニアックな一枚。誰も知らんだ。
ミランダ(1963-)はブラジル出身、現在はスコットランドで教授職に就いています。
曲はブラジル音楽のリズム楽器音をちょっとレトロな響きのシンセみたいな電子音楽に混ぜ込む。
抜粋なので短いですが、なかなか印象的な音楽。ただ土俗的というよりは間の抜けた感じなのがなんともいえない。
Elsa Justel(1944-)はアルゼンチン出身の賞を数多く取る女性アーティスト。
「Fy Mor」は台所の音と声をサンプルに繰り広げる、完全に実験音響の世界。
じりじりきゅっきゅと電子音みたいな音が転げまわる。
Nicolas Suarez Eyzaguirre(1953-)はボリビアに生まれワシントンの大学で博士課程の人物らしい。
ニューアルビオンなどからCDもリリースしているとのこと。
音楽はボリビアの笛の音をきっかけに様々な声が電子音と共鳴する。
Alfredo del Monaco(1938-)はベネズエラの首都出身、かの国の電子音楽の先駆者。
「Syntagma(A)」はトロンボーンと電子音、テープのための作品。収録曲のなかで唯一70年代の作曲(他はすべて90年代)。
それもあって、他の作品に見られるラップトップ的編集がなく、非常に古典的な前衛音楽。
レトロかつ刺激的な音が聞ける、この中で群を抜いた出来栄えです。
ちなみにこの音源のトロンボーンは、この界隈じゃ有名なJames Fulkersonが担当。
メキシコ出身のAntonio Russek(1954-)はマルチメディアアートの分野で活躍する人物。
曲もメトロポリタン博物館で行われたリアルタイム調節されたシンセ音楽。
神秘的で怪しげな冒頭から音が流れるように錯綜する、空間を強く意識した作品。
Sergio Claros(1960-)とOscar Garcia(1963-)はどちらもボリビア出身。
前者は詩人・ギタリストとしても広く活躍し、後者は電子音楽をメインに映画音楽などを多く手がけているそう。
「Es Zas」は元々聴衆を取り囲む8スピーカーから流れる仕様だったのが、ここでステレオ処理されています。
ふわふわと漂う、鳥の声のような音にクラウトロックみたいな不思議な楽想が絡む。
Alejandro Jose(1955-)はドミニカ共和国出身、プエルトリコに拠点を置く人物。
曲は生体オルガニズムにおけるアミノ酸の音変換とパルサーの信号をマテリアルにした、
ドローン的で緊張感溢れる奇妙な音楽。ある意味スペーシー。
Richardo Dal Farra(1957-)はアルゼンチンのブエノスアイレス出身。電子音楽分野で活躍する人物。
曲はMukha Veenaというインドのダブルリード楽器とテープのための作品。
ここでの演奏者でもあるJoseph Celliに捧げられています。
楽器の奇妙なうめきが金属質な電子ドローンに絡む。
MonacoとJoseの作品が面白かったかな。



The Inside of the Outside / or The Outside of the Inside
Who are they? Where do they come from? Why are they here?

2005 creel pone  #18

George Englerという作曲家が自身のレーベルから1965年にリリースしたLPのブート。
ただしトラック1「Konjugationen」のみはHeinz Karl Gruber(ハインツ・カール・グルーバー、1943-)の作曲。
この方は真面目な現代音楽作曲家。ウィーン出身、クロスボーダーな活動を行いながら現在も精力的に作曲活動しています。
茫洋とした音響が続いたと思ったら、いきなりカットアップコラージュによる奇妙なノリノリ音楽に。
トラック2以降のEngler、なんとも言えない奇妙な短いコンクレート風音源が1,2分単位で現れます。
撥弦音の細かく跳ねるささくれながらむリズミカルな曲、憂鬱な室内楽的音楽、
どろどろしたコンクレート風音楽、ピアノ内部奏法の嵐などなど、作風は一定しません。
うーん、悪くないんだけれど、これならグルーバーの方がいいなあ・・・
というか、もっと各曲を掘り下げて欲しかった。トラック12とかもっと長いほうが絶対面白いってば。
知名度などを考えても、このアルバムはグルーバーの曲のほうが掘り出し物かもしれない。



Musica Electroacustica  Dianda - Moretto - Serra
Hilda Dianda; A-7, Dos Estudios En Oposicion
Nelly Moretto; Composicion 9b
Luis Maria Serra; Invocation

Emma Curti,cello
2007 creel pone  #68

アルゼンチンの作曲家による電子音楽作品をまとめたマニアックすぎる一枚。
オリジナルは1970年に出た、国内向けのLP。
全員女性かと思いきや、最後のLuis Maria Serraだけは男性でした。
Hilda Dianda(1925-)はブエノスアイレスで学んだ後ヨーロッパへ渡り、ヘルマン・シェルヘンらに師事した作曲家。
電子音楽以外にもいろいろと作品を残しているようです。
「A-7」はチェロとテープのための作品。チェロの硬派な鋭い演奏に、電子音響が合いの手を添える。
間がありながらも渋く激しく演奏されるチェロ独奏に、電子変調されたチェロの亡霊がまとわりつく。
「Dos Estudios En Oposicion」は純粋な電子音楽作品。
60年代の音が激しくカットアップされて、残像だらけの空間を作っていく。後半の砂嵐にまみれた切迫も悪くない。
Nelly Moretto(1925-78)はアルゼンチンのロサリオ出身、主に自国で活動した作曲家です。
彼女はこの「コンポジション」のシリーズ(どれもエレクトロ・アコースティック系列)が代表格のようですね。
この「Composicion 9b」も、9aが楽器や踊りなどを使用した舞台音楽であったものを電子音楽のみに改作したもののよう。
女性の語りを皮切りに、異常なまでに加工された声が激しく湧き上がり、ヒスノイズのようになるまで響き渡る。
ぺらぺらと素早く音が聞こえてくる感覚は70年の電子音楽としてはなかなか奇異ですごい。
ルイス・マリア・ セルラ(1942-)は英語で詳しいサイトがないのでよくわかりませんが、
GRMに参画した上にヒナステラへの師事経験もあるようです。
「Invocation」、弦をはじく音が次第に込み入っていく、ちょっと地味だけれども間をうまく使った緊張感ある作品。
金属摩擦音が飛び交ったりと、音響的には一番ハードな実験色。
なかなか無視できない作品ばかりで悪くなかった。個人的には最後のジャンクノイズかな。



音の始原を求めて -塩谷宏の仕事-
黛敏郎;素数の比系列による正弦波の音楽〜素数の比系列による変調波の音楽〜鋸歯状波と矩形波によるインヴェンション
オリンピック・カンパノロジー
黛敏郎、諸井誠;7のヴァリエーション
諸井誠;ピタゴラスの星 第1部、ヴァリアテ
カールハインツ・シュトックハウゼン;テレムジーク

2001 Sound Three  OUOADM0101

NHK電子音楽スタジオの初代技術者だった塩谷宏が手掛けた電子音楽作品集。
同時に、「音の始原を求めて」シリーズの記念すべき第1作でもあります。
「正弦波〜」「変調波〜」「鋸歯状波と〜」は最初期の日本製電子音楽。音がものすごくレトロで、それだけで感慨が沸いてくる。
解説の佐藤茂曰く「ピーポーの電子音楽」の言葉がとても的をえています。ハードでストイックな、けれどどこかリズミカルな音たち。
「7のヴァリエーション」も前半は素材が同じですが後半は素材の幅が広がり、表現パターンが短期間で増えていったことを象徴します。
そして「正弦波〜」から5年後、「ピタゴラスの星」ではもう古典的とはいえ様々な音素材が物語りに沿うように展開されます。
当時の技術者・作曲家がいかに努力と研鑽を積んだかが手に取るようにわかる。
「ヴァリアテ」では音のランダム性を追求、よくまあこれだけの音の洪水を人力編集でやったもんですね。
「オリンピック・カンパノロジー」は黛おなじみの梵鐘シリーズの一。短い時間に様々な梵鐘の音が展開されます。
こういうのを聴くたび、実験的作品が一般の場で普通に演奏・放送されていた高度成長期がうらやましい。今ではすぐ埋もれてしまうのが残念。
増補で追加されたシュトックハウゼンの「テレムジーク」は有名な作品ですね、説明は割愛。
トラック1から12年、マルチチャンネル化され、自由に操作された音がここで見られます。
時代と技術の流れが見て取れる素晴らしいCDですね。今もシリーズが出ているのがとても嬉しい。よし、次は6を買おう。
余談、この「ピタゴラスの星」みたいなラジオ作品また作ってくれないかなあ、面白いのに。
今のNHKじゃ無理か、金銭的にも企画的にも潮流的にもいろいろ。



音の始原を求めて6 -西畑 塩谷 高柳の仕事-
柴田南雄;立体放送のための具体音楽
武満徹;空、馬、そして死
黛敏郎;電子音楽のためのカンパノロジー
電子音楽スタジオスタッフ;立体放送のための電子音楽
松平頼暁;テープのためのアッセンブリッジス
広瀬量平;植物相 1971

2007 Sound Three  OUOADM0702

日本電子音楽の貴重音源をばんばんと出してくれる、このシリーズの6作目。
武満とNHKスタジオスタッフの2作品は、ラジオで聞いて気に入った作品。ずっとCD化を待ってました。
柴田の作品は、ミュージック・コンクレートをステレオで表現しようとする試み。
音楽から始まる、ありとあらゆる音たちが、空間を我が物にしようと苦心する。
作成当時(1955)の日本はステレオ放送が始まったばかりであることを思えば、
この20分の大作を作ることがどれだけ大変だったことか。
「空、馬、そして死」は、プリペアドピアノ、馬の鳴き声、加工された人の叫びなどが印象的な、短い作品。
黛の曲は、交響曲のためのカンパノロジーから、このシリーズ最初のCDに収録されている
「オリンピック・カンパノロジー」への過渡にあたる作品。
複雑な倍音と音のゆれを持つ梵鐘の音をアタックと持続部分に分け、互いに編集してからつなげていく
独特の技法がこのとき初めて使われました。電子音による音も混じりながら進む、倍音だらけの10分間。
電子音楽スタジオスタッフたちによる作品は、ステレオ放送による立地音楽放送のための音位相の実験のためのもの。
独特の電子パルスや音塊などが落ち飛び交う、単純ながらも楽しい、短い作品。
松平の作品では「フォトフォーマ」という装置が使われています。
自由な図形を描くことでその波形音が作成されると言う、UPIC的なアイデアを持った機器ですが、
パルスノイズが余りにも酷く、この作品までほぼ誰も使用していなかったそうです。
この作品でも、さまざまな加工済み具体音に混じり、ノイズまじりの電子音が聴こえてくる。
「不確定要素を取り入れる作品ではそこに発生する音自体が必要である」という作者の考えがなければ、
ここまでノイジーな作品は生まれなかったでしょう。
広瀬の曲では、それまで制作困難だったクリック音を容易に制作するため、クリック・ジェネレータとLAM
(Linear Amplitude Modulator)を使ってリアルタイムな演奏を可能にしました。
電子クリック音やドローン、楽器音がさまざまに絡み合う、点的なイメージの強い作品。
最後の分厚いドローンに点描が押しつぶされる様はまさにノイズ音楽。
なお、「立体放送のための電子音楽」以降の収録作品ではディレクション・ミキサーが使用されています。
ステレオ効果を演出するためのさまざまな編集を行うことのできるこの機器が登場したことで、
CDを聴いていても、それ以前と以後でステレオ効果が大きく違うのがはっきり分かります。
ステレオの発展がいかに素晴らしいものか良く分かる、と言う意味でも秀逸なCDでした。



Persian Electronic Music  Yesterday and Today 1966-2006
Alireza Mashayekhi, Ata Ebtekar Aka Sote

Sub rosa  SR277

イラン現代音楽の先駆者マシャエクヒと若手Ata Ebtekar Aka Soteの電子音楽を集めた二枚組み。
CD1はMashayekhiの曲がぎっしり80分。
「Shur」では民族音楽の音源が混ざり合い、さまざまなノイズ音響にとって変わる。作品15なので、それ相応の古典的な電子音楽の響き。
「Mithra」は作品90なのでかなり近年の作品、音響がShurよりはかなり良い。
シタール演奏のような音源がエコーに押しつぶされ、ゆがんだサイケな風景を映し出します。これオケと電子音楽の版もあるみたい。
「Development 2」はぎらぎらしたノイズがかぶさる渋いシリアス展開。
60年代の典型的な電子音楽の作風だけれど、ノイズ音が前面に出てるあたり音響系っぽい響き。
「East-West」は20分の力作。様々なイラン音楽がぐじゃぐじゃにかき回され原型を失っていく。
かなり中身ある濃い作品。電子音楽好きなら是非聴くべき。
「Chahargah I」はイラン風の音階に従ってチープな電子音がランダムにぱらぱらと広がる。後半だんだんドローンに。
「Panoptikum 70」はハーシュノイズから始まり、ノイズドローンとがさがさ動き回る部分が細かに入れ替わる。
「メコンデルタ猟師の生と死への賛歌」という副題と、ヴェトナム戦争時に書かれた曲という背景がよくわかる曲。
「Stratosphaere I」の音源はペルシアン・ドラム。元の音と電子変調されたノイズのトレモロが絡み合う。
やがてそれらは融合して、原型を全く伺えないパルスの応酬に変貌していく。
「Yaad」は作曲者によるシンセ演奏。ドローンのような展開の中でメランコリックな展開が広がります。
二枚目は1972年生まれのサウンド・アーティスト、Ata Ebtekar Aka Soteの作品集。
Mashayekhiに比べ、音を自由に膨らませイランの伝統と結びつけようとしています。
「Miniature Tone」はきりきりした金属音と民族音楽がコラージュされる。
「Nashid」、ぐちゃぐちゃ原型を留めない音が寄せ集まり、そこからリズム音形が現れてくる。
「Saint Homayun」はメランコリックなイスラムメロディーがごりごりした電子音で無骨に歌われる。
以降は面倒になったので曲ごとに書きませんが、どれもイラン音楽を基にしたシリアスな電子音楽。
大きなカタストロフィはありませんが、個性的な活動をしている作家だと思えます。



Powerplant
Electric Counterpoint

2008 Signum  SIGCD143

2005年から活動を続けているイギリスのエレクトロニクス系アンサンブル。
Steve ReichとKraftwerkのカバーがどう考えてもメイン。
スティーヴ・ライヒの「エレクトリック・カウンターポイント」、これは良かった。
原曲をいじることなくそのまま編曲しているところが一番好感持てます。
こうして豊かなエレクトロニクスで聴いていると、原曲とはまた違った響きが楽しめていいです。
流石は2006年の「Phase」イベントに出ただけある。
クラフトワークは「Tour de France」「Radioactivity」「Pocket Calculator」をカバー。
流石にラルフ・ヒュッターの微妙ボイスの代用はできてませんが、
それ抜きにしてもやっぱり原曲重視のアレンジで、安心して聴けます。
一応「Pocket Calculator」はそれっぽいボコーダーボイスが聴ける。メロディ違うが。
クラフトワークの使用音をちょっと豪華にするとこんな感じかもしれない・・・
といった想像が容易にできるもの。
後半はオリジナル。「Carbon Copy」、低音ドローンを背景にシタールみたいな音が
即興から徐々にリズムを刻むと、ドラムなどがだんだん乗ってくる。
「Temazcal」、金属音を多用した、アブストラクトなビートが飛び交う曲。
「Audiotectonics III」、打楽器の自由なリズム応酬。
やっぱりオリジナル作品はそこまでは面白くなかった・・・
「Temazcal」なんてボーナスのムービー見て展開や意図がようやくわかったものだし。
前半のためにだけ購入し、実に予想通りだったアルバム。



ReR CMCD -Six Classic Concrete,Electroacoustic and Electronic Works:1970-1990
John Oswald; Parade
Georg Katzer; Aide Memorie
Lutz Glandien; Es Lebe
Steve Moore; A Quiet Gathering
Jaroslav Krcek; Sonaty Slavickove
Richard Trythall; Ommagio a Jerry Lee Lewis

1991 ReR  22

普通なら、リールの青いジャケットのはずなのですが、自分の入手したのは赤い、コラージュしたリールの絵のジャケ。旧盤?
まあこの方が内容を表していて合っているような気もするけれど。
ジョン・オズワルドの作品はサティの同名の曲を基にした作品。
様々なメロディ断片がころころばらばら、電子音や具体音の見境なしに飛び回る。
かなり派手で、聴いててかなり楽しい。
ゲオルク・カッツァーは、ナチ政権時代の音源を用いてドイツの生んだ下らない人間の歴史を風刺したもの。
7の悪魔になぞらえた7楽章制の、コンクレートと電子音楽の中間のような作品。この人アイスラーに師事したんだとか。
グランディエンの曲はテープとチューバのための作品。
ドローンのようなもやもやにチューバが歌う。要所でハードな機械音のリフが入るのがカッコイイ。
スティーブ・ムーアの曲は、様々な音声をコラージュした環境音楽系。長いけれど、趣味に合わなかった・・・
ヤロスラフ・クルチェクのコンクレートはかなりストイック。
Jan Korinekの言の朗読を言葉ごとで個々に録音し、それをバックの声・電子音とそれぞれミックスしたもの。
リチャード・トライソールの曲は、ロックンロールの大御所ジェリー・リー・ルイスの音源をぐちゃぐちゃにカットアップした音楽。
こりゃ笑える、面白いや。



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